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4-1 分岐点;ヒュームの蔓延る島《ヒュムスイスラ》

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 静謐な朝の風が頬に心地よい。
 ゆっくりと白む空が、戦ぐ田畑の青によく映える。
 やはり師の勧めを聞き入れて正解だった。街の喧騒から離れたこの地には、鬱陶しい人の圧はなく、顔全体を覆いたくなるほどの臭気に晒されることもない。
 本当にここは理想郷だ。人が生きる上で必要なものが全て揃っている。
「おはようズィンイ。今日もいい天気だね」
「おはようございます師匠。いよいよ今日がきました」
 傍らに若草の茂る小道を我が師カインがやってきた。相変わらず早起きなのは決して彼が年寄りだからではない。疲れた様子もなく昼夜の勉学に付き合ってくれる彼には、およそ眠気というものがないのかもしれない。しかし、今は師匠が古老であるとか、化け物じみた体力の持ち主であるとかいう話ではなく、今日こそ私の栄えある門出なのだ。
 転生して十五年。魔素という未知の力が存在するこの異界で過ごし、それを繰るだけの基礎を師から学んだ私は「魔術師」として国に迎えられることとなった。
 十の頃に街の学校と肌が合わないことに悩んでいた私を偶然にも師匠が拾い、五年間を魔術に関する勉強に励むことでようやく国家試験を通過することができたのだ。魔法師として世界について独自の研究を進めるという選択肢もあったが、人の営みや種族の特性に関心のあった私は自ら国に仕えることを選んだ。国の上層部には人類に関する資料や研究設備が十分に備わっているからだ。個人的に研究する道を極めた師の提案を退けたのもそれが理由だ。好きなことを思う存分できるのならば、多少煩わしいことも我慢できよう。
 それにこの国において魔術師は司祭の下で政務や研究に携わる重要な役目を担っている。エリン族や他の種族を馬鹿にするヒュームは別にして、人の役に立てるというのはとても素晴らしいことだ。加えて国司としての役柄上、上層での暮らしも保障されている。必要以上の贅沢に興味はないものの、国家権力者の暮らしぶりを知る上でもまたとない機会と言えるだろう。
「くどいようだけど、本当にその道を選ぶんだね? 魔法師として極めるのなら、私はいくらでも助力を惜しまないんだが」
「師匠。私は別に魔法を失った訳ではありません。自身の浅い知識を深め、見聞を広めるためにも外に出てみたいのです。世界をこの目で確かめてみたいのです」
「……そうか。ならもう何も言わない。存分に世界とやらを見てくるといい。しかし忘れてはならない――魔法は常に世界の内に存在する。行使の可否に依らずね――……それと、危険だと思ったらいつでも帰ってくること。君には帰るべき場所があることを決して忘れてはいけない」
 師は私に魔法に関する書物を一冊渡した。取り分け特別な内容のものではなく、魔法の基礎が書かれたごく初歩的な魔法書だ。彼の意図することは容易に想像がつく。
 カインに師事してからこれまで、彼は魔術について語る際、魔法の考え方を交ぜて説明することがあった。お陰で機械や動力を介さなければ理解できなかった魔素についての知識を深く知ることができた。魔素を単なるエネルギーと捉える魔術では、それを抽出する器を通すことによって魔素の存在を把握することになるが、魔法は魔素の根本を知ることから始まり、媒介なくして行使するための方法が網羅されているのだ。魔法は比較的に感覚で物事を捉えることが多く、反復、遡行可能な科学に慣れ切った転生者には合わなかったのだろう。それ故に、この島で魔法が普及することはなく、転生者の増加に伴って魔術が学問の主流となった。例に漏れず私もその一員となる訳だが、異なる視点を与えてくれたカインにはとても感謝している。
 この先、魔術に行き詰まったならば彼に助言を求めようと思う。
「出立する前に、サチさんたちにも挨拶しておきなさい」
 言いながら木戸を開き私を促す。彼から借りたこの家ともしばらくお別れだ。師匠と過ごした五年間はとても有意義なものだった。今思えば、前世での記憶をほとんど持たないという共通の境遇を持った彼との出会いは偶然ではなかったのかもしれない。聞けばはぐらかされるが、「権能」なる力を持った彼は、その力で私を見出したのではないだろうか。何の変哲もない、ただ転生しただけで他のエリン族と何ら変わらない、いずれ死に絶えていく私などを救う理由はないが、そう思いたくもなるほどに彼は私に優しく、根気強く付き合ってきてくれたのだ。
「気乗りはしませんが、師匠の提案ならば行っておきましょうか」
「ほほう。言ってくれるじゃないか!」
 軽口を叩くこともある私をこんなにも真摯に見守ってくれる人がいる。思い通りにならずとも素直にそれを受け入れ優しく押し出してくれる。これほど幸せなことが他にあるだろうか。彼には感謝しても仕切れない。
「あの人苦手なんですよね。考え方が独特というか……かと思えば世俗に塗れたようなことを口走ったりとか」
「伝えておこう。きっと彼女も喜ぶだろう。何せ君のことを大いに気に掛けていたからね。『彼は自分というものを全く持っていないんじゃないか』ってね」
 旅立ちの準備は整った。一度は挫折を経験した場所へ戻るだけの気構えもできた。これから迫り来るどんな困難にも果敢に向き合っていこうと思う。
 あとは帰った際に自分が居難くならないよう、早々に彼女に会って師匠の告げ口を防ぐ必要がありそうだ。

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