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2-1 2378年-日本
しおりを挟む蒸し暑くも窮屈にも感じられる空間でも、僕にはそれ以上ないくらい大切な場所がある。
他の皆がどう感じようが、殊の外、僕に文句を言ってこようが関係ない。
『アテルさんお疲れ様です。もう間もなくそちらと合流します』
戦闘機体、取り分け小型で人を模したこの半円状の外殻の内は最高の居場所だ。
何かに嫌気が差した時、機械たちの小うるさいアドバイスをも振り切って、疲労が溜まった脳と体をぽっかり空いたこのスペースへと放り込む。
それからあとは本能に従って動くだけ。後々思い出せないような思考の中、ただひたすらに目に映る光景を眺め、耳に響く音や皮膚に伝わる振動を感じる。
粗方の指示は軸索を通して外殻がやってくれる。だから何も心配はいらない。
そこには優劣なんてない。在るとすれば、これを効率よく動かす唯一の手段として「外殻に成り切ること」くらいだ。要は機械の邪魔にならない、こいつの一部になることだけ。
皆は決まってそこに評価を付けたがるが、「如何に何も考えないでいられるか」などを気に掛けるなんてどこかズレている。だから、そういった適性を褒められたところで嬉しい訳がない。
――ここに居れば、そんな訳の分からないことも含めて、全てを忘れられる。
嫌なこと全て。
外殻にあるこの穴は、きっと僕が埋めるためにできたんだと思う。そして僕はここに嵌るために生まれた。
何故ならこれは、無人でも動く意思を持たない機械だからだ。
『只今合流地点に到着しました。速やかに離脱して下さい。著しい筋肉疲労と軽度の脱水症状が見られます』
意思を持たない機械に人間という曖昧な要素を搭載するのには理由がある。
その不確定要素、曖昧性を補うため。時には制御系がそれを排除し、時にはそれを逆手に取ったフェイクとしての動作を実現するため。たったそれだけだ。
「了解。当機の接続権を一時的に委譲する。基地までよろしく頼む」
『了解しました』
頭蓋に響く声を最後に、掌に収まるハンドルを一撫でし離脱機能を作動させる。
ゆっくりと下がる体をそのまま預け、やがて頭上に広がる青い空を見上げる。
「ッ……」
照り付ける太陽は瞳孔の開き切った目を刺激し、剥き出しになった体を焦し始めた。
機内が暑かった訳も、この身が「軽度の脱水症状」にあることも、原因はここにあった。
「いやー、にしてもあっついなこりゃ」
僕にそう忠告してくれたのはアリサだ。煩いくらいに助言をする彼女だが、その声を嫌だと思ったことはない。むしろ心地良いくらいだ。
そのように作られたのだから、当然と言えば当然で、声の質は僕が最も心地良いように調律されており、行動や発言に至っては僕にとって最良のものを選んでくれる。
しかし、このヒューマノイドというやつは決まって「欠陥」――少なくとも僕はそう呼んでいる――を持っていて、高性能のAI搭載に加え、人間的な不確定要素の型がほとんどインプットされている。
よって効率的かつ人間的な判断を下すため、他の機械のように的確な判断を下す反面、人間とはまた違った独特な思考の下で行動する。
基が人間の補助として作られた「物」であるためか、自立した思考を持っているとは言え、その行動の根本的な所には処々、他物者に対して押し付けがましい、よく言えば「お節介」な面が見受けられる。
そこにこそ人間との相違があり、不完全で独特の欠陥があると主張したい。
「おーい隊長、いつまで殻かぶってるつもりっすか? さっさと基地戻りましょうよ」
比べて先程から僕に話し掛けるこの男。正直言って僕はこいつが大嫌いである。アリサの比にもしたくない。
僕はちっともこいつのことなんか気にしたくないのに、このソウマという男は僕のどうしようもない適性を妬んではこうして一々突っ掛かって来る。
以前に一度だけ口論になったとき、僕が常日頃から持つ「外殻とそれに付随する人間への見解」を主張した末に、耳まで真っ赤にして掴み掛かって来た事があった。
食堂のど真中で晒された寸劇に言い様のない嫌気を抱きつつも、こいつとの関わりを一切断つために出来る限りの憎々しさで睨み付けてやった。
結局は休憩室から戻ったアリサの仲裁のお陰で無駄な生傷を増やさずに済んだ訳だが、その後に、折角並んで受け取った焼肉定食まで味気なかったことを覚えている。
この淫乱猿虫野郎。お前はいつか見た『閲覧注意』のあった「制御系を失った猿」の動画のまさしくあの猿のような顔だった。――人目を憚らず腰を振る猿。
いい加減僕に話し掛けないで欲しい。
「了解」
だから僕はいつだって簡潔に応える。しかしソウマは、そんな僕の殊勝な態度が気に入らないのか、嘲りを含んだ口角と嫌らしい目付きを残し軽く肩を揺すってどこかに行った。
「災難でしたね」
「どこ行ってたんだよ。もう酸っぱい液がこの辺まで昇ってきてる」
そう言って大袈裟に掌のゲージを喉元に叩いてみせる。
「そのようですね。基地に戻るまで輸送機で休んで下さい」
「成程。輸送機が僕のゲボ袋って訳だ」
冗談交じりに、本当に喉まで出掛かった胃液を飲み下してから「吐いてもいい?」とその場で吐く真似をしてみる。
「いけません。食道に負荷が掛かるばかりか綺麗な歯まで溶けてしまいます」
アリサは冗談を言ったのか、僕の口にその愛らしい唇を押し当てると、事も無げに舌を滑り込ませた。それから「やっぱり休んだ方がいいですね」と言って微笑む彼女を呆然と見詰め、彼女が本気半分、冗談半分に僕を翻弄したことに気付いた。
「綺麗」と言われた前歯の方を舌先で舐めながら、もっと大切にしようと思った。
先までスースーしていた喉元も輸送機に揺られる頃にはもうすっかり良くなっていた。
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