上 下
41 / 42
第六章

40. 決着

しおりを挟む
 今度はクロードから二通の手紙を受け取った王は、それぞれに印璽の紋様と署名とを確認すると表情を険しくした。

「ご覧のようにすでに開封済みです。陛下が中を改めて下さっても構いません」

 公爵同様にクロードは一礼して部屋の中央へと戻る。
 王は便箋を取り出すと順番に目を落とし、ほどなくしてその顔に苦渋の色を浮かべた。

「にわかには信じられぬ。いや――しかし」

 今度は部屋の最奥から入口側、ほぼ正反対の位置にいるスタンレー公爵を見やる。
 おそらくは一通はロゼリエッタが離宮から立ち去るきっかけになった、あの手紙なのだと思った。もう一通に関しては全く見当もつかない。

 文面など知るはずもないロゼリエッタや、そもそもが何の文書なのかすら想像もつかない貴族たちは釣られるかのように王の動きを追った。

「スタンレー公爵。この手紙に書かれていることも事実なのか」
「あいにくと、何が書かれているのか私には分かりかねます」

 スタンレー公爵の答えに王は忌々しげに眉を寄せる。
 彼が知らないはずがない。そう判断しての問いかけだと公爵が分からないはずもないだろうに嘯いた。
 その態度はさすがに王の不興を買ったらしい。王は怒りを隠すこともせず公爵を睨めつける。

「クロード・グランハイムが王太子暗殺を企てたと名乗り出ねば、ロゼリエッタ・カルヴァネス嬢が犯人だという証拠と共に告発する――。ここに、貴公が王太子に宛てた文書と、それを受けて王太子がクロードに宛てた文書が揃っている。本当に貴公がこのような文書を書いたのか」

 ロゼリエッタはクロードを見た。

 彼がマーガス暗殺の犯人だと嘘の供述をしたのは、本当にロゼリエッタの為だったのだ。
 そんな優しさなんか、いらなかったのに。

「恐れながら、印璽の意匠には細やかな図を用いておりますが、複製することは決して不可能ではございません。何より私個人がマーガス王太子殿下に手紙をお出しできるような身にございませんので、何のお話か分かりかねます」
「確かにそなたの申し分に一理はある。だが先刻、そなたは"ロゼリエッタ嬢の手紙"を証拠として提出したばかりだ。そなたの言い分が通るなら、ロゼリエッタ嬢にも再考の余地があるということではあるまいか」

 ロゼリエッタは咄嗟に王へと嘆願した。

「どうか紙とペンをご用意してはいただけないでしょうか。皆様がご納得いただけるまで、私の筆跡の鑑定をお願い致します」

 しばし思案し、王は頷く。そして貴族たちにロゼリエッタとスタンレー公爵、二人分の筆記具を貸すように命じた。

「スタンレー公爵はこちらに」

 公爵の座る傍聴人用の席にはテーブルがない。長テーブルに座る貴族の一人が立ち上がると席を譲った。ロゼリエッタは席を移らず、筆記具を持って来た別の貴族からそのまま手渡される。
 スタンレー公爵は微動だにしなかった。筆跡の鑑定を拒否するという意思表示だろう。レミリアが不快そうに美しい顔をしかめた。

「どうなさったの、スタンレー公爵。まさか印璽だけでなく筆跡も似せられていると仰りたいの?」
「その可能性も当然ございましょう」
「これ以上、陛下やマーガス殿下を愚弄なさるのはおやめなさい。どちらにしろ、フランツ王弟殿下が逮捕された時点で全ては終わっていたのよ。あなたにもう逃げ場などありません」
「愚弄など滅相もございません」

 公爵は立ち上がり、長テーブルに視線を向ける。
 ひどく緩慢な動作で歩を進め、けれどすぐに立ち止まった。

「く、くく……! っははははは!」

 弾かれたように笑い、右手で顔を覆う。

「陛下! 今すぐ公爵の身柄の確保を……!」

 あきらかに様子がおかしい。突然の変貌に状況が飲み込めないロゼリエッタの隣で、レミリアが父王に助けを求める。すぐさま衛兵が動き出した。
 しかし、スタンレー公爵の方が早かった。

「逃げてロゼ!」

 狂気に染まった笑みを浮かべて公爵が近寄って来る。
 レミリアが悲鳴のような声でロゼリエッタの名を呼んだ。

 公爵の目当てがどちらかは分からない。でも逃げたら確実に、後ろにいるレミリアに危害が及んでしまう。だからロゼリエッタはじっと動かなかった。
 もちろん恐怖はある。動けない、と言った方がいいのかもしれない。
 その一方で、信じてもいた。

 テーブルを飛び越える影がある。
 それは公爵から庇うようにロゼリエッタの前に降り立った。

「クロード様……」

 やっぱり、助けに来てくれた。

 いつも背中ばかり見ていた。
 振り向いてくれないことが寂しくて悲しくて、だけどいつだって残酷なまでに優しかった。

「母親同様に、婚約者を自分の身勝手で捨てた男が今さら偽善者ぶるか」
「わたくしは決して、捨てられてなどおりません!」

 嘲笑うスタンレー公爵にロゼリエッタは叫んでいた。ロゼリエッタからの反論をまるで想定してはいなかったのか、公爵が驚いたような目を向ける。

 もしかしたら、ある意味ではいちばん公爵に反撃をくわえられることなのかもしれない。
 そう思うと次の言葉も、それを口にする勇気も奥底から湧き上がって来るようだった。

「クロード様とわたくしは同じ道を共に歩めなくなってしまっただけ。いいえ。最初から道は分かたれていたのです」
「――ロゼ」

 背中を向けたまま、クロードが名を呼ぶ。

「君はもう、守ってくれなくてもいいと言った。でも、僕は――僕の世界に大きな光を与えてくれた小さな女の子を、君だけを守りたいんだ。その為なら、僕はどうなろうと何だって良かった」

 ずっと、自分は簡単に切り捨てられる存在なのだと思っていた。
 でも本当は違う。違っていると、思いたかった。
 そうして、嘘でもいいから大切だと、傍にいて欲しいと言って欲しくて、なのにいちばん大切な言葉だけを飲み込んでいた。最初から大きくすれ違っていたのだ。

「世間知らずな貴族子女が口先だけの言葉に騙されて、可哀想に」

 公爵は笑みを消さず、けれど感情のこもらない声で誰にともなく呟く。それはロゼリエッタに向けたものなのかもしれないし、あるいは過去の公爵自身に向けて言っているのかもしれなかった。

 おそらくはマチルダを愛していたのだろう。
 想いが先か、婚約が先かは分からない。
 ただ心から愛していた。でも悲しいことにマチルダは公爵に同じ想いを抱かなかった。

 ロゼリエッタにも痛いほど分かる。それは本当に本当に、悲しいことだ。

 公爵は笑みを歪め、上着の内側に右手を差し入れる。
 その手が次に現れた時、鈍い銀色に光る何かが握られていた。下から親指を滑らせると、剣呑な輝きを放つ刃が剥き出しになった。

「近寄るな!」

 ようやく公爵の背後に回り込んだ衛兵を牽制するようにナイフをかざす。

「貴様の目の前でロゼリエッタ嬢を切り裂いてやろうと思っていたが――母親と再会させてあげた方が良さそうだ」

 そして姿勢を低くし、ナイフを構えて走った。クロードはロゼリエッタを庇ったままだ。避けないと公爵も分かっている。だから正面から挑めるのだ。

 しかしそれでも、レミリアの護衛を務めるクロードとの彼我の差は埋められるものではなかった。
 クロードの右手が公爵の手首付近を下から薙ぎ払う。
 嫌な音を立てて握り込む公爵の手が緩んだ。床に落ちたナイフをクロードがすぐさま衛兵の方に蹴り飛ばす。

 鮮やかな、一瞬の動きだった。

「ロゼ、怪我はしていない?」

 しているはずがない。
 クロードに半ば見惚れていたロゼリエッタは我に返って何度も頷いた。
 だけどもう、このとても素敵な人は自分の婚約者じゃない。
 そう思うと胸が痛んだ。

 スタンレー公爵は両肩を床につける体勢で無理やり抑え込まれた。必死の抵抗で顔を上げ、クロードを憎々しげに睨みつける。彼に、そして彼の母マチルダに、耳を塞ぎたくなるほどの罵声をいくつも投げつけた。

 誰しもが口を閉ざすよう国王が命じるの待って顔を向ける。
 王が立ち上がった。
 同時に閉ざされていた扉が開かれる。姿を見せたのはマーガスだった。彼は真っすぐに王の元に歩み寄って片膝をつく。

「このような神聖な場への闖入にて大変失礼致します。現国王であり我が父でもあるグスタフ・リエドリア・アーネスト・フォン・ラディンベルドより、この私マーガス・フォン・ラディンベルドが正式に王位の譲渡を受けましたことを急ぎご報告に参りました」

 マーガスの言葉に場の空気が一転して騒めきたった。国王はそれを右手を掲げることだけで粛清し、立つようにとマーガスを促す。それから静かな、しかし良く通る声で問いかけた。

「グスタフ陛下は病に臥せっているという話だったが、そのご容態に異変でも?」
「いいえ。どちらかと言えば体調は良くなって来ております。しかし代わりに、我が国の王家そのものが病魔に蝕まれつつあります故、腐った細胞を取り除かねばならないとご決断をされたのです」
「なるほど。事情はあい分かった。してこの場に乗り込んで来たのは王位を継いだ報告だけではあるまい」
「国王になるとは言え、私などまだまだ若輩の身。陛下にも国王が何たるものか、ご指導いただければ幸いにございます。その先駆けとして――」

 マーガスの目が、衛兵二人がかりで未だ抑え込まれているスタンレー公爵に向けられる。
 感情の読み取れない表情と声で用件を告げた。

「前王弟フランツから、アレックス・スタンレー公爵と共謀して王位簒奪を狙っていたとの証言も得ましたので、公爵の身柄の引き渡しを要求致します」

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

処理中です...