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第六章
38. 唯一の切り札
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「静粛に」
国王の一声で、室内は水を打ったような静けさを取り戻した。
ロゼリエッタを見やり、王はどこか愉快そうに問いかける。
「異議を申し立てるとのことだが、ではロゼリエッタ・カルヴァネス嬢に問おう。そなたはクロード・グランハイムの潔白を主張し、すなわち真の犯人を知っていると言うことか」
国王直々の質問を受けたロゼリエッタの一挙手一投足を見過ごすまい。そんな意思のこもった貴族たちの眼差しに気圧され、ロゼリエッタは倒れないよう必死で耐えた。
自分は大それたことをしなくたって良い。
ほんの少し、水面を波打たせればロゼリエッタの手を離れても上手く行く。
そう信じるしかなかった。
「いいえ。クロード様の潔白は信じてはおりますが、誰が陥れようとしているのかはわたくしには分かりかねます」
だからと言って、その場限りの適当な発言でこの場をかき回せば良いというわけでもない。
下手につじつまを合わせようとでまかせを並べても逆にクロードを窮地に追い込む自体になりかねず、それでは何の意味もないのだ。
「ほう。では根拠はないが無実だと?」
「――いいえ」
ロゼリエッタは再び王の言葉を否定した。
我ながら支離滅裂なことを言っている自覚はある。
でも王の興味を引けるよう、拙い駆け引きをしてわざと遠回しな言い方を選んだ。
(私は、自分の無実を証明したら良いだけ)
そうしたら、結果的にクロードの無実も証明される。
ロゼリエッタの持つ切り札は、たった一枚だけ。その切り札が通用しなければそこで終わりだ。
だけど今、それを使って本当に大丈夫なのか。
でも、今でなければもう二度と使えない。
不安に揺れるもう一人の自分を叱咤し、ゆっくりと口を開く。
「根拠はございます。ですがその前に陛下へ一つ、ご確認をしてもよろしいでしょうか」
「確認?」
「はい。――陛下はいつ、わたくしが王太子殿下の暗殺を企んでいると知られたのでしょうか」
「すまぬが、そなたの質問の意図が分からぬ。マーガス王太子暗殺の嫌疑をかけられているのは、クロード・グランハイムと聞き及んでおる」
そう言って王は判決を下す貴族たちに目を向けた。
彼らもまた事態が飲み込めてはいないようだ。小声でいくつかのやりとりを交わし、先程罪状を読み上げた貴族が代表するように答える。
「こちらにも――ロゼリエッタ・カルヴァネス嬢の話は入ってはおりません」
王は頷き、ロゼリエッタに視線を戻す。
「聞いての通りロゼリエッタ嬢、そなたが噛んでいるというのは初耳だ。知っていたのなら、そなたもまたクロードと共に裁きを受ける場にいなければおかしい」
「仰せの通りかと存じます」
ロゼリエッタは物事が上手く運ぶ予感に胸の高鳴りを覚えた。
国賓であり、王女の婚約者である隣国の王太子の暗殺を企てられたのだ。
本来なら真っ先に知らされる立場の国王の耳に入ることが遅れるなど、断じてありえない。王の命の下にロゼリエッタは捕らえられて然るべき流れだ。
「二週間ほど前でしたでしょうか。領地へ療養に向かおうとしていたわたくしは馬車への襲撃を受け、マーガス殿下の暗殺を企てた罪で捕らえられそうになりました」
アイリが身を挺して庇ってくれた記憶を胸の痛みと共に引き上げながら、ロゼリエッタは思い出す。
あの時、ロゼリエッタを捕らえようとしていた男が何を着ていたか。
忘れられるはずもない。
「その方々は、王宮に勤める衛兵の皆様が纏う甲冑と良く似た意匠のものを見につけていたと記憶しております。そして、わたくしが実行犯だと仰ったのです。でも、それは陛下の勅命ではなかったということでしょうか」
「そのような命は出しておらぬ」
話の食い違いに国王が訝しげに眉を寄せた。
ふと、何かを思い出したかのように目線を動かす。
「衛兵の甲冑が盗難に遭ったとの報告を受けている。あれは……先月の夜会の翌日だったか」
ロゼリエッタの無実は王によって証明されようとしている。
そうしたらクロードが罪を肩代わりする必要はどこにもない。
守ってくれなくて大丈夫なのだと、そうクロードに届いて欲しい一心がロゼリエッタの背中を押し、饒舌にした。
「その夜会には、わたくしもクロード様のエスコートにて参列させていただいておりました。途中で西門にて騒動が起こり、クロード様はレミリア王女殿下のご指示でそちらに向かっております」
「王女レミリアよ、ロゼリエッタ嬢の証言に相違はないか」
「確かに、わたくしがクロードに命じました」
ロゼリエッタに暗殺未遂の罪を着せようとした何者かがいる。
そして、その何者かは甲冑の窃盗犯と繋がっていることは疑いようもない。
クロードには甲冑を盗むことは不可能だった以上、全く別の第三者が関わっていることもあきらかだった。
――けれど。
「陛下。その者の言葉を信じてはなりません」
ひどく冷淡な声が部屋の隅から発せられた。
王女の証言すら覆さんとする言葉に、クロード以外の目線が誘われるように向けられる。
声の主であるスタンレー公爵はこの程度の圧に何ら臆することなく、むしろ愉悦の色を浮かべて言葉を紡いだ。
「ロゼリエッタ・カルヴァネスはクロード・グランハイムと婚約者の関係にあった身にございます。裁定の攪乱目的ででたらめな証言を並べ、真相を煙に巻こうとしているのでしょう」
「そ、そのようなことは誓ってしておりません……!」
予期せぬ反撃に、先程までの勢いはたちまち萎んでしまう。
それでもロゼリエッタは懸命に声を振り絞った。
あと少しなのだ。
ロゼリエッタもクロードも、罪を負うようなことは何もしていない。
堂々と胸を張っていたら良いのだ。
(クロード様は、どうして何も仰らないの)
まさかこの期に及んでもなお、全ての罪を一人で受け入れるつもりなのか。
祈るようにクロードを見つめる。
クロードは何を思っているのだろう。
凪いだ表情でスタンレー公爵を見ている。
彼が何を思っているのかなんて、ロゼリエッタには分からなかった。
「そこまで明言するからには相応の裏づけがあると申すのだな」
「は。もちろんにございます。こちらで抑えている証拠を陛下に提出したく存じます。よろしいでしょうか」
「――うむ」
王の許可を得たスタンレー公爵は、勝ち戦から凱旋する英雄さながらの力強さで部屋の奥へと歩を進めた。
途中、その視線がクロードと交錯する。
ロゼリエッタの位置からでは公爵の表情の全ては見えなかったけれど、唇の端が酷薄そうにつり上がっているのは見えた。
「証拠は、こちらの二点となります」
スタンレー公爵は上着の内側から封筒と、白い布とを取り出す。
遠目ではあるけれど、おそらくは"ロゼリエッタがマーガスへの想いを認めた"とされる手紙だろう。布が何かはよく分からない。ただ、ひどくいやな予感がした。
背筋を冷たいものが流れ落ちて行く。
再びクロードを見やった。
スタンレー公爵の背中に向けられた目は何の変化もないままだ。ロゼリエッタは自分の手を握りしめた。
二つの証拠を衛兵に手渡し、スタンレー公爵にとってはやはり勝ち戦であるのだろう。勝ちどきを上げるかのように高らかに告げる。
「マーガス王太子殿下に送った手紙と――このハンカチが現場に落ちていたと。場に居合わせた侍女から預かっております」
ロゼリエッタは目を見開いた。
衛兵の手から王の元に渡るその時、確かに見覚えのある刺繍が目に入った。
そのハンカチがロゼリエッタの持ち物であることに間違いない。
けれど、何よりも衝撃を受けたのは――。
自分の為に泣いてくれたアイリに貸したハンカチだったからだ。
国王の一声で、室内は水を打ったような静けさを取り戻した。
ロゼリエッタを見やり、王はどこか愉快そうに問いかける。
「異議を申し立てるとのことだが、ではロゼリエッタ・カルヴァネス嬢に問おう。そなたはクロード・グランハイムの潔白を主張し、すなわち真の犯人を知っていると言うことか」
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自分は大それたことをしなくたって良い。
ほんの少し、水面を波打たせればロゼリエッタの手を離れても上手く行く。
そう信じるしかなかった。
「いいえ。クロード様の潔白は信じてはおりますが、誰が陥れようとしているのかはわたくしには分かりかねます」
だからと言って、その場限りの適当な発言でこの場をかき回せば良いというわけでもない。
下手につじつまを合わせようとでまかせを並べても逆にクロードを窮地に追い込む自体になりかねず、それでは何の意味もないのだ。
「ほう。では根拠はないが無実だと?」
「――いいえ」
ロゼリエッタは再び王の言葉を否定した。
我ながら支離滅裂なことを言っている自覚はある。
でも王の興味を引けるよう、拙い駆け引きをしてわざと遠回しな言い方を選んだ。
(私は、自分の無実を証明したら良いだけ)
そうしたら、結果的にクロードの無実も証明される。
ロゼリエッタの持つ切り札は、たった一枚だけ。その切り札が通用しなければそこで終わりだ。
だけど今、それを使って本当に大丈夫なのか。
でも、今でなければもう二度と使えない。
不安に揺れるもう一人の自分を叱咤し、ゆっくりと口を開く。
「根拠はございます。ですがその前に陛下へ一つ、ご確認をしてもよろしいでしょうか」
「確認?」
「はい。――陛下はいつ、わたくしが王太子殿下の暗殺を企んでいると知られたのでしょうか」
「すまぬが、そなたの質問の意図が分からぬ。マーガス王太子暗殺の嫌疑をかけられているのは、クロード・グランハイムと聞き及んでおる」
そう言って王は判決を下す貴族たちに目を向けた。
彼らもまた事態が飲み込めてはいないようだ。小声でいくつかのやりとりを交わし、先程罪状を読み上げた貴族が代表するように答える。
「こちらにも――ロゼリエッタ・カルヴァネス嬢の話は入ってはおりません」
王は頷き、ロゼリエッタに視線を戻す。
「聞いての通りロゼリエッタ嬢、そなたが噛んでいるというのは初耳だ。知っていたのなら、そなたもまたクロードと共に裁きを受ける場にいなければおかしい」
「仰せの通りかと存じます」
ロゼリエッタは物事が上手く運ぶ予感に胸の高鳴りを覚えた。
国賓であり、王女の婚約者である隣国の王太子の暗殺を企てられたのだ。
本来なら真っ先に知らされる立場の国王の耳に入ることが遅れるなど、断じてありえない。王の命の下にロゼリエッタは捕らえられて然るべき流れだ。
「二週間ほど前でしたでしょうか。領地へ療養に向かおうとしていたわたくしは馬車への襲撃を受け、マーガス殿下の暗殺を企てた罪で捕らえられそうになりました」
アイリが身を挺して庇ってくれた記憶を胸の痛みと共に引き上げながら、ロゼリエッタは思い出す。
あの時、ロゼリエッタを捕らえようとしていた男が何を着ていたか。
忘れられるはずもない。
「その方々は、王宮に勤める衛兵の皆様が纏う甲冑と良く似た意匠のものを見につけていたと記憶しております。そして、わたくしが実行犯だと仰ったのです。でも、それは陛下の勅命ではなかったということでしょうか」
「そのような命は出しておらぬ」
話の食い違いに国王が訝しげに眉を寄せた。
ふと、何かを思い出したかのように目線を動かす。
「衛兵の甲冑が盗難に遭ったとの報告を受けている。あれは……先月の夜会の翌日だったか」
ロゼリエッタの無実は王によって証明されようとしている。
そうしたらクロードが罪を肩代わりする必要はどこにもない。
守ってくれなくて大丈夫なのだと、そうクロードに届いて欲しい一心がロゼリエッタの背中を押し、饒舌にした。
「その夜会には、わたくしもクロード様のエスコートにて参列させていただいておりました。途中で西門にて騒動が起こり、クロード様はレミリア王女殿下のご指示でそちらに向かっております」
「王女レミリアよ、ロゼリエッタ嬢の証言に相違はないか」
「確かに、わたくしがクロードに命じました」
ロゼリエッタに暗殺未遂の罪を着せようとした何者かがいる。
そして、その何者かは甲冑の窃盗犯と繋がっていることは疑いようもない。
クロードには甲冑を盗むことは不可能だった以上、全く別の第三者が関わっていることもあきらかだった。
――けれど。
「陛下。その者の言葉を信じてはなりません」
ひどく冷淡な声が部屋の隅から発せられた。
王女の証言すら覆さんとする言葉に、クロード以外の目線が誘われるように向けられる。
声の主であるスタンレー公爵はこの程度の圧に何ら臆することなく、むしろ愉悦の色を浮かべて言葉を紡いだ。
「ロゼリエッタ・カルヴァネスはクロード・グランハイムと婚約者の関係にあった身にございます。裁定の攪乱目的ででたらめな証言を並べ、真相を煙に巻こうとしているのでしょう」
「そ、そのようなことは誓ってしておりません……!」
予期せぬ反撃に、先程までの勢いはたちまち萎んでしまう。
それでもロゼリエッタは懸命に声を振り絞った。
あと少しなのだ。
ロゼリエッタもクロードも、罪を負うようなことは何もしていない。
堂々と胸を張っていたら良いのだ。
(クロード様は、どうして何も仰らないの)
まさかこの期に及んでもなお、全ての罪を一人で受け入れるつもりなのか。
祈るようにクロードを見つめる。
クロードは何を思っているのだろう。
凪いだ表情でスタンレー公爵を見ている。
彼が何を思っているのかなんて、ロゼリエッタには分からなかった。
「そこまで明言するからには相応の裏づけがあると申すのだな」
「は。もちろんにございます。こちらで抑えている証拠を陛下に提出したく存じます。よろしいでしょうか」
「――うむ」
王の許可を得たスタンレー公爵は、勝ち戦から凱旋する英雄さながらの力強さで部屋の奥へと歩を進めた。
途中、その視線がクロードと交錯する。
ロゼリエッタの位置からでは公爵の表情の全ては見えなかったけれど、唇の端が酷薄そうにつり上がっているのは見えた。
「証拠は、こちらの二点となります」
スタンレー公爵は上着の内側から封筒と、白い布とを取り出す。
遠目ではあるけれど、おそらくは"ロゼリエッタがマーガスへの想いを認めた"とされる手紙だろう。布が何かはよく分からない。ただ、ひどくいやな予感がした。
背筋を冷たいものが流れ落ちて行く。
再びクロードを見やった。
スタンレー公爵の背中に向けられた目は何の変化もないままだ。ロゼリエッタは自分の手を握りしめた。
二つの証拠を衛兵に手渡し、スタンレー公爵にとってはやはり勝ち戦であるのだろう。勝ちどきを上げるかのように高らかに告げる。
「マーガス王太子殿下に送った手紙と――このハンカチが現場に落ちていたと。場に居合わせた侍女から預かっております」
ロゼリエッタは目を見開いた。
衛兵の手から王の元に渡るその時、確かに見覚えのある刺繍が目に入った。
そのハンカチがロゼリエッタの持ち物であることに間違いない。
けれど、何よりも衝撃を受けたのは――。
自分の為に泣いてくれたアイリに貸したハンカチだったからだ。
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