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第六章

37. 嘘で固められた法廷

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 長い廊下を、レミリアの後に付き従って歩く。
 以前、父や兄と共に婚約の解消を申し立てる書類を提出しに来た、政を執り行う為の部屋が立ち並ぶ一角だ。あの時よりさらに奥へ向かっている。

『クロード様の裁判に、私も立ち会わせて下さい』

 ロゼリエッタから伝えた願いはそれだった。
 レミリアは予想だにしていなかったのか探るような目を向け、けれどすぐに了承の意を示した。

 そうして離宮での日々と同様に、レミリアの元でも何も変わらないまま時間は過ぎて行った。
 兄と会えたのはあの時と違うものの、それだけだ。
 クロードにもアイリにも会えなかった。
 元気にしている。
 その伝言だけが支えだった。

 すれ違う人々は文官として勤める貴族がほとんどで、レミリアの姿を見ると一様に頭を下げて道を開けた。
 後ろにいるロゼリエッタに目を向ける者は誰一人としていない。それはやはり、冤罪とはごく一部で囁かれているだけのことのようで安堵を覚えた。

 廊下の突き当たり、大きな両開きの扉の左右に衛兵が立っている。
 扉には合わせ目を中心にした天秤の彫刻が施されていた。衛兵の手で開かれた扉を抜ければ、中は縦長の部屋だった。
 入ってすぐの場所に二人がけの椅子が四脚、等間隔に規則正しく並んでいる。おそらくはここに傍聴人たちが座るのだろう。ただし今回は秘密裏に行われる裁判らしく、誰も座ってはいなかった。

 目線を前に向ける。
 最奥の壁に描かれたフレスコ画が視界に飛び込んで来た。
 モチーフは天秤を掲げる美しい女神だ。最も有名なエピソードの一節を抜き出したものであり、その足元には公正かつ厳格な裁きを乞う七人の立派な紳士が跪いていた。
 奥は床自体が扉側よりも三段高く、豪奢な飾りのついた椅子はこちらも空席だった。立ち合った王が座る席に違いない。近くの壁に扉があるのも見えた。

 部屋の中央に設えられた木製の柵はロゼリエッタの腰の高さくらいで、扉側は囲われていない。発言の為の場らしく、そこには騎士の正装に身を包んだクロードが背中を向けて立っていた。
 やはり"シェイド"ではなく、クロード・グランハイムとして裁判に赴くということらしい。髪の色も見慣れた金色に戻っている。

「クロード、様……」

 呟きが届いたはずもないのに、ふいにクロードが振り返った。今は仮面もつけてはいない。青みがかった緑色の目がほんの一瞬、驚きに見開かれた。
 どうしてロゼリエッタがいるのか。
 せっかく重なった目はすぐに逸らされ、そう問い質すかのようにレミリアに顔を向けた。

 言わなければ、伝わらない。
 だからロゼリエッタは初めて自分の覚悟を伝える為に、ここに来たのだ。

 でも今は言葉も交わさずに右側の壁沿いを進む。そうしてテーブルとセットになった、入口付近にあるものより豪華な二人がけの椅子にレミリアと共に着席した。

 一方、正面の壁沿いに置かれた長テーブルの向こうには、ゆったりとした黒の法衣を纏う七人の貴族がすでに鎮座している。
 クロードを乗せた天秤がどちらに傾くか。全ては話し合いの末に彼らの意思で決められる。けれど、ロゼリエッタだけは自分が天秤を揺らすことができると信じていた。それぞれにロゼリエッタとクロードの"罪"を乗せれば、きっと釣り合う、と。

(だって、私たちは何もしていないのだもの)

 ロゼリエッタは静かに目を閉じる。

 ずっと考えていた。
 確かにクロードへの冤罪は簡単に晴れるだろう。
 でも本当に、それだけなのかと。

 本当に晴らすべきは、ロゼリエッタにかけられた冤罪だ。
 ロゼリエッタの無実を証明しなければ、クロードはまた利用されることがあるかもしれない。
 いつまでもロゼリエッタの存在が枷になってしまう。

 それは仄暗い甘美を覚えさせてしまうけれど、知らない場所で一人で苦しんで欲しくない。

 だから、ロゼリエッタが彼を守る。

「後は陛下が立ち合われるだけでしょうか?」

 刻々と近づく開廷の時間に、ロゼリエッタは奥の扉を見やった。

 当人のことなのにマーガスは出席しないと聞いている。
 まずは内々に処理してから改めて身柄を引き渡すということらしい。だから慣例として同席するべき証人や被告の家族、立ち合いの第三者もなく今日の裁判は行われる。
 もっとも、マーガスがクロードの罪を否定するのは目に見えており、形式的な茶番だ。

 レミリアを首を振り、ロゼリエッタとは逆に自分たちが入って来た扉に顔を向ける。

「もう一人来るはず――来たみたいね」

 扉が開き、レミリアの表情が強張った。ロゼリエッタも視線を向けて息を飲む。

「遅くなりまして申し訳ありません」

 最後の出席者、それはやはりスタンレー公爵だった。
 公爵は先にいる人々に会釈をし、ロゼリエッタの存在に気がつくと片眼鏡の奥の目をわずかに眇めた。

「おや、これはこれは――かような場所に、美しい花が二輪も」

 場に不似合いで、らしくもないおどけた声音で言いながらロゼリエッタたちの元へ近寄って来る。
 成り行きを見守るクロードの表情は険しい。立ち上がって挨拶をしようとするロゼリエッタを右手で制し、レミリアは公爵に微笑みかけた。

「お久し振りね、スタンレー公爵。今日のこの場は、公爵の内部告発がきっかけだと聞いているわ」
「内部告発とは些か大げさではありますが。此度の行動も偏に我が国を憂う気持ちがあればこそにて、恐れ入ります」
「ご苦労なことね」

 テーブルを挟んで静かに睨み合い、公爵は傍聴席へと戻って行った。レミリアとクロードの忌々しげな目線も物ともせず、右端のテーブルに腰を下ろす。

「真ん中に陣取るほどのふてぶてしさはさすがにないのね」

 レミリアは敵意も剥き出しに呟くと、それっきりスタンレー公爵から視線を外した。思った以上に険悪な雰囲気だが、正面の貴族たちはあえて素知らぬ振りをしているのか、手元の資料に目を通している。

 クロードの顔を見ようとしたその時、室内に鐘の音が鳴り響いた。
 全員の視線が奥の扉に注がれる。もちろんロゼリエッタも例外ではない。扉が開くのに合わせて立ち上がり、深々と頭を下げた。

「皆の者、顔を上げて被告以外は着席せよ」

 衛兵を二人従えた壮年の紳士の、威厳に満ちた声が途端に場を支配する。

 王と言葉を交わした機会は少ない。けれど優しい王だという印象はあった。
 それが今や、その登場だけで場の空気を張り詰めさせている。レミリアもまた、父王の姿に表情を強張らせ、次の言葉を待っていた。

 虚偽の証言はしないというクロードの宣誓の後、最も王に近い席を宛がわれた貴族が罪状を読み上げる。

 隣国の王太子マーガスに振る舞った紅茶に毒薬を仕込み、暗殺を謀った。
 でもそんなのは、少し考えたらつじつまの合わないことだらけだ。なのにクロードは、犯してもいない罪を認める為にこの場に立っている。

(クロード様の、嘘つき)

 ロゼリエッタは人知れず唇を噛みしめた。
 冤罪を認めてしまうことは、それだけで虚偽の証言になってしまうではないか。

 どのような形で裁判が進行し、クロードに罪人の烙印が押されるのか分からない。
 一つずつ行動の裏付けを取るかもしれないし、あるいは手順など全く取らずにすぐ閉廷されるのかもしれない。
 確実に言えることはクロードが暗殺を目論んだと自ら口にしたら、そこで裁判が終わるということだ。

 心臓が早鐘を打つ。大きく息を吸い、そして吐いた。

 いざ裁判がはじまろうかというその瞬間、ロゼリエッタは発言権を求めておずおずと、けれどしっかりと右手を高く上げる。

「お……恐れながら陛下。クロード・グランハイム様に課せられた罪状に関し、異議を申し立てます」

 ロゼリエッタの声に騒めきが走った。
 場にいる大人たちの視線を集め、委縮しそうになる心を奮い立たせるべく指先まで意識して綺麗に伸ばした。それから精一杯の淑女の礼をしてみせる。

「大丈夫よ、ロゼ。私はあなたを信じてる」

 唯一、前を向くレミリアが囁いた。
 大丈夫。ロゼリエッタは頷き、王を真っすぐに見つめた。

「わたくしはロゼリエッタ・カルヴァネスと申します。どうか、発言のご許可を」

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