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第五章

31. 両親

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 自分の出生にまつわる事実を知ったのは、十歳の頃だ。


「クロード、今から君に聞かせる話は、まだ幼い君には受け入れがたいことかもしれない。知らずに一生を終えられるのであれば、そうさせてあげたかった。けれど、そうも行かない話でね。――今すぐでなくてもいい。それでもいつか、マチルダのことを許してあげてくれたらと思う」

 わずか十歳のクロード相手にひどく真摯な目を向け、許しを乞うような父の表情と言葉は今もよく、覚えている。



   □■□■□■



 マチルダとはかつて、屋敷の離れに住んでいた叔母の名だ。
 彼女は身体が弱く療養生活の最中だった。しかし幼いクロードが会いに行くと、いつも笑顔で迎えてくれた。もちろん体調が悪い時はその限りではなかったが、優しい叔母だという認識はクロードの中で何ら揺らぐことはなかった。

 しかし、今はもう離れにはいない。
 クロードが四歳になった冬のある日、二十二歳という若さで亡くなった。

「マチルダは、君が生まれる少し前に大きな病を患ったことで婚約を解消したという話は知っているね?」

 父の問いかけにクロードは深く頷いた。

 一度だけ、マチルダがクロードの前で涙を見せたことがある。
 病床につきながらも明るく優しい叔母の弱々しい姿は、忘れようにも忘れられない記憶だ。

『自分勝手な行動で婚約を解消させてしまった私は、自らグランハイム家を出て贖罪の為に努めなければいけない身なのよ』

 そう言ってマチルダは、だけど……とクロードの頬を両手で包み込む。

 温かな手の感触に何故かクロードも泣きそうになった。
 理由は分からない。
 ただ子供心に胸が軋んで苦しかった。

 何を話せば良いのか分からないまま夕方になり屋敷に戻る時、マチルダは「ごめんね」と、ただ一言だけ謝罪した。

 それは幼いクロード相手に場の空気を重くしてしまったからか、あるいは他に理由があるのか。聞けずにいたクロードはその日を境に漠然と思うことがある。

 ――もしかしたら、マチルダは。

「もちろん病に罹ったことも理由の一つではある。だが――」

 遠い記憶を手繰っていたクロードは躊躇いがちに言葉を紡ぐ視線を向けた。
 無言のまま先を促す。
 父が言わんとしていることこそが、クロードがいちばん知りたい過去に違いない。

 同時に、グランハイム家が最も隠し通したいことでもあるのだろう。

「婚約者以外の異性との間に子供を授かってしまっては、どうしようもなかった」

 苦悩の面持ちで父が伝える事実を聞いた瞬間、クロードの中で全てが一つの線に繋がった。

 やっぱり。
 そんな思いが脳裏に浮かんだ。

「――僕は父上と母上の子ではなく、本当は叔母上の子なのですね」

 父は重々しく頷く。
 二人の兄とは違って、自分だけが両親の血を継ぐ子供ではない。隠され続けていた真実を知っても不思議と傷つきはしなかった。

 薄々と察していたのだ。
 頭を撫でてくれる叔母の優しい手が、母のそれとよく似ていたから。
 クロードの青みがかった緑色の目を見つめる叔母の目が、悲しそうなのにひどく幸せそうだったから。

『本当は許されないことでも、あなたの成長を一日でも見届けたいと願ってしまうの』

 泣きながら、そう言って笑ったから。

「私も妻も、君を実の息子のように思っている。どうかそのことも忘れずに、私の話を最後まで聞いて欲しい」
「はい」

 真実を知る頃合いだと思ったのか。
 あるいは隠し通すことに限界を感じたのか。
 どちらにしろ全てを話す気になったらしい父の言葉を、一言も聞き逃すことのないように耳を傾ける。

「マチルダは君を産むことを何よりも強く望んだ。そうでなくとも――貞節を重んじるべきはずの令嬢が不貞を働いた時点で嫁ぐのは非常に難しい。その恋が一時の気の迷いなどではなかったのなら、なおさらだ。だから重い病を患ったと偽りの理由をでっちあげ、婚約を解消する運びとなった」

 父は大きく息を吐く。
 それから中空へとその目を向けた。
 遠く過ぎ去った出来事を懐かしむような様に、名門貴族の主たる威厳はない。たった一人の妹を失って悲しむ兄の姿だけが、そこにあった。

 クロードは視線を落とし、膝の上で組んだ両の指を見つめる。
 何も言わず、何と言えばいいのかも分からずに父の次の言葉を待った。
 しばらくの沈黙の後で先程より深く息を吐く音が聞こえた。
 クロードは顔を上げる。目が合った父の顔はすでに公爵家当主のそれに戻っていた。

「余計な時間を取らせてすまないね、クロード」
「――いえ」

 クロードは静かに首を振った。
 正直に言えば、どんな反応をしたらいいのか分からない。
 実の両親がいると知らされたところで、母は親子として触れ合うことのないまま六年前に他界している。父ともきっと、会う機会はない。

 子供心に察していたとは言え、悲観するにはクロードはあまりにも人の優しさに触れすぎていた。この十年の間に目の前の"父親"をはじめ、家族と言う形で過ごして来た人々が実の家族ではないからと言って、それが何だと言うのだろう。自分に関する重大なことであるはずなのに、どこか他人事のように思った。

 クロードの様子に父は一瞬だけ表情を歪める。だがクロードは再び首を振ってみせた。事実を知ることよりもグランハイム公爵家の人々の接し方が同情的なそれに変わる方がずっと、クロードを打ちのめすだろう。
 だからこのまま、できることなら実の息子として接し続けて欲しい。

「クロード、君はやっぱり……」

 父は何かに合点が行ったように独り言ち、苦笑いを浮かべた。もしかしたらクロードの反応は、実の父譲りなのかもしれない。そう思えば腑に落ちた。

「いや、すまない。話を進めようか」

 一度伏せられた目が次に開かれた時、そこには厳しい当主としての色だけが残った。

「こちらとしては、何せ深く探られると痛い腹がある。だから出来る限り穏便に、かつ手早く婚約解消の手続きを終えたい。それが本音だった」

 今度はその話し合いを思い出しているのだろう。妹を偲ぶ時とは違い、さすがに良い思い出ではないらしく眉間にわずかなしわが寄せられた。

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