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第四章
22. 舞台上に取り残された人形
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「元気そうだね。安心したよ」
「ご心配をおかけしてごめんなさい」
本当に心配してくれていたのだろう。客間に現れたダヴィッドは、ロゼリエッタの姿を見ると安堵の笑みを見せた。
"多少のトラブル"に見舞われたものの元気にしている。
そんな内容の手紙を家族へと出した五日後、居場所をどうやって知ったのかダヴィッドが単身で訪れたのだ。
「それよりも、どうしてこちらに?」
「シェイド――が手紙をくれたんだ。ここでのことを一切口外しないという約束で、君に会わせてくれるとね」
シェイドの口利きがあったことはさしものロゼリエッタでも想像がついた。他に知る術などないからだ。けれど口外しないとはどういう意味だろう。
尋ねようとして、自分の置かれている立場を思い出してやめた。
重罪人のロゼリエッタと密会したなどと知れては、ダヴィッドにもあらぬ疑いをかけられかねない。それに、下手に触れない方が良いこともあるのだと、今のロゼリエッタは理解している。
シェイドが判断し、ダヴィッドに他言無用を約束させたのは、その方が彼らにも都合が良いからだろう。
面会を許されたのが家族ではなくダヴィッドであることも、同じ理由からに違いない。
「領地に向かう途中で体調を悪くして、治るまではここに身を置かせてもらうんだろう? どのみち、今はマーガス王太子殿下の件があるから王都からは出られないようだけどね」
シェイドの検閲を受けて、体調不良のせいで領地への到着が遅くなると知らせた。当たり障りのない理由ではあるけれど、身体の弱いロゼリエッタなら説得力もある。
ここが王都の中だとロゼリエッタとて察してはいた。
シェイドの母親がこの国の生まれで、生前に住んでいたこともあるという屋敷なのだ。何より国境を越えるなど、いかに貴族とて――貴族だからこそ、およそ簡単なことではない。
問題は王都のどの辺りなのかが全く分からないことだ。そして"どこに"いるのかという根本的で重要な問題は、ロゼリエッタの手紙には書かれなかった。
でもシェイドの背後にはレミリアがいる。それはアイリたちがすぐにレミリアに保護されたとの報告から窺い知れた。きっとロゼリエッタの周囲の人々を納得させる為だけに、信憑性のある場所をでっち上げたのだろう。
けれど王都からは出られない状態になっているというのは思いもよらなかった。ロゼリエッタは意表を突かれると同時に、違和感を覚える。
ロゼリエッタにマーガス暗殺の容疑がかけられていることを知らないのだろうか。
でも知っているのなら、いかにダヴィッドとてそれなりに態度が硬化するに違いない。それがその気配すらないというのであれば、少なくともダヴィッドの耳には入っていないと思っても良いのだろうか。
「マーガス王太子の件とは何でしょうか」
ダヴィッドがどれだけ知っているのかの確認も込めて尋ねる。するとダヴィッドは驚いたような表情を一瞬見せ、何かに思い当たったかのように軽く頷いた。
「ああ、ロゼはここにいるから知らないんだね。と言っても俺も詳しく知っているわけじゃないけど――王太子殿下の元に、命を狙うことを予告する文書が届けられたみたいだよ。それで今は王都の外へ繋がる道は全て閉鎖されてるんだ」
「脅迫文が届けられたのですか?」
「そういうことになるね」
ロゼリエッタは思わずシェイドに視線を向けそうになり、思い留まった。
扉のすぐ脇に立つシェイドはロゼリエッタたちを真横から眺める位置にいる。二人のどちらかに何か不審な動きがあったとしても死角にはならない場所だ。
視界の隅に時折入る姿に心がざわめく。良い感情も悪い感情もそこにあって、複雑に絡み合っていた。
ロゼリエッタはかすかに首を振り、ダヴィッドの言葉に意識を戻す。
自分が聞かされている話とは内容が微妙に違う。もっとも、他国の王太子が自国――ましてや王城内で――毒殺される危機にあったなどと、国同士の関係に軋轢を生じさせかねない。そんな不名誉な騒動は、たとえ事実だとしても公表はできないだろうし、表向きはそこで誤魔化すしかないのかもしれなかった。
「もちろん王太子殿下はご無事だけどね。貴族たちの間で騒ぎになりつつあるみたいだ」
ここで過ごすようになって、二週間近くになろうとしている。だけどそんな短い間で大きな変化があるでもなく、シェイドも事情など何も話してはくれない。だから未だに分からないことばかりだった。
いつだってそうだ。
ロゼリエッタは舞台上に引きずり出されながらも、誰も彼女に与えられているはずのセリフを教えてはくれない。
それとも演者だと思っているのはロゼリエッタだけで、周りからは小道具の一つでしかないと思われているのだろうか。でもそれならば、この扱いにも納得が行く。
主役はおろか、脇役ですらない。
ただそこに存在すればいいだけの人形。それがロゼリエッタに与えられた役目だった。一言でもセリフを得て物語に一場面でも関与したいだなんて、不相応な高望みなのだ。
そうしておそらくは何も知らないまま事件は収束して行く。この物語は、ロゼリエッタが動かずとも進行に何ら差し障りがないからだ。全てが終わった後で、全ての種明かしがされるという保証もない。
(でも、私はきっと――ううん、間違いなく何も知らないまま生きて行くのだわ)
あくまでもこの屋敷には体調を悪くしている間、一時的に身を寄せさせてもらっているだけだ。馬車での移動に耐えられるほど回復したら、ほどなくして王都の封鎖も解除されるだろう。そうしたらすぐにでも領地へ出発出来るに違いなかった。
その後はシェイドと別れ、ダヴィッドの手を取って、幸せになる。
シェイドがそう決めたからだ。
(だったらどうして、放っておいてくれなかったの)
シェイドはずっと、ロゼリエッタの元にいた。マーガスやレミリアの護衛はしなくて良いのかとロゼリエッタが気を回すほど、傍にいてくれる。
でもそれだけだ。
シェイドから話しかけて来ることはない。だからロゼリエッタも図書館で本を読んだり、借りた道具で刺繍をしたりして過ごしている。話し相手は主にオードリーが勤めてくれていた。
話したいこと、聞きたいことがないわけじゃない。
だけどアイリたちの無事を知った今となっては、何を聞いても自分が捨てられた理由に繋がるのではないか。そんな恐怖心が先立って口を開けないでいる。
何より、傍にいられるだけで嬉しかった。
だからロゼリエッタのことなど構わず、レミリアの元に行っていいと口に出せない。それで本当にシェイドが行ってしまうのを恐れていた。
「ロゼ……不安な時に助けてあげられなくて、すまない」
ダヴィッドが痛ましそうに顔を歪めて言葉を紡ぐ。
ロゼリエッタは首を振った。
「ダヴィッド様には迷惑ばかりかけて本当にごめんなさい」
それは心から思っていることだ。
本当の意味で無理やり舞台に上げられているのはロゼリエッタじゃない。ダヴィッドは現状に対して怒る資格があった。
「迷惑なんて一度もかけられてないから、そこはどうでもいいんだ。俺に出来ることがあるなら、いつだって遠慮なく頼ってくれていい。――婚約者なのだから」
「ありがとうございます、ダヴィッド様」
そしてロゼリエッタはダヴィッドの優しさに甘えている。
心の奥に忘れられない面影を抱きながら、婚約者という立場を自分に都合良く利用していた。
最低だ。
我ながら本当に最低の仕打ちをしていると思う。
ダヴィッドと結婚して幸せになる。
そう決めたのに、なおもまだ揺らぐのだ。
相手がマーガスではないだけで、ロゼリエッタが不誠実な令嬢である事実には何ら変わりない。
「大丈夫だよ、ロゼ。全部分かってる」
何を、とは聞かなかった。いや……聞けなかった。
ロゼリエッタは涙を堪え切れずに俯き、両手で顔を覆う。
いつだってその場限りの反省をするだけで何もできてはいない。
クロードを忘れることも、誰かの前で二度と泣かないことも。自分で心に決めたことでさえ貫き通すことができずにいる。
セリフが与えられていないのなら自ら探せばいい。その最低限の努力だって、結局はすぐに投げ出した。
「ごめんなさい、ダヴィッド様」
「うん。だけど俺も保身の為に君との結婚を利用するんだからお互い様だよ」
ダヴィッドの状況はロゼリエッタが弱いせいだ。お互い様じゃない。かぶりを振って否定する。
ほんの一瞬シェイドに視線を向け、ダヴィッドは立ち上がった。途端に室内の空気が張り詰めるのがロゼリエッタにも伝わって来る。ダヴィッドは軽く肩をすくめ、ドアの方をはっきりと振り仰いだ。
「泣いている可愛い婚約者を慰めたいだけです。それとも――そのような行為すら認めてはいただけませんか?」
シェイドは答えない。その反応を了承の意と受け取り、ダヴィッドはロゼリエッタに歩み寄った。
「ロゼ」
温かな手が、泣き顔を隠す手を外して行く。みっともない顔を晒していると知りながらも、ロゼリエッタは他に縋るものもなくてなすがままにされていた。
視界が涙で滲んでいる。
だけど、と思う。これがロゼリエッタに見える世界そのままの姿なのだ。ちゃんとした形なんて何一つ見えていない。これからだって、ずっとそうなのだろう。
目を合わせるダヴィッドは柔らかく微笑んだ。浮かべた表情と同じ優しさでロゼリエッタの耳元に囁きかける。
「このままもう少し、おとなしくしていて。ああ、そうだね、少しでも笑ってくれるともっといいかな」
どういうことなのだろう。
言葉の意味が分からなくてロゼリエッタは首を傾げた。頬にダヴィッドの指先が触れ、そっとなぞる。
涙が拭われると世界が輪郭を取り戻した。
だけど心を張り詰めさせたロゼリエッタには偽りで固めた姿だ。それでもダヴィッドの表情は変わらない。
穏やかな海のように、静かに凪いだものだった。
「ご心配をおかけしてごめんなさい」
本当に心配してくれていたのだろう。客間に現れたダヴィッドは、ロゼリエッタの姿を見ると安堵の笑みを見せた。
"多少のトラブル"に見舞われたものの元気にしている。
そんな内容の手紙を家族へと出した五日後、居場所をどうやって知ったのかダヴィッドが単身で訪れたのだ。
「それよりも、どうしてこちらに?」
「シェイド――が手紙をくれたんだ。ここでのことを一切口外しないという約束で、君に会わせてくれるとね」
シェイドの口利きがあったことはさしものロゼリエッタでも想像がついた。他に知る術などないからだ。けれど口外しないとはどういう意味だろう。
尋ねようとして、自分の置かれている立場を思い出してやめた。
重罪人のロゼリエッタと密会したなどと知れては、ダヴィッドにもあらぬ疑いをかけられかねない。それに、下手に触れない方が良いこともあるのだと、今のロゼリエッタは理解している。
シェイドが判断し、ダヴィッドに他言無用を約束させたのは、その方が彼らにも都合が良いからだろう。
面会を許されたのが家族ではなくダヴィッドであることも、同じ理由からに違いない。
「領地に向かう途中で体調を悪くして、治るまではここに身を置かせてもらうんだろう? どのみち、今はマーガス王太子殿下の件があるから王都からは出られないようだけどね」
シェイドの検閲を受けて、体調不良のせいで領地への到着が遅くなると知らせた。当たり障りのない理由ではあるけれど、身体の弱いロゼリエッタなら説得力もある。
ここが王都の中だとロゼリエッタとて察してはいた。
シェイドの母親がこの国の生まれで、生前に住んでいたこともあるという屋敷なのだ。何より国境を越えるなど、いかに貴族とて――貴族だからこそ、およそ簡単なことではない。
問題は王都のどの辺りなのかが全く分からないことだ。そして"どこに"いるのかという根本的で重要な問題は、ロゼリエッタの手紙には書かれなかった。
でもシェイドの背後にはレミリアがいる。それはアイリたちがすぐにレミリアに保護されたとの報告から窺い知れた。きっとロゼリエッタの周囲の人々を納得させる為だけに、信憑性のある場所をでっち上げたのだろう。
けれど王都からは出られない状態になっているというのは思いもよらなかった。ロゼリエッタは意表を突かれると同時に、違和感を覚える。
ロゼリエッタにマーガス暗殺の容疑がかけられていることを知らないのだろうか。
でも知っているのなら、いかにダヴィッドとてそれなりに態度が硬化するに違いない。それがその気配すらないというのであれば、少なくともダヴィッドの耳には入っていないと思っても良いのだろうか。
「マーガス王太子の件とは何でしょうか」
ダヴィッドがどれだけ知っているのかの確認も込めて尋ねる。するとダヴィッドは驚いたような表情を一瞬見せ、何かに思い当たったかのように軽く頷いた。
「ああ、ロゼはここにいるから知らないんだね。と言っても俺も詳しく知っているわけじゃないけど――王太子殿下の元に、命を狙うことを予告する文書が届けられたみたいだよ。それで今は王都の外へ繋がる道は全て閉鎖されてるんだ」
「脅迫文が届けられたのですか?」
「そういうことになるね」
ロゼリエッタは思わずシェイドに視線を向けそうになり、思い留まった。
扉のすぐ脇に立つシェイドはロゼリエッタたちを真横から眺める位置にいる。二人のどちらかに何か不審な動きがあったとしても死角にはならない場所だ。
視界の隅に時折入る姿に心がざわめく。良い感情も悪い感情もそこにあって、複雑に絡み合っていた。
ロゼリエッタはかすかに首を振り、ダヴィッドの言葉に意識を戻す。
自分が聞かされている話とは内容が微妙に違う。もっとも、他国の王太子が自国――ましてや王城内で――毒殺される危機にあったなどと、国同士の関係に軋轢を生じさせかねない。そんな不名誉な騒動は、たとえ事実だとしても公表はできないだろうし、表向きはそこで誤魔化すしかないのかもしれなかった。
「もちろん王太子殿下はご無事だけどね。貴族たちの間で騒ぎになりつつあるみたいだ」
ここで過ごすようになって、二週間近くになろうとしている。だけどそんな短い間で大きな変化があるでもなく、シェイドも事情など何も話してはくれない。だから未だに分からないことばかりだった。
いつだってそうだ。
ロゼリエッタは舞台上に引きずり出されながらも、誰も彼女に与えられているはずのセリフを教えてはくれない。
それとも演者だと思っているのはロゼリエッタだけで、周りからは小道具の一つでしかないと思われているのだろうか。でもそれならば、この扱いにも納得が行く。
主役はおろか、脇役ですらない。
ただそこに存在すればいいだけの人形。それがロゼリエッタに与えられた役目だった。一言でもセリフを得て物語に一場面でも関与したいだなんて、不相応な高望みなのだ。
そうしておそらくは何も知らないまま事件は収束して行く。この物語は、ロゼリエッタが動かずとも進行に何ら差し障りがないからだ。全てが終わった後で、全ての種明かしがされるという保証もない。
(でも、私はきっと――ううん、間違いなく何も知らないまま生きて行くのだわ)
あくまでもこの屋敷には体調を悪くしている間、一時的に身を寄せさせてもらっているだけだ。馬車での移動に耐えられるほど回復したら、ほどなくして王都の封鎖も解除されるだろう。そうしたらすぐにでも領地へ出発出来るに違いなかった。
その後はシェイドと別れ、ダヴィッドの手を取って、幸せになる。
シェイドがそう決めたからだ。
(だったらどうして、放っておいてくれなかったの)
シェイドはずっと、ロゼリエッタの元にいた。マーガスやレミリアの護衛はしなくて良いのかとロゼリエッタが気を回すほど、傍にいてくれる。
でもそれだけだ。
シェイドから話しかけて来ることはない。だからロゼリエッタも図書館で本を読んだり、借りた道具で刺繍をしたりして過ごしている。話し相手は主にオードリーが勤めてくれていた。
話したいこと、聞きたいことがないわけじゃない。
だけどアイリたちの無事を知った今となっては、何を聞いても自分が捨てられた理由に繋がるのではないか。そんな恐怖心が先立って口を開けないでいる。
何より、傍にいられるだけで嬉しかった。
だからロゼリエッタのことなど構わず、レミリアの元に行っていいと口に出せない。それで本当にシェイドが行ってしまうのを恐れていた。
「ロゼ……不安な時に助けてあげられなくて、すまない」
ダヴィッドが痛ましそうに顔を歪めて言葉を紡ぐ。
ロゼリエッタは首を振った。
「ダヴィッド様には迷惑ばかりかけて本当にごめんなさい」
それは心から思っていることだ。
本当の意味で無理やり舞台に上げられているのはロゼリエッタじゃない。ダヴィッドは現状に対して怒る資格があった。
「迷惑なんて一度もかけられてないから、そこはどうでもいいんだ。俺に出来ることがあるなら、いつだって遠慮なく頼ってくれていい。――婚約者なのだから」
「ありがとうございます、ダヴィッド様」
そしてロゼリエッタはダヴィッドの優しさに甘えている。
心の奥に忘れられない面影を抱きながら、婚約者という立場を自分に都合良く利用していた。
最低だ。
我ながら本当に最低の仕打ちをしていると思う。
ダヴィッドと結婚して幸せになる。
そう決めたのに、なおもまだ揺らぐのだ。
相手がマーガスではないだけで、ロゼリエッタが不誠実な令嬢である事実には何ら変わりない。
「大丈夫だよ、ロゼ。全部分かってる」
何を、とは聞かなかった。いや……聞けなかった。
ロゼリエッタは涙を堪え切れずに俯き、両手で顔を覆う。
いつだってその場限りの反省をするだけで何もできてはいない。
クロードを忘れることも、誰かの前で二度と泣かないことも。自分で心に決めたことでさえ貫き通すことができずにいる。
セリフが与えられていないのなら自ら探せばいい。その最低限の努力だって、結局はすぐに投げ出した。
「ごめんなさい、ダヴィッド様」
「うん。だけど俺も保身の為に君との結婚を利用するんだからお互い様だよ」
ダヴィッドの状況はロゼリエッタが弱いせいだ。お互い様じゃない。かぶりを振って否定する。
ほんの一瞬シェイドに視線を向け、ダヴィッドは立ち上がった。途端に室内の空気が張り詰めるのがロゼリエッタにも伝わって来る。ダヴィッドは軽く肩をすくめ、ドアの方をはっきりと振り仰いだ。
「泣いている可愛い婚約者を慰めたいだけです。それとも――そのような行為すら認めてはいただけませんか?」
シェイドは答えない。その反応を了承の意と受け取り、ダヴィッドはロゼリエッタに歩み寄った。
「ロゼ」
温かな手が、泣き顔を隠す手を外して行く。みっともない顔を晒していると知りながらも、ロゼリエッタは他に縋るものもなくてなすがままにされていた。
視界が涙で滲んでいる。
だけど、と思う。これがロゼリエッタに見える世界そのままの姿なのだ。ちゃんとした形なんて何一つ見えていない。これからだって、ずっとそうなのだろう。
目を合わせるダヴィッドは柔らかく微笑んだ。浮かべた表情と同じ優しさでロゼリエッタの耳元に囁きかける。
「このままもう少し、おとなしくしていて。ああ、そうだね、少しでも笑ってくれるともっといいかな」
どういうことなのだろう。
言葉の意味が分からなくてロゼリエッタは首を傾げた。頬にダヴィッドの指先が触れ、そっとなぞる。
涙が拭われると世界が輪郭を取り戻した。
だけど心を張り詰めさせたロゼリエッタには偽りで固めた姿だ。それでもダヴィッドの表情は変わらない。
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