上 下
15 / 42
第三章

14. 静かな眠りの果ての悪夢

しおりを挟む
「向こうに着いたら手紙をおくれ」
「身体を冷やさないようにするのよ」
「休みの日に遊びに行くからね」

 一週間にも満たない日々は準備に追われたこともあって、あっという間に過ぎ去って行った。支度自体はアイリにほとんどを任せてはいたものの、時が経つにつれて新しい生活がはじまる、はじめなければいけないのだと気持ちに整理をつけるのに必死だった為だ。

 王都を離れることは家族とダヴィッド、ラウレンディス侯爵夫妻にだけ話した。
 色々と気にかけてくれていたダヴィッドには、週末に経つとの手紙を月曜日の午前中に送っていたし、昨日改めて事情の説明をする為に家へと足を運んだ。急な話ではあったけれどダヴィッドは何も言わず、それどころかたまに顔を見せてくれるという。

 後で問題になるのを避ける為、二度と王都には戻らないかもしれないこともちゃんと打ち明けた。
 婚約はあくまでもクロードからの手紙一つで頼まれただけだ。だからロゼリエッタの身勝手な行動を理由に、解消となっても仕方ないと思っていた。けれどダヴィッドは、いずれ自分も移り住めば良いだけだと笑った。
 やはり家を継ぐつもりは全くないらしい。ラウレンディス侯爵夫妻が複雑そうな顔でお互いを見合わせたことに関しては申し訳なさが募った。

「行って来ます」

 精一杯明るい声で告げ、アイリと一緒に馬車に乗る。不思議と涙は出なかった。笑顔で窓を開け、家族に向けてそっと手を振る。視線を上げれば、屋敷で働く人々の姿も離れた場所にたくさん見えた。見送りに出て来てくれているようだ。

 温かなものが胸を満たして行く。
 彼らに見えるよう大きく手を振って、別れの寂しさに泣きたくなる前に窓を閉めた。それを合図にして馬車がゆっくりと走り出す。

「まだ先は長いですから、お休みになられますか?」
「そうね。少し眠るわ」

 アイリの言葉に頷き、靴を脱いで広い座席に横たわる。長距離移動用の馬車は小柄なロゼリエッタが足を曲げて寝られる程度には幅広い。
 目を伏せると、ごゆっくりとお休み下さいませ、そんな優しい言葉が聞こえた。柔らかな布が頬に触れる。おそらくは膝掛けをかけてくれたのだ。

 ありがとう、おやすみなさい。
 そう答えたつもりが、ロゼリエッタの意識はすぐさま心地良い眠りの世界へと落ちて行った。



「お目覚めになられましたか」

 目を開けるとアイリの優しい笑顔がそこにあった。

「到着にはもうしばらくかかるようですから、お身体の為にもまだ眠っていらした方が……」
「ううん。良く眠れたから起きているわ」

 ずいぶん長い時間眠っていたような気がするけれど、そうでもないらしい。それでも同じ姿勢を取り続けていた疲労は少なからずあって、ロゼリエッタは身を起こすと靴を履いた。掌を外側にして指を組み、大きく伸びをする。

 眠っている間に光が差し込まないようにアイリが気遣ってくれたのだろう。馬車の中は仄かに薄暗い。しばらくは見ることのない風景を目に焼きつけようとふいに思い立ち、窓にかけられたカーテンに手を伸ばすと馬車が速度を落としはじめた。
 領地まではまだ距離があるはずだ。それとも王都から各貴族の領地へと繋がる街道の検閲所に着いたのだろうか。

「お嬢様……」

 アイリが心配そうに小さく声をあげた。
 ロゼリエッタもまた、不安に駆られてカーテンを開けて外を見やる。

 馬車は検閲所に続く道の途中で止まっていた。
 何かあったのか、さらに様子を探ろうと窓に手をかけるとアイリが後ろから手を引いて留める。思わず振り返るとアイリは首を振った。指に力がこもり、すぐに抜けて行く。人気のない場所である為に周囲はとても静かだ。ひどく大きく伝わる心臓の鼓動は自分とアイリ、どちらのものなのだろうか。

 外の気配に意識を集中させれば馬のいななきと、くぐもったうめき声のような音が聞こえた気がした。次いで、金属同士がぶつかる音が続く。それから馬車全体が不自然に揺れた。
 あきらかに外の様子がおかしい。どう考えても穏便な状態にないのは確かだった。

「――大丈夫です。お嬢様は、私が絶対にお守りしますから」

 小声で告げてアイリは笑いかける。
 けれどその顔はひどく蒼白で、身体も小刻みに震えていた。こんな緊張状態に急に放り込まれたのだ。無理もない。それでも主であるロゼリエッタを守ろうと、身体を張ってくれようとしていた。

「こちらはロゼリエッタ・カルヴィネス様を乗せた馬車に相違ありませんね?」

 問いかけの声と共に馬車の扉が開けられる。
 アイリの背中越しに明るい陽射しと、扉を開けた人物のそれと思しき影が馬車の中へ差し込んだ。昼間のはずなのに頭上から暗い影が落ちる様は、絶望の訪れにも等しい。ロゼリエッタは悲鳴をあげることすらできなかった。

「ロゼリエッタ・カルヴァネス様。あなたにはマーガス王太子殿下暗殺未遂の容疑がかけられております。ご同行下さい」

 冷ややかな声が恐ろしい罪状を告げる。
 アイリがびくりと反応し、ロゼリエッタはようやく顔を上げて視線を向けた。

 視界に入ったのは護衛のどちらでもなかった。
 金の縁取りが入った白い甲冑を身につけている。
 見覚えのある意匠は、王城に勤める衛兵と同じものだ。顔は口元以外を覆う仮面に隠れて見えない。ただその口元は軽く吊り上げられ、黒い仮面と相俟って友好的であるようには見受けられなかった。

 王太子暗殺なんて謀っていない。
 それなのに嫌疑がかけられ、王城から衛兵が送られている中に大きな違和感を覚える。

(どうして今なの?)

 領地に向かうところを捕まえずに家を訪れた方がもっと確実なはずだ。
 もちろん、犯してもいない罪を父が受け入れるはずもないけれど、正当な訴状があれば王城への連行自体はできただろう。

 でも彼らはそうしなかった。
 顔を隠して強引な方法に出ることを選んだ。
 そんなのどう考えたって、おかしい。

「馬車の御者や、護衛の二人に何かしたのですか」

 震える身体と心とを奮い立たせ、先程の物音に関与しているのか尋ねる。
 もし彼らに何らかの危害をくわえた後であるのなら、自分の身も無事では済まないだろう。
 取引なんてできる自信はない。だからと言って何もしないでいるのはいやだ。ならば自らが何とかする以外なかった。

「ほんの少しの間、邪魔立てできないよう眠っていただいてるだけです。ですが、あなたの出方次第によっては穏便に済ませることは難しいでしょう」
「あなたが一人で……護衛の二人と御者を……?」
「それくらいの手練れでありたいものですが。仲間と一緒です」

 体格も良く、甲冑を纏う身で扉に身体を差し込むのは些か窮屈なようだ。衛兵は唯一のぞく口元を不機嫌そうに歪ませた。
 仲間が他にもいる。
 この状態が長引くのは非常に好ましくない。衝動的な感情をぶつけられることは恐ろしかった。だけど、犯してもいない罪を認めたらそれこそどうなってしまうのだろう。ロゼリエッタは無実を訴えるべく首を振った。

「私は神に誓って、嫌疑をかけられるような行動はしておりません」
「あなたが潔白かどうかを判断するのはこちらです」

 衛兵は淡々と言葉を紡ぐ。
 それが逆に空恐ろしさを感じさせ、何の策も思いつけないロゼリエッタの心を急き立てた。
 態度が硬化する前に従うべきなのか。でもロゼリエッタは何もしていない。貴族令嬢の矜持と少女の潔癖さとが、犯してもいない罪を受け入れることを拒絶していた。

「しかし、おとなしく我々にご同行してはいただけないご様子ですね」

 衛兵はロゼリエッタを庇うアイリの手首を掴んだ。
 まるで人さらいのような乱暴な仕草に、アイリではなくロゼリエッタが悲鳴をあげた。

「やめて! アイリにひどいことをしないで!」

 咄嗟に衛兵の腕に縋りつけば舌打ちが耳に届く。苛立ちのままロゼリエッタは振り払われ、柔らかなシートにぶつかった。一瞬息が詰まり、小さく咳込む。同時にアイリが血相を変えて声を張り上げた。

「お待ち下さい! お嬢様に手荒なまねは一切なさらないと、それが協力するにあたって最優先されるべきお約束だったはずです!」
「アイリ……?」

 ロゼリエッタは呼吸を整え、信じられない思いでアイリを見つめる。

 一体何を言い出すのか。
 それではアイリが彼らの仲間であるみたいではないか。
 ロゼリエッタの安全を保証させ、代わりに無実の罪を着せて引き渡すことを了承していた。
 そう物語っているみたいではないか。

「アイリ……。ずっと私を騙していたの?」

 問いかける声はひどく空虚なものだった。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

処理中です...