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第三章

14. 静かな眠りの果ての悪夢

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「向こうに着いたら手紙をおくれ」
「身体を冷やさないようにするのよ」
「休みの日に遊びに行くからね」

 一週間にも満たない日々は準備に追われたこともあって、あっという間に過ぎ去って行った。支度自体はアイリにほとんどを任せてはいたものの、時が経つにつれて新しい生活がはじまる、はじめなければいけないのだと気持ちに整理をつけるのに必死だった為だ。

 王都を離れることは家族とダヴィッド、ラウレンディス侯爵夫妻にだけ話した。
 色々と気にかけてくれていたダヴィッドには、週末に経つとの手紙を月曜日の午前中に送っていたし、昨日改めて事情の説明をする為に家へと足を運んだ。急な話ではあったけれどダヴィッドは何も言わず、それどころかたまに顔を見せてくれるという。

 後で問題になるのを避ける為、二度と王都には戻らないかもしれないこともちゃんと打ち明けた。
 婚約はあくまでもクロードからの手紙一つで頼まれただけだ。だからロゼリエッタの身勝手な行動を理由に、解消となっても仕方ないと思っていた。けれどダヴィッドは、いずれ自分も移り住めば良いだけだと笑った。
 やはり家を継ぐつもりは全くないらしい。ラウレンディス侯爵夫妻が複雑そうな顔でお互いを見合わせたことに関しては申し訳なさが募った。

「行って来ます」

 精一杯明るい声で告げ、アイリと一緒に馬車に乗る。不思議と涙は出なかった。笑顔で窓を開け、家族に向けてそっと手を振る。視線を上げれば、屋敷で働く人々の姿も離れた場所にたくさん見えた。見送りに出て来てくれているようだ。

 温かなものが胸を満たして行く。
 彼らに見えるよう大きく手を振って、別れの寂しさに泣きたくなる前に窓を閉めた。それを合図にして馬車がゆっくりと走り出す。

「まだ先は長いですから、お休みになられますか?」
「そうね。少し眠るわ」

 アイリの言葉に頷き、靴を脱いで広い座席に横たわる。長距離移動用の馬車は小柄なロゼリエッタが足を曲げて寝られる程度には幅広い。
 目を伏せると、ごゆっくりとお休み下さいませ、そんな優しい言葉が聞こえた。柔らかな布が頬に触れる。おそらくは膝掛けをかけてくれたのだ。

 ありがとう、おやすみなさい。
 そう答えたつもりが、ロゼリエッタの意識はすぐさま心地良い眠りの世界へと落ちて行った。



「お目覚めになられましたか」

 目を開けるとアイリの優しい笑顔がそこにあった。

「到着にはもうしばらくかかるようですから、お身体の為にもまだ眠っていらした方が……」
「ううん。良く眠れたから起きているわ」

 ずいぶん長い時間眠っていたような気がするけれど、そうでもないらしい。それでも同じ姿勢を取り続けていた疲労は少なからずあって、ロゼリエッタは身を起こすと靴を履いた。掌を外側にして指を組み、大きく伸びをする。

 眠っている間に光が差し込まないようにアイリが気遣ってくれたのだろう。馬車の中は仄かに薄暗い。しばらくは見ることのない風景を目に焼きつけようとふいに思い立ち、窓にかけられたカーテンに手を伸ばすと馬車が速度を落としはじめた。
 領地まではまだ距離があるはずだ。それとも王都から各貴族の領地へと繋がる街道の検閲所に着いたのだろうか。

「お嬢様……」

 アイリが心配そうに小さく声をあげた。
 ロゼリエッタもまた、不安に駆られてカーテンを開けて外を見やる。

 馬車は検閲所に続く道の途中で止まっていた。
 何かあったのか、さらに様子を探ろうと窓に手をかけるとアイリが後ろから手を引いて留める。思わず振り返るとアイリは首を振った。指に力がこもり、すぐに抜けて行く。人気のない場所である為に周囲はとても静かだ。ひどく大きく伝わる心臓の鼓動は自分とアイリ、どちらのものなのだろうか。

 外の気配に意識を集中させれば馬のいななきと、くぐもったうめき声のような音が聞こえた気がした。次いで、金属同士がぶつかる音が続く。それから馬車全体が不自然に揺れた。
 あきらかに外の様子がおかしい。どう考えても穏便な状態にないのは確かだった。

「――大丈夫です。お嬢様は、私が絶対にお守りしますから」

 小声で告げてアイリは笑いかける。
 けれどその顔はひどく蒼白で、身体も小刻みに震えていた。こんな緊張状態に急に放り込まれたのだ。無理もない。それでも主であるロゼリエッタを守ろうと、身体を張ってくれようとしていた。

「こちらはロゼリエッタ・カルヴィネス様を乗せた馬車に相違ありませんね?」

 問いかけの声と共に馬車の扉が開けられる。
 アイリの背中越しに明るい陽射しと、扉を開けた人物のそれと思しき影が馬車の中へ差し込んだ。昼間のはずなのに頭上から暗い影が落ちる様は、絶望の訪れにも等しい。ロゼリエッタは悲鳴をあげることすらできなかった。

「ロゼリエッタ・カルヴァネス様。あなたにはマーガス王太子殿下暗殺未遂の容疑がかけられております。ご同行下さい」

 冷ややかな声が恐ろしい罪状を告げる。
 アイリがびくりと反応し、ロゼリエッタはようやく顔を上げて視線を向けた。

 視界に入ったのは護衛のどちらでもなかった。
 金の縁取りが入った白い甲冑を身につけている。
 見覚えのある意匠は、王城に勤める衛兵と同じものだ。顔は口元以外を覆う仮面に隠れて見えない。ただその口元は軽く吊り上げられ、黒い仮面と相俟って友好的であるようには見受けられなかった。

 王太子暗殺なんて謀っていない。
 それなのに嫌疑がかけられ、王城から衛兵が送られている中に大きな違和感を覚える。

(どうして今なの?)

 領地に向かうところを捕まえずに家を訪れた方がもっと確実なはずだ。
 もちろん、犯してもいない罪を父が受け入れるはずもないけれど、正当な訴状があれば王城への連行自体はできただろう。

 でも彼らはそうしなかった。
 顔を隠して強引な方法に出ることを選んだ。
 そんなのどう考えたって、おかしい。

「馬車の御者や、護衛の二人に何かしたのですか」

 震える身体と心とを奮い立たせ、先程の物音に関与しているのか尋ねる。
 もし彼らに何らかの危害をくわえた後であるのなら、自分の身も無事では済まないだろう。
 取引なんてできる自信はない。だからと言って何もしないでいるのはいやだ。ならば自らが何とかする以外なかった。

「ほんの少しの間、邪魔立てできないよう眠っていただいてるだけです。ですが、あなたの出方次第によっては穏便に済ませることは難しいでしょう」
「あなたが一人で……護衛の二人と御者を……?」
「それくらいの手練れでありたいものですが。仲間と一緒です」

 体格も良く、甲冑を纏う身で扉に身体を差し込むのは些か窮屈なようだ。衛兵は唯一のぞく口元を不機嫌そうに歪ませた。
 仲間が他にもいる。
 この状態が長引くのは非常に好ましくない。衝動的な感情をぶつけられることは恐ろしかった。だけど、犯してもいない罪を認めたらそれこそどうなってしまうのだろう。ロゼリエッタは無実を訴えるべく首を振った。

「私は神に誓って、嫌疑をかけられるような行動はしておりません」
「あなたが潔白かどうかを判断するのはこちらです」

 衛兵は淡々と言葉を紡ぐ。
 それが逆に空恐ろしさを感じさせ、何の策も思いつけないロゼリエッタの心を急き立てた。
 態度が硬化する前に従うべきなのか。でもロゼリエッタは何もしていない。貴族令嬢の矜持と少女の潔癖さとが、犯してもいない罪を受け入れることを拒絶していた。

「しかし、おとなしく我々にご同行してはいただけないご様子ですね」

 衛兵はロゼリエッタを庇うアイリの手首を掴んだ。
 まるで人さらいのような乱暴な仕草に、アイリではなくロゼリエッタが悲鳴をあげた。

「やめて! アイリにひどいことをしないで!」

 咄嗟に衛兵の腕に縋りつけば舌打ちが耳に届く。苛立ちのままロゼリエッタは振り払われ、柔らかなシートにぶつかった。一瞬息が詰まり、小さく咳込む。同時にアイリが血相を変えて声を張り上げた。

「お待ち下さい! お嬢様に手荒なまねは一切なさらないと、それが協力するにあたって最優先されるべきお約束だったはずです!」
「アイリ……?」

 ロゼリエッタは呼吸を整え、信じられない思いでアイリを見つめる。

 一体何を言い出すのか。
 それではアイリが彼らの仲間であるみたいではないか。
 ロゼリエッタの安全を保証させ、代わりに無実の罪を着せて引き渡すことを了承していた。
 そう物語っているみたいではないか。

「アイリ……。ずっと私を騙していたの?」

 問いかける声はひどく空虚なものだった。

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