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第二章
6. 行き場をなくした想い
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早いもので一方的な別れを告げられてから半月が経とうとしていた。
いつまでも引き摺って、沈み込んでいるわけにはいかない。
頭ではそう分かっているのに、心と身体は従うことを拒否し続けている。毎晩、夢の中で幸せな欠片を拾い集めては、目が覚めた時に現実を知って涙をこぼす。その繰り返しだ。
昨夜は、裏庭に白詰草が咲く中から四葉を探す夢を見た。
クロードが騎士になりたいのだと教えてくれた、十二歳の時の話だ。良いことがありますようにと願って、押し花にした四葉を忍ばせた手作りのお守りを渡した。
そんな夢を見たのも昼間、クロードが隣国へ旅立ったと兄から教えられたせいだろう。もっともクロードがこの国を出たのは昨日ではなく、一週間も前の話らしかった。
レオニールにさえ情報が遮断されていた辺り、クロードやグランハイム家はできる限りロゼリエッタの耳に入ることを遅らせたかったのかもしれない。それが解除されたということはクロードは隣国に到着したか、近辺まで辿り着いたのだと思われた。
出発の日時を聞いたところで、ロゼリエッタにできることなど何もない。婚約解消の取り下げを訴えて家を訪ねたことは一度もなかったけれど、行かないでとみっともなく縋りに来ると思われていたのだろうか。
もちろん婚約を解消されたところで、恋心までもがロゼリエッタからなくなってしまったわけではない。
初めて会った日から六年――恋をしていると自覚を持った時には出会いから二年が経過していたけれど――ずっと、別れの日が来るなんて知らずにクロードに想いを寄せたままだ。
簡単になくなるような想いなら、とっくに涙なんて乾いている。
たとえ再び婚約者としての関係を築けないのだとしても、無事に帰って来れるように祈ったりもしない。
そしてそんな自分はとても愚かだ。
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
ソファにぼんやりと腰をかけ、浪費に近い状態で漠然と時間を過ごしているうちに昼食の時間になったらしい。二人分の食事を乗せたワゴンを押しながらアイリが部屋にやって来た。
「レオニール様は午前中の用事が立て込んでいて、十分ほど遅れるとのことです」
「分かったわ、ありがとう」
そう言ってアイリはてきぱきとテーブルの上に食器を並べて行く。
あの日以来、兄はよほど都合のつかない時以外はロゼリエッタの部屋で昼食を摂るようになった。朝と晩はできる限り家族が揃った状態で摂っているから、三食の全てで兄の顔を見ている。
レオニールは特に何を言うでもない。元気を出すよう励ましや慰めの言葉をかけることもなく、そっとしておいてくれた。
とは言え兄なりに心配をしているようで、いきなり昼食を共にするようになったのもその一環なのだろう。無理はしなくていいと言いはするものの、食事だけはしっかりするようにと子供のように叱られる。
「毎日お昼になる度に家に戻られるのはお兄様だって大変でしょうに」
「それだけお嬢様を心配なさっておいでなのですよ」
クロードとは違ってレオニールは文官として王城に勤めている。侯爵家の嫡男とは言っても宮廷にはもっと位の高い人物はたくさんいるし、まだまだ年若い。
それが妹と昼食を摂る為だけに時間の融通をつけてもらう日々が半月も続いているのだ。余計な軋轢が生じたりしてはしないか逆に心配にもなる。
「お一人で先に召し上がりますか?」
「どうせ一人じゃ食欲もわかないし待ってるわ」
「そう仰ると分かってはいたのですけどね」
昼食まで微妙な空き時間が出来てしまい、ロゼリエッタは立ち上がった。日当たりの良い窓辺へ向かうと外を眺める。
窓の正面から遥か遠くには尖塔が高くそびえ立つ王城が見えた。
少し前までは、あの王城内にクロードがいると思うと胸が高鳴った。そうして、ロゼリエッタのことなど思い出すこともなくレミリアと共にいるのだと思うと胸が軋んだ。その度にクロードは仕事中だから当たり前のことだと言い聞かせて、醜い嫉妬が膨れ上がらないようにして来た。
でも今は王城にも、この国のどこにもいない。
ロゼリエッタとの婚約を解消してまで隣国へと旅立ってしまった。
「お嬢様」
ふいに背後から声をかけられる。振り返ると、テーブルの脇に立つアイリが何故か泣きそうな顔で告げた。
「今は私しかおりません。ましてや、悲しい時に泣いたからと言って誰がお嬢様を責められるでしょうか」
思いもよらない言葉にたちまち瞳に涙が潤んで行く。悲しい時は泣いてもいい。アイリはそう言ってくれていた。
そういえば、少し前にも同じようなことを誰かに言われた覚えがある。
あれは何のことだったかと記憶を手繰り、思い出した。
クロードと最後に行った夜会で、一人でサロンに佇むロゼリエッタにダヴィッドが言ったのだ。せっかく一緒に来たのに寂しいね、と。
とりわけ厳しく、貴族の令嬢たるもの感情を表に出してはいけないと両親に躾けられたわけではない。
むしろ両親も兄も、ロゼリエッタには甘い方だった。ロゼリエッタ自身が、クロードに釣り合いたくてそうしていただけだ。実際はそんなことをした程度では釣り合いなど全く取れてはおらず、婚約を解消されてしまったけれど。
それでも泣かずにいると、アイリはさらに悲しげに顔を歪める。
「私がいるから泣けないと仰るのであれば、退室致します。ですから」
「ううん。いいの、アイリ。ありがとう」
「お嬢様……」
ロゼリエッタは笑みを浮かべ、やんわりと首を振った。なのにアイリの目からはとうとう大粒の涙がこぼれ落ちる。泣かないで、とハンカチを差し出すとアイリは遠慮がちに受け取って涙を拭った。
「申し訳ありま、せ……」
「大丈夫よ、気にしないで。私の為に泣いてくれてありがとう」
両親も兄もアイリも、周りの人々はみんなロゼリエッタを心配してくれている。深い愛情も惜しみなく注いでくれていた。その事実はとても嬉しい。自分は幸せ者だと思う。
けれどそれでも、ロゼリエッタはクロードからの愛情がいちばん欲しかった。
どんなに求めたところで手に入らないものを、手に入らないものだからこそ愚かなほどに強く望んでしまう。
そして守ってくれる手から一人飛び出して茨の中を無謀にかき分け、傷ついて泣くのだ。
報われることの決してない恋を諦め、忘れた方がいいのかもしれない。
でもそうしようとする度に蘇らせた幸せな思い出に心が縋りつく。そんなことを何度も繰り返していて何を諦め、忘れることなどできるのだろうか。
だからもうせめて、泣いていると誰かに悟られるようなそぶりは見せない。そう決めたのだ。
「ご心配を、おかけ致しました。お借りしたハンカチは、必ずや新しいものをご用意してお返し致しますから」
喉に声を詰まらせながらもそう言って、アイリはハンカチを大切そうにエプロンのポケットにしまった。
「本当に、申し訳ありません」
目元を両手で覆い、わずかな沈黙の後で顔を上げる。たった一言に様々な想いが込められていることを感じ取り、ロゼリエッタは再び小さく首を振った。
周りの人々に心配をかけさせてしまうような行動を取りながらも、優しい人々が与えてくれる温かな愛情を拒んでいるのはロゼリエッタだ。アイリは貴族のお嬢様のわがままに振り回されていると呆れたっていい。
「私の身の回りの世話をするお仕事をしているのだから、新しいハンカチはいつでもいいわ。たくさん持っているし」
「はい。恐れ入ります」
アイリは丁寧に頭を下げ、ようやく笑みを浮かべた。ロゼリエッタも笑顔で頷き返し、壁にかけられた時計に目を向ける。
「お兄様、いくらなんでも遅すぎないかしら?」
時計の長針は六と七の文字盤の間にあった。約束の時間を十分どころか、三十分以上過ぎている。にも拘わらずやって来る気配もないレオニールに、さすがのロゼリエッタも訝しげに首を傾げた。
「レオニール様にしては珍しいですね」
先程まで泣いていたとは微塵も感じさせない、いつもと変わらぬ様子でアイリも同意を示す。
どうしても都合がつかないならつかないで、そんな日は来れないと連絡がある。それでも十二時より先のことだし、今日も十分ほど遅れると言伝をしていた。ましてや何も言わず約束の時間を三十分も遅れるなんて、これまで一度もなかったことだ。
おそらく、何らかのトラブルはあったのだろう。でもそれが仕事に関することなのか、あるいはレオニール個人に関することなのかは分からない。ロゼリエッタは、レオニール本人か彼の言伝を受けた誰かがやって来るのを待つしかなかった。
「何もないと良いのだけれど……」
一時まで待って、それでも姿を見せないのならこちらから使いを出した方がいいのかもしれない。
そう決めたものの落ち着かない気持ちで何度も時計を見上げては時刻を確認してしまう。そうしてあと十分ほどで一時になろうかというところで、待ち人は来た。
「お兄様、今日はずいぶんと遅く――」
「ロゼ、気を確かに、聞いて欲しい」
「どうなさったの?」
椅子から立ち上がろうとしたロゼリエッタを制し、レオニールは肩で大きく息をつく。あきらかに普段とは違う兄の様子に、ロゼリエッタは悪い予感を覚えた。不安がみるみるうちに膨れ上がって胸を締めつけて行く。
少し前にも、こんな表情を浮かべた人物をロゼリエッタは見ている。そうして、その人物はとても辛い事実をロゼリエッタに話したのだ。
――婚約解消を切り出す前のクロードと今の兄はよく似ている。
心臓が早鐘を打ちはじめた。
どうか杞憂であって欲しい。そう願うロゼリエッタの心を知ってか知らずか、真っすぐに見つめる兄と目が合った。
「隣国の王城で深夜に火災が発生して、クロードが巻き込まれたそうだ」
青ざめた顔の兄は、その後の消息は一切掴めてはいないと続ける。
それはまるで、遠い世界の出来事の話のようだった。
いつまでも引き摺って、沈み込んでいるわけにはいかない。
頭ではそう分かっているのに、心と身体は従うことを拒否し続けている。毎晩、夢の中で幸せな欠片を拾い集めては、目が覚めた時に現実を知って涙をこぼす。その繰り返しだ。
昨夜は、裏庭に白詰草が咲く中から四葉を探す夢を見た。
クロードが騎士になりたいのだと教えてくれた、十二歳の時の話だ。良いことがありますようにと願って、押し花にした四葉を忍ばせた手作りのお守りを渡した。
そんな夢を見たのも昼間、クロードが隣国へ旅立ったと兄から教えられたせいだろう。もっともクロードがこの国を出たのは昨日ではなく、一週間も前の話らしかった。
レオニールにさえ情報が遮断されていた辺り、クロードやグランハイム家はできる限りロゼリエッタの耳に入ることを遅らせたかったのかもしれない。それが解除されたということはクロードは隣国に到着したか、近辺まで辿り着いたのだと思われた。
出発の日時を聞いたところで、ロゼリエッタにできることなど何もない。婚約解消の取り下げを訴えて家を訪ねたことは一度もなかったけれど、行かないでとみっともなく縋りに来ると思われていたのだろうか。
もちろん婚約を解消されたところで、恋心までもがロゼリエッタからなくなってしまったわけではない。
初めて会った日から六年――恋をしていると自覚を持った時には出会いから二年が経過していたけれど――ずっと、別れの日が来るなんて知らずにクロードに想いを寄せたままだ。
簡単になくなるような想いなら、とっくに涙なんて乾いている。
たとえ再び婚約者としての関係を築けないのだとしても、無事に帰って来れるように祈ったりもしない。
そしてそんな自分はとても愚かだ。
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
ソファにぼんやりと腰をかけ、浪費に近い状態で漠然と時間を過ごしているうちに昼食の時間になったらしい。二人分の食事を乗せたワゴンを押しながらアイリが部屋にやって来た。
「レオニール様は午前中の用事が立て込んでいて、十分ほど遅れるとのことです」
「分かったわ、ありがとう」
そう言ってアイリはてきぱきとテーブルの上に食器を並べて行く。
あの日以来、兄はよほど都合のつかない時以外はロゼリエッタの部屋で昼食を摂るようになった。朝と晩はできる限り家族が揃った状態で摂っているから、三食の全てで兄の顔を見ている。
レオニールは特に何を言うでもない。元気を出すよう励ましや慰めの言葉をかけることもなく、そっとしておいてくれた。
とは言え兄なりに心配をしているようで、いきなり昼食を共にするようになったのもその一環なのだろう。無理はしなくていいと言いはするものの、食事だけはしっかりするようにと子供のように叱られる。
「毎日お昼になる度に家に戻られるのはお兄様だって大変でしょうに」
「それだけお嬢様を心配なさっておいでなのですよ」
クロードとは違ってレオニールは文官として王城に勤めている。侯爵家の嫡男とは言っても宮廷にはもっと位の高い人物はたくさんいるし、まだまだ年若い。
それが妹と昼食を摂る為だけに時間の融通をつけてもらう日々が半月も続いているのだ。余計な軋轢が生じたりしてはしないか逆に心配にもなる。
「お一人で先に召し上がりますか?」
「どうせ一人じゃ食欲もわかないし待ってるわ」
「そう仰ると分かってはいたのですけどね」
昼食まで微妙な空き時間が出来てしまい、ロゼリエッタは立ち上がった。日当たりの良い窓辺へ向かうと外を眺める。
窓の正面から遥か遠くには尖塔が高くそびえ立つ王城が見えた。
少し前までは、あの王城内にクロードがいると思うと胸が高鳴った。そうして、ロゼリエッタのことなど思い出すこともなくレミリアと共にいるのだと思うと胸が軋んだ。その度にクロードは仕事中だから当たり前のことだと言い聞かせて、醜い嫉妬が膨れ上がらないようにして来た。
でも今は王城にも、この国のどこにもいない。
ロゼリエッタとの婚約を解消してまで隣国へと旅立ってしまった。
「お嬢様」
ふいに背後から声をかけられる。振り返ると、テーブルの脇に立つアイリが何故か泣きそうな顔で告げた。
「今は私しかおりません。ましてや、悲しい時に泣いたからと言って誰がお嬢様を責められるでしょうか」
思いもよらない言葉にたちまち瞳に涙が潤んで行く。悲しい時は泣いてもいい。アイリはそう言ってくれていた。
そういえば、少し前にも同じようなことを誰かに言われた覚えがある。
あれは何のことだったかと記憶を手繰り、思い出した。
クロードと最後に行った夜会で、一人でサロンに佇むロゼリエッタにダヴィッドが言ったのだ。せっかく一緒に来たのに寂しいね、と。
とりわけ厳しく、貴族の令嬢たるもの感情を表に出してはいけないと両親に躾けられたわけではない。
むしろ両親も兄も、ロゼリエッタには甘い方だった。ロゼリエッタ自身が、クロードに釣り合いたくてそうしていただけだ。実際はそんなことをした程度では釣り合いなど全く取れてはおらず、婚約を解消されてしまったけれど。
それでも泣かずにいると、アイリはさらに悲しげに顔を歪める。
「私がいるから泣けないと仰るのであれば、退室致します。ですから」
「ううん。いいの、アイリ。ありがとう」
「お嬢様……」
ロゼリエッタは笑みを浮かべ、やんわりと首を振った。なのにアイリの目からはとうとう大粒の涙がこぼれ落ちる。泣かないで、とハンカチを差し出すとアイリは遠慮がちに受け取って涙を拭った。
「申し訳ありま、せ……」
「大丈夫よ、気にしないで。私の為に泣いてくれてありがとう」
両親も兄もアイリも、周りの人々はみんなロゼリエッタを心配してくれている。深い愛情も惜しみなく注いでくれていた。その事実はとても嬉しい。自分は幸せ者だと思う。
けれどそれでも、ロゼリエッタはクロードからの愛情がいちばん欲しかった。
どんなに求めたところで手に入らないものを、手に入らないものだからこそ愚かなほどに強く望んでしまう。
そして守ってくれる手から一人飛び出して茨の中を無謀にかき分け、傷ついて泣くのだ。
報われることの決してない恋を諦め、忘れた方がいいのかもしれない。
でもそうしようとする度に蘇らせた幸せな思い出に心が縋りつく。そんなことを何度も繰り返していて何を諦め、忘れることなどできるのだろうか。
だからもうせめて、泣いていると誰かに悟られるようなそぶりは見せない。そう決めたのだ。
「ご心配を、おかけ致しました。お借りしたハンカチは、必ずや新しいものをご用意してお返し致しますから」
喉に声を詰まらせながらもそう言って、アイリはハンカチを大切そうにエプロンのポケットにしまった。
「本当に、申し訳ありません」
目元を両手で覆い、わずかな沈黙の後で顔を上げる。たった一言に様々な想いが込められていることを感じ取り、ロゼリエッタは再び小さく首を振った。
周りの人々に心配をかけさせてしまうような行動を取りながらも、優しい人々が与えてくれる温かな愛情を拒んでいるのはロゼリエッタだ。アイリは貴族のお嬢様のわがままに振り回されていると呆れたっていい。
「私の身の回りの世話をするお仕事をしているのだから、新しいハンカチはいつでもいいわ。たくさん持っているし」
「はい。恐れ入ります」
アイリは丁寧に頭を下げ、ようやく笑みを浮かべた。ロゼリエッタも笑顔で頷き返し、壁にかけられた時計に目を向ける。
「お兄様、いくらなんでも遅すぎないかしら?」
時計の長針は六と七の文字盤の間にあった。約束の時間を十分どころか、三十分以上過ぎている。にも拘わらずやって来る気配もないレオニールに、さすがのロゼリエッタも訝しげに首を傾げた。
「レオニール様にしては珍しいですね」
先程まで泣いていたとは微塵も感じさせない、いつもと変わらぬ様子でアイリも同意を示す。
どうしても都合がつかないならつかないで、そんな日は来れないと連絡がある。それでも十二時より先のことだし、今日も十分ほど遅れると言伝をしていた。ましてや何も言わず約束の時間を三十分も遅れるなんて、これまで一度もなかったことだ。
おそらく、何らかのトラブルはあったのだろう。でもそれが仕事に関することなのか、あるいはレオニール個人に関することなのかは分からない。ロゼリエッタは、レオニール本人か彼の言伝を受けた誰かがやって来るのを待つしかなかった。
「何もないと良いのだけれど……」
一時まで待って、それでも姿を見せないのならこちらから使いを出した方がいいのかもしれない。
そう決めたものの落ち着かない気持ちで何度も時計を見上げては時刻を確認してしまう。そうしてあと十分ほどで一時になろうかというところで、待ち人は来た。
「お兄様、今日はずいぶんと遅く――」
「ロゼ、気を確かに、聞いて欲しい」
「どうなさったの?」
椅子から立ち上がろうとしたロゼリエッタを制し、レオニールは肩で大きく息をつく。あきらかに普段とは違う兄の様子に、ロゼリエッタは悪い予感を覚えた。不安がみるみるうちに膨れ上がって胸を締めつけて行く。
少し前にも、こんな表情を浮かべた人物をロゼリエッタは見ている。そうして、その人物はとても辛い事実をロゼリエッタに話したのだ。
――婚約解消を切り出す前のクロードと今の兄はよく似ている。
心臓が早鐘を打ちはじめた。
どうか杞憂であって欲しい。そう願うロゼリエッタの心を知ってか知らずか、真っすぐに見つめる兄と目が合った。
「隣国の王城で深夜に火災が発生して、クロードが巻き込まれたそうだ」
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