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嫉妬

離れて行く心 2

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 抱き上げられたまま馬車に乗せられた。靴を履いた足が馬車のシートに投げ出される。思わず目線を向けてしまうと、それに気がついたアドルフォードが靴を脱がせた。

「これでいい? 他に何か――離してとか帰りたい以外の要求はある?」
「お兄様離して。帰りたいの……」
「その二つはダメだって言ったばかりなのに」

 こめかみに口づけが落とされる。
 優しい仕草だ。普段ならフィオレンツィアも胸をときめかせ、甘えるように身体を預けたりしただろう。
 でも今は何故か、その優しさでさえ怖かった。

「今日の夜会に君は誘われてなかったと思ったけれど、どうしていたの」

 アドルフォードの言葉に羞恥で俯く。

 正式に誘われてもいない夜会に無理やり参加するなんて、淑女のやることではない。そのことは最初から承知していたけれど、あの場にいてはいけなかったと言われたような気がして胸が痛んだ。

 でもアドルフォードが参列するのなら、一緒に連れて行ってくれたら良かったではないか。それをいつもしてくれないのは、フィオレンツィアの目を盗んで他の女性との秘密の逢い引きを楽しむ為だったのではないのか。

 寵姫でも構わないから王太子に嫁ぎたいと思う令嬢も、自らの娘を取り入らせて寵姫にと企む貴族もたくさんいる。

 そんな彼らにとって婚約者であるフィオレンツィアの存在は邪魔なものでしかなかった。
 けれど年頃の令息を持つ貴族とは逆に、彼らがフィオレンツィアを夜会に招待しないことは寵姫の座を狙っていると公言しているようなものだ。
 だから腹の底では同じ企みを持っているであろう相手を牽制しながら、フィオレンツィアを招待することの出来ない貴族の夜会を上手く利用して取り入るしかない。

 ミランダが引き留めたのもそれが理由だと分かっていたつもりなのに、実際に目の当たりにすると心が引き裂かれてしまいそうなほどに悲しかった。

「バークレー公爵は、何もご存知ないの。私がわがままを言ってミランダに頼んで、それで」

 目立つことをしてしまったが、バークレー公爵やミランダにとばっちりが行かないよう、彼らには何の責もないと強調する。
 ミランダは「もし私が困った時にはフィオが力になってちょうだいね」と笑って、彼女の馬車を出してくれた。彼女たちに責任を被せるわけにはいかない。

 けれどアドルフォードは険しい表情を浮かべ、取りつく島すらなかった。

「別にそんなことはどうでもいいよ」

 フィオレンツィアは雰囲気に押されて口をつぐむ。
 言いたいことはちゃんと伝わったと、そう思いたい。
 でもアドルフォードの静かな怒りばかりが伝わって来て、苦しくて悲しかった。

 怒らせてしまうようなことをした。
 それは分かっている。けれど。

「フィオレアは、さっきみたいな男が好みなの? あの男に会う為に変装までして、ここに来たの?」

 好みも何も、彼のことは何も知らない。向こうは結果としてフィオレンツィアのことを知ったようではあるが、そういえばお互いに名乗り合ってすらいなかった。

「嬉しそうな顔をしていたけれど、何て言って口説かれたの?」

 全く答えないフィオレンツィアに焦れているのか、その口調がどんどん険しいものになっている。
 質問と言うよりも、詰問されている状態に近かった。

「僕が止めに入らなければ君はあのまま、僕じゃない相手と踊っていたの?」
「それは」
「踊っていたんだね」

 答えられず瞳を伏せる。
 でも、アドルフォードの言う通りなのだろう。
 フィオレンツィアは、彼の手を取って踊っていたに違いない。

 アドルフォードが他の女性と親しくしている姿を見て寂しかったから。悲しかったから。そこに「あなたがいい」と声をかけられて、嬉しかったから。

「お兄様だって、他のご令嬢と、とても親しそうにお話ししてたのに……! どうして私だけが責められなくてはいけないの?」
「君と僕とでは立場が違うだろう?」

 "立場"
 その言葉が、やけに重くフィオレンツィアの心に落ちた。

 これまでアドルフォードの腕の中という鳥かごの鳥でいることは苦痛などではなく、むしろ幸せだった。でもそれはあくまでも、アドルフォードの腕の中にいるのが自分だけだと思っていたからだ。
 だけど他にも囲われている美しい鳥がいるのなら、淑女らしい振る舞いすらできないフィオレンツィアでなくてもいい。

 ほら、フィオレンツィアでなくてもいい理由が、すでに二つもある。

「……じゃあ、お兄様は私以外のご令嬢と親密に接しても良いのね」
「そんなことは言ってないよ。でも君は僕の」

 アドルフォードはそこで一度言葉を切った。

 目的地に到着したらしい。
 馬車が止まり、是非を尋ねた御者がアドルフォードの返事を受けて扉を開ける。

 夜が更けていることで見慣れたはずの景色も表情が違って見えた。
 普段は昼間にしか来ないから、この姿を見るのは年に一、二回のことだ。
 たくさんの灯りに照らされた王城は、アドルフォードの言動を反映するかのように冷たくそびえ立っている気がした。

 御者からフィオレンツィアの靴を受け取り、抱き上げたままアドルフォードは広い王城を無言で歩いて行く。

 ようやく彼の自室へと辿り着き――お姫様にするような優しい扱いは、そこまでだった。

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