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「レティーナ、王城に上がる為の支度をしなさい」

 次の休日、庭でお茶を飲みながら本を読んでいたところを父に声をかけられ、レティーナは目を瞬かせた。

「どうしてでしょうか」
「どうしても何も、以前から言ってあっただろう。学園を卒業したら正式に婚約してもらうと」
「ああ……」

 ため息とも返事ともつかない小さな音が唇からこぼれる。
 そういえばそんな話があった。学園を卒業しても一向に話が進む気配もないから、すっかり記憶の中から忘れ去っていた。あの話はまだ有効だったのだ。
 何故、王城に行かなくてはいけないのかは分からないけれど、行かないわけにもいかないのだろう。

 ルーファスに胸を吸ってもらうだけで満足するはずが、守るべき純潔さえも彼に捧げてしまった。婚約を断る理由になったりしないだろうか。でも、言えるはずもない。

 王城に着き、案内役の執事の後を父と並んで歩く間もレティーナの気分は優れなかった。
 もしかしたらレティーナ自身が知らないとは言え、婚約者のいる身で王太子と男女の関係を持ったことが罰せられるのだろうか。だけどそれなら父の様子が普段とさして変わらないのが気にかかる。

「私は別件の用事があるから、この先はレティーナが一人で行きなさい。くれぐれも、失礼のないようにね」

 王城に来た理由を推察していると父がふいに足を止めた。
 レティーナはさらに謎を深めて混乱したものの執事もいる手前、何も聞けなかった。父に見送られながら廊下を進み、やがて「こちらのお部屋におられます」と案内が終わった。

 執事は重厚なドアに設置されたノッカーを鳴らし、すでに手順は決まっているのか中からの返事も待たずにドアを開ける。どうぞ、と促されたレティーナが部屋に入ると、ドアは音もなく閉められた。

「殿下……? 何故、こちらに」

 婚約者との顔合わせの場だと聞いている。
 なのに部屋にはルーファスがいるだけだった。

「何故も何も、僕が君の婚約者だからだ」

 レティーナは目を見開いた。
 それから、先日の件に思い至って申し訳なさに眉尻を下げる。

「もしも責任を取る為にそうなさるのであれば、そのようなお気遣いは必要ありません。わたくしも……最終的には殿下を受け入れましたし……避妊用の薬も、しっかりと飲みましたから」

 そもそもルーファスに『チチスイタナール』を飲ませたりしなければあんなことにはならなかった。ルーファスは完全に被害者で責任を感じる必要なんてない。
 だけど、その責任感の強さも愛しいと思ってしまう。
 視線を落とすとルーファスのため息が聞こえ、顔を上げた。

「想像はついていたけど、やっぱり思い違いをしていたようだね。君の純潔を散らしたから責任を取って婚約するわけじゃないよ。婚約が決まっていたから、遠慮なく君の純潔を散らしたんだ。前提の順序がまるで違う」
「わたくしを騙していらっしゃったのですか」
「ずっと黙ってはいたけど、騙してはいないかな」

 にやりとルーファスは笑う。
 人の悪い笑顔を浮かべているのを初めて見た気がする。彼もそんな表情で笑うことがあるなんて。格好いい。好き。
 知らずにいた一面を目の当たりにして見惚れるレティーナに、見慣れた柔和な表情で告げる。

「正式な婚約を結ぶまで、君には内密にしておくように僕がハーヴリスト侯爵に頼んでいた」
「どうして……」
「君の気が済むまでは自由に学園に通わせたり、魔草薬の研究も続けさせてあげようと思って婚約発表を待っていても一向に飽きる気配もないし、まさか学園で学んだことを元に怪しい薬を調合するとは思わなかったよ」
「先日の件は、申し訳ございません」

 『チチスイタナール』のことを言っていると察し、レティーナは改めて謝罪するしかない。ルーファスは謝罪を受け取ると肩をすくませた。

「でも僕に尽くそうと健気な君は好ましいし、手助けはいくらでもしてあげたいとも思ってる」
「もしかして、殿下が個人で研究室にご支援を……?」

 レティーナの目的を果たすには必要ないものばかりだけれど、気になってはいたのだ。
 いくら王家が管轄する研究室とはいえ、希少で高価な魔草も多かった。
 あれはルーファスの伝手で手に入っていたものなのだ。

「そういうことになるね」

 ルーファスはあっさりと肯定し、それよりも、と話を切り替えた。

「とりあえず僕は、怪しい薬で姿を消している君に気がつかないふりをして、身体のあちこちを好きなようにまさぐって喘ぐのを我慢させたり」
「あの、お待ち下さい」

 王族の発言を遮ることは不敬だと分かってはいても、聞き捨てならない言葉にレティーナはたまらずに口を挟む。

「怪しい薬で姿を消してって……殿下は、わたくしの存在に気がつかれていらっしゃったのですか?」

 姿を消す魔草薬をルーファスの前で使用したのは自らで治験をかねていた一度だけだ。
 あの時、友人と会話をしていたルーファスはレティーナのいる方を見ることさえなかった。
 それがルーファスは、何を言っているのかと言わんばかりに微笑む。

「もちろん。八歳の時から十年以上も君だけを見ていたからね。未完成の薬程度じゃ姿が消えているとは言わないよ」

 完全に気がつかれていた。全然そうは見えなかったのに。さすが広く見通せる視野を持っていて格好いい。

「卒業を間近に控えて夕焼けに染まる教室で学園の卒業より先に童貞を卒業したり、罰を与えて欲しいとねだるメイド服姿の君にお望み通りお仕置きする妄想で自分を慰めていたわけだけど」

 さらに信じがたい告白にレティーナは大きく目を見開いた。
 だってルーファスは清廉で高潔で冷静で理知的で、臣民の為にその身を捧げていたはずだ。
 でも……確かに性欲はあった。だから、あんなこと・・・・・になったわけで。

「で、ですが」

 レティーナは思い出すだけでも恥ずかしくて幸せな記憶に頬を染めながらも、それなら夕暮れの学園での返事は何だったのかと不満を抱いた。

「殿下はそれは無理って、綺麗な笑顔で仰いましたわ……」
「最後までしたくなるんだから、そう答えるしかないだろう」

 一理ある。
 あるけれど納得がいかない。

「も、妄想はしていらしたとも、先程仰ったのに」
「せっかくご馳走が自分から食べて欲しいって振る舞ってくれてるのに、食べられる機会をみすみす逃したんだから、頭の中くらいではありがたく食べておきたいのは普通のことだよ」

 これ以上追及したら顔から火が出てしまう。すでに羞恥で真っ赤な顔を伏せるレティーナの髪を一房取り、ルーファスはそっと口づけた。

「今度はどんな怪しい魔草薬で僕を誘惑してくれるのかな」
「ゆ……っ、誘惑などではありませんわ。日々公務にご尽力されている殿下への癒しです」
「君がそう言い張るなら、そういうことでもいいけど」

 ルーファスは研究室に通うことをやめるようには言ってない。おそらくは、もうしばらくはレティーナの意思を尊重してくれるつもりのようだ。
 でも、尽くしたい気持ちは完全に伝わってない。研究室に通える間、たくさん役に立てる魔草薬を作り出さなくては。そうしてレティーナだけがルーファスを癒すのだ。

 その前にレティーナも癒されたい。
 おねだりをしても許されるだろうか。

 ルーファスならきっと、許してくれる。

「――殿下」
「なに?」
「もう一度……して欲しいです」
「なにを?」

 ルーファスはまた悪い顔をしている。
 絶対に聞こえていた。いじわるだ。それでも格好いい。大好き。

「また、口づけをして欲しいです」
「好きな女の子と密室に二人きりでいるところに可愛くおねだりされて、おとなしくキスだけで満足する男なんていないよ」
「――はい」

 レティーナが恥じらいながらも頷くと強く抱き寄せられた。同時に、かちりと鍵のかかる音が背後から聞こえる。

「僕にとって、君がいちばんの媚薬だ」
「それなら光栄で――」

 悪い笑顔を浮かべたルーファスに唇を塞がれて、その先は言えなかった。



   -END-



お付き合いいただきありがとうございました!
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みんなの感想(2件)

サラサ
2024.01.23 サラサ
ネタバレ含む
瀬月 ゆな
2024.01.24 瀬月 ゆな

サラサ様

再度の感想ありがとうございます!

ネーミングに関しては思いっきりそこを狙ったので、笑っていただけて良かったです。
ちなみにレティーナが冒頭で飲んでいた魔草薬は完成したら『スガタキエール』と名づけられます。

最初に決めていたキャラ造形のまま進んだレティーナに対し、ルーファスは当初の予定とはほぼ正反対のキャラになってしまいましたが、お似合いの二人かなと思います。

最後まで楽しんでお付き合いいただけたようで一安心です。
こちらこそ嬉しい感想をありがとうございました!

解除
サラサ
2024.01.22 サラサ
ネタバレ含む
瀬月 ゆな
2024.01.22 瀬月 ゆな

サラサ様

感想ありがとうございます!

レティーナは色々と突っ走っているヒロインですが、彼女なりの考えがあるようです。
全7話と短い話なので、どうぞ最後まで温かい目で見守ってあげて下さい!

解除

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