6 / 6
それから、これから
しおりを挟む
何事もなかったかのように、クルヴィスの日々は変わらぬ日常へと戻って行く。
彼女を探す手がかりはおおよその年齢と、髪と目の色だけだ。だが、もしかしたらそれも魔法で変えたものかもしれない。
どこをどう探したら良いのかも分からず、一週間が経過した。
このまま夢の中の思い出になってしまうのではないか。そんな恐怖にも似た感情が少しずつ胸を占めるようになった。
あるいは、また酒の力を借りてズッカに相談に乗ってもらうのも良いかもしれない。
そう考えはじめた頃だった。
「失礼致します。王太子妃殿下からお預かりした書類をお持ちしました」
物思いに耽りながらその日の雑務をこなしていると、ドアがノックされた。、あいにくと手が離せないタイミングで、鍵は開いてるから入っていいと答えれば王太子妃の使いだという相手が入って来た。
女性用の魔術師団の制服に身に包んでいる。目が合って、お互いに「あっ」とでもいうような反応をした。
明るいオレンジ色がかった、緩く波打つ金色の髪。
大きな瞳は黒のような緑のような、深く澄んだ色をしている。
クルヴィスは手に抱えた分厚い本を棚に戻し、魔法を使ってドアと鍵を閉めた。
「――君だよね?」
逃げ場を塞がれた少女は背後を見やり、それからクルヴィスに視線を戻す。無言で見つめ合い、やがて困ったような顔で頷いた。
「ごめんなさい」
改めて聞く声にも聞き覚えがあった。
柔らかく、優しい、耳馴染みの良い声だ。
話したいことはたくさんある。
だが彼女は王太子妃の使いだと言っていた。あまり時間をかけられない。
かと言ってこのまま何も行動せずに別れてしまえば、探すのにまた苦労するだろう。
クルヴィスは本来の用事である書類を受け取り、時計をちらりと見やった。
「十五分だけ、時間をもらえないか。必要なら王太子妃殿下には俺からも謝罪を入れるから」
妥協してもらえそうなギリギリの時間を伝えると彼女は首を振る。話し合いすら許されないのかと思ったが、そうではないようだった。
「王太子妃殿下が……お互いに納得のいくまでしっかりと話し合いをしなさいって、仰って下さいました」
よく分からないが、王太子妃が彼女に使いを頼んだのは偶然ではないらしい。少女は俯き、言葉を続けた。
「一方的に感情を押しつけただけでは、絶対に後悔するからって、そう仰ったんです」
一方的にとはつまり、名乗らないまま一夜を過ごしたことを指しているのだろう。
何にしろ、話し合いに応じてくれるのは非常に助かる。クルヴィスはまず最初の疑問を尋ねた。
「どうして俺に抱いて欲しいと思ったのか、聞かせてもらえる?」
「すみません……。その、経験のない私が面と向かってお願いしたら、断られてしまうと思って。でも、諦めきれなくて、唯一のチャンスに賭けてみたくなってしまったんです」
「――俺も、初めてだったんだけど」
「えっ!?」
驚きのあまり大きな声を上げ、少女ははっとして口元を抑える。視線を斜め右下に落とし、両手の指をそっと組んだ。
「クルヴィス様は人気があるから、その、てっきり……経験も豊富かと」
女の子と手を繋いだことすら全然ないとさらに訂正しようとして、未経験っぷりをこれ以上曝す必要もないと思い留まった。軽く咳払いをして切り替え、先を促す。
「そもそも何で、あんな真似を?」
「あの……収穫祭の数日前、カボチャのランタンが支給されたと思います」
できることなら一秒でも早く忘れ去ってしまいたい記憶のあるものだが、話題に出た以上は仕方ない。
何故急にランタンの話が出て来たのかは分からないが頷く。
すると彼女は、思ってもみなかったとんでもない言葉を口にした。
「あのランタンを作ったの、私なんです。それで収穫祭の前夜、いけないことだとは分かっていても、ランタンに意識を同調させてクルヴィス様のお家での様子を盗み見したいなんて思ってしまって――」
少女はそこで顔を真っ赤にして俯いた。
収穫祭の前夜に、彼女が口にするのを恥じらうような何があったのかなんて、クルヴィスがいちばんよく分かっている。
泥酔してランタン相手に自慰をしたところを見られていたのか。まさかあの時ランタンに意識を同調させていた人物がいたなんて、考えが及ぶはずもなかった。
「ごめんなさい。勝手にプライベートに踏み込んだりして」
「いや――それは良いんだが」
良いかどうか判断はしかねたがこの場はそう言うしかない。
彼女もそこは理解しているようで「本当にごめんなさい」と、今にも身体ごと消え入りそうな声で繰り返した。ただ、その後にあったことを思えば彼女一人が強い罪悪感を抱かれるようなことでもない。クルヴィスはここで手打ちにすることにして話を進める。
「とりあえず、君の名前を教えてくれないか」
あの夜の出来事は夢なんかじゃない。
そんなことは身体を重ねていた時から分かっていて、だがクラヴィスはせっかくのおいしいお菓子を取り上げられたくなくて素知らぬふりをした。
そして今、現実の存在として彼女が目の前にいる。ランタンや仮面越しではなく、自分の意志で手を伸ばせば簡単に触れ合えるほどの距離に。
彼女はわずかな躊躇いの後、にこりと微笑んだ。
それを受け、また魔法が解けてしまうのではないかと内心危惧していたクラヴィスの表情も和らぐ。
「ディアナ……。ディアナ・グラスケルです」
――ディアナ。
ようやく手にした現実のかけらを口の中で小さく反芻し、今度はクルヴィスが彼女の世界へと足を踏み入れた。
「じゃあディアナ。今度は、手を繋ぐところからはじめようか」
-END-
お付き合い下さりありがとうございました!
ハロウィンまでに間に合うかは分かりませんが、一連の流れのヒロイン視点も近いうちに公開出来たらと思います。よろしければそちらは少しお待ちいただけると嬉しいです。
彼女を探す手がかりはおおよその年齢と、髪と目の色だけだ。だが、もしかしたらそれも魔法で変えたものかもしれない。
どこをどう探したら良いのかも分からず、一週間が経過した。
このまま夢の中の思い出になってしまうのではないか。そんな恐怖にも似た感情が少しずつ胸を占めるようになった。
あるいは、また酒の力を借りてズッカに相談に乗ってもらうのも良いかもしれない。
そう考えはじめた頃だった。
「失礼致します。王太子妃殿下からお預かりした書類をお持ちしました」
物思いに耽りながらその日の雑務をこなしていると、ドアがノックされた。、あいにくと手が離せないタイミングで、鍵は開いてるから入っていいと答えれば王太子妃の使いだという相手が入って来た。
女性用の魔術師団の制服に身に包んでいる。目が合って、お互いに「あっ」とでもいうような反応をした。
明るいオレンジ色がかった、緩く波打つ金色の髪。
大きな瞳は黒のような緑のような、深く澄んだ色をしている。
クルヴィスは手に抱えた分厚い本を棚に戻し、魔法を使ってドアと鍵を閉めた。
「――君だよね?」
逃げ場を塞がれた少女は背後を見やり、それからクルヴィスに視線を戻す。無言で見つめ合い、やがて困ったような顔で頷いた。
「ごめんなさい」
改めて聞く声にも聞き覚えがあった。
柔らかく、優しい、耳馴染みの良い声だ。
話したいことはたくさんある。
だが彼女は王太子妃の使いだと言っていた。あまり時間をかけられない。
かと言ってこのまま何も行動せずに別れてしまえば、探すのにまた苦労するだろう。
クルヴィスは本来の用事である書類を受け取り、時計をちらりと見やった。
「十五分だけ、時間をもらえないか。必要なら王太子妃殿下には俺からも謝罪を入れるから」
妥協してもらえそうなギリギリの時間を伝えると彼女は首を振る。話し合いすら許されないのかと思ったが、そうではないようだった。
「王太子妃殿下が……お互いに納得のいくまでしっかりと話し合いをしなさいって、仰って下さいました」
よく分からないが、王太子妃が彼女に使いを頼んだのは偶然ではないらしい。少女は俯き、言葉を続けた。
「一方的に感情を押しつけただけでは、絶対に後悔するからって、そう仰ったんです」
一方的にとはつまり、名乗らないまま一夜を過ごしたことを指しているのだろう。
何にしろ、話し合いに応じてくれるのは非常に助かる。クルヴィスはまず最初の疑問を尋ねた。
「どうして俺に抱いて欲しいと思ったのか、聞かせてもらえる?」
「すみません……。その、経験のない私が面と向かってお願いしたら、断られてしまうと思って。でも、諦めきれなくて、唯一のチャンスに賭けてみたくなってしまったんです」
「――俺も、初めてだったんだけど」
「えっ!?」
驚きのあまり大きな声を上げ、少女ははっとして口元を抑える。視線を斜め右下に落とし、両手の指をそっと組んだ。
「クルヴィス様は人気があるから、その、てっきり……経験も豊富かと」
女の子と手を繋いだことすら全然ないとさらに訂正しようとして、未経験っぷりをこれ以上曝す必要もないと思い留まった。軽く咳払いをして切り替え、先を促す。
「そもそも何で、あんな真似を?」
「あの……収穫祭の数日前、カボチャのランタンが支給されたと思います」
できることなら一秒でも早く忘れ去ってしまいたい記憶のあるものだが、話題に出た以上は仕方ない。
何故急にランタンの話が出て来たのかは分からないが頷く。
すると彼女は、思ってもみなかったとんでもない言葉を口にした。
「あのランタンを作ったの、私なんです。それで収穫祭の前夜、いけないことだとは分かっていても、ランタンに意識を同調させてクルヴィス様のお家での様子を盗み見したいなんて思ってしまって――」
少女はそこで顔を真っ赤にして俯いた。
収穫祭の前夜に、彼女が口にするのを恥じらうような何があったのかなんて、クルヴィスがいちばんよく分かっている。
泥酔してランタン相手に自慰をしたところを見られていたのか。まさかあの時ランタンに意識を同調させていた人物がいたなんて、考えが及ぶはずもなかった。
「ごめんなさい。勝手にプライベートに踏み込んだりして」
「いや――それは良いんだが」
良いかどうか判断はしかねたがこの場はそう言うしかない。
彼女もそこは理解しているようで「本当にごめんなさい」と、今にも身体ごと消え入りそうな声で繰り返した。ただ、その後にあったことを思えば彼女一人が強い罪悪感を抱かれるようなことでもない。クルヴィスはここで手打ちにすることにして話を進める。
「とりあえず、君の名前を教えてくれないか」
あの夜の出来事は夢なんかじゃない。
そんなことは身体を重ねていた時から分かっていて、だがクラヴィスはせっかくのおいしいお菓子を取り上げられたくなくて素知らぬふりをした。
そして今、現実の存在として彼女が目の前にいる。ランタンや仮面越しではなく、自分の意志で手を伸ばせば簡単に触れ合えるほどの距離に。
彼女はわずかな躊躇いの後、にこりと微笑んだ。
それを受け、また魔法が解けてしまうのではないかと内心危惧していたクラヴィスの表情も和らぐ。
「ディアナ……。ディアナ・グラスケルです」
――ディアナ。
ようやく手にした現実のかけらを口の中で小さく反芻し、今度はクルヴィスが彼女の世界へと足を踏み入れた。
「じゃあディアナ。今度は、手を繋ぐところからはじめようか」
-END-
お付き合い下さりありがとうございました!
ハロウィンまでに間に合うかは分かりませんが、一連の流れのヒロイン視点も近いうちに公開出来たらと思います。よろしければそちらは少しお待ちいただけると嬉しいです。
0
お気に入りに追加
83
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
【完結】【R18百合】女子寮ルームメイトに夜な夜なおっぱいを吸われています。
千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。
風月学園女子寮。
私――舞鶴ミサが夜中に目を覚ますと、ルームメイトの藤咲ひなたが私の胸を…!
R-18ですが、いわゆる本番行為はなく、ひたすらおっぱいばかり攻めるガールズラブ小説です。
おすすめする人
・百合/GL/ガールズラブが好きな人
・ひたすらおっぱいを攻める描写が好きな人
・起きないように寝込みを襲うドキドキが好きな人
※タイトル画像はAI生成ですが、キャラクターデザインのイメージは合っています。
※私の小説に関しては誤字等あったら指摘してもらえると嬉しいです。(他の方の場合はわからないですが)
情事の風景
Lynx🐈⬛
恋愛
短編集です。
Hシーンだけ書き溜めていただけのオムニバスで1000文字程度で書いた物です。ストーリー性はありませんが、情事のみでお楽しみ下さい。
※公開は不定期ですm(>_<)mゴメンナサイ
※もし、それぞれの短編を題材に物語を読みたいなら、考えていきますので、ご意見あればお聞かせ下さい。
【R18】清楚な彼女の裏の顔
夕月
恋愛
サキュバスのアンバーは、空腹を抱えていた。そのせいで集中力を欠いてうっかり囚われてしまった先で、極上の精気の持ち主と出会う。
腹ぺこアンバーと、美味しそうな精気の持ち主との攻防戦。
女性上位な話になります。
女の子がひたすら気持ちよくさせられる短編集
春
恋愛
様々な設定で女の子がえっちな目に遭うお話。詳しくはタグご覧下さい。モロ語あり一話完結型。注意書きがない限り各話につながりはありませんのでどこからでも読めます。pixivにも同じものを掲載しております。
性処理係ちゃんの1日 ♡星安学園の肉便器♡
高井りな
恋愛
ここ、星安学園は山奥にある由緒正しき男子校である。
ただ特例として毎年一人、特待生枠で女子生徒が入学できる。しかも、学費は全て免除。山奥なので学生はみんな寮生活なのだが生活費も全て免除。
そんな夢のような条件に惹かれた岬ありさだったがそれが間違いだったことに気づく。
……星安学園の女子特待生枠は表向きの建前で、実際は学園全体の性処理係だ。
ひたすら主人公の女の子が犯され続けます。基本ずっと嫌がっていますが悲壮感はそんなにないアホエロです。無理だと思ったらすぐにブラウザバックお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる