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第三楽章 春の嵐-Scherzo-
3-1 二人きりの朝(2)
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「うっ」
その時、眠っていたセシルの布団の上に、突如どすんと小さな物が落ちてきた。
何度も何度も場所を変えて飛び跳ねている。
「……わかったって。起きるって……」
うんざりしながら体を起こした。寝違えたのか、首から肩にかけてがやけに重たい。
彼が動き出したのを、真っ白な子狐のアルプは喉を鳴らして喜んだ。
狐の体質がそうだったかはさておき、この子はそうするのだ。
そうセシルは事実を認識していた。そもそも、火を吐くぐらいだしな。
右手が頭を掻きむしる。一方、左手は静かな朝が正確には何時かを確かめる。八時だ。
なかなか開かない目で見たカレンダーは〈雄牛の月〉八日火曜日。
使用人たちを送り出してから一週間目の、七回目の朝である。
濁っている意識をクリアにするため、思い切りカーテンを開けた。
抜けるような青が目に突き刺さって痛い。
それから逃げるようにして、のそのそと半そでのシャツとズボンに四肢を通す。
そのあと、姿見を覗き込んで、いい加減な手つきで髪の毛に手櫛を通した。
「リア」
じいっと見つめても、そこには短い髪をあちこちにはねさせた少年しかいない。
角度を変えるが、足元で見上げているアルプが映るだけだ。
セシルは、ふんっと思い切り鼻を鳴らすとそのまま部屋を後にした。
***
使用人がいない分の湯沸かしや朝食をどうするか。
それはほとんどセシルの手にかかっていた。大丈夫って言った人は働かないのかよ。
実際、高貴なる青年に一度任せたこともある。しかし、朝食を待っているうちに昼を迎えた。
それならと、結局少年が朝の支度を引き受けたのだった。ナズレさんが気を揉むわけだよ。
けれどもそれ以外――昼食はどこかしらのカフェが、晩餐はレストランが、全てナズレによって予約されていた。シーツやタオルも、いつものクリーニング会社が回収に来てくれることになっている。湯沸かしは、最新の急速湯沸かし器があったので、さほど困らない。
けれど、ガスコンロに火をつけて竈を温めるのは時間がかかっていつも億劫だった。
マナの力を扱えるセシルにとってはなおのことそうだった。
「誰も見てないし、いいよね」
しかし、大きなパンの塊を効率よく温めるにはこうするほかない。
リアもいないし。セシルはひとりごちると右の人差し指を立てた。
寝起きで乾いていたくちびるを舐めてからすぼめた。
小さな空気孔《アパーチュア》から息を細く吹きだすと、ぴい、と涼しい笛の音が鳴った。
セシルが奏でる口笛のご機嫌なフレーズを聴きとめて、アンダーステアーズの台所に、小鳥が一羽迷い込んできた。真っ黒でまん丸の体に橙色の嘴を持つ、クロウタドリだ。てんてんと体ごと飛び跳ねてみては、大きな独り言を言って、早足でまた別の日向に行く。愉快な仲間ができて、少年はくすりと笑った。
そうして口笛でメロディをなぞっていると、セシルの指の先にちりちりとした暖かさが集まってきた。それはやがて微かな光の粒になり、小さな太陽のように赤々と燃えだした。
「オ・フォーコ・ユマラ・マナ」
小さく呟くと、指先に蓄えられていた光が膨張した。途端に熱をもった光の玉を慌てて石窯の中に放り込む。すると光は中の薪に住処を見つけ、赤々とご機嫌に燃えだした。これで数分で暖まるだろう。冷や汗を拭う。
「あっつかった……」
「その言語をマスターすれば魔法が使えるのか?」
ため息をついた少年の後ろからふいに声がして、セシルは飛び上がった。
その時、眠っていたセシルの布団の上に、突如どすんと小さな物が落ちてきた。
何度も何度も場所を変えて飛び跳ねている。
「……わかったって。起きるって……」
うんざりしながら体を起こした。寝違えたのか、首から肩にかけてがやけに重たい。
彼が動き出したのを、真っ白な子狐のアルプは喉を鳴らして喜んだ。
狐の体質がそうだったかはさておき、この子はそうするのだ。
そうセシルは事実を認識していた。そもそも、火を吐くぐらいだしな。
右手が頭を掻きむしる。一方、左手は静かな朝が正確には何時かを確かめる。八時だ。
なかなか開かない目で見たカレンダーは〈雄牛の月〉八日火曜日。
使用人たちを送り出してから一週間目の、七回目の朝である。
濁っている意識をクリアにするため、思い切りカーテンを開けた。
抜けるような青が目に突き刺さって痛い。
それから逃げるようにして、のそのそと半そでのシャツとズボンに四肢を通す。
そのあと、姿見を覗き込んで、いい加減な手つきで髪の毛に手櫛を通した。
「リア」
じいっと見つめても、そこには短い髪をあちこちにはねさせた少年しかいない。
角度を変えるが、足元で見上げているアルプが映るだけだ。
セシルは、ふんっと思い切り鼻を鳴らすとそのまま部屋を後にした。
***
使用人がいない分の湯沸かしや朝食をどうするか。
それはほとんどセシルの手にかかっていた。大丈夫って言った人は働かないのかよ。
実際、高貴なる青年に一度任せたこともある。しかし、朝食を待っているうちに昼を迎えた。
それならと、結局少年が朝の支度を引き受けたのだった。ナズレさんが気を揉むわけだよ。
けれどもそれ以外――昼食はどこかしらのカフェが、晩餐はレストランが、全てナズレによって予約されていた。シーツやタオルも、いつものクリーニング会社が回収に来てくれることになっている。湯沸かしは、最新の急速湯沸かし器があったので、さほど困らない。
けれど、ガスコンロに火をつけて竈を温めるのは時間がかかっていつも億劫だった。
マナの力を扱えるセシルにとってはなおのことそうだった。
「誰も見てないし、いいよね」
しかし、大きなパンの塊を効率よく温めるにはこうするほかない。
リアもいないし。セシルはひとりごちると右の人差し指を立てた。
寝起きで乾いていたくちびるを舐めてからすぼめた。
小さな空気孔《アパーチュア》から息を細く吹きだすと、ぴい、と涼しい笛の音が鳴った。
セシルが奏でる口笛のご機嫌なフレーズを聴きとめて、アンダーステアーズの台所に、小鳥が一羽迷い込んできた。真っ黒でまん丸の体に橙色の嘴を持つ、クロウタドリだ。てんてんと体ごと飛び跳ねてみては、大きな独り言を言って、早足でまた別の日向に行く。愉快な仲間ができて、少年はくすりと笑った。
そうして口笛でメロディをなぞっていると、セシルの指の先にちりちりとした暖かさが集まってきた。それはやがて微かな光の粒になり、小さな太陽のように赤々と燃えだした。
「オ・フォーコ・ユマラ・マナ」
小さく呟くと、指先に蓄えられていた光が膨張した。途端に熱をもった光の玉を慌てて石窯の中に放り込む。すると光は中の薪に住処を見つけ、赤々とご機嫌に燃えだした。これで数分で暖まるだろう。冷や汗を拭う。
「あっつかった……」
「その言語をマスターすれば魔法が使えるのか?」
ため息をついた少年の後ろからふいに声がして、セシルは飛び上がった。
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