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第一楽章 手紙を書く女-Allegro con brio-

1-6 キツネと怪談(2)

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「どうしたんだい、セシル?」

「え、あっ。ううん、なんでもない」

 心をむかむかさせているセシルの手前を行くのは、メルヴィン唯一人だ。
 パーシィは居ない。彼はワイルダー氏の部屋に半ば引っ張られるようにして連れて行かれた。
 昼前にはここを去る約束だからいいか、とセシルは助けなかった。別にいじわるじゃないぞ。

「ごめんね。僕の部屋は三階だから、少し遠くて」

 セシルはぎくりとした。詫びるべき自分が謝られてしまった。
 十歩進むごとに――それぐらいこまめにメルヴィンが振り向いてくれる。
 暗がりにもかかわらず、どうしてか瞳をしばたたかせ、まるで眩しそうにセシルを見つめる。

「足は疲れないかい?」

「大丈夫。案内されてる気分だから」

 嘘は言っていない。友人の肩がふっと落ちる。セシルの言葉に心から安堵したようだった。

「そう。それなら、よかった」

 冷たい石づくりの廊下からは、これまた四角く正方形に区切られた中庭が見えた。小さな噴水といくつかのベンチがあって、手入れの生き届いた生垣や花壇の近くではポプラが背比べをしていた。木陰を提供してくれて、夏には重宝するだろう。噴水に水が通されるのは春学期《ゼメスタ》が終わってからかな。
 まだ見ぬモルフェシアの夏を思うと、セシルの気持ちははやった。
 それと同時に懐かしい故郷の村ダ・マスケの山肌をなでおろす春の匂いがありありと蘇る。
 今頃は、スノードロップが咲いていそうだなあ。
 廊下をいくつ曲がったか、階段を何段上がったか。そういう数は数えなかったけれども、初めての場所と体験が積み重なってゆく。セシルはわくわくしながら歩いた。
 その鼻先で、彼より頭半分上にある短い黒髪の少年が立ち止まった。
 そしてゆったりと、あたかも背中にマントがあるかのように優雅に振り返った。そこはオーク色の扉の前だった。丸いドアノブは真鍮製だとすぐにわかるようなつやつやの黄色だ。おそらくこれも、石畳や手すり同様、数え切れない人間に触れられてきたものの一つだろう。

「ここだよ」

 メルヴィンがそう言ってノブを回して扉を開けてくれた中に、セシルは遠慮なくぴょこりと飛び込んだ。
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