41 / 147
第一楽章 手紙を書く女-Allegro con brio-
1-4 見えざる神の翼(2)
しおりを挟む
離れて見る瞳の色は、夜の海と同じ色だ。
太陽の下で彼女の瞳を――本当の虹彩を覗き込めたらと何度願ったことだろう。
「モルフェシア大公、定例会はいかがでしたか?」
少女の薄いくちびるが無感動に問う。
「はい、フォルトゥーネ様。面白いことは、なにも」
「つまらなそうなお顔をなさっていますものね」
フォルトゥーネは、くすりと笑みを零した。
「マナストーンの様子も、つまらないものですか?」
ジャスティンは黒い瞳を丸めた。彼女なりの冗談が聞けるのは、初めてのことだった。
「いいえ。モルフェシアのために、今日も歌っていただけますか?」
私のために。飲み込んだ彼の本音を知ってか知らずか、フォルトゥーネは頷いてくれた。
彼女は見えない翼を羽ばたかせ、泉を囲う森の上に音もなく腰を下ろした。
しかしそれが森ではないとジャスティンは知っていた。
小高い緑の丘は遥かな昔に役目を終えたかつての王城で、現在は緑の褥に抱かれている。
しかしこの空の城には朽ち果てたという表現は似合わないだろう。すべての過去を内包して、それを誰にも伝えることなく、木々に守られて静かに眠り続けているだけなのだから。
そう、この天空の城ヘオフォニアは、女神の宮殿として今もひっそりと生きている。
フォルトゥーネは、枝々の合間からほんの少し露出した城壁の上に腰かけ、今まさに細い喉を奏でているところだった。少女のか細く透明なソプラノは、劇場歌手の朗々としたそれとは違う。地上の舞台女優が感情豊かに歌いあげ、心身とホールに歌声を響き渡らせるのとは異なり、ただただ、世界に呼び掛けている。
だが悲しいかな、ジャスティンの耳に聴こえるのは、フォルトゥーネが歌うソプラノ、それだけだった。書物にも残されていない古い言葉で紡がれる音楽が、歓喜を、あるいは悲愴を、または憤怒を表しているのか。それは曲調と彼女のレトリックから推察するほかなかった。
ジャスティンは少女の歌を聴くのは好きだ。だからこそ、じりじりとした不満が募る。
知りたい。聴きたい。彼女が奏でているだろう音楽のすべてを知ることができたら。
マナを注ぐ魔法そのものである歌を視ることができたら。
知らず知らずのうちに噛み締めていたジャスティンの脳裏に、ふと友人の顔がよぎった。
金色の探偵王子――パーシィが傍に置いているという娘が本物の魔女ならば、フォルトゥーネ様の音楽がわかるのだろうか。
ぼんやりと考えを弄ぶうちに、彼の耳を癒す歌はいつの間にかどこかへ消えていた。
はっとして、彼女の姿を探す。
「フォルトゥーネ様!」
「ここにいます。モルフェシア大公」
女神は音もなく彼の正面に現れた。口元がふんわりと持ち上げられている。
「白昼夢でもご覧になられていましたか?」
星空の下で少女が咲く。女神は見た目こそ少女だが、時折耐えがたい大人の色香を匂わせる。
太陽の下で彼女の瞳を――本当の虹彩を覗き込めたらと何度願ったことだろう。
「モルフェシア大公、定例会はいかがでしたか?」
少女の薄いくちびるが無感動に問う。
「はい、フォルトゥーネ様。面白いことは、なにも」
「つまらなそうなお顔をなさっていますものね」
フォルトゥーネは、くすりと笑みを零した。
「マナストーンの様子も、つまらないものですか?」
ジャスティンは黒い瞳を丸めた。彼女なりの冗談が聞けるのは、初めてのことだった。
「いいえ。モルフェシアのために、今日も歌っていただけますか?」
私のために。飲み込んだ彼の本音を知ってか知らずか、フォルトゥーネは頷いてくれた。
彼女は見えない翼を羽ばたかせ、泉を囲う森の上に音もなく腰を下ろした。
しかしそれが森ではないとジャスティンは知っていた。
小高い緑の丘は遥かな昔に役目を終えたかつての王城で、現在は緑の褥に抱かれている。
しかしこの空の城には朽ち果てたという表現は似合わないだろう。すべての過去を内包して、それを誰にも伝えることなく、木々に守られて静かに眠り続けているだけなのだから。
そう、この天空の城ヘオフォニアは、女神の宮殿として今もひっそりと生きている。
フォルトゥーネは、枝々の合間からほんの少し露出した城壁の上に腰かけ、今まさに細い喉を奏でているところだった。少女のか細く透明なソプラノは、劇場歌手の朗々としたそれとは違う。地上の舞台女優が感情豊かに歌いあげ、心身とホールに歌声を響き渡らせるのとは異なり、ただただ、世界に呼び掛けている。
だが悲しいかな、ジャスティンの耳に聴こえるのは、フォルトゥーネが歌うソプラノ、それだけだった。書物にも残されていない古い言葉で紡がれる音楽が、歓喜を、あるいは悲愴を、または憤怒を表しているのか。それは曲調と彼女のレトリックから推察するほかなかった。
ジャスティンは少女の歌を聴くのは好きだ。だからこそ、じりじりとした不満が募る。
知りたい。聴きたい。彼女が奏でているだろう音楽のすべてを知ることができたら。
マナを注ぐ魔法そのものである歌を視ることができたら。
知らず知らずのうちに噛み締めていたジャスティンの脳裏に、ふと友人の顔がよぎった。
金色の探偵王子――パーシィが傍に置いているという娘が本物の魔女ならば、フォルトゥーネ様の音楽がわかるのだろうか。
ぼんやりと考えを弄ぶうちに、彼の耳を癒す歌はいつの間にかどこかへ消えていた。
はっとして、彼女の姿を探す。
「フォルトゥーネ様!」
「ここにいます。モルフェシア大公」
女神は音もなく彼の正面に現れた。口元がふんわりと持ち上げられている。
「白昼夢でもご覧になられていましたか?」
星空の下で少女が咲く。女神は見た目こそ少女だが、時折耐えがたい大人の色香を匂わせる。
1
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
【完結】私が奏でる不協和音
かずきりり
青春
勉強、勉強、勉強。
テストで良い点を取り、模試で良い順位を取り、難関大学を目指して勉強する日々に何の意味があるというのだろうか。
感情は抜け落ち、生きているのか死んでいるのか分からないような毎日。
まるで人形のようで、生きるとは一体何なのか。
将来に不安しかなくて、自分で自分を傷つける。
そんな中で出会った「歌」
楽しい。
私は歌が好きだ。
歌い手という存在を知り
動画配信サイトやアプリといったネットの世界へと触れていく。
そして…………
聖女なので公爵子息と結婚しました。でも彼には好きな人がいるそうです。
MIRICO
恋愛
癒しの力を持つ聖女、エヴリーヌ。彼女は聖女の嫁ぎ制度により、公爵子息であるカリス・ヴォルテールに嫁ぐことになった。しかしカリスは、ブラシェーロ公爵子息に嫁ぐ聖女、アティを愛していたのだ。
カリスはエヴリーヌに二年後の離婚を願う。王の命令で結婚することになったが、愛する人がいるためエヴリーヌを幸せにできないからだ。
勝手に決められた結婚なのに、二年で離婚!?
アティを愛していても、他の公爵子息の妻となったアティと結婚するわけにもいかない。離婚した後は独身のまま、後継者も親戚の子に渡すことを辞さない。そんなカリスの切実な純情の前に、エヴリーヌは二年後の離婚を承諾した。
なんてやつ。そうは思ったけれど、カリスは心優しく、二年後の離婚が決まってもエヴリーヌを蔑ろにしない、誠実な男だった。
やめて、優しくしないで。私が好きになっちゃうから!!
ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。
剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?五本目っ!黄金のランプと毒の華。
月芝
児童書・童話
世に邪悪があふれ災いがはびこるとき、地上へと神がつかわす天剣(アマノツルギ)。
ひょんなことから、それを創り出す「剣の母」なる存在に選ばれてしまったチヨコ。
そのせいでこれまでの安穏とした辺境暮らしが一変してしまう!
中央の争乱に巻き込まれたり、隣国の陰謀に巻き込まれたり、神々からおつかいを頼まれたり、
海で海賊退治をしたり……
気がつけば、あちこちでやらかしており、数多の武勇伝を残すハメに!
望むと望まざるとにかかわらず、騒動の渦中に巻き込まれていくチヨコ。
しかしそんな彼女の近辺に、海の彼方にある超大な帝国の魔の手が迫る。
天剣と少女の冒険譚。
剣の母シリーズ第五部、ここに開幕!
お次の舞台は商連合オーメイ。
あらゆる欲望が集い、魑魅魍魎どもが跋扈する商業と賭博の地。
様々な価値観が交差する場所で、チヨコを待ち受ける新たな出会いと絶体絶命のピンチ!
※本作品は単体でも楽しめるようになっておりますが、できればシリーズの第一部~第四部。
「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?ただいまお相手募集中です!」
「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?二本目っ!まだまだお相手募集中です!」
「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?三本目っ!もうあせるのはヤメました。」
「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?四本目っ!海だ、水着だ、ポロリは……するほど中身がねえ!」
からお付き合いいただけましたら、よりいっそうの満腹感を得られることまちがいなし。
あわせてどうぞ、ご賞味あれ。
[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!
どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入!
舐めた奴らに、真実が牙を剥く!
何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ?
しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない?
訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、
なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト!
そして…わかってくる、この異世界の異常性。
出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。
主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。
相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。
ハーレム要素は、不明とします。
復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。
追記
2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。
8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。
2024/02/23
アルファポリスオンリーを解除しました。
シンフォニー・レイ
シャオえる
ファンタジー
都会に憧れやって来た女の子。一人楽しく街を探索していた。だが、最近世界中で起こっている原因不明の避難指示に間に合わず、街中をさ迷っていると、突然狙い襲ってきた女の子と、助けてくれた女の子達と出会う。出会ったことで、知らなかった過去や自分の力を知る。知らない方が幸せだった運命を知った時、世界が大きく変わっていく。
天乃ジャック先生は放課後あやかしポリス
純鈍
児童書・童話
誰かの過去、または未来を見ることが出来る主人公、新海はクラスメイトにいじめられ、家には誰もいない独りぼっちの中学生。ある日、彼は登校中に誰かの未来を見る。その映像は、金髪碧眼の新しい教師が自分のクラスにやってくる、というものだった。実際に学校に行ってみると、本当にその教師がクラスにやってきて、彼は他人の心が見えるとクラス皆の前で言う。その教師の名は天乃ジャック、どうやら、この先生には教師以外の顔があるようで……?
前世で家族に恵まれなかった俺、今世では優しい家族に囲まれる 俺だけが使える氷魔法で異世界無双
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
家族や恋人もいなく、孤独に過ごしていた俺は、ある日自宅で倒れ、気がつくと異世界転生をしていた。
神からの定番の啓示などもなく、戸惑いながらも優しい家族の元で過ごせたのは良かったが……。
どうやら、食料事情がよくないらしい。
俺自身が美味しいものを食べたいし、大事な家族のために何とかしないと!
そう思ったアレスは、あの手この手を使って行動を開始するのだった。
これは孤独だった者が家族のために奮闘したり、時に冒険に出たり、飯テロしたり、もふもふしたりと……ある意味で好き勝手に生きる物語。
しかし、それが意味するところは……。
ICHIZU~とあるコーギー犬の想い~
花田 一劫
児童書・童話
ママちゃん大好きなコーギー犬のラム。「ハアッ・ハアッ」ラムの犬生が終わろうとしていた。ラムの苦しさが無くなったが、それはあの世の世界だった。ラムはそれを知らずにママちゃんを探した。 そこに津軽弁で話す神と思われるケヤグ(仲間)が現れた。神の力でラムはママちゃんに会えるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる