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9 交渉成立
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ユリウスと見つめ合っていたのは、すごく長い時間だったような気がする。けれど本当はほんの一瞬だったのだろう。
「……そ、そんなの、そんなこと言われても。知らないですよ、宮中の中で起こっている政権争いなんて、私に関係ない」
「…」
「私を巻き込まないでください。家に帰して!」
突然、目の前に広がった黒い世界。サーシャは崩れそうになるのを必死で堪えた。そんなサーシャを見て、ハリオが表情を歪める。
けれど、ユリウスはただ、まっすぐサーシャを見ているだけだった。ハリオのように表情を変えてくれれば、まだ、よかった。けど、目の前のユリウスは、眉毛一つ動かさない。その様子が、余裕に見えて、苛立ちを大きくする。
「どうして、残れなんて言ったんですか!?どうして、さっき、マルカさんの前で、私といて幸せなんて、嘘をついたんですか!?」
怒鳴るように叫んだ。
「マルカ?…誰だ、それ」
「先ほど来たメイドです」
「そうか」
「それより、答えてください!どうして私を巻き込むんですか!?」
「都合がよかったから」
「…都合が…いい?」
サーシャの言葉にユリウスは頷いた。どこか自嘲的な笑みを浮かべる。
「俺は道化を演じなきゃいけない」
「…道化?」
「こいつについてもダメだと思わせる。そうしたら、誰も俺を利用しようなんて思わない。道化を演じるのに、お前の存在が都合がよかった」
平然と言ってのけるユリウスに、サーシャは怒りで顔を赤くする。
「そ、そんなの!そんなの、勝手にバカになればいいじゃないですか!どうしてそこに、私を巻き込むんですか!」
肩で息をしながら、ユリウスを睨む。ハリオも息を止めて、ユリウスの言葉を待った。
しんと静まる部屋。ユリウスは視線を逸らすことなく、サーシャを見据える。
「唯一無二だから」
静かな、でも芯に響く声だった。
外の風はまだ強いのに、この部屋だけが不自然なくらい静かだ。身体の体温がゆっくりと冷めていく気がした。
「この国どこを探しても、動物と話せる女はお前だけだ」
「…」
「お前に惚れている。だから、他が手につかない。そうと言って、何もしなければいい。恋愛事にうつつを抜かす王子なんか誰も必要としない」
「…」
「俺を懐柔しようと画策しても、動物と話せる女がいいと言えば、誰も、他を用意できない。そして、お前は扱いやすい」
「…扱い、やすい?」
「お前はどこにも属さない。貴族でもない。そして自分以外の誰かが傷つくのをよしとしないお人よしだ。それに、唯一無二でもある」
「だから、…便利、だと?だから、……利用する、と?」
「ああ」
言葉を偽らない、それが「冷たくて、優しい」ということなのだろうか。サーシャは自身の力が抜けるのがわかった。
本来なら怒りを抱くはずだ。けれど、サーシャはそれもできなかった。怒ればいいのか、悲しめばいいのか。自分の感情が掴めず、ただ、まっすぐにユリウスの大きな目を見ていた。
動物と話ができる、それは特殊なことだ。そんなことはわかっている。その力を悪用する人が現れる可能性だってわかっていた。だからこそ、ダリムはサーシャに人を紹介するとき、細心の注意を払ってくれていた。サーシャに会えるのは、本当に信頼できる人だけ。家にいるときは、森の動物たちがサーシャの護衛だった。だから、今まで、「動物と話ができる」ことで嫌な思いをしたことなどなかった。
身体が震えた。苦しくて、悔しくて、泣きたくなった。でも、絶対に泣くものかと拳に力を入れる。
『サーシャ!おはよ~』
場違いに明るい声で名前を呼ばれた。顔を上げれば、窓から入ってくるオース。その姿にひどく安心する。
「オース…」
『家のことすっかり忘れてたから、森の動物たちに任せてきたよ。悪い奴らが入りそうだったら、追っ払っておいてって』
「え?あ、森の動物たちに?そう。…ありがとう」
『…?どうしたの、サーシャ?もしかして、いじめられた?』
「…どうして?」
『だって、サーシャ、泣きそうな顔してる』
オースはサーシャの肩に止まった。そんなオースにサーシャは微苦笑を浮かべる。オースの黄色いくちばしを軽く撫でた。そして、静かに首を横に振る。
「泣かないよ。…絶対」
オースに頷いて、サーシャは顔をもう一度ユリウスに向けた。一つ大きく息を吸い、落ち着いた声で聞く。
「いつ、解放してくれますか?それに協力したら、何をしてくれますか?」
「あ?」
「王子の事情は分かりました。それに不本意ながら巻き込まれてしまったことも。それを嘆いても、何も変わらないことも。だから、次の約束をしてください」
「…肝が据わってるな、お前。嘆いても変わらない、と来たか」
「どれだけ泣いても、どれだけ叫んでも、どうにもならないことがこの世にあると、6年前に知りましたから」
「確か、両親を亡くしたんだったな」
「ええ」
「そうか。それは、…思い出させて悪かったな」
「いえ。忘れた日はないので」
記憶は薄れる。両親の声が、どんな声だったのか、もう今では思い出せない。両親がどんな風に笑っていたのか、写真を見なければもうわからない。けれど、両親のことを忘れた日はなかった。オースをはじめとする動物たちの声が聞こえるたびに、この力は両親が自分のために残してくれたものだと思うことができた。いつだって傍に両親の存在があった。
「…そうか」
「それより、どうなんですか?」
「帰すのは、兄上が無事に王位を継承したら。お前のメリットは、そうだな。ここにいる間、守ってやる。お前に傷一つつけない。それから、ここから出た後のお前の身の安全も保障しよう」
『ねぇ、何の話?』
話の内容を知らないオースが首を傾げる。
「この極悪王子の謀に巻き込まれたの」
「おい」
「本当の事でしょう?」
『大丈夫なの?』
「うん。対価はもらうわ。これは、仕事」
「ああ。そう思ってもらって構わない」
『サーシャがいいなら、僕はいいけど』
「…王子様、具体的に、私はいつ帰れますか?」
「早くて半年、長くて数年後」
つまり、いつになるのかわからないということだろう。正直な言葉にサーシャは考えるように口を閉じる。オースも同じように考え込んでいるとでもいうように首を傾げた。
「半年で何とかしてください。それ以上は、待ちません」
強い口調でそう言い切る。一秒たりとも譲る気はない。そんな意志を込め、ユリウスを見据える。
「サ、サーシャ様?それは、ちょっと…」
「それに、王子の想い人として過ごすつもりもありません。私はここでメイドとして働きます。そして、半年が経ったら出て行きます」
ユリウスの碧い瞳にサーシャが映る。ハリオがサーシャとユリウスを交互に見た。
「…」
どのくらいの時間が経っただろうか。すぐだったような気もするし、長い時間が経ったような気もする。ユリウスの口から吐かれたため息が、サーシャの耳に入った。
「見た目に寄らず、強情だな」
「…」
「わかった。半年で何とかしよう。ただし、こちらにも条件がある」
「条件?」
「メイドとして働くことはわかった。それを妨げることはしない。ただし、俺の傍で働け。俺が居なければ、ハリオ。ハリオが居なければライオンの傍にいろ。決して一人になるな。必要ならライオンを連れて歩いてもいい。お前の言葉ならきちんと聞くだろう?」
「…」
「それから寝起きは俺の隣の部屋でしろ。隠し扉がある。何かあればこちらの部屋に逃げ込んで来い」
「……そこまで特別扱いされれば、本当に王子様の大切な人みたいですね」
サーシャは皮肉を込めてそう言った。けれど、そんなサーシャの態度を気にすることなく、ユリウスは言葉を続けた。
「給料は払おう。仕事だからな」
「…」
『サーシャ、どうするの?』
「交渉成立、でいいか?」
言いたいことはまだ山ほどあった。殴りたい気持ちも収まってはいない。けれど、ユリウスが言った方法が今の状況から考えて一番双方にメリットがあるのだろうなとも思った。
風が再び窓を揺らす。ガタガタと音を立てた。サーシャは窓の外を見る。空は青く澄んでいるのに、風だけが強かった。
ぐるぐる頭の中を色んな思いが巡る。けれど、選べる答えなど1つしかない。だから、サーシャは一度息を吐く。まっすぐユリウスを見て、ゆっくり頷いた。
「交渉成立だな」
笑みを浮かべたユリウスが手を差し伸べた。サーシャも同じように手を伸ばす。握られた手のぬくもりは思いのほか温かかった。
「……そ、そんなの、そんなこと言われても。知らないですよ、宮中の中で起こっている政権争いなんて、私に関係ない」
「…」
「私を巻き込まないでください。家に帰して!」
突然、目の前に広がった黒い世界。サーシャは崩れそうになるのを必死で堪えた。そんなサーシャを見て、ハリオが表情を歪める。
けれど、ユリウスはただ、まっすぐサーシャを見ているだけだった。ハリオのように表情を変えてくれれば、まだ、よかった。けど、目の前のユリウスは、眉毛一つ動かさない。その様子が、余裕に見えて、苛立ちを大きくする。
「どうして、残れなんて言ったんですか!?どうして、さっき、マルカさんの前で、私といて幸せなんて、嘘をついたんですか!?」
怒鳴るように叫んだ。
「マルカ?…誰だ、それ」
「先ほど来たメイドです」
「そうか」
「それより、答えてください!どうして私を巻き込むんですか!?」
「都合がよかったから」
「…都合が…いい?」
サーシャの言葉にユリウスは頷いた。どこか自嘲的な笑みを浮かべる。
「俺は道化を演じなきゃいけない」
「…道化?」
「こいつについてもダメだと思わせる。そうしたら、誰も俺を利用しようなんて思わない。道化を演じるのに、お前の存在が都合がよかった」
平然と言ってのけるユリウスに、サーシャは怒りで顔を赤くする。
「そ、そんなの!そんなの、勝手にバカになればいいじゃないですか!どうしてそこに、私を巻き込むんですか!」
肩で息をしながら、ユリウスを睨む。ハリオも息を止めて、ユリウスの言葉を待った。
しんと静まる部屋。ユリウスは視線を逸らすことなく、サーシャを見据える。
「唯一無二だから」
静かな、でも芯に響く声だった。
外の風はまだ強いのに、この部屋だけが不自然なくらい静かだ。身体の体温がゆっくりと冷めていく気がした。
「この国どこを探しても、動物と話せる女はお前だけだ」
「…」
「お前に惚れている。だから、他が手につかない。そうと言って、何もしなければいい。恋愛事にうつつを抜かす王子なんか誰も必要としない」
「…」
「俺を懐柔しようと画策しても、動物と話せる女がいいと言えば、誰も、他を用意できない。そして、お前は扱いやすい」
「…扱い、やすい?」
「お前はどこにも属さない。貴族でもない。そして自分以外の誰かが傷つくのをよしとしないお人よしだ。それに、唯一無二でもある」
「だから、…便利、だと?だから、……利用する、と?」
「ああ」
言葉を偽らない、それが「冷たくて、優しい」ということなのだろうか。サーシャは自身の力が抜けるのがわかった。
本来なら怒りを抱くはずだ。けれど、サーシャはそれもできなかった。怒ればいいのか、悲しめばいいのか。自分の感情が掴めず、ただ、まっすぐにユリウスの大きな目を見ていた。
動物と話ができる、それは特殊なことだ。そんなことはわかっている。その力を悪用する人が現れる可能性だってわかっていた。だからこそ、ダリムはサーシャに人を紹介するとき、細心の注意を払ってくれていた。サーシャに会えるのは、本当に信頼できる人だけ。家にいるときは、森の動物たちがサーシャの護衛だった。だから、今まで、「動物と話ができる」ことで嫌な思いをしたことなどなかった。
身体が震えた。苦しくて、悔しくて、泣きたくなった。でも、絶対に泣くものかと拳に力を入れる。
『サーシャ!おはよ~』
場違いに明るい声で名前を呼ばれた。顔を上げれば、窓から入ってくるオース。その姿にひどく安心する。
「オース…」
『家のことすっかり忘れてたから、森の動物たちに任せてきたよ。悪い奴らが入りそうだったら、追っ払っておいてって』
「え?あ、森の動物たちに?そう。…ありがとう」
『…?どうしたの、サーシャ?もしかして、いじめられた?』
「…どうして?」
『だって、サーシャ、泣きそうな顔してる』
オースはサーシャの肩に止まった。そんなオースにサーシャは微苦笑を浮かべる。オースの黄色いくちばしを軽く撫でた。そして、静かに首を横に振る。
「泣かないよ。…絶対」
オースに頷いて、サーシャは顔をもう一度ユリウスに向けた。一つ大きく息を吸い、落ち着いた声で聞く。
「いつ、解放してくれますか?それに協力したら、何をしてくれますか?」
「あ?」
「王子の事情は分かりました。それに不本意ながら巻き込まれてしまったことも。それを嘆いても、何も変わらないことも。だから、次の約束をしてください」
「…肝が据わってるな、お前。嘆いても変わらない、と来たか」
「どれだけ泣いても、どれだけ叫んでも、どうにもならないことがこの世にあると、6年前に知りましたから」
「確か、両親を亡くしたんだったな」
「ええ」
「そうか。それは、…思い出させて悪かったな」
「いえ。忘れた日はないので」
記憶は薄れる。両親の声が、どんな声だったのか、もう今では思い出せない。両親がどんな風に笑っていたのか、写真を見なければもうわからない。けれど、両親のことを忘れた日はなかった。オースをはじめとする動物たちの声が聞こえるたびに、この力は両親が自分のために残してくれたものだと思うことができた。いつだって傍に両親の存在があった。
「…そうか」
「それより、どうなんですか?」
「帰すのは、兄上が無事に王位を継承したら。お前のメリットは、そうだな。ここにいる間、守ってやる。お前に傷一つつけない。それから、ここから出た後のお前の身の安全も保障しよう」
『ねぇ、何の話?』
話の内容を知らないオースが首を傾げる。
「この極悪王子の謀に巻き込まれたの」
「おい」
「本当の事でしょう?」
『大丈夫なの?』
「うん。対価はもらうわ。これは、仕事」
「ああ。そう思ってもらって構わない」
『サーシャがいいなら、僕はいいけど』
「…王子様、具体的に、私はいつ帰れますか?」
「早くて半年、長くて数年後」
つまり、いつになるのかわからないということだろう。正直な言葉にサーシャは考えるように口を閉じる。オースも同じように考え込んでいるとでもいうように首を傾げた。
「半年で何とかしてください。それ以上は、待ちません」
強い口調でそう言い切る。一秒たりとも譲る気はない。そんな意志を込め、ユリウスを見据える。
「サ、サーシャ様?それは、ちょっと…」
「それに、王子の想い人として過ごすつもりもありません。私はここでメイドとして働きます。そして、半年が経ったら出て行きます」
ユリウスの碧い瞳にサーシャが映る。ハリオがサーシャとユリウスを交互に見た。
「…」
どのくらいの時間が経っただろうか。すぐだったような気もするし、長い時間が経ったような気もする。ユリウスの口から吐かれたため息が、サーシャの耳に入った。
「見た目に寄らず、強情だな」
「…」
「わかった。半年で何とかしよう。ただし、こちらにも条件がある」
「条件?」
「メイドとして働くことはわかった。それを妨げることはしない。ただし、俺の傍で働け。俺が居なければ、ハリオ。ハリオが居なければライオンの傍にいろ。決して一人になるな。必要ならライオンを連れて歩いてもいい。お前の言葉ならきちんと聞くだろう?」
「…」
「それから寝起きは俺の隣の部屋でしろ。隠し扉がある。何かあればこちらの部屋に逃げ込んで来い」
「……そこまで特別扱いされれば、本当に王子様の大切な人みたいですね」
サーシャは皮肉を込めてそう言った。けれど、そんなサーシャの態度を気にすることなく、ユリウスは言葉を続けた。
「給料は払おう。仕事だからな」
「…」
『サーシャ、どうするの?』
「交渉成立、でいいか?」
言いたいことはまだ山ほどあった。殴りたい気持ちも収まってはいない。けれど、ユリウスが言った方法が今の状況から考えて一番双方にメリットがあるのだろうなとも思った。
風が再び窓を揺らす。ガタガタと音を立てた。サーシャは窓の外を見る。空は青く澄んでいるのに、風だけが強かった。
ぐるぐる頭の中を色んな思いが巡る。けれど、選べる答えなど1つしかない。だから、サーシャは一度息を吐く。まっすぐユリウスを見て、ゆっくり頷いた。
「交渉成立だな」
笑みを浮かべたユリウスが手を差し伸べた。サーシャも同じように手を伸ばす。握られた手のぬくもりは思いのほか温かかった。
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