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水を被った姿で、皇子に声をかけられるなんて思ってもみなかった。こんな姿で皇子宮をうろついていた事を咎められるだろうか。

「ごめんね、大丈夫かなと思っただけなんだ。そんなにかしこまらないで。」
「寛大なお心に感謝いたします。」

恐る恐る顔を上げると、跪く私と目を合わせるようにしてオリヴェンシアは微笑んでいた。リヒトヴァルクと顔はそっくりなのに、彼にはどこか温かみがあって、笑顔が良く似合う。

「ナターシャ、彼女に着替えと温かい湯を。」
「かしこまりました皇子。さ、ミュリエル嬢、こちらへ。」

宮の侍女長の制服を着ている夫人にオリヴェンシアは
声をかけると、私に着替えを寄越すように指示した。
言われるがままに私は侍女長に連れられ、湯につかり
着替えの服まで用意してもらった。

「ナターシャ、ミュリエル嬢の体調はどう?」
「ええ、身体を温められてからはお顔色もよくなりました。ただ…、」
「ただ?」
「ご令嬢のお身体のこと故皇子にはお伝えしにくいのですがその、手首に手形のようなアザがございまして。濡れているようで分かりにくかったのですが、頬も腫れておりました。」

オリヴェンシアと侍女長が何かを話している所に、
入って行っても良いのだろうか。内容はよく聞こえない。ただ、ナターシャの発言した内容にオリヴェンシアが眉を潜めているのが見えた。それをそーっと覗いていたのだが、カタンという物音を立ててしまう。

「!ああ、おかえり。暖まれたかな。」
「はい。あの、ありがとうございました。」
「伯爵家のご令嬢を濡れたまま歩かせるなんてこの宮の皇子として出来ないよ。リヒトの眷属になった子だよね。」
「はい。改めまして、ミュリエル・ディー・リオライトと申します。」

皇族の眷属となった者は、皇子の誕生花を胸に刺している。だから私がリヒトヴァルクの眷属であると気がついてくれたのだろうか。

「君の事は知っていたよ。座って。」
「失礼いたします。」
「それで、君をあんな風にしたのは離れの彼女なのかな?」

「離れの彼女」とは、恐らくヘレナの事だろう。
リヒトヴァルクとオリヴェンシアは双子であるから
宮が繋がっている。彼女の事を知らない訳はないか。
だが、ここではいそうですだなんて答えたら、あとが怖い。リヒトヴァルクはヘレナを大切そうにしていた。もし告げ口みたいな真似をしたら…、

「ええと、あの…。」 
「言い辛い事を聞いたかな。ごめん。」
「いえ!申し訳ありません殿下。」
「でも君の表情からしてそうなのだろうね。全く、兄には皆迷惑してるんだ。研究所じゃなくて女を連れ込む部屋の間違いじゃないのかって僕は思ってるけどね。」
「え」

優しい顔とは裏腹に、急に毒を吐き始めるからぽかん、としてしまう。いや確かに、でもその通りなのか…?

「皇子。」

ナターシャがおほん、と咳払いをした所でオリヴェンシアは「おっとこれは失敬。」と笑った。

「ご令嬢の前で下品だったかな。ごめんね。」
「いえ。やはり、リヒトヴァルク様とヘレナさんは恋仲なんですよね。」
「そうだよ。あんな歳の割に我儘な女性のどこがいいか分からないけどね。」
「皇子。」 
「おっとまただ。ごめんよ。」

ナターシャにまた注意を入れられて困り顔をして笑う彼に、つられて笑ってしまう。すると今度はオリヴェンシアがぽかんとしていた。

「かまいません、気分が良いので。」
「気分が良いときたか。これは面白い。」
「私だって誰にでもにこにこは出来ませんもの。」
「いい性格してるよ君。…リヒトヴァルクも皇子としてなんな適当やるなら僕にくれればよかったとのにね。別に僕だって皇帝になりたい訳じゃないけど、もうちょっと上手くやるさ。」

そうか、昨晩リヒトヴァルクが言っていた「王位継承権はあいつにやれば喜んだろうに」という"あいつ"とはオリヴェンシアの事だったのか。頬杖をつきながら笑う彼を見て、思わず考えてしまった。彼は下の人間にも高圧的な態度を取らないし、優しいように見えて笑える憎まれ口を叩けるくらいだ。侍女長の目線だって何だか息子を見ているような温かい眼差しをしている。こんな彼の事を嫌いだと言う人は、少なくないのではないだろうか。オリヴェンシアが言った通り、彼ならもっと上手くやれそうだから。

「オリヴェンシア殿下は、王位にご興味を示されなかったのですか?」

声に出してしまってから、ハッとして口を抑えた。
まずい、今のは完全に失言だった。

「申し訳ありませ…!」
「じゃあ君が、僕の眷属になってくれる?」
「え?」 

私に罪悪感を感じさせないための冗談だとおもった。
でも彼の眼差しも、表情もどこか真剣だったから、
なんと言ったら良いか分からなくなる。

「オリヴェンシア様…?」
「なんてね。ただの戯言さ、気にしないでくれ。」
「ああえっと…、はい。」
「さ、あんな女の事は放っておけばいいさ。部屋に戻って休むといい。」
「そうさせていただきます。今日はありがとうございました。」
「気にしないで。今度ハグのひとつでもしてくれたら…、」
「皇子。」
「ごめんなさい。」

また怒られてる、とクスりと笑って頭をもう一度下げて私は自室に戻った。そしてしばらく休んだ後、
リヒトヴァルクが公務から帰ってきたタイミングで 出迎えた。

「おかえりなさいませ。」
「…ヘレナは。」

ヘレナは?と聞かれましても、彼女は仮病だったので
世話をしていませんとは言えない。またぶたれるかもしれないから。貴方に構って欲しかっただけだったようです、とでも言っておくか?よくあんな子供みたいな女性が皇子研究なんて持ち込めたものだ。軽く関心して差し上げたい。

「私が看病する事が不快とおっしゃられましたので、彼女の申し付け通り出ていきました。」
「何…?おいミュリエル、手袋を取って手を出せ。」

疑問に思いながらも、主の言われた通りに手袋を外し、彼の前へ両手を出した。すると次の瞬間、手にビリビリとした痛みが走る。小さな鞭で、両手をぶたれた。まるで家庭教師が貴族の子供を躾けるような罰の与え方だ。

「あと9回だ。きちんと耐えろよ。」
「……はい。」

きちんと世話をしたと嘘をついても、ヘレナに聞けば私がすぐ出ていった事なんてばれる。そうしたらそうしたらで、同じ罰を受けただろう。昨日は頬をぶったから、今日は手袋で隠せる手か。姑息な、汚い真似をしてくるものだ。次からは水を投げられようが
ぶたれようが、その言葉通り彼女の世話をするしかないらしい。

「きちんと手袋で隠しておけ。」
「……。」
「おい、ご主人様の命には"はい"だろうが。」
顔を捕まれ、嫌な笑みを浮かべたリヒトヴァルクと
目が合う。

「言う事を聞かなければ次はその綺麗な顔をぶつぞ。いいな。」
「申しわけ、ありませんでした…。」

リヒトヴァルクが部屋を出て行ってから、ぼろぼろと
地面に涙を流した。その時、昼間オリヴェンシアが
言っていた事が頭に浮かぶ。「君が僕の眷属になってくれる?」と。

「そうであったら、どんなによかったんでしょうか…。」

私は泣き止むまで、そこを動けずにいた。


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