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戦勝の祝い
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公爵の執務室。
昨日まで父の領域であった一室に、ソーンはすでに私物を運び終えていた。豪奢な椅子と机はそのまま置いている。高価なだけあって質はいい。
幼い体躯には大きすぎる椅子の上で、ソーンは来客を迎える。傍にはジークヴァルドが控えていた。
「学士リーティア・フューディメイムが、ソーン公太子殿下に拝謁いたします」
部屋の中央で恭しく腰を折る年若い美女。翡翠の色彩を持つ長い髪と緋色の瞳。理知的な眼鏡。臙脂の法衣は、彼女が神職の出身であることを表している。
ソーンは彼女を一目した瞬間、息の詰まるような思いをした。
「楽にしてくれ」
動揺をおくびにも出さず、ソーンは笑みを作る。
それに対し、再び一礼するリーティア。
「この度はなによりもまず、お悔やみを申し上げます。と共に、戦勝のお祝いを述べたく存じます」
「ありがとうフューディメイム卿。お父上のことは残念だった。けれどデルニエール十万の民を守れたんだ。あの人も満足しているに違いない。僕は、魔族と勇敢に戦い抜いた父を誇りに思う」
「殿下のお言葉、天のお父君もさぞお喜びになっておられることでしょう」
「そう願うよ」
咳払いを漏らすソーン。社交辞令も早々に本題に入りたかった。
「時にフューディメイム卿。僕に話があると聞いた。あなたの軍にいる我らが英雄についてだと思うんだけど、どうだろう?」
「ご明察ですわ、殿下。英雄カイト・イセの此度の功績を踏まえた上で、彼の望みを叶えて頂きたく、お願いにあがりました」
「聞かせてくれ」
微笑むリーティアは、明晰な口調で声を紡ぐ。
「捕縛した敵将ソーニャ・コワールを、彼にお与えください」
「……思い切った申し出だね」
とはいえ、この嘆願を予想していなかったわけではない。だがあくまで希望的観測からくる可能性の一つとしてだ。実際に目の前で口にされると、ソーンは想像以上に頭を悩ませた。
普通、捕虜となった敵は最高指揮官がその処遇を決定する。この場合はソーンだ。何もなければ国王の許へ送るつもりだった。
聞けば、ソーニャ・コワールは治療中だという。殺すのではなく生け捕りにしたのは英雄の度量ゆえかと思っていたが、今は他の意図があるように思えてならない。
「それは彼の意向かい? どうして魔族なんかを欲しがるのか。まさかとは思うけど、あの魔性に誑かされた、なんてことはないよね?」
古来、英雄は色を好むと聞く。ソーンにはとんと理解できないが、男は美しい女を前にすると冷静な判断力を失うらしい。愚父もそうだった。
「ご安心ください殿下。そのような不埒な考え、彼には毛頭ございません」
「だったらどうして? 四神将は大きな脅威。生かして手元に置こうっていうのなら、それなりの理由がないと納得できないよ」
こう言ってはいるが、もちろん本音ではない。ソーンとしては一刻も早く厄介者をデルニエールから連れ出してほしかった。立場上おいそれと捕らえた敵将を与えられないだけだ。
そんな事情を知ってか知らずか、リーティアは優美な微笑を崩さない。
「ソーニャ・コワールは、魔王と親密な間柄のようです」
ぱちくりと、幼い瞳が瞬きする。
「そりゃ四神将だからそうなんだろうけどさ」
「いいえ。役職として近しい立場にいるという意味ではなく、お互いの心の距離が非常に近いということを申し上げております。わかりやすく友情と表現してもよろしいかと」
「友情? 個人主義の魔族が?」
鼻で笑いたい衝動を理性で抑制する。固定観念で思考を凝らせるのは浅慮の極み。魔族が策を用いた例も相俟って、リーティアの言には一考の余地があった。
「根拠はあるのかい?」
「我らが英雄カイト・イセの一撃によってソーニャ・コワールが死に瀕した時、彼女は魔王の名を呟いておりました。朦朧とした意識の中で、何度も」
それがどうしたというのか。
より力ある者に助けを求めるのはごく自然なことではあるまいか。
「ご想像なさってみて下さい。殿下が高熱でうなされているとして、うわ言を口にされるなら誰をお呼びになるでしょうか」
「うーん。考えたこともないな」
頭に浮かんだ答えを即座に口にせず、ソーンは思案の振りをする。
期せず口を開いたのはジークヴァルドだ。
「しばらく前に若が病に伏せられた際は、母君を呼んでおいででしたな」
「将軍」
せっかく言葉を濁したというのに、こうもはっきりと口にしてしまうとは。
「恥ずべきことではございませんぞ。若のご年齢ならば、母を求めるのは至極当然ゆえ」
「……かもね」
理解しているが、客人の前でそういうことを言われると子ども扱いされているようで癪だった。公太子としての威厳にも関わる。
幸い、リーティアの微笑みに揶揄するような色はない。
「不安や恐怖を感じた時、子は無意識に母を求めるものです。その本質は、真に信頼を寄せるよりどころの希求。それは力の大小ではなく、心のつながりによって決まるのではないでしょうか」
わからない話ではない。ソーンは額を押さえる。
声調や立ち振る舞いのせいだろうか。リーティアの言説には不思議な説得力があった。
昨日まで父の領域であった一室に、ソーンはすでに私物を運び終えていた。豪奢な椅子と机はそのまま置いている。高価なだけあって質はいい。
幼い体躯には大きすぎる椅子の上で、ソーンは来客を迎える。傍にはジークヴァルドが控えていた。
「学士リーティア・フューディメイムが、ソーン公太子殿下に拝謁いたします」
部屋の中央で恭しく腰を折る年若い美女。翡翠の色彩を持つ長い髪と緋色の瞳。理知的な眼鏡。臙脂の法衣は、彼女が神職の出身であることを表している。
ソーンは彼女を一目した瞬間、息の詰まるような思いをした。
「楽にしてくれ」
動揺をおくびにも出さず、ソーンは笑みを作る。
それに対し、再び一礼するリーティア。
「この度はなによりもまず、お悔やみを申し上げます。と共に、戦勝のお祝いを述べたく存じます」
「ありがとうフューディメイム卿。お父上のことは残念だった。けれどデルニエール十万の民を守れたんだ。あの人も満足しているに違いない。僕は、魔族と勇敢に戦い抜いた父を誇りに思う」
「殿下のお言葉、天のお父君もさぞお喜びになっておられることでしょう」
「そう願うよ」
咳払いを漏らすソーン。社交辞令も早々に本題に入りたかった。
「時にフューディメイム卿。僕に話があると聞いた。あなたの軍にいる我らが英雄についてだと思うんだけど、どうだろう?」
「ご明察ですわ、殿下。英雄カイト・イセの此度の功績を踏まえた上で、彼の望みを叶えて頂きたく、お願いにあがりました」
「聞かせてくれ」
微笑むリーティアは、明晰な口調で声を紡ぐ。
「捕縛した敵将ソーニャ・コワールを、彼にお与えください」
「……思い切った申し出だね」
とはいえ、この嘆願を予想していなかったわけではない。だがあくまで希望的観測からくる可能性の一つとしてだ。実際に目の前で口にされると、ソーンは想像以上に頭を悩ませた。
普通、捕虜となった敵は最高指揮官がその処遇を決定する。この場合はソーンだ。何もなければ国王の許へ送るつもりだった。
聞けば、ソーニャ・コワールは治療中だという。殺すのではなく生け捕りにしたのは英雄の度量ゆえかと思っていたが、今は他の意図があるように思えてならない。
「それは彼の意向かい? どうして魔族なんかを欲しがるのか。まさかとは思うけど、あの魔性に誑かされた、なんてことはないよね?」
古来、英雄は色を好むと聞く。ソーンにはとんと理解できないが、男は美しい女を前にすると冷静な判断力を失うらしい。愚父もそうだった。
「ご安心ください殿下。そのような不埒な考え、彼には毛頭ございません」
「だったらどうして? 四神将は大きな脅威。生かして手元に置こうっていうのなら、それなりの理由がないと納得できないよ」
こう言ってはいるが、もちろん本音ではない。ソーンとしては一刻も早く厄介者をデルニエールから連れ出してほしかった。立場上おいそれと捕らえた敵将を与えられないだけだ。
そんな事情を知ってか知らずか、リーティアは優美な微笑を崩さない。
「ソーニャ・コワールは、魔王と親密な間柄のようです」
ぱちくりと、幼い瞳が瞬きする。
「そりゃ四神将だからそうなんだろうけどさ」
「いいえ。役職として近しい立場にいるという意味ではなく、お互いの心の距離が非常に近いということを申し上げております。わかりやすく友情と表現してもよろしいかと」
「友情? 個人主義の魔族が?」
鼻で笑いたい衝動を理性で抑制する。固定観念で思考を凝らせるのは浅慮の極み。魔族が策を用いた例も相俟って、リーティアの言には一考の余地があった。
「根拠はあるのかい?」
「我らが英雄カイト・イセの一撃によってソーニャ・コワールが死に瀕した時、彼女は魔王の名を呟いておりました。朦朧とした意識の中で、何度も」
それがどうしたというのか。
より力ある者に助けを求めるのはごく自然なことではあるまいか。
「ご想像なさってみて下さい。殿下が高熱でうなされているとして、うわ言を口にされるなら誰をお呼びになるでしょうか」
「うーん。考えたこともないな」
頭に浮かんだ答えを即座に口にせず、ソーンは思案の振りをする。
期せず口を開いたのはジークヴァルドだ。
「しばらく前に若が病に伏せられた際は、母君を呼んでおいででしたな」
「将軍」
せっかく言葉を濁したというのに、こうもはっきりと口にしてしまうとは。
「恥ずべきことではございませんぞ。若のご年齢ならば、母を求めるのは至極当然ゆえ」
「……かもね」
理解しているが、客人の前でそういうことを言われると子ども扱いされているようで癪だった。公太子としての威厳にも関わる。
幸い、リーティアの微笑みに揶揄するような色はない。
「不安や恐怖を感じた時、子は無意識に母を求めるものです。その本質は、真に信頼を寄せるよりどころの希求。それは力の大小ではなく、心のつながりによって決まるのではないでしょうか」
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