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デルニエール攻防戦 二日目 魔王軍サイド②

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「なにあれ……?」

 ソーニャの視界に映るのは、地上から空へと立ち上る無数の灰と、それに混じる黒い粒子であった。
 一か所ではない。どこもかしこも同じ現象が生じている。風に乗って流れ、湯気のように大地を覆うそれは、眷属の成れの果て。原初の灰そのものであった。

「どういうことよ」

 つい先ほどまで、戦場では魔王の眷属が敵を圧倒していたはずだ。それなのに、目の前で夥しい量が死骸と化している。いま圧倒されているのは、明らかに魔王軍の方だった。

「ああそう。やっと来たってわけ」

 ソーニャは確信する。この異常事態は、ルークと互角に戦ったという人間の仕業だと。
 大地を蹴り飛ばし中空へ飛び上がると、迷うことなく飛空魔法を発動。戦場を見渡せる高度まで上昇する。
 老将軍への興味は既に失われていた。弱者など眼中にない。
 魔族の本能に刻まれた強者への好奇心。野放しにできぬという将の責任感。ソーニャの思考を満たしたのはその二つである。
 上空から戦場全域を見下ろす。ほとんどが舞い上がる灰に覆われ、地上を視認できない。元よりソーニャは視覚による索敵ではなく、敵の魔力を探知するつもりだった。ルークと斬り合う戦士であるならば、内包する魔力か、あるいは纏う強化魔法の強度が並外れているだろう。
 ところが、どれだけ集中してもそれらしき反応は見つからない。感じるのは有象無象の弱弱しい魔力と、それらをほんの少し上回る数個のみ。
 形のいい眉がぎゅっと寄せられる。ふと思い出したのは、モルディック砦で出会った魔力の感じられない罪人だ。惰弱の極みを体現したかのような男だったが、それでも魔力を持たない生物などありえない。ならば人間が魔力を隠蔽する術を手に入れたと考えるのが自然である。ソーニャは魔王に眷属の改良を進言したが、この状況では与えられた感覚器官も用を成さないだろう。
 仕方なくソーニャは、じっと目を凝らして戦場を観察するしかなかった。
 焦りを抑え、冷静に努める。灰の奥にうっすらと浮かぶ動きを見逃さないように。
 一刻も早く対処しなければ、眷属は瞬く間に殲滅されてしまうだろう。ルークならそれができる。当然、彼と張り合った人間にできないわけがない。

「見つけたっ……!」

 灰の壁を抜けて現れたのは、高速で疾駆する一両の戦車。十頭の馬に引かれる巨大で華やかな浮遊車両である。
 すぐさまソーニャは急降下を実行した。
 敵の中ではあれが最も大きな魔力を放っている。魔力を隠して上手く他の兵士に紛れ込んだつもりかもしれないが、あんな図体を晒せば意味がない。
 ソーニャの接近を感知したのだろう。戦車に搭載された色とりどりの魔石から、迎撃の攻撃魔法が槍衾となって発射された。青白く輝く強力な光線が、回避軌道を取ったソーニャの肌を掠めていく。

「甘いっての!」

 接近したソーニャの炎弾が、一発、二発、三発と戦車の屋根に着弾。豪快な爆炎をもって、車両の上半分を跡形もなく吹き飛ばした。車両と馬とを繋いでいる鎖は千切れ、戦馬は爆炎に煽られ半ば吹き飛ばされながら散り散りになって走り去っていった。
 敵に対応する隙を与えず、ソーニャは半壊した戦車に取りつく。 

「な、なん……なんだ貴様はぁっ!」

 搭乗していたのは、豪奢な黄金鎧に身を包んだ中年の男。脂ぎった顔が驚きと恐れでぐにゃぐにゃと変形している。

「こ、このっ! それ以上近寄るでない! 蛮族め!」

 男は剣を抜き、精一杯腕を伸ばして切っ先を突き付けてくる。

「なにこいつ」

 ほんの一時、ソーニャは呆気にとられた。
 ご立派な装備に比して、男の剣気はひどく矮小である。腰の引けた構えには戦場に立つ者の勇敢さなど欠片も感じられない。紛うことなき弱者の様相。将の威厳は皆無に等しい。

「ゴミじゃない」

 こんな男が例の戦士であるはずがない。一瞬でも勘違いした自分に腹が立つ。

「ゴ、ゴミだと! 貴様、私が誰かわかっておるのか! デルニエールの主、ロード・ティミドゥスであるぞ!」

「ふーん、あっそ」

 人間の肩書や地位などに興味はない。死ねば意味を失うものにいかほどの価値があろうか。

「我が兵士達よ! この無礼者を討ち取るのだ! 討ち取った者には褒美をやるぞ! 早くこの魔族を殺せ!」

「あのねぇ」

 呆れて物も言えない。どうやらこの男は、冷静とは最も無縁の場所に生きているようだ。

「周り、見てみたら?」

「なにを……」

 言われて初めて、男はきょろきょろと周辺を確認する。動力を失い減速していく戦車の上で、男はやっと自身の孤立に気付いたようだ。

「な、何事だ! 我が精兵達はどこに消えた!」

 舞い上がる灰の中ではぐれてしまったのか。はたまた別の理由か。
 いずれにしても、戦場の状況すら把握せず最前線に出てくるような男が有能な指揮官であるはずがない。いてもいなくても変わらない小物など、相手にする価値もないだろう。

「ま、大将は大将だし、いちおー殺しておきましょっか」

 都市の長が死んだとなれば、多少なりとも敵に動揺が走るはず。

「こ、このっ! 舐めるな小娘がっ!」

 男は無謀にもソーニャへと斬りかかった。拙く鈍重な剣筋。避けるまでもない。
 黄金で飾られた剣は相当な業物だろう。だが使い手がこれでは、華美なだけのなまくらだ。男の振るった刃はソーニャの肌を撫でたのみ。かすり傷一つつけること能わなかった。
 無様に過ぎる。これには憐れみすら抱けない。

「腰を抜かさなかっただけ褒めてあげるわ」

「ひっ――」

 ソーニャがひらりと手を振ると、迸った火炎が戦車を焼き払った。一瞬にも満たず、全ては破片すら残らず消滅する。爆風によって投げ出された男は、大地を転々として跳ね回り、煤けた土の上で動かなくなった。

「これでよしっと」

 まったく時間を無駄にしてしまった。この数十秒で、一体どれほどの眷属が葬られただろうか。再び上空まで到達し、改めて眼下を広く見渡す。灰の壁は厚いが、索敵に集中すれば微弱な魔力の反応を識別できるはずだ。
 そう。
 眷属の死骸は地表から舞い上がっている。だから、警戒すべき敵は地上にいるに違いない。
 それこそ、あまりにも迂闊な思い込みだった。
 背筋を這う悪寒。悔いた時にはもう遅い。
 真上に出現した死の気配が、ソーニャの全身を強かに叩いた。
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