108 / 152
失ってこそ
しおりを挟む
漆黒の鎧。その胸の中心が、粒子となって砕け散る。生まれた亀裂から黒々とした霧が流出し、虚空へと溶けていく。
しくじった。傷は浅い。鎧と肉体の表面をわずかに傷付けただけ。
覚悟はあった。踏み込みも十分に。だが折れた剣ゆえに間合いを見誤った。後の一切を捨てた乾坤一擲の一撃は、虚しくも失敗に終わったのだ。
カイトの体勢が崩れる。
戦いの主導権はルークの手に渡った。彼は大地を踏みしめると、カイトの腕にめり込む大剣を両手で握り締め、重厚な気合と共に容赦なく引き斬った。
飛散する鮮血。切断された左腕が、鈍い音を立て地に落ちる。
カイトの口から、言葉にならない悪態が吐き出された。止めどない出血。耐えがたい喪失感。耳元では死神の足音が響いている。手中にあった唯一の勝機が、左腕ごと奪われた。
「まだまだぁッ!」
それがどうした。カイトはさらに前へと進む。密着するような至近距離で、ほとんど体当たりのように突きを放つ。体が駄目なら頭だ。魔族だろうと弱点に違いない。
対してルークは大剣を巧みに操り、頭部への攻撃を防ごうと試みた。だが、あろうことかカイトの剣筋を読み違える。
左腕を失ったカイトは、自身の身体の重心を見失っていた。今まで通りの動きができず、理に適わない動きとなる。剣筋は乱れに乱れていた。だからこそ、意図せずしてルークの虚を衝いた。
上体をのけ反らせ回避に転じたルークであったが、カイトの剣はそれを許さない。漆黒の兜のこめかみ部分を、ごっそりと削り取っていく。めくれ上がるように開いた兜の亀裂からは、黒々とした魔力の粒子と、鮮やかな赤い血が飛び散った。
「あぁクソッ!」
再び勝機を見出したというのに、またも仕損じた。直撃していれば決着だったはずだ。
だったら次だ。次で決める。黒き瞳の灯は、勝利から遠ざかれば遠ざかるほど、死に近づけば近づくほど、いやましてその輝きを強めていく。
それに呼応するように、ルークの狂気的な哄笑が鼓膜を震わせた。
「この痛み! この恐怖! 感じるぞカイト! 俺は……生きているッ!」
「うるせぇッ!」
粗雑に振り下ろされた大剣を、折れた刃で受け止める。片腕を失った状態では鍔競りを維持できない。力比べはもう終わり。ここからは根性の勝負だ。
カイトはほとんど喚くような大声で、がむしゃらに剣を振り回す。体力が続く限り、意識がある限り、もう止まるつもりはない。
だが、聞こえてきたのはリーティアの悲痛な叫びだった。
「カイトさん! もう十分です! もうやめて!」
拮抗している今なら、まだ退くことができる。勝利は得ずとも、命を失わなくて済む。カイトは英雄だ。王国にとってなくてはならない存在。真の意味でそれを知るのは、ただリーティアのみ。だから止めたのだ。彼をここで死なせるわけにはいかないと。
「冗談! ここまで来て、引き下がれるかよッ!」
すでにカイトは聞く耳を持たない。彼もルーク同様、命を賭けた戦いに酔い潰れている。否、そうではない。リーティアより与えられた偉大な力と、その力を存分に振るう自分に酔っているのだ。最強の敵と互角に切り結び、英雄の役目を果たす。今だけは、思い描く理想の自分でいられる気がする。
断続する剣戟の響き。両者は雄叫びをあげ、互いに死を押し付け合う。
どちらかが死ぬまで終わることはない。いつしかそんな認識が、二人の間に暗黙の了解として横たわっていた。
だが、終幕は期せずして訪れる。
宵闇の上空から黒い火球が一閃。カイト目掛けて飛来した。
リーティアが瞠目する。伏兵。攻撃魔法。反応は間に合わない。カイトは攻撃魔法に対してあまりにも無力だ。かすっただけで、致命傷は免れない。
「カイトさん!」
リーティアは脇目も振らず駆け出していた。無意味と知りつつも、そうせずにはいられなかった。
無情にも、黒い火炎は一騎討ちの間に割って入る。眼前の敵に全神経を注ぐカイトが、よもや避けられるはずもない。
直撃。爆炎が膨張し、ルークとカイトを包み込む。
カイトの視界を埋め尽くす黒。何が起こったか理解できなかった。皮膚が焼かれるような痛みを覚え、反射的に顔を覆う。
おかしい。なんとなく状況を推測できたカイトは、自分が受けたダメージの小ささに疑念を抱いた。本来なら今頃消し炭になっているはずだ。魔族の攻撃魔法を受けて原型を保っていられるわけがない。ところが事実、魔法から散ったマナの影響をわずかに浴びるだけに留まっている。
「戦士の戦いに――」
ルークが吼える。
「――水を差すなシェリンッ!」
煤けた鎧の後背が、カイトの盾になっていた。
気合で爆炎を吹き飛ばしたルークは、攻撃魔法が飛来した上方を仰ぎ見る。その視線の先を、カイトも思わず追いかけた。
煌めく月を背に、白金の長髪を揺らす美女が宙に佇んでいる。その顔は無表情のようにも、あるいは激怒しているようにも見えた。
「こんの――」
カイトが考える間もなく、美女は一直線にルークへと急降下し、
「――バカーッ!」
罅割れた兜に全身全霊の膝蹴りを叩きこんだ。
耳を貫くような鈍い打撃音。ルークの巨体がぐらりと傾く。衝撃の余波がカイトにたたらを踏ませた。
シェリンと呼ばれた妙齢の美女は、転倒したルークの上に馬乗りになると、その胸倉を強かに掴み上げた。
「バッカじゃないの! 戦士とか決闘とか! 死んじゃったら、何の意味もないでしょーが!」
美しい白金の髪を振り乱して、シェリンは力強く訴える。
「こんなところであなたが死んだら、アーシィの想いはどうなるの! ネキュレーがどうしてあの人の死を受け入れないといけなかったか……まさか忘れたなんて言わないでしょうね!」
理性ある激昂であった。戦に酩酊していたルークの生命が、急速に酔いから醒めていく。
「シェリン……俺は」
自身よりはるかに小さな女に組み伏せられるルークを前に、カイトは呆気に取られるしかなかった。
しくじった。傷は浅い。鎧と肉体の表面をわずかに傷付けただけ。
覚悟はあった。踏み込みも十分に。だが折れた剣ゆえに間合いを見誤った。後の一切を捨てた乾坤一擲の一撃は、虚しくも失敗に終わったのだ。
カイトの体勢が崩れる。
戦いの主導権はルークの手に渡った。彼は大地を踏みしめると、カイトの腕にめり込む大剣を両手で握り締め、重厚な気合と共に容赦なく引き斬った。
飛散する鮮血。切断された左腕が、鈍い音を立て地に落ちる。
カイトの口から、言葉にならない悪態が吐き出された。止めどない出血。耐えがたい喪失感。耳元では死神の足音が響いている。手中にあった唯一の勝機が、左腕ごと奪われた。
「まだまだぁッ!」
それがどうした。カイトはさらに前へと進む。密着するような至近距離で、ほとんど体当たりのように突きを放つ。体が駄目なら頭だ。魔族だろうと弱点に違いない。
対してルークは大剣を巧みに操り、頭部への攻撃を防ごうと試みた。だが、あろうことかカイトの剣筋を読み違える。
左腕を失ったカイトは、自身の身体の重心を見失っていた。今まで通りの動きができず、理に適わない動きとなる。剣筋は乱れに乱れていた。だからこそ、意図せずしてルークの虚を衝いた。
上体をのけ反らせ回避に転じたルークであったが、カイトの剣はそれを許さない。漆黒の兜のこめかみ部分を、ごっそりと削り取っていく。めくれ上がるように開いた兜の亀裂からは、黒々とした魔力の粒子と、鮮やかな赤い血が飛び散った。
「あぁクソッ!」
再び勝機を見出したというのに、またも仕損じた。直撃していれば決着だったはずだ。
だったら次だ。次で決める。黒き瞳の灯は、勝利から遠ざかれば遠ざかるほど、死に近づけば近づくほど、いやましてその輝きを強めていく。
それに呼応するように、ルークの狂気的な哄笑が鼓膜を震わせた。
「この痛み! この恐怖! 感じるぞカイト! 俺は……生きているッ!」
「うるせぇッ!」
粗雑に振り下ろされた大剣を、折れた刃で受け止める。片腕を失った状態では鍔競りを維持できない。力比べはもう終わり。ここからは根性の勝負だ。
カイトはほとんど喚くような大声で、がむしゃらに剣を振り回す。体力が続く限り、意識がある限り、もう止まるつもりはない。
だが、聞こえてきたのはリーティアの悲痛な叫びだった。
「カイトさん! もう十分です! もうやめて!」
拮抗している今なら、まだ退くことができる。勝利は得ずとも、命を失わなくて済む。カイトは英雄だ。王国にとってなくてはならない存在。真の意味でそれを知るのは、ただリーティアのみ。だから止めたのだ。彼をここで死なせるわけにはいかないと。
「冗談! ここまで来て、引き下がれるかよッ!」
すでにカイトは聞く耳を持たない。彼もルーク同様、命を賭けた戦いに酔い潰れている。否、そうではない。リーティアより与えられた偉大な力と、その力を存分に振るう自分に酔っているのだ。最強の敵と互角に切り結び、英雄の役目を果たす。今だけは、思い描く理想の自分でいられる気がする。
断続する剣戟の響き。両者は雄叫びをあげ、互いに死を押し付け合う。
どちらかが死ぬまで終わることはない。いつしかそんな認識が、二人の間に暗黙の了解として横たわっていた。
だが、終幕は期せずして訪れる。
宵闇の上空から黒い火球が一閃。カイト目掛けて飛来した。
リーティアが瞠目する。伏兵。攻撃魔法。反応は間に合わない。カイトは攻撃魔法に対してあまりにも無力だ。かすっただけで、致命傷は免れない。
「カイトさん!」
リーティアは脇目も振らず駆け出していた。無意味と知りつつも、そうせずにはいられなかった。
無情にも、黒い火炎は一騎討ちの間に割って入る。眼前の敵に全神経を注ぐカイトが、よもや避けられるはずもない。
直撃。爆炎が膨張し、ルークとカイトを包み込む。
カイトの視界を埋め尽くす黒。何が起こったか理解できなかった。皮膚が焼かれるような痛みを覚え、反射的に顔を覆う。
おかしい。なんとなく状況を推測できたカイトは、自分が受けたダメージの小ささに疑念を抱いた。本来なら今頃消し炭になっているはずだ。魔族の攻撃魔法を受けて原型を保っていられるわけがない。ところが事実、魔法から散ったマナの影響をわずかに浴びるだけに留まっている。
「戦士の戦いに――」
ルークが吼える。
「――水を差すなシェリンッ!」
煤けた鎧の後背が、カイトの盾になっていた。
気合で爆炎を吹き飛ばしたルークは、攻撃魔法が飛来した上方を仰ぎ見る。その視線の先を、カイトも思わず追いかけた。
煌めく月を背に、白金の長髪を揺らす美女が宙に佇んでいる。その顔は無表情のようにも、あるいは激怒しているようにも見えた。
「こんの――」
カイトが考える間もなく、美女は一直線にルークへと急降下し、
「――バカーッ!」
罅割れた兜に全身全霊の膝蹴りを叩きこんだ。
耳を貫くような鈍い打撃音。ルークの巨体がぐらりと傾く。衝撃の余波がカイトにたたらを踏ませた。
シェリンと呼ばれた妙齢の美女は、転倒したルークの上に馬乗りになると、その胸倉を強かに掴み上げた。
「バッカじゃないの! 戦士とか決闘とか! 死んじゃったら、何の意味もないでしょーが!」
美しい白金の髪を振り乱して、シェリンは力強く訴える。
「こんなところであなたが死んだら、アーシィの想いはどうなるの! ネキュレーがどうしてあの人の死を受け入れないといけなかったか……まさか忘れたなんて言わないでしょうね!」
理性ある激昂であった。戦に酩酊していたルークの生命が、急速に酔いから醒めていく。
「シェリン……俺は」
自身よりはるかに小さな女に組み伏せられるルークを前に、カイトは呆気に取られるしかなかった。
0
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
異世界転生でチートを授かった俺、最弱劣等職なのに実は最強だけど目立ちたくないのでまったりスローライフをめざす ~奴隷を買って魔法学(以下略)
朝食ダンゴ
ファンタジー
不慮の事故(死神の手違い)で命を落としてしまった日本人・御厨 蓮(みくりや れん)は、間違えて死んでしまったお詫びにチートスキルを与えられ、ロートス・アルバレスとして異世界に転生する。
「目立つとろくなことがない。絶対に目立たず生きていくぞ」
生前、目立っていたことで死神に間違えられ死ぬことになってしまった経験から、異世界では決して目立たないことを決意するロートス。
十三歳の誕生日に行われた「鑑定の儀」で、クソスキルを与えられたロートスは、最弱劣等職「無職」となる。
そうなると、両親に将来を心配され、半ば強制的に魔法学園へ入学させられてしまう。
魔法学園のある王都ブランドンに向かう途中で、捨て売りされていた奴隷少女サラを購入したロートスは、とにかく目立たない平穏な学園生活を願うのだった……。
※『小説家になろう』でも掲載しています。
チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい
616號
ファンタジー
不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
Switch jobs ~転移先で自由気ままな転職生活~
天秤兎
ファンタジー
突然、何故か異世界でチート能力と不老不死を手に入れてしまったアラフォー38歳独身ライフ満喫中だったサラリーマン 主人公 神代 紫(かみしろ ゆかり)。
現実世界と同様、異世界でも仕事をしなければ生きて行けないのは変わりなく、突然身に付いた自分の能力や異世界文化に戸惑いながら自由きままに転職しながら生活する行き当たりばったりの異世界放浪記です。
【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】
その攻撃、収納する――――ッ!
【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。
理由は、マジックバッグを手に入れたから。
マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。
これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
転移した場所が【ふしぎな果実】で溢れていた件
月風レイ
ファンタジー
普通の高校2年生の竹中春人は突如、異世界転移を果たした。
そして、異世界転移をした先は、入ることが禁断とされている場所、神の園というところだった。
そんな慣習も知りもしない、春人は神の園を生活圏として、必死に生きていく。
そこでしか成らない『ふしぎな果実』を空腹のあまり口にしてしまう。
そして、それは世界では幻と言われている祝福の果実であった。
食料がない春人はそんなことは知らず、ふしぎな果実を米のように常食として喰らう。
不思議な果実の恩恵によって、規格外に強くなっていくハルトの、異世界冒険大ファンタジー。
大修正中!今週中に修正終え更新していきます!
迷宮転生記
こなぴ
ファンタジー
工事現場での事故に巻き込まれて死んでしまった明宮真人。目が覚めると暗闇だった。違和感を感じ体を調べるとなんとダンジョンに転生していた。ダンジョンに人を呼びこむために様々な工夫をほどこし盗賊に冒険者に精霊までも引きよせてしまう。それによりどんどん強くなっていく。配下を増やし、エルフに出会い、竜と仲良くなりスローライフをしながらダンジョンを成長させ、真人自身も進化していく。異世界迷宮無双ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる