74 / 152
デュールと入浴
しおりを挟む
その日の訓練を終える頃には、空に赤みが差していた。
今は束の間の休息。邸宅の風呂で熱い湯に身を浸している。広々とした石造りの大浴場は立ち上る湯気で満たされており、疲労困憊のカイトはぼうっと天井を仰いでいた。
長時間の立ち合い、走り込みによる疲れが全身の力を奪い去っている。ここまで疲れると、疲れたという言葉も出てこない。無気力な吐息だけがカイトの口から漏れていた。
「精魂尽き果てた、という感じだな。明日はさらに訓練の強度を上げるぞ。今はしっかりと休むといい」
「へい」
中肉中背のカイトに対し、デュールの肉体は筋骨隆々だ。浅黒い肌には多くの傷痕が刻まれ、幾多の修羅場をくぐってきたことを物語っている。
彼の鍛え上げられた肉体美を見て、いずれ自分もあのような逞しい体になれるのかと想像する。男として生まれた以上、カイトにも少なからず筋肉への憧れがあった。
「それにしても奇妙なものだな。そのタリスマンという代物は」
カイトの首にかけられたタリスマンをまじまじと見るデュール。
「マナ中毒を抑えるというが、一体どんな仕組みなんだ?」
「さぁ」
考えたこともなかった。異世界ならではの超自然的な魔法の力が云々ではないか。今のカイトにものを考える余力はなかった。
「まったく……だらしがない。疲れているのはわかるが、勇者として振る舞う努力を怠るな。今に君は、国中の注目を集める存在になるんだからな」
もっともだ。カイトに課せられた役目は、ただ魔王を倒すだけではなく、魔王に怯える人々に希望を与えることでもある。頼りなく情けない姿を晒すわけにはいかない。人に見られていない時こそ、勇者に相応しい立ち振る舞いを身に着けるべきだ。
といっても、流石に今は無理である。
「そろそろ僕は帰る。明日の日の出にまた来るから、しっかり体を休めておけ」
「あれ。デュールさんはここに住まないんでしたっけ」
「帰る家があるからな。妻と娘が待っている」
「ええ?」
ちょっとした驚きだった。クディカの副官であるということ以外、彼については何も知らなかったが、まさか妻子持ちだとは。
「なんかすみません。せっかく王都に帰ってこれたのに、俺に付き合ってもらって」
「気にすることはない」
それまで厳めしいだけだったデュールの表情が、ふと和らいだ。
「そもそも君に付き合わなければ、僕はまだデルニエールにいただろう。君には感謝しているくらいだ」
そう言ってもらえるとカイトの気も楽になる。他人の一家団欒を邪魔するのは流石に気が引ける。
「また明日な。溺れるなよ」
デュールは湯船から上がって浴場を出ていく。彼の背中はどことなく浮かれていて、家族に会えるのを心待ちにしているようだ。
一人になったカイトは、肩まで浸かった湯船の中で一段と大きな溜息を吐く。
家族か。
この世界に来てからこちら、頭の片隅にあっても考える余裕などなかった。いや、考えないようにしていた。亡くなったカイリばかり思い出したのも、元の世界に残してきた両親やもう一人の妹のことを考えるのが辛いからだ。
カイリに続き、カイトも死んだ。両親の悲しみを思うと、胸が締め付けられる。だがカイトにできることは何もない。異世界で生きているということを伝える手段もない。
だから、家族のことを考えるのはよそう。どれだけ彼らを想っても、もう遅いのだ。
割り切ったわけでも、開き直ったわけでもない。過去を戒めとして、これからこの世界を精一杯生きる。今のカイトにできるのはそれだけなのだから。
「よしっ」
頬を叩き、立ち上がる。体が悲鳴をあげてもかまうものか。これから魔王を倒そうというのに、疲労や筋肉痛に負けている場合ではない。
風呂から上がったカイトは、その足でリーティアの私室に向かった。
今は束の間の休息。邸宅の風呂で熱い湯に身を浸している。広々とした石造りの大浴場は立ち上る湯気で満たされており、疲労困憊のカイトはぼうっと天井を仰いでいた。
長時間の立ち合い、走り込みによる疲れが全身の力を奪い去っている。ここまで疲れると、疲れたという言葉も出てこない。無気力な吐息だけがカイトの口から漏れていた。
「精魂尽き果てた、という感じだな。明日はさらに訓練の強度を上げるぞ。今はしっかりと休むといい」
「へい」
中肉中背のカイトに対し、デュールの肉体は筋骨隆々だ。浅黒い肌には多くの傷痕が刻まれ、幾多の修羅場をくぐってきたことを物語っている。
彼の鍛え上げられた肉体美を見て、いずれ自分もあのような逞しい体になれるのかと想像する。男として生まれた以上、カイトにも少なからず筋肉への憧れがあった。
「それにしても奇妙なものだな。そのタリスマンという代物は」
カイトの首にかけられたタリスマンをまじまじと見るデュール。
「マナ中毒を抑えるというが、一体どんな仕組みなんだ?」
「さぁ」
考えたこともなかった。異世界ならではの超自然的な魔法の力が云々ではないか。今のカイトにものを考える余力はなかった。
「まったく……だらしがない。疲れているのはわかるが、勇者として振る舞う努力を怠るな。今に君は、国中の注目を集める存在になるんだからな」
もっともだ。カイトに課せられた役目は、ただ魔王を倒すだけではなく、魔王に怯える人々に希望を与えることでもある。頼りなく情けない姿を晒すわけにはいかない。人に見られていない時こそ、勇者に相応しい立ち振る舞いを身に着けるべきだ。
といっても、流石に今は無理である。
「そろそろ僕は帰る。明日の日の出にまた来るから、しっかり体を休めておけ」
「あれ。デュールさんはここに住まないんでしたっけ」
「帰る家があるからな。妻と娘が待っている」
「ええ?」
ちょっとした驚きだった。クディカの副官であるということ以外、彼については何も知らなかったが、まさか妻子持ちだとは。
「なんかすみません。せっかく王都に帰ってこれたのに、俺に付き合ってもらって」
「気にすることはない」
それまで厳めしいだけだったデュールの表情が、ふと和らいだ。
「そもそも君に付き合わなければ、僕はまだデルニエールにいただろう。君には感謝しているくらいだ」
そう言ってもらえるとカイトの気も楽になる。他人の一家団欒を邪魔するのは流石に気が引ける。
「また明日な。溺れるなよ」
デュールは湯船から上がって浴場を出ていく。彼の背中はどことなく浮かれていて、家族に会えるのを心待ちにしているようだ。
一人になったカイトは、肩まで浸かった湯船の中で一段と大きな溜息を吐く。
家族か。
この世界に来てからこちら、頭の片隅にあっても考える余裕などなかった。いや、考えないようにしていた。亡くなったカイリばかり思い出したのも、元の世界に残してきた両親やもう一人の妹のことを考えるのが辛いからだ。
カイリに続き、カイトも死んだ。両親の悲しみを思うと、胸が締め付けられる。だがカイトにできることは何もない。異世界で生きているということを伝える手段もない。
だから、家族のことを考えるのはよそう。どれだけ彼らを想っても、もう遅いのだ。
割り切ったわけでも、開き直ったわけでもない。過去を戒めとして、これからこの世界を精一杯生きる。今のカイトにできるのはそれだけなのだから。
「よしっ」
頬を叩き、立ち上がる。体が悲鳴をあげてもかまうものか。これから魔王を倒そうというのに、疲労や筋肉痛に負けている場合ではない。
風呂から上がったカイトは、その足でリーティアの私室に向かった。
0
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。
狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。
街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。
彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
異世界で穴掘ってます!
KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる