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魔王の名
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こんなことでは、続くデルニエールの攻略が思いやられる。
「ところで、もう一つお伝えしておきたいことがあるのですが」
話題を変えて少しでも暗いムードを払拭しようと、ソーニャは思い付きで口を開いた。
「モルディック砦に、魔力を持たない人間の男が捕らえられておりました」
「魔力を持たない? この世界にそんな人いるの?」
「あたしもそれなりに長く生きてはおりますが、魔力を持たない人間など見たことも聞いたこともありません。もちろん魔族にも、獣人にも」
「未知との遭遇ってやつだね。おもしろいじゃない。それのどこが問題なの?」
「その人間には魔王様の眷属が反応しなかったのです。何の抵抗もせず、一方的に斬られておしまいでした」
「そっか。そういえばそういう風に作ったっけ」
魔王の眷属は生物の形を模してはいるが、目や耳などの器官に働きはない。彼らにある唯一の感覚は、マナ及び魔力の感知能力。戦いにおいては人間の魔力を探知し襲いかかる。ただそれだけである。
「もし仮に、あれが人間の新しい術だとしたら、今のままではよろしくありませんわ」
「魔力を隠す方法を見つけたってこと?」
「それ以外には考えられません」
魔力とはマナである。マナが生物の内を循環する時、それは魔力となり生命力となる。マナとは、すべての生命の根源である。それを持たないということが何を意味するのか。そんな存在は、世界に矛盾を生じさせる。存在そのものがありえないのだから。
「ですから、魔王様にはあの子たちの改良をお願いしたいのです。こちらに被害が出る前に手を打っておきませんと」
「うん、わかった。次の子達は魔力以外を見分けられるようにしておくね」
「ありがとうございます」
ソーニャは今一度、両手を重ねた。具申を受け入れてくれた王への感謝をこめて。
それを見た魔王は、腕を組んでうーんと首を傾げていた。
「それにしてもソーニャちゃん、あいかわらずお固いよね。もっとフレンドリーにしてくれていいんだよ」
「そういうわけには。魔王様がよろしくても、他の者に示しがつきません」
「今は誰もいないでしょ。二人でいる時くらい楽にしなよ。壁を作られてるみたいでなんか寂しいしさ」
「ですが……」
「私はソーニャちゃんのこと、部下とか手下とかじゃなくてお友達だと思ってるよ?」
魔王は拗ねたように頬を膨らませ、ソーニャをじっと見つめていた。
そこでソーニャははたと気付く。彼女は、無理をしている。あえて無邪気に振る舞うことで、沈みきった自身の心を元気づけようとしているのだ。彼女の発言は間違いなく本心の吐露である。魔族の頂きに座すが故に、魔王は孤独だった。
「そこまで仰るのなら……わかりました。このソーニャ・コワール。今は四神将ではなく一人の女として、魔王様のお傍におりましょう」
魔王には大恩がある。彼女の孤独は誰よりも理解できる。世界でたった一人取り残されたかのような疎外感。魔王と出会う以前、ソーニャもまた同じ孤独の中にいたのだから。
少しでも魔王の心に寄り添えるのなら、形式ばった礼儀など捨て去るべきだ。
「そういうところがお固いって言ってるんだけどなぁ」
苦笑しながらも喜色を浮かべる魔王は、玉座を下りてソーニャの前に進み出た。
「と言われましても、具体的にどのようにすればよいものか」
魔王は、出会った時からすでに魔王であった。正確には、魔王に相応しい強大な魔力とあらゆる魔法の素養を有していた。力がそのままその者の価値と見なされる魔族の文化において、彼女は最初から魔王になるべくして生まれたといっても過言ではない。
「じゃあさ。魔王様じゃなくて、名前で呼んでほしいな。私だってソーニャちゃんって呼んでるんだから」
「名前、ですか?」
ぽかんと、ソーニャは目と口を丸くした。
「あ! その顔! もしかして私の名前おぼえてないなー!」
「そんなことはありません。ちゃんと覚えております」
忘れるものか。敬愛する恩人の名前なのだ。
「ホントにー? じゃあほら、呼んでみてよ。様とかいらないから。私がソーニャちゃんを呼んでるみたいに」
期待の眼差しを向けてくる魔王。ソーニャもなんとなく楽しくなっていた。友人との些細な戯れが、こんなに心安らぐものだとは思いもしなかった。
名を呼ぼうとして、やはり口を閉じ、むぐむぐと唇を動かしてから、ソーニャはようやく口を開いた。
「カ、カイリ……ちゃん?」
ぎこちなく、けれど心を込めて。
それを聞いた魔王は、相好を崩してソーニャの手を握った。
「もう一回!」
「カ、カイリちゃん」
「もっとはっきり!」
「カイリちゃん」
「もっと大きく!」
「カイリちゃんっ」
「最後にもっかい!」
「カイリちゃんっ!」
ソーニャの高い声が広大な大伽藍にこだまする。反響し何度も繰り返す自分の声を聞くのは、なんともむず痒い。
「えへへ。よくできました。これからはそう呼んでね?」
魔王の心は温かい。その熱はソーニャの胸にもしっかりと伝わっている。
配下を思いやり、敵の死を悼む。力を価値の基準とする魔族には珍しい気質だ。本当に魔族なのか疑わしくなるほどに。
カイリ・イセ。
それが、強く優しき魔王の名であった。
「ところで、もう一つお伝えしておきたいことがあるのですが」
話題を変えて少しでも暗いムードを払拭しようと、ソーニャは思い付きで口を開いた。
「モルディック砦に、魔力を持たない人間の男が捕らえられておりました」
「魔力を持たない? この世界にそんな人いるの?」
「あたしもそれなりに長く生きてはおりますが、魔力を持たない人間など見たことも聞いたこともありません。もちろん魔族にも、獣人にも」
「未知との遭遇ってやつだね。おもしろいじゃない。それのどこが問題なの?」
「その人間には魔王様の眷属が反応しなかったのです。何の抵抗もせず、一方的に斬られておしまいでした」
「そっか。そういえばそういう風に作ったっけ」
魔王の眷属は生物の形を模してはいるが、目や耳などの器官に働きはない。彼らにある唯一の感覚は、マナ及び魔力の感知能力。戦いにおいては人間の魔力を探知し襲いかかる。ただそれだけである。
「もし仮に、あれが人間の新しい術だとしたら、今のままではよろしくありませんわ」
「魔力を隠す方法を見つけたってこと?」
「それ以外には考えられません」
魔力とはマナである。マナが生物の内を循環する時、それは魔力となり生命力となる。マナとは、すべての生命の根源である。それを持たないということが何を意味するのか。そんな存在は、世界に矛盾を生じさせる。存在そのものがありえないのだから。
「ですから、魔王様にはあの子たちの改良をお願いしたいのです。こちらに被害が出る前に手を打っておきませんと」
「うん、わかった。次の子達は魔力以外を見分けられるようにしておくね」
「ありがとうございます」
ソーニャは今一度、両手を重ねた。具申を受け入れてくれた王への感謝をこめて。
それを見た魔王は、腕を組んでうーんと首を傾げていた。
「それにしてもソーニャちゃん、あいかわらずお固いよね。もっとフレンドリーにしてくれていいんだよ」
「そういうわけには。魔王様がよろしくても、他の者に示しがつきません」
「今は誰もいないでしょ。二人でいる時くらい楽にしなよ。壁を作られてるみたいでなんか寂しいしさ」
「ですが……」
「私はソーニャちゃんのこと、部下とか手下とかじゃなくてお友達だと思ってるよ?」
魔王は拗ねたように頬を膨らませ、ソーニャをじっと見つめていた。
そこでソーニャははたと気付く。彼女は、無理をしている。あえて無邪気に振る舞うことで、沈みきった自身の心を元気づけようとしているのだ。彼女の発言は間違いなく本心の吐露である。魔族の頂きに座すが故に、魔王は孤独だった。
「そこまで仰るのなら……わかりました。このソーニャ・コワール。今は四神将ではなく一人の女として、魔王様のお傍におりましょう」
魔王には大恩がある。彼女の孤独は誰よりも理解できる。世界でたった一人取り残されたかのような疎外感。魔王と出会う以前、ソーニャもまた同じ孤独の中にいたのだから。
少しでも魔王の心に寄り添えるのなら、形式ばった礼儀など捨て去るべきだ。
「そういうところがお固いって言ってるんだけどなぁ」
苦笑しながらも喜色を浮かべる魔王は、玉座を下りてソーニャの前に進み出た。
「と言われましても、具体的にどのようにすればよいものか」
魔王は、出会った時からすでに魔王であった。正確には、魔王に相応しい強大な魔力とあらゆる魔法の素養を有していた。力がそのままその者の価値と見なされる魔族の文化において、彼女は最初から魔王になるべくして生まれたといっても過言ではない。
「じゃあさ。魔王様じゃなくて、名前で呼んでほしいな。私だってソーニャちゃんって呼んでるんだから」
「名前、ですか?」
ぽかんと、ソーニャは目と口を丸くした。
「あ! その顔! もしかして私の名前おぼえてないなー!」
「そんなことはありません。ちゃんと覚えております」
忘れるものか。敬愛する恩人の名前なのだ。
「ホントにー? じゃあほら、呼んでみてよ。様とかいらないから。私がソーニャちゃんを呼んでるみたいに」
期待の眼差しを向けてくる魔王。ソーニャもなんとなく楽しくなっていた。友人との些細な戯れが、こんなに心安らぐものだとは思いもしなかった。
名を呼ぼうとして、やはり口を閉じ、むぐむぐと唇を動かしてから、ソーニャはようやく口を開いた。
「カ、カイリ……ちゃん?」
ぎこちなく、けれど心を込めて。
それを聞いた魔王は、相好を崩してソーニャの手を握った。
「もう一回!」
「カ、カイリちゃん」
「もっとはっきり!」
「カイリちゃん」
「もっと大きく!」
「カイリちゃんっ」
「最後にもっかい!」
「カイリちゃんっ!」
ソーニャの高い声が広大な大伽藍にこだまする。反響し何度も繰り返す自分の声を聞くのは、なんともむず痒い。
「えへへ。よくできました。これからはそう呼んでね?」
魔王の心は温かい。その熱はソーニャの胸にもしっかりと伝わっている。
配下を思いやり、敵の死を悼む。力を価値の基準とする魔族には珍しい気質だ。本当に魔族なのか疑わしくなるほどに。
カイリ・イセ。
それが、強く優しき魔王の名であった。
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