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玉座の上の魔王

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 魔王の玉座は、鉄の骨組みに木製の座板と背もたれがあるだけの簡素な造りである。玉座と呼ぶにはあまりにも粗末に思えた。
 玉座の前に辿り着いたソーニャは、豊満な胸の前で両の手を重ねた。右手の甲を左の掌で覆う形である。魔族の文化において、相手に敬意を示すときに用いられる数少ない礼儀の作法であった。

「四神将ソーニャ・コワールが、魔王様に拝顔いたします」

「うむ! 大儀である!」

 わざとらしく尊大を演じる魔王は、えっへんと言わんばかりに平べったい胸を反った。
 年若い見た目と仕草には、王の威厳など微塵も感じられない。しかしながら、その小さな身体には無尽蔵の魔力を秘めている。極めてアンバランスな存在だ。その事実を再認識して、ソーニャは何ともいえない気持ちになる。恐怖とも尊敬とも違う感情だ。例えるなら、優秀だが素行の幼い姉を持つ大人びた妹のような気分。ソーニャに姉妹はいないから、あくまで想像に過ぎないが。

「どうだった? モルディック砦は」

 質問を受け、ソーニャは姿勢を改めた。

「はい。拠点自体は問題なく無力化できました。損害については事前にお伝えした通り。眷属の多くを失いましたが、死傷者はゼロに抑えました」

「さすがだね。強くてかわいくてえっちぃ。三拍子揃ってる」
「お、恐れ入りますわ」

 強さも魅力も色気も誇れるほどには自覚しているが、いざ魔王に言葉にされると何故か恐縮してしまう。

「タイタニアがやられちゃったって聞いたけど、大丈夫だった?」

「申し訳ありません。人間にもそれなりの使い手が……いいえ、あたしが油断したせいで魔王様の大切な眷属を失ってしまいました。申し開きのしようもありません」

「そんなのはどうだっていいの。あの子たちはただの魔力の塊でしょ? 生きてるわけじゃないんだし、またいくらだって作れるんだから。私が聞きたいのは、ソーニャちゃんが怪我したり危ない目に遭わなかったかってこと」

 魔王は急に真面目な面持ちになると、心配そうにソーニャの見つめる。

「それは。ええ……この通りかすり傷一つありません」

「本当? 痛いところとか隠したりしてない?」

「もちろんですわ」

「それならよかった」

 魔王が浮かべた安堵の笑みに、ソーニャは後ろめたさを覚える。
 リーティアが放った最後の一撃はソーニャに少なくないダメージを負わせていた。致命傷には至らぬまでも、あのまま戦いを続けていたら結果はどうなっていたかわからない。いま無傷なのは、魔族特有の強い治癒力と治癒魔法のおかげだ。負傷したまま魔王に見えるのは四神将の恥である故に、急いで部下に治させたのだった。

「でも、無理はしちゃだめだよ。怪我したら元も子もないんだから」

「はい。心得ております」

 だから嫌なのだ。予想外の被害が出たり、負傷したりするのは。魔王に無用な心配をかけてしまう。

「それで……ソーニャちゃん。向こうの方はどうかな?」

 朗らかな表情から一転。魔王の顔に暗い影が差した。
 力ない微笑み。口元は笑っていても、その目は悲哀を湛えている。
 この質問をする時はいつもこうだ。こんな顔を見てしまったら、答える側の気分まで落ち込んでしまう。
 ソーニャは唇を湿らせて、静かに息を吸い込んだ。

「……人間側の被害は二百六十四。はっきりと死亡を確認した人数です。撤退中に命を落とした者を含めれば、おそらく三百近く」

「三百……」

 沈痛な面持ちで目を伏せる魔王。瞼をぎゅっと閉じ、滲みそうになる涙を堪えている。散っていった者達と、殺させてしまった者達への罪悪感。戦争を止めることのできない無力感と敗北感。ごちゃまぜになった負の感情が煮えたぎり、彼女の心を強く苛む。

「魔王様。死んだ人間を数えるのはもうおやめください。こんなことに何の意味があるのです」

 どんな小さな戦いでも、魔王は自軍のみならず敵軍の死傷者数にも気を配った。どちらの兵が死のうと、たった一人でも命を落とした者がいれば心を深く痛ませる。それは優しさなのか、甘さなのか、あるいは偽善なのか。ソーニャにはわからない。

「無用な感傷です。何を思われようと敵は敵。人間が魔王様に何をしたか、よもやお忘れではないでしょう」

 過去の忌々しい事件を思い出し、ソーニャは拳を握り締めた。
 華奢な両肩を震わせていた魔王は、袖で目元を拭うと、無理矢理作った明るい笑みを見せた。

「うん、ごめんね。ごめん」

「謝らないでくださいまし! あたしは――」

 ただ、魔王に傷付いて欲しくないだけだ。
 戦争になってしまった以上、勝つまで戦いをやめることはできない。だが敵を倒せば倒すほど、勝利すればするほどに、魔王の若い心は罅割れていった。それを指を咥えて見ていることしかできないもどかしさに、ソーニャは耐えられないのだ。

「わかってるよソーニャちゃん。全部、わかってる」

 少しだけ嬉しそうに、魔王は栗色の目を細めた。

「でもいいの。これは戒め。私が私でなくならないための、戒めだから」

「わかりません。あたしには」

「ありがとう。ソーニャちゃん」

 その感謝の言葉には、魔王の抱くあらゆる感情が含まれていた。
 何か言おうとして、ソーニャはもう何も言えなかった。
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