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①
夜空を見上げて
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「どうして急に幽霊なんか探そうと思ったんですか?」
帰路。河川敷にて、俺は尋ねた。
これまでも七緒の突拍子もない行動は多々あったが、幽霊などと言い出したのはこれが初めてだ。学校で噂を聞いたというが、それだけとは思えない。
「『あたたかな手』って、スイちゃん知ってる」
俺は首を横に振る。
「ネットでね、最近流行ってる小説なの。幽霊になった女の子のお話。ノンフィクションなんだって」
ネットで小説か。紙媒体で読んできた身としては、とっつきにくいものである。それはともかく。
幽霊になった女の子の話? しかもノンフィクションだって? それ、一体誰が書いているんだ?
突っ込みどころは色々とあるが、女子高生が好みそうな話だとは思う。七緒がそういうものに興味があるのには少々驚きだが、さて、それがどうなったら今回の幽霊探索に繋がるのだろう。
「でもね、ノンフィクションって嘘っぽいよね。だから、調査してみることにしたの」
「本当に幽霊かいるかどうかをですか?」
「うん。幽霊がいたら本当にノンフィクション。いなかったら嘘。タイミングよく噂が流れてたから、これはチャンスかも! って」
それで、結局見つからなかったってわけか。
七緒は悄然とした表情だ。いて欲しかったのだろう。単なる興味や娯楽としてではなく、その物語が真実であると信じたかったのだ。
「わかってたけど、ちょっと残念だな……」
七緒のこんな表情は久しぶりだった。いつも微笑んでいて、俺を和ませてくれる七緒。いつも一緒にいる俺にも、七緒がネガティブな様子を見せるのは何度とない。
繋いだ手から七緒の感情が伝わってくるようだ。幽霊否定派の俺までが、その感情を共有してしまう。それをどこかに飛ばしてしまいたくて、俺は握る手に力を込めた。
「スイちゃんの手、あったかいね」
囁くように言って、七緒は身を寄せてくる。夏なのだから温かいのは当然だ。むしろ熱いのではないか。それでも彼女は心地よさそうに目を閉じる。
ずれたことを言う七緒。子どものようにはしゃぐ七緒。俺の手を引いてくれる七緒。そんな彼女を、俺は愛しく思う。出会ってからずっと、俺は七緒に恋をしている。
いつまでこのままなのだろう。俺達の関係は、昔から何も変わっていない。このままズルズルと、この煮え切らない関係を続けるのか。
「スイちゃん?」
そんなのは、ごめんだ。
立ち止まった俺を、七緒は不思議そうに見て、俺の手を引っ張る。
「七緒」
温い風が頬を撫でる。仄かなシャンプーの香り。
七緒が唇を真一文字に結んだ。俺が今から何を言おうとしているのか、察したようだった。
「俺は――」
言う前に、七緒の人差し指が俺の唇に触れる。
思いがけない行動だった。俺の言葉は、そこで途切れてしまう。
「言わないで」
これ以上ないくらいに優しい声。
「私は、今のままがいい」
胸にナイフを突き立てられたようだった。
「七緒……」
「スイちゃんの気持ち、わかってる。わかってるつもりだよ? でもね、だからこそ私を見ないでほしいの」
七緒は首を振った。
「んーん、なんか違うね。なんて言えばいいのかな。えっとね……スイちゃんが私を見ちゃうとね、私達は私達しか見えなくなっちゃうでしょ? それって、良くないことだと思うの」
七緒が何を言っているのか、俺には理解できない。ショックで頭がうまく働いてくれなかった。
「だからスイちゃんには、前を向いていて欲しいの」
「何を」
「私はいつでもスイちゃんを、スイちゃんが向いてる方を見てるから」
俺の頭は混乱したままだ。七緒が何を言いたいのか。まったく理解が及ばない。
七緒は空いた手で俺の頬を撫でると、俺の眼鏡を器用に外した。俺の視力では、目の前の七緒の顔さえぼやけてしまう。
「恋人にはならない。私がおっけーするのは、プロポーズだけだよ」
七緒の唇が俺のそれに触れた。
こういう時は目を瞑るのがマナーなのだろうが、そんな余裕はなかった。七緒は目を閉じている。彼女の鼓動の速さは、寄せられた体から伝わった。
唇が離れて目が合うと、七緒ははにかんだように笑い、俺の胸に手を置いた。
「スイちゃん、顔まっかっか」
言われるまでもない。顔から火が出るとはまさにこのことだ。それは彼女も同じだった。
羞恥に赤面しながらも、俺達は決して顔を背けない。
段々と頭が冷えてきた。
七緒は、自分のことを見るなと言った。それはおそらく、互いに見つめあうのではなく、共に同じ方向を向いていたいということだろう。
共に歩んでいく、パートナーとして。
七緒の言いたいことは解る。納得もできる。
それでも。
少しくらい構わないだろう?
今この瞬間のように、お前だけを見る時間があっても。
「七緒」
彼女の泣きぼくろを指でなぞると、くすぐったそうに声を漏らす。
俺は七緒を抱き締め、半ば強引に唇を合わせた。
「ん……」
心臓が割れ鐘のように鳴っている。痛いほどに激しく。
再び離れた時、俺は嬉しさのあまりに表情が歪むのを感じた。
「ずっと、こうしたいと思っていました」
声が震えていた。
俺の言葉に、七緒はすっと顔を伏せる。
拒絶の意を表されたのかと、不安になる。
「――も」
囁きよりも小さい、消え入りそうな声。
「七緒?」
「私も」
囁くような声は、それでも何とか聞き取ることが出来た。
全身に張り巡らされた緊張の糸が解れたような気がした。七緒の背に回していた手が、ゆるゆると落ちる。
結局のところ、七緒にだって自分だけを見て欲しいという気持ちはあるのだ。いくら考えを巡らせたところで、その想いを消すことはできない。
安堵から、溜息にも似た笑いが漏れた。
「こういうのも、たまにはいいでしょう?」
七緒は顔を上げ俺の顔を見ると、頬を染めて恥ずかしそうに頷いた。
俺達は共に歩く。
今度は俺が彼女の手を引いて。
これからは俺も、七緒と一緒に空を見上げてみよう。
帰路。河川敷にて、俺は尋ねた。
これまでも七緒の突拍子もない行動は多々あったが、幽霊などと言い出したのはこれが初めてだ。学校で噂を聞いたというが、それだけとは思えない。
「『あたたかな手』って、スイちゃん知ってる」
俺は首を横に振る。
「ネットでね、最近流行ってる小説なの。幽霊になった女の子のお話。ノンフィクションなんだって」
ネットで小説か。紙媒体で読んできた身としては、とっつきにくいものである。それはともかく。
幽霊になった女の子の話? しかもノンフィクションだって? それ、一体誰が書いているんだ?
突っ込みどころは色々とあるが、女子高生が好みそうな話だとは思う。七緒がそういうものに興味があるのには少々驚きだが、さて、それがどうなったら今回の幽霊探索に繋がるのだろう。
「でもね、ノンフィクションって嘘っぽいよね。だから、調査してみることにしたの」
「本当に幽霊かいるかどうかをですか?」
「うん。幽霊がいたら本当にノンフィクション。いなかったら嘘。タイミングよく噂が流れてたから、これはチャンスかも! って」
それで、結局見つからなかったってわけか。
七緒は悄然とした表情だ。いて欲しかったのだろう。単なる興味や娯楽としてではなく、その物語が真実であると信じたかったのだ。
「わかってたけど、ちょっと残念だな……」
七緒のこんな表情は久しぶりだった。いつも微笑んでいて、俺を和ませてくれる七緒。いつも一緒にいる俺にも、七緒がネガティブな様子を見せるのは何度とない。
繋いだ手から七緒の感情が伝わってくるようだ。幽霊否定派の俺までが、その感情を共有してしまう。それをどこかに飛ばしてしまいたくて、俺は握る手に力を込めた。
「スイちゃんの手、あったかいね」
囁くように言って、七緒は身を寄せてくる。夏なのだから温かいのは当然だ。むしろ熱いのではないか。それでも彼女は心地よさそうに目を閉じる。
ずれたことを言う七緒。子どものようにはしゃぐ七緒。俺の手を引いてくれる七緒。そんな彼女を、俺は愛しく思う。出会ってからずっと、俺は七緒に恋をしている。
いつまでこのままなのだろう。俺達の関係は、昔から何も変わっていない。このままズルズルと、この煮え切らない関係を続けるのか。
「スイちゃん?」
そんなのは、ごめんだ。
立ち止まった俺を、七緒は不思議そうに見て、俺の手を引っ張る。
「七緒」
温い風が頬を撫でる。仄かなシャンプーの香り。
七緒が唇を真一文字に結んだ。俺が今から何を言おうとしているのか、察したようだった。
「俺は――」
言う前に、七緒の人差し指が俺の唇に触れる。
思いがけない行動だった。俺の言葉は、そこで途切れてしまう。
「言わないで」
これ以上ないくらいに優しい声。
「私は、今のままがいい」
胸にナイフを突き立てられたようだった。
「七緒……」
「スイちゃんの気持ち、わかってる。わかってるつもりだよ? でもね、だからこそ私を見ないでほしいの」
七緒は首を振った。
「んーん、なんか違うね。なんて言えばいいのかな。えっとね……スイちゃんが私を見ちゃうとね、私達は私達しか見えなくなっちゃうでしょ? それって、良くないことだと思うの」
七緒が何を言っているのか、俺には理解できない。ショックで頭がうまく働いてくれなかった。
「だからスイちゃんには、前を向いていて欲しいの」
「何を」
「私はいつでもスイちゃんを、スイちゃんが向いてる方を見てるから」
俺の頭は混乱したままだ。七緒が何を言いたいのか。まったく理解が及ばない。
七緒は空いた手で俺の頬を撫でると、俺の眼鏡を器用に外した。俺の視力では、目の前の七緒の顔さえぼやけてしまう。
「恋人にはならない。私がおっけーするのは、プロポーズだけだよ」
七緒の唇が俺のそれに触れた。
こういう時は目を瞑るのがマナーなのだろうが、そんな余裕はなかった。七緒は目を閉じている。彼女の鼓動の速さは、寄せられた体から伝わった。
唇が離れて目が合うと、七緒ははにかんだように笑い、俺の胸に手を置いた。
「スイちゃん、顔まっかっか」
言われるまでもない。顔から火が出るとはまさにこのことだ。それは彼女も同じだった。
羞恥に赤面しながらも、俺達は決して顔を背けない。
段々と頭が冷えてきた。
七緒は、自分のことを見るなと言った。それはおそらく、互いに見つめあうのではなく、共に同じ方向を向いていたいということだろう。
共に歩んでいく、パートナーとして。
七緒の言いたいことは解る。納得もできる。
それでも。
少しくらい構わないだろう?
今この瞬間のように、お前だけを見る時間があっても。
「七緒」
彼女の泣きぼくろを指でなぞると、くすぐったそうに声を漏らす。
俺は七緒を抱き締め、半ば強引に唇を合わせた。
「ん……」
心臓が割れ鐘のように鳴っている。痛いほどに激しく。
再び離れた時、俺は嬉しさのあまりに表情が歪むのを感じた。
「ずっと、こうしたいと思っていました」
声が震えていた。
俺の言葉に、七緒はすっと顔を伏せる。
拒絶の意を表されたのかと、不安になる。
「――も」
囁きよりも小さい、消え入りそうな声。
「七緒?」
「私も」
囁くような声は、それでも何とか聞き取ることが出来た。
全身に張り巡らされた緊張の糸が解れたような気がした。七緒の背に回していた手が、ゆるゆると落ちる。
結局のところ、七緒にだって自分だけを見て欲しいという気持ちはあるのだ。いくら考えを巡らせたところで、その想いを消すことはできない。
安堵から、溜息にも似た笑いが漏れた。
「こういうのも、たまにはいいでしょう?」
七緒は顔を上げ俺の顔を見ると、頬を染めて恥ずかしそうに頷いた。
俺達は共に歩く。
今度は俺が彼女の手を引いて。
これからは俺も、七緒と一緒に空を見上げてみよう。
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