67 / 74
アシュテネのローウェン 3/3
しおりを挟む
「死にかけた俺を救ってくれたのはお嬢だ。帝国貴族だとか、王子だとか。そんなこと関係なく、ただ俺の命を案じてくれた。だから俺は、一人の人間としてその真心に報いると決めた」
「セス、あなた」
剣を握るウィンスの拳に、一層の力が込められた。
「それが貴様の生き様だとでも言うつもりか」
彼の表情にもはや余裕はなく、声は怒りに打ち震えていた。
「ふざけるなよ。我らは一国の王子。もとより王になるべくして生まれた。臣を率いて民を導き、大地を富ませ国を安んずる。それこそ我らの天命であろう!」
ウィンスの声は道理と情熱、そして重大な責任感を帯びている。君主としてあるべき姿を説く心身には、紛うことなき名君の資質が備わっていた。
セスは自らを戒めるように固く目を閉じて、拳を握り締める。
「俺だって、祖国の再興を夢見る時がなかったわけじゃない。栄華の玉座に想いを馳せたことだってある。復讐に心奪われた時もあったし、富と名声に囲まれて思いのままに権力を振るう未来に憧れなかったと言えば嘘になる」
「ならば!」
「けどさ。アシュテネ王の後継がそんな心で務まるのか。父さんのような偉大な王様になれるのか」
王は勇敢であった。何者も恐れぬ勇気があった。
誰よりも慈悲深く、故に誰より厳しくあり。
国は光に満ちていた。空には虹が架かっていた。
戦乱を最も憂い、最も民を慮ったのは、他でもない王であった。
「お嬢を見捨てたら、一番怒るのは父さんだ」
アシュテネは敗戦し、王子ローウェンは流離した。孤独から始まった度重なる試練の中で、濁った人間社会と、その中で敢然と輝く人の優しさに触れた。絶望と憎悪で塗り潰されていた時、父の背中をふと思い出したのだ。
自分が何をすべきなのか。父は既に教えてくれていた。
「あんたの志がどれだけ立派でも、こればっかりは譲れない。お嬢は返してもらう」
「そんな小娘、もはやどうでもよい!」
滲む虹色。湧き上がる真紅。
「貴様のその腑抜けた根性が……許せないんだよ!」
セスもウィンスもとうに分かっていた。これ以上の問答は無用。互いに譲れない一線がせめぎあっているのだから。
ウィンスは足下にあったフェルメルトの剣を拾い上げ、セスに向かって突進した。
真紅の魔力にそれまでの力強さはない。強い怒りと意志のみを頼みに、ウィンスは文字通り最後の力を振り絞る。
消耗したセスもまた、気力と体力を一滴残らず出し尽くした。
二度、三度。剣が光を散らす。四度目の剣戟が、二人の手から剣を弾き飛ばした。
「まだだ!」
ウィンスは短剣を抜き、腰だめにしてセスに突進する。渾身、捨て身の一撃。
これにはセスも意表を衝かれた。反応に足る集中力は、既に途切れていた。
真紅の魔力に彩られた短剣が身体に届く寸前で、セスはその刃を握って止める。刃を握った手は七色に彩られているが、出血は避けられない。
「絶対に負けん……貴様だけには!」
ウィンスは更に力を込めて、身体を押し出す。
堪らずセスは、空いた拳でウィンスの顔面を思い切り殴り飛ばした。
「一からやり直せ。お前も!」
ウィンスが大きく仰け反り、その手から短剣が離れる。
「やり直すことなどできん!」
真紅の拳打が、セスの頬を叩き飛ばした。
「命ある限り、この道を征くと決めたのだ!」
もはや剣士の戦いではない。力任せに拳を振り回す様は、あたかも幼子の喧嘩であった。拳が身体を打つ度に、呻き、踏ん張り、負けじと拳を放つ。
「だったら」
だが、無手での戦いにはセスに一日の長がある。剣闘士時代、武器のない状況など珍しくもなかった。体に染みついた戦いの記憶が、ウィンスの打突を鮮やかにいなす。
固く握った拳が、一度二度、激しく七色に明滅した。
「一回死んでみろ! ウィンス・ケイルレス!」
虹光が閃く。拳は光芒を牽いて、ウィンスの身体のど真ん中を打ち貫いた。
セスは掠れた呻きを聞く。静寂と共に、戦いの動きが止まっていた。
群青の鎧に網目状の亀裂が走り、全身に伝播して粉々に砕け散る。セスの拳に纏われた七色の光は、ウィンスを守る真紅の魔力と分厚い鎧を貫いて強かな衝撃を与えていた。
弾かれて宙高く舞っていた二振りの剣が、ようやく床に突き立つ。
ウィンスの口から、血しぶきが舞った。
「ローウェン……!」
彼は力なく、その場に倒れ伏す。
訪れる静寂。決着だ。
振り返ると、シルキィが尻もちをついて座り込んでいる。露わになった白い脚とスカートの中に視線が吸い寄せられて、セスは目を泳がせた。
シルキィが慌てて座り直す。頬を紅潮させて俯くシルキィに歩み寄ると、その小さな手を取って立ち上がらせた。
「きゃっ」
セスに抱き寄せられたシルキィは小さな悲鳴だけを漏らして、あとは何の抗議も口にしなかった。安堵と、胸の高鳴りの両方が訪れて、シルキィは静かに目を閉じる。
ほとんど倒壊状態の大聖堂において、不思議なことにアイギス像には傷一つついていなかった。勝利の女神は、セス達に優しく微笑んでいるようにも見える。
星の夜天に、輝く虹が架かっていた。
「セス、あなた」
剣を握るウィンスの拳に、一層の力が込められた。
「それが貴様の生き様だとでも言うつもりか」
彼の表情にもはや余裕はなく、声は怒りに打ち震えていた。
「ふざけるなよ。我らは一国の王子。もとより王になるべくして生まれた。臣を率いて民を導き、大地を富ませ国を安んずる。それこそ我らの天命であろう!」
ウィンスの声は道理と情熱、そして重大な責任感を帯びている。君主としてあるべき姿を説く心身には、紛うことなき名君の資質が備わっていた。
セスは自らを戒めるように固く目を閉じて、拳を握り締める。
「俺だって、祖国の再興を夢見る時がなかったわけじゃない。栄華の玉座に想いを馳せたことだってある。復讐に心奪われた時もあったし、富と名声に囲まれて思いのままに権力を振るう未来に憧れなかったと言えば嘘になる」
「ならば!」
「けどさ。アシュテネ王の後継がそんな心で務まるのか。父さんのような偉大な王様になれるのか」
王は勇敢であった。何者も恐れぬ勇気があった。
誰よりも慈悲深く、故に誰より厳しくあり。
国は光に満ちていた。空には虹が架かっていた。
戦乱を最も憂い、最も民を慮ったのは、他でもない王であった。
「お嬢を見捨てたら、一番怒るのは父さんだ」
アシュテネは敗戦し、王子ローウェンは流離した。孤独から始まった度重なる試練の中で、濁った人間社会と、その中で敢然と輝く人の優しさに触れた。絶望と憎悪で塗り潰されていた時、父の背中をふと思い出したのだ。
自分が何をすべきなのか。父は既に教えてくれていた。
「あんたの志がどれだけ立派でも、こればっかりは譲れない。お嬢は返してもらう」
「そんな小娘、もはやどうでもよい!」
滲む虹色。湧き上がる真紅。
「貴様のその腑抜けた根性が……許せないんだよ!」
セスもウィンスもとうに分かっていた。これ以上の問答は無用。互いに譲れない一線がせめぎあっているのだから。
ウィンスは足下にあったフェルメルトの剣を拾い上げ、セスに向かって突進した。
真紅の魔力にそれまでの力強さはない。強い怒りと意志のみを頼みに、ウィンスは文字通り最後の力を振り絞る。
消耗したセスもまた、気力と体力を一滴残らず出し尽くした。
二度、三度。剣が光を散らす。四度目の剣戟が、二人の手から剣を弾き飛ばした。
「まだだ!」
ウィンスは短剣を抜き、腰だめにしてセスに突進する。渾身、捨て身の一撃。
これにはセスも意表を衝かれた。反応に足る集中力は、既に途切れていた。
真紅の魔力に彩られた短剣が身体に届く寸前で、セスはその刃を握って止める。刃を握った手は七色に彩られているが、出血は避けられない。
「絶対に負けん……貴様だけには!」
ウィンスは更に力を込めて、身体を押し出す。
堪らずセスは、空いた拳でウィンスの顔面を思い切り殴り飛ばした。
「一からやり直せ。お前も!」
ウィンスが大きく仰け反り、その手から短剣が離れる。
「やり直すことなどできん!」
真紅の拳打が、セスの頬を叩き飛ばした。
「命ある限り、この道を征くと決めたのだ!」
もはや剣士の戦いではない。力任せに拳を振り回す様は、あたかも幼子の喧嘩であった。拳が身体を打つ度に、呻き、踏ん張り、負けじと拳を放つ。
「だったら」
だが、無手での戦いにはセスに一日の長がある。剣闘士時代、武器のない状況など珍しくもなかった。体に染みついた戦いの記憶が、ウィンスの打突を鮮やかにいなす。
固く握った拳が、一度二度、激しく七色に明滅した。
「一回死んでみろ! ウィンス・ケイルレス!」
虹光が閃く。拳は光芒を牽いて、ウィンスの身体のど真ん中を打ち貫いた。
セスは掠れた呻きを聞く。静寂と共に、戦いの動きが止まっていた。
群青の鎧に網目状の亀裂が走り、全身に伝播して粉々に砕け散る。セスの拳に纏われた七色の光は、ウィンスを守る真紅の魔力と分厚い鎧を貫いて強かな衝撃を与えていた。
弾かれて宙高く舞っていた二振りの剣が、ようやく床に突き立つ。
ウィンスの口から、血しぶきが舞った。
「ローウェン……!」
彼は力なく、その場に倒れ伏す。
訪れる静寂。決着だ。
振り返ると、シルキィが尻もちをついて座り込んでいる。露わになった白い脚とスカートの中に視線が吸い寄せられて、セスは目を泳がせた。
シルキィが慌てて座り直す。頬を紅潮させて俯くシルキィに歩み寄ると、その小さな手を取って立ち上がらせた。
「きゃっ」
セスに抱き寄せられたシルキィは小さな悲鳴だけを漏らして、あとは何の抗議も口にしなかった。安堵と、胸の高鳴りの両方が訪れて、シルキィは静かに目を閉じる。
ほとんど倒壊状態の大聖堂において、不思議なことにアイギス像には傷一つついていなかった。勝利の女神は、セス達に優しく微笑んでいるようにも見える。
星の夜天に、輝く虹が架かっていた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
【前編完結】50のおっさん 精霊の使い魔になったけど 死んで自分の子供に生まれ変わる!?
眼鏡の似合う女性の眼鏡が好きなんです
ファンタジー
リストラされ、再就職先を見つけた帰りに、迷子の子供たちを見つけたので声をかけた。
これが全ての始まりだった。
声をかけた子供たち。実は、覚醒する前の精霊の王と女王。
なぜか真名を教えられ、知らない内に精霊王と精霊女王の加護を受けてしまう。
加護を受けたせいで、精霊の使い魔《エレメンタルファミリア》と為った50のおっさんこと芳乃《よしの》。
平凡な表の人間社会から、国から最重要危険人物に認定されてしまう。
果たして、芳乃の運命は如何に?
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
僕の兄上マジチート ~いや、お前のが凄いよ~
SHIN
ファンタジー
それは、ある少年の物語。
ある日、前世の記憶を取り戻した少年が大切な人と再会したり周りのチートぷりに感嘆したりするけど、実は少年の方が凄かった話し。
『僕の兄上はチート過ぎて人なのに魔王です。』
『そういうお前は、愛され過ぎてチートだよな。』
そんな感じ。
『悪役令嬢はもらい受けます』の彼らが織り成すファンタジー作品です。良かったら見ていってね。
隔週日曜日に更新予定。
元四天王は貧乏令嬢の使用人 ~冤罪で国から追放された魔王軍四天王。貧乏貴族の令嬢に拾われ、使用人として働きます~
大豆茶
ファンタジー
『魔族』と『人間族』の国で二分された世界。
魔族を統べる王である魔王直属の配下である『魔王軍四天王』の一人である主人公アースは、ある事情から配下を持たずに活動しいていた。
しかし、そんなアースを疎ましく思った他の四天王から、魔王の死を切っ掛けに罪を被せられ殺されかけてしまう。
満身創痍のアースを救ったのは、人間族である辺境の地の貧乏貴族令嬢エレミア・リーフェルニアだった。
魔族領に戻っても命を狙われるだけ。
そう判断したアースは、身分を隠しリーフェルニア家で使用人として働くことに。
日々を過ごす中、アースの活躍と共にリーフェルニア領は目まぐるしい発展を遂げていくこととなる。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
筑豊国伝奇~転生した和風世界で国造り~
九尾の猫
ファンタジー
亡くなった祖父の後を継いで、半農半猟の生活を送る主人公。
ある日の事故がきっかけで、違う世界に転生する。
そこは中世日本の面影が色濃い和風世界。
しかも精霊の力に満たされた異世界。
さて…主人公の人生はどうなることやら。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる