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アシュテネのローウェン 1/3
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人は死の間際、それまでの人生を思い返すというが、この時セスの脳裏に強く浮かび上がったのは、初めてシルキィと出会った五年前の記憶だった。アシュテネ王都陥落の直後、ラ・シエラ領に忍ぶように逃走した折のことである。
「セス……」
全身を包む温かな感覚からは、優しく抱かれるような母性を感じる。死に引きずり込まれる苦痛と恐怖を、全て覆って消し去ってくれる。
「セス……!」
かつて、避けられない死の宿命から救い出してくれた少女。その慈悲と恩に報いんと今まで生き永らえてきた。だが、攫われたシルキィを救い出すこともできず、むしろまた自分が彼女に助けられようとしている。これほど口惜しいことはない。けれど、彼女が自分の身を案じてくれていることがどうしようもなく嬉しい。
「ねぇ、起きて」
シルキィの泣き声が、自分を呼ぶ声が、徐々に大きくなっている。ぼやけていた幼げな泣き顔が、次第に鮮明になっていく。遠くなっていた耳と曖昧な視界が、次第に回復しつつある。
深く刻まれた全身の傷が癒えていく。四肢の力が蘇り、身体が浮かび上がるような錯覚すらある。シルキィが放つ暴走寸前の魔力は、死の最中にいたセスの手を優しく引っ張り上げてくれた。
「起きてったら」
ただ彼女に会えたことが、どうしようもなく嬉しくて。
「お願いだから……目を覚ましてよ!」
それは奇跡か。あるいは禁忌か。
涙に濡れるシルキィの頬を、セスの指先が撫でた。
シルキィを中心に巻き上がっていた青白い魔力。光の竜巻とも見紛うそれに、一つ、二つ、虚空に渦巻いていた異なる色彩が混ざっていく。幾つもの色が生まれ、混ざり合い、やがて光は七色となって輝きを放つ。
猛り狂う虹色の奔流が礼拝堂の壁を叩き、拡がり、途端に弾けて粒子となった。きらきらと光る粒子の雨は、おおよそ人が生み出したものとは思えぬほど幻想的な現象と言えよう。七色の粒はゆっくりと吸い寄せられるようにセスの体に集まり、やがて静かに消えていった。
魔力の渦に煽られたシルキィがその目を開いた時、そこに力強い背中を見る。
全身に七色の燐光を纏い、黒かった髪は白く染まり、一振りの剣を握り締めて。
「セス……?」
「お嬢」
シルキィを背に、確かに聳立するセスは、
「ありがとう」
溢れんばかりの想いを、たった一言に込めた。
愕然としたのはシルキィだけではない。勝利を確信したウィンスと、一度は失望したフェルメルトも、これ以上ないほどの驚愕の中にいた。死者を蘇生したシルキィの魔法も十分驚倒に値するものだが、今はなによりセスの纏う虹の輝きに対して、彼らはまさに言葉を失っていた。
偶然ではない。七色の魔力は、虹の国アシュテネの正統王位継承者のみが纏う唯一無二のもの。自身の肉体にそれを纏うセスが何者であるか。あえて尋ねるまでもなかった。
「貴様……貴様が!」
最初に口を開いたのはウィンスだ。
「なぜそいつをかばう! 帝国貴族だ! 国の……父の仇だぞ!」
彼の怒りは再燃し、いよいよ苛烈さを増していく。
「貴様はこちら側のはずだ! 私やギルムートと同じく!」
再び灯った魔力の炎。その切っ先がセスに向けられた。
「答えろ! アシュテネのローウェン!」
ウィンスの叫びを聞いて、シルキィはやっとセスが虹を纏う理由を知った。唖然と口を半開きにして、セスの背中を見上げる。
「アルゴノートのセスだ。間違えるな」
「この……痴れ者が!」
真紅の剣閃を前に、セスの手元でくるりと剣が回る。迎撃したウィンスの剣が、虹の魔力とぶつかり音を立てて砕け散った。魔力を帯びた剣がいとも簡単に破壊される。瞠目したウィンスの胸当てに、セスが柄頭を打ちこむ。魔力に守られた群青の鎧に裂傷を走らせるほどの一撃は、内臓の隅々にまで衝撃を浸透させる。
膝をついたウィンスの口から苦悶の呻きが吐き出される。セスに軽く蹴飛ばされたウィンスは床を転々として投げ出された。ほとんど声にならない悪態を吐くばかり。
「バカな……たった、一撃だと……!」
「当然だ」
蹲るウィンスの傍らに、それまで静観していたフェルメルトが現れた。
「かのアシュテネ王の後継だぞ。いかにエーランドの王子とて、一騎打ちでローウェンには適うまい。貴殿の本分は他者に力を与えることだろう」
フェルメルトの強い視線を受けて、ウィンスは彼の言わんとすることを理解した。ウィンスが全力でフェルメルトを強化すれば、まさに鬼神の如き力を得るだろう。今はそうする他に選択肢はないと、暗に主張しているのだ。
「いいだろう……全て、持っていけ!」
ウィンスの纏う真紅の魔力が拡がり、フェルメルトに宿る。フェルメルト自身の緑の魔力と混ざり合い、それは黄金にも似た輝きへと生まれ変わる。偶然にも彼の纏う金彫りの鎧に似つかわしい神秘の光であった。
「お嬢。下がって、魔導馬の陰に隠れているんだ」
呆然とへたり込んでいたシルキィは、セスに言われてはっとする。対峙する二人の気迫に圧されてシルキィは魔導馬の後ろに回った。
フェルメルトが長い刀身を抜いた。威圧的な眼光がセスを射抜く。
「ローウェン。お前がなぜあの娘に入れ込むのかは聞かんでおこう」
視線と、意志が交錯する。
「腐っても俺は騎士だ。剣をもって、使命を果たすのみ」
虹と金色。二つの光は恐ろしく荘厳で、見惚れるほどに凶暴だ。
両者が、咆哮と共に跳び出す。
「セス……」
全身を包む温かな感覚からは、優しく抱かれるような母性を感じる。死に引きずり込まれる苦痛と恐怖を、全て覆って消し去ってくれる。
「セス……!」
かつて、避けられない死の宿命から救い出してくれた少女。その慈悲と恩に報いんと今まで生き永らえてきた。だが、攫われたシルキィを救い出すこともできず、むしろまた自分が彼女に助けられようとしている。これほど口惜しいことはない。けれど、彼女が自分の身を案じてくれていることがどうしようもなく嬉しい。
「ねぇ、起きて」
シルキィの泣き声が、自分を呼ぶ声が、徐々に大きくなっている。ぼやけていた幼げな泣き顔が、次第に鮮明になっていく。遠くなっていた耳と曖昧な視界が、次第に回復しつつある。
深く刻まれた全身の傷が癒えていく。四肢の力が蘇り、身体が浮かび上がるような錯覚すらある。シルキィが放つ暴走寸前の魔力は、死の最中にいたセスの手を優しく引っ張り上げてくれた。
「起きてったら」
ただ彼女に会えたことが、どうしようもなく嬉しくて。
「お願いだから……目を覚ましてよ!」
それは奇跡か。あるいは禁忌か。
涙に濡れるシルキィの頬を、セスの指先が撫でた。
シルキィを中心に巻き上がっていた青白い魔力。光の竜巻とも見紛うそれに、一つ、二つ、虚空に渦巻いていた異なる色彩が混ざっていく。幾つもの色が生まれ、混ざり合い、やがて光は七色となって輝きを放つ。
猛り狂う虹色の奔流が礼拝堂の壁を叩き、拡がり、途端に弾けて粒子となった。きらきらと光る粒子の雨は、おおよそ人が生み出したものとは思えぬほど幻想的な現象と言えよう。七色の粒はゆっくりと吸い寄せられるようにセスの体に集まり、やがて静かに消えていった。
魔力の渦に煽られたシルキィがその目を開いた時、そこに力強い背中を見る。
全身に七色の燐光を纏い、黒かった髪は白く染まり、一振りの剣を握り締めて。
「セス……?」
「お嬢」
シルキィを背に、確かに聳立するセスは、
「ありがとう」
溢れんばかりの想いを、たった一言に込めた。
愕然としたのはシルキィだけではない。勝利を確信したウィンスと、一度は失望したフェルメルトも、これ以上ないほどの驚愕の中にいた。死者を蘇生したシルキィの魔法も十分驚倒に値するものだが、今はなによりセスの纏う虹の輝きに対して、彼らはまさに言葉を失っていた。
偶然ではない。七色の魔力は、虹の国アシュテネの正統王位継承者のみが纏う唯一無二のもの。自身の肉体にそれを纏うセスが何者であるか。あえて尋ねるまでもなかった。
「貴様……貴様が!」
最初に口を開いたのはウィンスだ。
「なぜそいつをかばう! 帝国貴族だ! 国の……父の仇だぞ!」
彼の怒りは再燃し、いよいよ苛烈さを増していく。
「貴様はこちら側のはずだ! 私やギルムートと同じく!」
再び灯った魔力の炎。その切っ先がセスに向けられた。
「答えろ! アシュテネのローウェン!」
ウィンスの叫びを聞いて、シルキィはやっとセスが虹を纏う理由を知った。唖然と口を半開きにして、セスの背中を見上げる。
「アルゴノートのセスだ。間違えるな」
「この……痴れ者が!」
真紅の剣閃を前に、セスの手元でくるりと剣が回る。迎撃したウィンスの剣が、虹の魔力とぶつかり音を立てて砕け散った。魔力を帯びた剣がいとも簡単に破壊される。瞠目したウィンスの胸当てに、セスが柄頭を打ちこむ。魔力に守られた群青の鎧に裂傷を走らせるほどの一撃は、内臓の隅々にまで衝撃を浸透させる。
膝をついたウィンスの口から苦悶の呻きが吐き出される。セスに軽く蹴飛ばされたウィンスは床を転々として投げ出された。ほとんど声にならない悪態を吐くばかり。
「バカな……たった、一撃だと……!」
「当然だ」
蹲るウィンスの傍らに、それまで静観していたフェルメルトが現れた。
「かのアシュテネ王の後継だぞ。いかにエーランドの王子とて、一騎打ちでローウェンには適うまい。貴殿の本分は他者に力を与えることだろう」
フェルメルトの強い視線を受けて、ウィンスは彼の言わんとすることを理解した。ウィンスが全力でフェルメルトを強化すれば、まさに鬼神の如き力を得るだろう。今はそうする他に選択肢はないと、暗に主張しているのだ。
「いいだろう……全て、持っていけ!」
ウィンスの纏う真紅の魔力が拡がり、フェルメルトに宿る。フェルメルト自身の緑の魔力と混ざり合い、それは黄金にも似た輝きへと生まれ変わる。偶然にも彼の纏う金彫りの鎧に似つかわしい神秘の光であった。
「お嬢。下がって、魔導馬の陰に隠れているんだ」
呆然とへたり込んでいたシルキィは、セスに言われてはっとする。対峙する二人の気迫に圧されてシルキィは魔導馬の後ろに回った。
フェルメルトが長い刀身を抜いた。威圧的な眼光がセスを射抜く。
「ローウェン。お前がなぜあの娘に入れ込むのかは聞かんでおこう」
視線と、意志が交錯する。
「腐っても俺は騎士だ。剣をもって、使命を果たすのみ」
虹と金色。二つの光は恐ろしく荘厳で、見惚れるほどに凶暴だ。
両者が、咆哮と共に跳び出す。
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