3 / 74
シルキィ・デ・ラ・シエラ 2/4
しおりを挟む
「どけ! メイド風情に用はねぇ!」
「なりません」
長いポニーテールを結った年若い侍女は、自分よりはるかに目線の高い男を前にしても眉一つ動かさなかった。彼女の腰には立派な剣が提げられている。その鞘に手をかけたせいで、場の空気は瞬時に剣呑さを増した。
「このお方はラ・シエラ辺境伯のご令嬢、シルキィ・デ・ラ・シエラ様にあらせられます。狼藉は許されません」
侍女が口にした家名に、男は驚きを露わにする。それは周囲の傍観者たちも同様であり、大広間に一陣のざわつきをもたらした。
「ラ・シエラの」
セスも例外ではなく、思わず声を漏らしてしまう。傍観者として最も近い位置にいる彼の呟きは、シルキィの耳にも届いたようだ。彼女はセスを一瞥したが、すぐ男に向き直った。
「そう、ラ・シエラ。無教養な野蛮人でも、父トゥジクスの名くらいは知っているんじゃないかしら? 五年前の戦争においてアシュテネ王を討ち取り、この地を帝国に併合した立役者」
そういった背景がある以上、現在はヘネレア領と呼ばれるこの地での名声も大きい。
男は見るからに青ざめている。
「理解できたようでなにより。それじゃあ、そのお粗末な剣で一体何をするつもりだったのか、教えてくれるかしら?」
言われてから、男はようやく剣の柄にかけられた自身の手に気が付いたようだ。
「こ、これは」
追い詰められた人間は何をするかわからない。えてして激情は合理的な行動を阻害するものだ。案の定、引くに引けなくなった男は錯乱して剣を抜き放つ。
眉を寄せたメイドが剣の柄に手をかける。こうなっては誰も彼を庇えない。
「狼藉は許さぬと申し上げたはずです。ぶっ殺すぞ」
侍女の瞳が鋭く細まり、剣を抜こうとして――横合いから飛んできた拳が、男の横っ面に直撃した。
強烈な拳撃によって男の巨躯は宙に舞い、カウンターを飛び越えて奥の棚に激突。棚板は割れ、置かれていた本や書類が音を立てて散らばる。棚の天板に積もっていた埃が舞って、にわかに事務員がせき込んだ。
誰もが唖然とし、場は水を打ったように静まり返る。
「ミス・シエラ。同業者がとんだ無礼を。この拳に免じて、どうか水に流して下さいませんか?」
拳をさすった後、セスは努めて慇懃な態度でシルキィに向いた。
彼女はしばし返答に詰まる。理解の及ばぬ展開を前にして、頭の回転が止まっていたのだ。カウンターの奥で気絶した男と微笑むセスを交互に見比べてから、ようやく事態を呑みこめたらしく、忌々しげな瞳をセスに向けた。
「まずは名乗りなさい」
「これは失礼を。私はセス。アルゴノートのセスと申します」
「古臭い名前。野蛮なアルゴノートらしい名だわ。あなたはちょっとマシな方かと思ったけれど、問題を暴力で解決しようとするあたり、やっぱり野蛮人は野蛮人というわけね」
シルキィはセスの風貌を確認しているようだった。
十七歳にしては大人びた表情。大柄でも小柄でもない。細身だが引き締まった肉体は日頃の鍛錬を窺わせる。短い黒髪。同色の瞳は切れ長で、戦いに身を置く者の鋭い眼光がある。身なりは清潔で、腰の剣と薄手のマントはどちらもそれなりに上等なものであった。
シルキィがちょっとはマシという評価を下したのは、そんな彼の佇まいを見たからだ。
「言われなくてもこんな小物に用はないわ。私達はA級に依頼を持って来たのだから」
「寛大なお心に、感謝いたします」
胸に手を当てて頭を垂れる。貴族と同業者の諍いなど首を突っ込むに値しないが、ラ・シエラの令嬢が関わっているとなれば話は別だった。
「ふぅん」
セスの礼節のある所作を見て、シルキィは僅かばかり興味を持ったようだ。
「ところで、A級アルゴノートへの依頼というのは?」
ちらりと事務員を見ると、彼は勘弁してくれとばかりに首を振る。
「あなた、A級なの?」
「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、しがないC級にございます」
「そう。別に期待なんかしてないけど」
あからさまに幻滅した様相で、シルキィは溜息を吐いた。
「まぁいいわ。そこの能無しよりは話がわかりそうね。ティア、説明してあげて」
名を呼ばれた侍女は短く返事をしてから、淡々と言葉を紡いだ。
「こちらにいらっしゃるシルキィ様は、ご実家から帝都までの旅に同行できる長期の護衛を探しておられます。シルキィ様のご身分からして、護衛を担うのは実績と信用が保証されているA級アルゴノート以外には考えられません」
この説明に対しては色々と疑問が生まれたが、セスは余計な詮索を慎む。
「ところが、こちらを拠点にしているA級アルゴノートは他の依頼で出払っているというのです」
ティアの視線を受けて、事務員が肩をこわばらせた。
「フィーネベルは戻ってないのか? マリア隊のエイラムさんは?」
セスは心当たりのあるA級アルゴノートの名を挙げてみたが、事務員は固い表情で首を横に振るのみ。
「出立は十日後です。それまでに護衛の手配をお願い致します。わざわざシルキィ様がおみ足を運ばれたのです。まさかできないなどとは仰いませぬよう」
「とは言われましても……やはり、それは無理がありますと」
「無理でもなんでもやりなさい。いいわね」
ぴしゃりと言い放ったシルキィに、事務員はそれ以上なにも言えなかった。
それを承諾と受け取ったか、シルキィは不愉快そうに椅子から降りる。
「さあ、無事に依頼もできたことだし。早く帰りましょう。こんなところに長くいたら服に臭いが染み付いちゃう」
「はい、お嬢様」
二人が出口に向かうと、扉付近で様子を窺っていた野次馬たちが一斉に道を開けた。
「では、ごきげんよう」
振り返ることもなくひらひらと手を振って、立ち去ろうとするシルキィ。
「ミス・シエラ。お待ちを」
ぴたり、とシルキィの足が止まる。赤いリボンとプラチナブロンドが揺れ、鳶色の瞳がセスを捉えた。
「なりません」
長いポニーテールを結った年若い侍女は、自分よりはるかに目線の高い男を前にしても眉一つ動かさなかった。彼女の腰には立派な剣が提げられている。その鞘に手をかけたせいで、場の空気は瞬時に剣呑さを増した。
「このお方はラ・シエラ辺境伯のご令嬢、シルキィ・デ・ラ・シエラ様にあらせられます。狼藉は許されません」
侍女が口にした家名に、男は驚きを露わにする。それは周囲の傍観者たちも同様であり、大広間に一陣のざわつきをもたらした。
「ラ・シエラの」
セスも例外ではなく、思わず声を漏らしてしまう。傍観者として最も近い位置にいる彼の呟きは、シルキィの耳にも届いたようだ。彼女はセスを一瞥したが、すぐ男に向き直った。
「そう、ラ・シエラ。無教養な野蛮人でも、父トゥジクスの名くらいは知っているんじゃないかしら? 五年前の戦争においてアシュテネ王を討ち取り、この地を帝国に併合した立役者」
そういった背景がある以上、現在はヘネレア領と呼ばれるこの地での名声も大きい。
男は見るからに青ざめている。
「理解できたようでなにより。それじゃあ、そのお粗末な剣で一体何をするつもりだったのか、教えてくれるかしら?」
言われてから、男はようやく剣の柄にかけられた自身の手に気が付いたようだ。
「こ、これは」
追い詰められた人間は何をするかわからない。えてして激情は合理的な行動を阻害するものだ。案の定、引くに引けなくなった男は錯乱して剣を抜き放つ。
眉を寄せたメイドが剣の柄に手をかける。こうなっては誰も彼を庇えない。
「狼藉は許さぬと申し上げたはずです。ぶっ殺すぞ」
侍女の瞳が鋭く細まり、剣を抜こうとして――横合いから飛んできた拳が、男の横っ面に直撃した。
強烈な拳撃によって男の巨躯は宙に舞い、カウンターを飛び越えて奥の棚に激突。棚板は割れ、置かれていた本や書類が音を立てて散らばる。棚の天板に積もっていた埃が舞って、にわかに事務員がせき込んだ。
誰もが唖然とし、場は水を打ったように静まり返る。
「ミス・シエラ。同業者がとんだ無礼を。この拳に免じて、どうか水に流して下さいませんか?」
拳をさすった後、セスは努めて慇懃な態度でシルキィに向いた。
彼女はしばし返答に詰まる。理解の及ばぬ展開を前にして、頭の回転が止まっていたのだ。カウンターの奥で気絶した男と微笑むセスを交互に見比べてから、ようやく事態を呑みこめたらしく、忌々しげな瞳をセスに向けた。
「まずは名乗りなさい」
「これは失礼を。私はセス。アルゴノートのセスと申します」
「古臭い名前。野蛮なアルゴノートらしい名だわ。あなたはちょっとマシな方かと思ったけれど、問題を暴力で解決しようとするあたり、やっぱり野蛮人は野蛮人というわけね」
シルキィはセスの風貌を確認しているようだった。
十七歳にしては大人びた表情。大柄でも小柄でもない。細身だが引き締まった肉体は日頃の鍛錬を窺わせる。短い黒髪。同色の瞳は切れ長で、戦いに身を置く者の鋭い眼光がある。身なりは清潔で、腰の剣と薄手のマントはどちらもそれなりに上等なものであった。
シルキィがちょっとはマシという評価を下したのは、そんな彼の佇まいを見たからだ。
「言われなくてもこんな小物に用はないわ。私達はA級に依頼を持って来たのだから」
「寛大なお心に、感謝いたします」
胸に手を当てて頭を垂れる。貴族と同業者の諍いなど首を突っ込むに値しないが、ラ・シエラの令嬢が関わっているとなれば話は別だった。
「ふぅん」
セスの礼節のある所作を見て、シルキィは僅かばかり興味を持ったようだ。
「ところで、A級アルゴノートへの依頼というのは?」
ちらりと事務員を見ると、彼は勘弁してくれとばかりに首を振る。
「あなた、A級なの?」
「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、しがないC級にございます」
「そう。別に期待なんかしてないけど」
あからさまに幻滅した様相で、シルキィは溜息を吐いた。
「まぁいいわ。そこの能無しよりは話がわかりそうね。ティア、説明してあげて」
名を呼ばれた侍女は短く返事をしてから、淡々と言葉を紡いだ。
「こちらにいらっしゃるシルキィ様は、ご実家から帝都までの旅に同行できる長期の護衛を探しておられます。シルキィ様のご身分からして、護衛を担うのは実績と信用が保証されているA級アルゴノート以外には考えられません」
この説明に対しては色々と疑問が生まれたが、セスは余計な詮索を慎む。
「ところが、こちらを拠点にしているA級アルゴノートは他の依頼で出払っているというのです」
ティアの視線を受けて、事務員が肩をこわばらせた。
「フィーネベルは戻ってないのか? マリア隊のエイラムさんは?」
セスは心当たりのあるA級アルゴノートの名を挙げてみたが、事務員は固い表情で首を横に振るのみ。
「出立は十日後です。それまでに護衛の手配をお願い致します。わざわざシルキィ様がおみ足を運ばれたのです。まさかできないなどとは仰いませぬよう」
「とは言われましても……やはり、それは無理がありますと」
「無理でもなんでもやりなさい。いいわね」
ぴしゃりと言い放ったシルキィに、事務員はそれ以上なにも言えなかった。
それを承諾と受け取ったか、シルキィは不愉快そうに椅子から降りる。
「さあ、無事に依頼もできたことだし。早く帰りましょう。こんなところに長くいたら服に臭いが染み付いちゃう」
「はい、お嬢様」
二人が出口に向かうと、扉付近で様子を窺っていた野次馬たちが一斉に道を開けた。
「では、ごきげんよう」
振り返ることもなくひらひらと手を振って、立ち去ろうとするシルキィ。
「ミス・シエラ。お待ちを」
ぴたり、とシルキィの足が止まる。赤いリボンとプラチナブロンドが揺れ、鳶色の瞳がセスを捉えた。
10
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
レイヴン戦記
一弧
ファンタジー
生まれで人生の大半が決まる世界、そんな中世封建社会で偶然が重なり違う階層で生きることになった主人公、その世界には魔法もなく幻獣もおらず、病気やケガで人は簡単に死ぬ。現実の中世ヨーロッパに似た世界を舞台にしたファンタジー。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
冤罪で捕まった俺が成り上がるまで
ダチョ太郎
ファンタジー
スラム街の浮浪児アヴェルは貧民街で少女に道案内を頼まれた。
少女が着る服は豪華で話し方にも気品を感じさせた。
関わるとろくなことがないと考えたアヴェルは無視して立ち去ろうとするも少女が危害を加えられそうになると助けてしまう。
そしてその後少女を迎えに来たもの達に誘拐犯扱いされてしまうのだった。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
忍びの末裔の俺、異世界でも多忙に候ふ
たぬきち25番
ファンタジー
忍びの術は血に記憶される。
忍びの術を受け継ぐ【現代の忍び】藤池 蓮(ふじいけ れん)は、かなり多忙だ。
現代社会において、忍びの需要は無くなるどころか人手が足りない状況だ。そんな多忙な蓮は任務を終えた帰りに、異世界に転移させられてしまった。
異世界で、人の未来を左右する【選択肢】を見れるレアスキルを手にしてしまった蓮は、通りすがりの訳アリの令嬢からすがられ、血に刻まれた【獣使役】の力で討伐対象である猛獣からも懐かれ、相変わらず忙しい毎日を過ごすことになったのだった。
※週一更新を予定しております!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる