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シルキィ・デ・ラ・シエラ 2/4

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「どけ! メイド風情に用はねぇ!」

「なりません」

 長いポニーテールを結った年若い侍女は、自分よりはるかに目線の高い男を前にしても眉一つ動かさなかった。彼女の腰には立派な剣が提げられている。その鞘に手をかけたせいで、場の空気は瞬時に剣呑さを増した。

「このお方はラ・シエラ辺境伯のご令嬢、シルキィ・デ・ラ・シエラ様にあらせられます。狼藉は許されません」

 侍女が口にした家名に、男は驚きを露わにする。それは周囲の傍観者たちも同様であり、大広間に一陣のざわつきをもたらした。

「ラ・シエラの」

 セスも例外ではなく、思わず声を漏らしてしまう。傍観者として最も近い位置にいる彼の呟きは、シルキィの耳にも届いたようだ。彼女はセスを一瞥したが、すぐ男に向き直った。

「そう、ラ・シエラ。無教養な野蛮人でも、父トゥジクスの名くらいは知っているんじゃないかしら? 五年前の戦争においてアシュテネ王を討ち取り、この地を帝国に併合した立役者」

 そういった背景がある以上、現在はヘネレア領と呼ばれるこの地での名声も大きい。
 男は見るからに青ざめている。

「理解できたようでなにより。それじゃあ、そのお粗末な剣で一体何をするつもりだったのか、教えてくれるかしら?」

 言われてから、男はようやく剣の柄にかけられた自身の手に気が付いたようだ。

「こ、これは」

 追い詰められた人間は何をするかわからない。えてして激情は合理的な行動を阻害するものだ。案の定、引くに引けなくなった男は錯乱して剣を抜き放つ。
 眉を寄せたメイドが剣の柄に手をかける。こうなっては誰も彼を庇えない。

「狼藉は許さぬと申し上げたはずです。ぶっ殺すぞ」

 侍女の瞳が鋭く細まり、剣を抜こうとして――横合いから飛んできた拳が、男の横っ面に直撃した。
 強烈な拳撃によって男の巨躯は宙に舞い、カウンターを飛び越えて奥の棚に激突。棚板は割れ、置かれていた本や書類が音を立てて散らばる。棚の天板に積もっていた埃が舞って、にわかに事務員がせき込んだ。
 誰もが唖然とし、場は水を打ったように静まり返る。

「ミス・シエラ。同業者がとんだ無礼を。この拳に免じて、どうか水に流して下さいませんか?」

 拳をさすった後、セスは努めて慇懃な態度でシルキィに向いた。
 彼女はしばし返答に詰まる。理解の及ばぬ展開を前にして、頭の回転が止まっていたのだ。カウンターの奥で気絶した男と微笑むセスを交互に見比べてから、ようやく事態を呑みこめたらしく、忌々しげな瞳をセスに向けた。

「まずは名乗りなさい」

「これは失礼を。私はセス。アルゴノートのセスと申します」

「古臭い名前。野蛮なアルゴノートらしい名だわ。あなたはちょっとマシな方かと思ったけれど、問題を暴力で解決しようとするあたり、やっぱり野蛮人は野蛮人というわけね」

 シルキィはセスの風貌を確認しているようだった。
 十七歳にしては大人びた表情。大柄でも小柄でもない。細身だが引き締まった肉体は日頃の鍛錬を窺わせる。短い黒髪。同色の瞳は切れ長で、戦いに身を置く者の鋭い眼光がある。身なりは清潔で、腰の剣と薄手のマントはどちらもそれなりに上等なものであった。
 シルキィがちょっとはマシという評価を下したのは、そんな彼の佇まいを見たからだ。

「言われなくてもこんな小物に用はないわ。私達はA級に依頼を持って来たのだから」

「寛大なお心に、感謝いたします」

 胸に手を当てて頭を垂れる。貴族と同業者の諍いなど首を突っ込むに値しないが、ラ・シエラの令嬢が関わっているとなれば話は別だった。

「ふぅん」

 セスの礼節のある所作を見て、シルキィは僅かばかり興味を持ったようだ。

「ところで、A級アルゴノートへの依頼というのは?」

 ちらりと事務員を見ると、彼は勘弁してくれとばかりに首を振る。

「あなた、A級なの?」

「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、しがないC級にございます」

「そう。別に期待なんかしてないけど」

 あからさまに幻滅した様相で、シルキィは溜息を吐いた。

「まぁいいわ。そこの能無しよりは話がわかりそうね。ティア、説明してあげて」

 名を呼ばれた侍女は短く返事をしてから、淡々と言葉を紡いだ。

「こちらにいらっしゃるシルキィ様は、ご実家から帝都までの旅に同行できる長期の護衛を探しておられます。シルキィ様のご身分からして、護衛を担うのは実績と信用が保証されているA級アルゴノート以外には考えられません」

 この説明に対しては色々と疑問が生まれたが、セスは余計な詮索を慎む。

「ところが、こちらを拠点にしているA級アルゴノートは他の依頼で出払っているというのです」

 ティアの視線を受けて、事務員が肩をこわばらせた。

「フィーネベルは戻ってないのか? マリア隊のエイラムさんは?」

 セスは心当たりのあるA級アルゴノートの名を挙げてみたが、事務員は固い表情で首を横に振るのみ。

「出立は十日後です。それまでに護衛の手配をお願い致します。わざわざシルキィ様がおみ足を運ばれたのです。まさかできないなどとは仰いませぬよう」

「とは言われましても……やはり、それは無理がありますと」

「無理でもなんでもやりなさい。いいわね」

 ぴしゃりと言い放ったシルキィに、事務員はそれ以上なにも言えなかった。
 それを承諾と受け取ったか、シルキィは不愉快そうに椅子から降りる。

「さあ、無事に依頼もできたことだし。早く帰りましょう。こんなところに長くいたら服に臭いが染み付いちゃう」

「はい、お嬢様」

 二人が出口に向かうと、扉付近で様子を窺っていた野次馬たちが一斉に道を開けた。

「では、ごきげんよう」

 振り返ることもなくひらひらと手を振って、立ち去ろうとするシルキィ。

「ミス・シエラ。お待ちを」

 ぴたり、とシルキィの足が止まる。赤いリボンとプラチナブロンドが揺れ、鳶色の瞳がセスを捉えた。
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