上 下
2 / 74

シルキィ・デ・ラ・シエラ 1/4

しおりを挟む
「依頼を受けられないって、一体どういうことよ!」

 それは理性的な叱咤のようにも、幼子の癇癪のようにも聞こえた。

「依頼人の要求に応えるのが、あなた達の仕事でしょうが!」

 高く張り上げられた声を聞いたのは、ちょうどセスが支部に足を踏み入れた瞬間だった。

 アルゴノート組合と看板を掲げた建物の中は、一見大きな酒場のように見える。大広間には丸いテーブルと椅子とが不規則に並べられており、席につく人影もちらほらと見て取れた。高い天井にはいくつかのシーリングファンが回転し、大きめの窓からは十分な日光を取り込んでいる。

 カウンターからほど近い椅子に腰かけたセスは、少女と事務員のやり取りを静かに見守る。

「とは仰いましても、人材にも限りがございまして」

 中年の男性事務員の対応はあまりにもたどたどしい。

「だから! そこをなんとかしなさいって言ってるの」

 カウンター席に陣取って事務員に詰め寄っているのは、清楚な藍色のワンピースに身を包む十代半ばの少女だった。肩まで伸びたプラチナブロンドの髪は艶々とし、窓から差し込む光を反射して白金の如く輝いている。後頭部に結われた赤いリボンがまことに愛らしい。陶磁器のような白い肌は、成長しきらぬ少女に美しさと透明感を与えていた。事務員を睨みつける鳶色の瞳は大きく可憐で、銀の眉は筆で描かれたように整っている。細やかな装飾をあしらったワンピースは見るからに高級な生地であり、腕袖はゆったりとして広がっている。家庭の雑事をこなす者の装いではない。傍らに侍女が控えていることもあって、彼女が格のある家の令嬢であることは誰の目にも明らかであった。

「わ、私共としましても、ご依頼主様のご要望には最大限お応えしたいと思っております。ですが、ええ、なにぶん条件に見合う者がみな出払っておりまして、その」

 時折裏返りそうになる事務員の声を遮って、少女がカウンターを叩く。

「あのねぇ。こっちは恥を忍んで、あなた達のような野蛮人に仕事を恵んであげに来たの。人手不足ですって? よくそんな贅沢が言えたものね」

 少女の横柄な態度は、上流階級の人間としては珍しくない振る舞いと言えよう。彼らはアルゴノートを粗野で無教養だと断じている。往々にしてそれは事実であり、毛嫌いの種になるのも仕方のないことだった。
 この場にいる者の大半は、多かれ少なかれそうやって蔑まれ、罵倒された経験を持っている。少女に対する周囲の視線は、にわかに敵意を含んだものに変わった。

 彼らに背を向けているせいか、少女はたちこめる剣呑な雰囲気に気付かない。思いのままに、アルゴノートへの侮蔑と不満を吐き散らしていた。
 ある者は嫌気がさして立ち去り、ある者は奇異の目で事の顛末を傍観し、そしてある者は我慢の限界とばかりに椅子を蹴って立ち上がった。

 事務員に詰め寄っていた少女もこれには肩を震わせた。恐る恐る振り返り、初めて自身に向けられるいくつもの視線を認識して、いくらかたじろいだようだった。

「黙って聞いてりゃ、野蛮人だなんだと。好き勝手ほざきやがって」

 分厚い声を震わせて、背の高い筋肉質な男が拳を握りしめていた。

「こちとら、好きでアルゴノートなんぞやってるんじゃねぇ!」

「な、なによあなた」

「どこのお嬢さんだか知らねぇが、人を馬鹿にするのも大概にしろ。俺はまともな教育なんか受けちゃいないが、嬢ちゃんのそれが人に物を頼む態度じゃねぇってことくらいはわかるぜ」

 少女はすぐに調子を取り戻し、男と目も合わせようとせずに鼻で笑った。

「野蛮人が作法のお説教なんて失笑ものね。アルゴノートなんて食いつめ者の末路でしょう? ろくに仕事もしない。教育も受けない。だからそういうことになるんじゃない」

「俺は戦災孤児だった! こんなことになったのも帝国が戦争を吹っかけたせいだ!」

 男の風体は嘆かわしい事情を如実に体現していた。ところどころ破れたまま補修もされていない服と、粗末な革鎧。腰には古ぼけた剣を帯びている。髪と髭は伸び放題で、身体からは異臭が漂っていた。まだ若いだろうに、何歳も年老いて見えた。

「あらそうなの。それで? 私は礼を払うべき者とそうでない者の区別ができているだけよ。野蛮人を野蛮人と扱うことのどこに問題があるのか、どなたか教えて頂けるかしら」

 椅子の上で足を組んで大広間を睥睨する少女に、誰も目を合わせようとはしない。
 男の抗議は大衆の賛同を得るに値するものであったが、如何せん身分が違う。ロードルシア帝国の支配下にあるこの地において、身分の差は絶対である。例えば、貴族がどれだけ平民に対して傲慢であろうと、抗議や抵抗は法が許さない。それが国家の大原則。故に周囲の人間が内心でどれだけ賛同しようと、男に味方する声は一つも上がらなかった。

「てめぇ……!」

「礼儀といえば、そうね。私はあなた達ほど弁えない輩を見たことがないわ。一挙手一投足に品性と教養がまったくない。花壇を踏み荒らし、血や脂に汚れた装いで臭気を撒き散らす。配慮に欠けた笑い声と下卑た目線はまるで獣。とても人とは思えない。そのような者に敬意を払うなど、民の模範たる貴族としてあるまじき行為だと思わないかしら?」

 言葉の終わりに嘲笑を交えて、少女は軽やかに言い切った。口調と表情の端々にアルゴノートへの嫌悪と侮蔑があることには、セスも口角を下げるしかない。
 男に至っては、保っていた最後の理性がまさに決壊しようとしていた。

「この野郎!」

 いきり立った男は、大股で少女へと近づく。すると今まで少女の傍で微動だにしなかった侍女が、男の前に素早く立ちふさがった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。 彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。 そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。 洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。 さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。 持ち前のサバイバル能力で見敵必殺! 赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。 そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。 人々との出会い。 そして貴族や平民との格差社会。 ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。 牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。 うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい! そんな人のための物語。 5/6_18:00完結!

幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話

島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。 俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。

王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」 公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。 血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...