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27話「大驚失色」
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今日から『夏は冬に会いたくなる』の映画の撮影がスタートした。
この日は天気もよく、絶好の撮影日和だったが生憎セットでの撮影だ。剣杜も出番はないものの見学することになった。合間をぬって、出演俳優やスタッフと話をしていく。自分の演技についての指導やアドバイスを貰えたので、目的外でも習得するものはあった。今後、ドラマに映画に出る予定はないが、虹雫の小説がまた映像化されたら、と思ってしまう。そのためにも、自分の与えられた仕事はしようと、笑顔の裏側にやる気をたぎらせていた。
「椛さん、こんにちは。本当に来てくれたんですね」
「澁澤さん。こんにちは。勉強させてもらってます」
先程まで監督と撮影を見ていた澁澤が、剣杜の元へとやってきてたのだ。向こうから声を掛けてくれるとは、やはり初対面の印象が良かったのだろうか。剣杜は笑顔で澁澤の元へと近づていった。
「先程から演技指導を受けてましたね。椛さんは勉強家だね」
「そんな事はないですよ。初めての映画ですし、澁澤さんの作品なので下手な芝居はしたくないんです」
「そのやる気に感謝します。一緒にいい映画を完成させましょう」
「もちろんです。………そういえば、澁澤さんの前作の舞台って先生の地元なんですよね?」
「前作も読んでくれているんですか?嬉しいです。あの作品の舞台は僕の地元の北国ですよ」
「その話もぜひ聞きたいです」
「今から、休憩をしようと思っていたのですが。控室でお話をしませんか?
「えぇ、もちろんです!」
撮影の初日とあって、スタッフも忙しく動き回っている。
出入りはあるものの、控室には誰もいなかった。2人でコーヒーや差し入れの菓子をつまみながら、澁澤の作品について大いに盛り上がった。そのために、剣杜は、彼の小説を買い込みずっと読み漁っていたのだ。最近、読んだ小説なのでしっかり覚えているが、発売したのは大分前の作品なので、何回も読み直していると話すと、澁澤はとても嬉しそうに制作秘話や設定などを語ってくれる。が、剣杜には全く興味のない事で、右から左へと聞き流していた。けれど、もちろん表情はモデルで鍛えた作り笑顔だ。澁澤のテンションも高くなっていくのがわかった。ニコニコとしながらも脳内ではどう誘うか、出来るだけ自然に。そんな事を考えていると、澁澤が何かを含んだにやりとした笑みを浮かべた。
「椛さん。今度私が作った設定などをまとめているものを見せましょうか?」
「いいんですか!?ぜひ見たいです」
「わかりました。それでは、どこかでお酒など飲みながらどうですか?これが、僕の連絡先です」
「ありがとうございます!嬉しいです。憧れの先生と一緒に飲みにもいけて、大好きな作品の秘話まで。楽しみにしてますね!」
元から剣杜を誘うつもりだったのだろうか。彼が渡してきた名刺を受け取ると、裏にメールアドレスが書かれていた。どうやら、これがオフ用の連絡先なのだろう。
剣杜は「かかった」とニヤけそうになる気持ちを抑え込み、感動で涙目になる姿を見せて何度も感謝の気持ちを伝えた。
その後、すぐに澁澤は他のスタッフに呼ばれて、剣杜の元から去っていった。その時も笑みを浮かべて、剣杜から離れるのを少し寂しそうにしていた。
完全に剣杜が気になり始めたようだ。全面的に好意を表に出して近寄ってきているのだから、澁澤も警戒する理由などないのだろう。
「うまくいきそうだな」
剣杜は一人きりになった控室でそう呟き、映画撮影の現場から足早に去った。
もうこの現場に用事はない。目的は達成したのだから。
△△△
虹雫は、またあの出版社を訪れる事にした。
一条に話がしたいとメールをすると、すぐに返事がきた。また会社での話し合いになるとの事だった。以前の打ち合わせ打ち合わせからまだ1週間ほどしか経っていない。きっと一条は出版の話を受けると思っているのだろう。
けれど、虹雫はそれを断るつもりだった。
虹雫がその出版社に小説を送ったのは『夏は冬に会いたくなる』が自分のものだと知ってもらうため。取り戻すためだった。それが無理だと言うならば、わざわざ自分の作品を盗作したものを出版している会社から本を出そうとは思わない。他に必要としてくれる会社を探せばいいのだ。
なので、条件が合わなかった事を理由に断ろう。そう決めてから、虹雫の気持ちは少しだけ軽くなった。
けれど、盗作をどうやって取り戻すか。それは全く方法が見つかっていない。早くそれも見つけないと、と虹雫は焦ってしまっていた。
少しでも道筋が出来てから、宮に会おうと思っていた。
自暴自棄になってしまっていた虹雫の行動により、宮に距離を置かれてしまった。自分の気持ちと、これからの行動をしっかりと決めてから会わなければ、宮だって納得しないのではないか。そんな風に思ったのだ。
そのため、すぐに一条に連絡をしたのだ。
『夏は冬に会いたくなる』を諦めない、という意志を伝えるために。
桜もすっかり散り、新緑を感じられる桜の木を見上げ、虹雫はふぅとため息をついた。
今日は、仕事で帰りが遅くなり、さらに本屋で時間をつぶしていたため、帰りがすっかり遅くなってしまった。仕事終わりにすぐに帰宅しても、宮に会える事はなく、スマホを見つめては連絡をしようとしてはためらう日々が続いていた。宮が虹雫に温度のない声で放った「連絡しないで」の言葉は時間が経つにつれて重くなっていく。
少し前まであんなに幸せで、彼の体温を感じては気持ちを高揚させていたのに、今は全くの逆だった。春になり温かくなったはずなのに、寒く感じられてしまい、虹雫は来ていたトレンチコートを握りしめた。
夜遅くになってしまったのが、節約のため冷凍していたカレーを温めて食べればいいかな、など帰宅後の事を考えながら人気のない道を歩く。
今日は金曜日でも土日でもないため、夜になると家の近くでも人通りは少ない。駅から近いとしても数分は怖いなと思う人気がない場所を歩かなければいけない。
案の定、今日も誰もいない。女性が歩いていれば何となく安心するのにな。と思いつつ、少しだけ歩く速度を速める。カツカツッと静寂が支配する住宅街に虹雫の足音だけが響いていた。
次の街灯を過ぎればもう少しで自分の住むマンションは目の前だ。
ホッと息を吐こうとしたが、それはすぐに飲み込まれた。
街灯の光りが当たる真下の道路。そこに、何かが落ちていた。乱雑に何かが散らばっているようだった。何かゴミでも落ちているのか。そう思ったが、近づくにつれてそれが紙だとわかる。何かの広告だろうか。
足を前に進めていけば、おのずとそれに近づいていく。そのうちに、それが写真だとわかる。が、暗くてよくわからない。そして、その写真の真上まで来て、ようやく何が写っているのか鮮明に認識する事が出来た。
「ッ、いや、なんで………」
あまりの衝撃で悲鳴は声にならなかった。けれど、目の前の写真を見た瞬間に大きく震え、体の力が抜けてしまった。
そこには、あの日、『夏は冬に会いたくなる』が自分のものではなくなった日。そして、ある男にホテルで拘束され、写真を撮られた日。
あの時のものが鮮明に印刷された写真が、道路にバラまかれていたのだ。制服が脱がされ、下着姿になった虹雫だ。年齢が違えど、面影はある。恐怖から視線を逸らし、必死に目を瞑っている顔だ。
その時だった。
コツッ、コツッ、と道路をゆっくりと歩く誰かの足音が聞こえてきた。
今、この道を通れば、この写真はその人物に見られてしまう。そう思った虹雫は、咄嗟に散らばった写真を集めた。直視もしたくなけらば、触りたくもない。今すぐに破って燃やしてしまいたい。けれど、今は誰かに見られない事が先決だ。
けれどバラまかれた写真はあまりにも多く、足音がすぐそこまで来ていたが、あと数枚だけはどうしても拾い終えない。虹雫は地面の写真の上に座り込み、その場をやり過ごそうとした。
「どうしましたか?」
男性の声だ。
夜道で座り込む虹雫を心配してくれたのだろう。けれど、今は放っておいてほしい、自分の腕の中と足元にある写真を見られるわけにはいけないのだから。
虹雫は震える体と声のまま、「だ、大丈夫です」と、その人物の方へと視線を向けた。
が、その男性を見た瞬間に虹雫の動きは止まった。
そこには、街灯の光に照らされながら怪しく微笑む、あの日の男が居たのだ。
虹雫から夢と自信と物語を奪った、小説家。澁澤悠陽だった。
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