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5章
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しおりを挟む6、
「大政奉還」とは、慶応3年10月に、徳川幕府15代将軍であった徳川慶喜が統治権を返上するという旨を書面にて朝廷へ提出した。そして、その翌日に明治天皇から許可が降りるまでの事を言う。大政奉還により江戸幕府が終わりを告げただけではなく、鎌倉幕府以来、約700年もの間続いた武家政権に幕が降りる事になったのだ。
それにより、新選組はかなり切迫した状態になる。
新選組は、会津藩の松平容保が命じられた京都守護職という役職のいわば手伝いをするために、京に残ったのだ。
京都守護職というのは、反政府勢力が京都の町を我が物顔で振る舞う状態を危惧した幕府が新たに作った役職だ。京都守護職を作ったのは幕府であり徳川慶喜である。その徳川幕府が統治権を天皇に返上したとなると、京都守護職の仕事はなくなってしまう。そうなれば、新選組の仕事はなくなってしまう、という事だ。仕事がなくなれば、金も入らない。そうすれば行きていけなくなるのだ。大政奉還、と金秋が聞いた時は、その意味がよくわかなかったが、時勢に詳しい隊員に詳しく聞いて、やっと自分の立っている足元が揺らいでいるのがわかった。
だが、まだ仕事がなくなったわけではない。朝廷側も突然統治権を返上されたとしても、その体制がすぐに取れるはずがなかった。なにせ700年もの間、江戸幕府が全ての統治権を持っていたのだ。朝廷が政ができるはずない。
それを徳川慶喜もわかっていた。朝廷は、準備が整うまで引き続き幕府が政の中心を担うように言ったのだ。それこそが、慶喜の狙いだった。
政権を返上しても、徳川幕府はこの国の中心を担うものだ、朝廷からお願いされたから朝廷の代わりに統治権をまだ持っているだけだ。そう、他の敵対する藩に印象付けたかったのだ。
だから、新選組もしばらくの間、大丈夫だろう。それを聞いた瞬間に金秋の中ではこの問題は解決したようなものであった。
今、金秋の頭の中には仕事の事で頭がいっぱいであった。
少し前から反政府勢力の動きが活発化してきたのだ。反政府勢力の中心である薩摩藩だ。どうやら倒幕の計画も上がっているらしい。長く続いた徳川幕府を倒そうなど本気で考えるものがいるのは、金秋にとって驚きであった。
そして、少し前に新選組を脱退し御陵衛士になった伊東甲子太郎らを暗殺する計画が立っていた。その役目に抜擢されたのは金秋であった。
元は仲間だと思うと少しやりずらいが、仕事なのだから仕方がない。それに、伊東たちが先に新選組の局長である近藤を暗殺しようと計画したのが悪いのだ。御陵衛士には新選組から斎藤一が密偵としてついてたのだ。その情報を持って帰隊し、大問題となった。
そして、すぐに「斬られる前斬ってしまおう」と決まったのだ。
その日から、暗殺を命じられた隊員達は緻密な計画を立てた。失敗すれば、自分がやられてしまう。皆が真剣に話し合い、絶対に殺せるだろう案を考え抜いた。
その後、暗殺者は孤独との戦いである。一人ではなく大人数であっても同じだ。金秋は入念に刀などを準備したり、頭の中で何度も伊東達を殺した。どんな方法で斬るか、相手はどんな行動を見せるのか、事細かに予想するのだ。それが何よりも大切だと金秋は思っていた。準備しすぎて悪いことはないのだから。
伊東は北辰一刀流の道場主でもあり、稽古している姿を何度か見かけているが、細い体を上手く使い、しなやかに技を放つ剣士であった。油断は出来ない相手だ。それと忘れてはいけないのが服部武雄という男。
大柄で剛力であり、剣術だけではなく柔道や槍術としても相当の腕前だと言われていた。しかも、二刀流をやっても強かったというのだから驚きである。新選組内でも、撃剣師範にも抜擢されているので、剣術の腕も組内の中でも相当なものだとわかる。伊東だけの暗殺者ではなく、御陵衛士の全員が暗殺するよう命令されている。そのため、かなりの戦闘が予想されるのだ。そんな中で、注意すべき敵の一人が服部なのだ。
そんな相手に勝てば、かなり剣術の腕が上がったという事になるだろう。そうなれば、能力重視の新選組内でも認められるだろう。そして、何よりも沖田にも勝てる自信がつく。何が何でも暗殺を実行するしかない。
金秋は伊東や服部との稽古を思い出し、何度も何度も自分が相手を殺す方法を試し続けた。
その甲斐があってか、伊東の暗殺は成功した。
伊東は、近藤に呼ばれて妾宅いて接待を受けた。そして存分に酒を飲まされた伊東は、帰路途中である油小路の本光寺にて襲撃を受けた。それは、もちろん金秋達新選組である。籠に入っていた伊東だが、暗殺を恐れていたのか途中「酔いを覚ますために、歩いて帰ろう」と新選組が準備した籠から降りた。それは予想外の行動であったが、金秋たちの動きは変わらない。
こっそりと追跡し、仲間内で視線で合図をすると、一人がよろよろと歩く伊東の背中を斜めに斬った。伊東は殺気を感じたのか、一瞬体をずらしたのか、致命傷には至らずに、こちらを振り向きながら柄に手を置いた。が、それを見た瞬間の金秋の行動は早かった。大怪我を負ったとしても、刀を抜かれては面倒な事になる。そう思って、一気に距離を詰めた。けれど、そこまで考えて、ふっと考えを巡らす。ここまで自分が恐れる相手と戦うことなどもうないのではないか。沖田に勝つためには、稽古も大事だがやはり強者との実践が何よりも大事ではないかと思ったのだ。もう深傷を負わされている相手だが、滅多にいない剣の達人ならば死ぬ前に手合わせを願いたいものだ、そう思った金秋は、技と相手に時間を与えた。
味方は怪訝とした表情であったが、金秋は有無を言わせぬ殺気を発していた。それに、与えた時間も刀を抜かせぬための僅かな時間。それが終わると、すぐに金秋から最初の一手が放たれる。 正々堂々と、正面から斬りかかった。金秋の動きは俊敏であるし、威力も人よりは強いだろう。相手は苦悶の表情を見せながら、刀を両手でしっかりと持つと刀を緩やかに上げて、流れるような動作で金秋の刀をすく上げて軌道を変えた。あっぱれな技であり、金秋も思わず唸りそになるが、その代わりに出て言葉は「あまい!」であった。金秋は何度も伊東の稽古を思い出し、動きを想定していたのだ。伊東は相手の技への対処に長けており、切り返した後に不意打ちですべて一本取っていた。言わば、相手の技を読むのが得意なのだ。
そう。伊東は一瞬で暗殺者が誰なのかを見抜いていたのだ。
「大石くん!君だったのか………!」
「粛清である。お覚悟を」
伊東の切り返しわざと乗った金秋の刀はそのままゆっくりと弧を描き、伊東の刀から脇まで斬り裂いた。
肉の裂ける感触と男のくぐもった悲鳴、そして生暖かい返り血を全身で浴びる。
それが勝者が感じる1番の感触。そして、生きていると実感出来る瞬間なのだ。
その事は金秋はよく覚えていなかった。
金秋は心臓までも届く深いところまで斬り裂いていた。それは、もう感覚でわかる。自分が殺したのだ、と。
だが、周りの仲間にそれはわからない。確実に相手を殺すために、もう生きてはいない伊東の体に向かって刃を落とし続けていた。その度に、体が揺れ伊東の体からは大量の血が溢れ地面をどす黒く赤いものが染めていく。
それを、金秋は呆然としながら見つめる。
あぁ、死んだら自分もこんな風になるのか。
そして、一番死に近づいているあの男も。そんな風に考えた瞬間、伊東の苦悶の表情が何故か、あの男のものに変わった。ように、見えた。その瞬間、金秋の胸はどくんと大きく跳ね、吐き気を覚えて金秋は嗚咽を漏らした。
それはただの幻想だ、あの男は今も生きているではないか、と自分に言い聞かせた。
沖田は生きているのだ、と。
「大石、どうした?一旦、ここから離れるぞ」
「あ、ああ」
仲間から肩を叩かれ、金秋ははっとする。
そうだった。伊東の遺体を放置して、仲間である御陵衛士が遺体の回収に訪れる時に仲間も奇襲し一気に殺してしまおうという、自分が加担している部隊の作戦であってもかなり卑怯なやり方だと思われる作戦がまだ残っていた。
そのため、1度この場から離れて様子を伺わなくてはいけない。金秋は曖昧に返事をしながら仲間の後を追う。
待機していると、金秋は何故かあの伊東の遺体が頭から離れなくなり、体がガタガタと震えた。顔が沖田になっている死体だ。これは、ありえないもので、幻想だとわかっているのに、何故かその姿が頭から消えてくれないのだ。
「おい、おまえ、顔が真っ青だぞ」
その様子を見ていた仲間が心配そうに慌てて声を掛けてくる。金秋の顔を覗き込み、持っていた行灯の灯りを金秋に向ける。金秋はそれを避けるようにそっぽを向きながら、「寒いからだ!」と嘘を言いながら冷静を装った。だが、それは嘘だとわかる。確かに今の季節は冬であり、夜になると寒くなる。だが、どんな仕事も粛々とこなし、暑い寒いの文句を仕事中は全く言わない、真面目な男がだと周りの仲間は知っているのだ。
そのため、先ほどの人殺しにより気が動転していると思ったのだろう。あんな殺しの現場など見慣れたもので、もう気持ちがざわつく事などあるはずがないというのに。だが、今回は幻想のせいで、気分が悪くなるのだ。思わず返答に困ってしまっていると、仲間たちは小さな声で笑い始めたのだ。どうやら、金秋が怖がっていると勘違いしたようだ。
「大石、今日はどうしたんだ?伊東さんを殺すのが怖かったのか?」
「冷静沈着なおまえが珍しいな。こりゃ、雪でも降るんじゃねえか?」
「人斬り鍬次郎の異名が泣いちまうぞ、大石鍬次郎さんよ」
「うるせーな。俺が怖がるはないだろうが!」
青白い顔で文句を言って聞いてもらえるはずもなく、男たちはまた笑うだけであった。
金秋はいらついた気持ちになり、仲間に背を向けて腕を組んだまま座り込んだ。
まだ後ろから金秋を揶揄う声が聞こえるが、無視することに決めた。金秋は手で顔を擦る。血を拭おうとしたが、手にもべったりと血糊がついており、かえって顔が汚れた。
両手についた赤黒い、人間の血。
そうだった。昔から、自分は何人もの人間を斬ってきたのだ。最近は見ることがなかくなった血が、それを思い出させた。
そして、もう一つ思い出したのは、懐かしい名前。
「大石鍬次郎」
かつてその名で呼ばれてた男は、激動の幕末を生きた武士の一人であった。
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