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風の記憶 二、
風の記憶 二、
しおりを挟む風の記憶 二、
その道場を紹介してもらったのは、知り合いの佐藤からだった。
剣の道には興味があったし、他の道場で剣術を学んでいはいた。だが訳あって大工の仕事をするようになり、剣術の稽古は疎遠になっていた。本当ならば剣の道で生きていこうと思ったが、大工として育ててくれたのに辞めてしまうのも申し訳がなかった。だが、内心では、これを一生やって死んでいくのか、本当にそれでいいのか?と自問自答を繰り返す日々だった。
そんな時に大工仕事で佐藤家と知り合いになると「剣術をやっているならうちの道場に顔を出さないか」と勧められたのだ。仕事をしながら道場に通えるようになったのは、金秋にとっても幸運であった。
流派によって様々な教えがある。佐藤が紹介してくれた道場に、出稽古に訪れる男たちの教えが、今までと全く違った。本当の戦いのときに役立つようにと、ほぼ何でもありだった。居合の速さや刀の使い方ももちろん教えられるが、それ以外の体術も必要となる。戦場で勝てるため、本当に強くなるための修行であった。金秋は、それが衝撃であった。剣術を磨くのは、どこの道場も同じであろう。だが、戦いになれば、頭を下げて礼をして、刀を交わして、実力を競う、だけじゃないのだ。命の削り合いになる。生きるか死ぬの世界では何でもありなのだ。
そんな道場がある事が、金秋にとっては斬新で、とても楽しかった。
この道場の教えがあっていたのか、金秋の剣の腕はあっという間に上がっていった。
道場に通う事がほとんどなくなっており身体はなまっていた。そのため、始めは稽古が終わった後は身体が悲鳴を上げおり、動かすことが出来ないほどだった。金秋が以前通っていた道場は他と比べるとかなり激しいもので、痣の1つや2つは当たり前で怪我をしてしまうことは日常茶飯事であった。当たり前の話しだが、打たれれば痛い。その痛みをなくすためには、単純だが勝てばいいのだ。そして、勝つためには、強くなるしかない。
金秋は打たれないために、どうしればいいのかと考え、先手必勝と素早く動く動作を徹底的研究し、模擬試合で試しては負け続けた。始めは、「なにやってんだ!」「考えと動きがあってねえ!」と笑われたり、怒鳴られたりした。だが、自分より上手い人間の技を取り入れてみたり、居合の達人の動きを実際に受けて怪我をしながら見本にしたりと、かなり無茶をしながら剣の道に没頭していった。
そんな金秋が道場でも一目置かれるほど強くなるのには、それほど時間がかからなかった。
自分よりがたいがいい相手や免許皆伝の者にも認められるようになった。
けれど、どうしても勝てない相手が数人いた。
しかも、年下の奴らだ。数人だけに勝てないだけで、出稽古にくる道場に誘われるほどの実力は身につけたかわ、金秋はそんな事はどうでもよかった。
勝ちたい。
ただそれだけであった。試合稽古をしている間も金秋はその相手達の動きを盗み見て、弱点を探ったり、夜はその動きを頭に浮かべたりしながら、一人試合をして勝てるまで続けた。
そんな事をしているうちに、十回に数回かは勝てる試合も出てきた。
だが、その中でもどうしても勝てない相手がただ一人いた。
それが、未来の自分の隊長であった。その頃は、憧れに近い存在になっていたが、それは先の話である。
血気盛んな時期である金秋は勝てないのが嫌で何でも試合を申し込んだ。だが、その相手は強いのにきつい稽古は苦手で、鬼の稽古が始まる気配をいち早く察知すると、あっという間に道場から逃げ出してしまうのだ。そのため、金秋が一日に何度か続けて願い出ると大抵二回、多くても三回ほどで「もう僕は疲れたから後は違う人探してやってよ」と、溜息をつきながら、自分より年下の男に「この試合馬鹿の相手してあげて。さっき、僕に左腕打たれて痛いはずだから今日なら彼に勝てるかもよ」と、余計な事をまで言ってなすりつけた後に、そそくさと庭に出て井戸の水をがぶがぶと飲み始めてしまう。
「俺はあんたと稽古がしたいんだ」
「君とばっかり稽古をしても意味がないじゃないか」
この日ばかりは逃すまいと、金秋は裸足のままどかどかと庭に降りて彼を追いかける。
が、彼は「しつこい奴だな」と小声で愚痴をもらした後、手拭いで顔を拭き、そして困り顔のまま金秋を見つめ返した。いつもは笑みを絶やさない男であり、誰でも愛想よく話す事が出来る。が、距離が近くなってくると、本音を隠さずに何事も言ってしまう、毒舌な男だとわかる。それでも、嫌な顔をして敬遠されないのは、日頃の笑顔と人懐っこさのおかげであろう。それにもう一つ理由があると金秋は思っている。
彼が天才だからだ。
幼い頃から剣術に長けており、麒麟児だと言われ続けているのだ。そして、彼の名前が出れば至る所の猛者達が試合を申し込んでくるはずだ。だが、他の道場のものが試合を申し込んでくるとなると、道場破りになってしまうため、簡単には争いごとにはならないだろうが。
「意味がないとはどういうことだ」
「だって、君は僕に勝てないから」
「なっ……」
「君の剣を見ればすぐにわかるよ。体に墨で印がついて見えるぐらいにがら空きな場所が多いんだよ。わざとやってるの?だったら、まだましだけど」
「言わせておけば!!」
頭に血がのぼるとはこの事だろう。自分の血液がふつふつと沸騰する湯のように上げっていくのがわかる。
後ろから「何だ、喧嘩か!?」「お、面白そうだな」「二人ともやっちまえ」と稽古中であった男達が野次馬になって立ち上がり、庭の方に集まって見学を始めている。見世物じゃね、と怒鳴ってやりたかったが、そんな暇はない。相手の男が「こりゃやばい」と、また逃げ出そうとしているのだ。
金秋は、片手を伸ばして、逃げる相手の胴着の襟を掴もうとしたが、それをひょいひょいっと跳びはねてかわし、全くもってつかまらない。飛ぶ鳥を捕まえようとしているかのように、金秋の腕は空を切ってしまう。踊っているかのような姿に見物していた男達はドッと笑い声を上げた。
「おいおい!どこに目があるんじゃ!敵は逃げてしまっておるぞ」
「これじゃあ、まだまだ勝利する日は遠いな」
「うるせー!試合を挑みもしない腰抜けどもは黙っておけ!」
自分の醜態を見られた恥ずかしさと馬鹿にされた悔しさから、金秋は顔を真っ赤にさせて道場の男達に怒声を上げた。いくら腕が立つようになった金秋であっても、この男衆にしてみれば年下の子どもだ。そのため、怒鳴り声を上げても笑われるだけであった。
「俺たちにかまってていいのか?相手は逃亡してるぞ」
「なに!?」
先程まで彼が立っていた方に向き直ると、相手はすでに道場の門から出て行くところで、もうすでに背中さえ見えなくなっていた。
「待って!俺と勝負しろ!あと、一本、一本でいい!」
そう言って、金秋は彼を追いかけた。
必死さもあったし、何が何でも勝負してもらいたい。そんな気持ち高かった。
だが、金秋の顔には笑顔があった。
大工仕事は嫌いではない。
けれど、剣術ほど夢中にはなれなかった。
皆で切磋琢磨して剣術の稽古をし、勝てなかった相手から1本とれるようになり、自分が強くなったと実感できる。そして、同じ目標をもつ男たちと時勢の話などをし、真剣に意見を交わしたり、時には酒を浴びるように飲み、道場で川の字で眠ったこともあった。その道場は貧乏であったので、酒はほとんどなかったが………。それでも、楽しかった。
そんな稽古仲間は皆で純粋に剣の道を目指している。同じ夢をもつ者同士のこの時間はどんな時よりも楽しかったのだ、と。
それからの激動すぎる日々の中で、思い返すのだ。
願うならば、あの男の背中を追って生きていきたかった。
そして、いつかは勝ってやる、と息巻いて過ごしていたかった、と………。
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