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37話「危険な旦那様」

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   37話「危険な旦那様」




 

  ☆☆☆



 花の香りがする。
 とても懐かしい、香りだ。
 この香りに包まれる時は、幸せだった。そんな気がしていた。

 いつまでもここで眠っていたい。
 花霞はそんな風に思って、夢を見ない眠りについていた。

 目を覚ましてしまえば、怖いことがある。悲しいことがある。そんな気がしてしまい、目を開けるのが怖かった。


 けれど、不意に肩に温かさを感じて、花霞はゆっくりと目を開けてしまう。突然の眩しい光で、周りの様子を伺えない。



 「会いに来てくれたの?……嬉しいけど、ここは君が今来る場所ではないよ。」
 「…………そうなの?」
 「あぁ………でも、君にお礼を言いたかったからちょうどいいかな。ありがとう。」
 「え………。」
 「いつも祈ってくれて。そして、あの人を守ってくれて。」
 「あの人………。」
 「君が愛してる人だよ。さぁ、思い出して帰るんだ。そして、幸せになって。」



 優しく触れられて肩は寝ていたはずの花霞の体をふわりと浮かせた。

 今の人は誰なのだろうか。
 知っているはずなのに、顔は眩しすぎて見ることが出来ない。けれど、彼がきっと優しい人なのは何となくだが、わかった。

 

 「あの人って誰?」
 「次に目を覚ましたらわかるよ。心配しないで………彼は君が大好きだから。」
 「…………待って………!わからないよ。怖いよ…………。」
 「あの人に伝えて。カッコいい警察官になって見せてって。」
 「え……………。」


 必死に手を伸ばしたけれど、どんどん離れていく。
 一瞬だけ、その人の口元が見えた。
 優しく微笑んで、「いってらっしゃい。」と、言ったように花霞は思った。




 眩しさから目を閉じる。
 そして、すぐに目を開けようと思ったけれど、今度は瞼が重く感じてしまう。
 ゆっくりと目を開けると、今度はほどよい光りを感じた。温かい、ぬくもりのある光りだった。

 けれど、体が酷く重くなっている。
 先ほどふわりと飛んでいた軽い体が嘘のようだった。


 「………………。」


 花霞は、目線だけで周りの様子を確認する。
 白い天井に、白いレースのカーテン。そして、見たこともない機械が光っていた。
 そして、懐かしい香りもする。これは花の匂いだった。花霞が毎日この香りに包まれて仕事をしていた。仕事………あぁ、花屋をしていたんだった。そんな風に一つ一つの事を思い出しながら、花霞は天井を見つめていた。

 体はどうも動かない。

 けれど、温かさを感じる部分がある。左手がとても温かいのだ。そのせいか、そちらは少しだけ指を動かせるようだった。
 力を入れると、少しだけ指先が動いた。
 すると、視界の端で何がごそりと動いた。


 「……………ん………少し寝てしまったか………。花霞ちゃん、暑くない?」
 「………………ぅ……………。」


 眠たげに目を擦っている男の人。
 そして、自分の名前を呼ぶ声。

 それを感じて、花霞はどうしてここに自分が居るのかをやっとの事で思い出した。
 彼と話したい。彼の名前を呼びたい。もう1度、手を握って欲しい。

 その思いで、必死に声を出した。
 すると、思った通りの声は出なかったけれど、何とか発することは出来た。


 「りょ………さ………。」
 「…………え…………。」


 花霞の声が届いたのだろう。
 目を擦っていた手が止まった。
 そして、茶色の瞳がこちらを見た。彼は驚いた顔を見せた後、泣きそうに眉を下げて、花霞に近づいた。


 「花霞ちゃん………。目を覚ました………!」
 「椋さん…………。」
 「…………よかった………やっと君に会えた。………傷口は痛まない?」


 彼は、花霞の頬に触れながら、心配した表情で見つめる。焦った様子で、花霞に話しかけるけれど、花霞は久しぶりに愛しい人に会えたような気がして、目に涙が溜まっていくのがわかった。


 あぁ、椋さんだ。
 やっと会えた。
 家を出てしまってから、必死に探して、やっと見つけたのだ。そして、彼を守ることが出来たのだとわかり、花霞は安心し、そして嬉しくなった。


 「あぁ、医者を呼ばないと………。」
 「椋さん…………。」
 「ん?どうした、花霞ちゃん。」
 

 ナースコールをしようとした椋は、花霞の声を聞いて、その手を止めてまた優しい表情で花霞を見てくれる。
 名前を呼べば答えてくれる。それが堪らなく幸せで、花霞は瞳から涙が落ちた。

 
 「おかえりなさい………椋さん………。」
 「………っっ…………。」


 椋の目からも涙が溢れている。
 そんな気がしたけれど、それはもう見ることは出来なかった。
 ベットに体を預ける花霞を椋が覆うように抱きしめてくれたからだ。


 「花霞ちゃん…………ごめん。ただいま………。」


 椋は掠れた声でそういうと、更にギュッっと強く抱きしめてくれる。
 花霞はその苦しいぐらいの抱擁で、椋の体温や鼓動を感じられ、守れてよかったと改めて思えた。


 「………私がした事。………怒ってない?」
 「怒ってないよ。ありがとう、俺を守ろうとしてくれて。………そして、俺に正しさを思い出させてくれて。」
 「…………うん…………。」
 「………君を好きになって、本当に幸せなことばかりなんだ。俺と結婚してくれて、ありがとう。」
 「…………もう期間限定の結婚じゃくていいの?」
 「あぁ………。本当の夫婦なんだろ?」
 「…………よかった。」



 花霞は震えながら腕を挙げて、彼の体に手を伸ばす。抱きしめかえされたのがわかったのか、椋は顔を上げて、花霞の顔を見つめた。そして、ニッコリと花霞が大好きな優しい笑みを見せると、ゆっくりと唇を落とした。



 「俺の奥さん………これからはずっと君を守って幸せにする。」



 その言葉が花霞の体に溶けていくと、花霞はまた涙が溢れた。
 それは、幸せで嬉しい涙。

 こんなにも気持ちが満ち足りているのは、目の前に愛しい彼のお陰。


 花霞は、彼の温かい唇を感じながら、そっと目を閉じた。















 花霞が目を覚ましたのは、事故から5日目の事だった。峠は越えたというのに、花霞はなかなか目覚めなく、医師も椋も、そして栞や滝川も心配していた。
 そのため、花霞が目覚めたと知って皆が喜んでくれていた。

 まだ、体を自分で動かす事は出来なかったけれど、椋が看病をしたり、世話をしてくれたので、順調に回復していた。



 「目覚めたときに感じたのは、このお花のおかげなのね。」
 「そうだよ。みんな見舞いにくる時に花を持ってきてくれたんだ。それに、栞さんは花霞ちゃんが好きだからって部屋中に飾ってくれたんだ。」
 「栞らしいな………。でも、嬉しい。」


 花霞の病室には、いたるところに花のブーケが飾られており、小さな花屋さんのようだった。部屋に入ってくる看護師さんやお医者さん達はいつも驚くほどだった。


 「…………早く花屋で働きたいな。」
 「もう少しリハビリをしなきゃな。」
 「………椋さんは?お仕事しなくていいの?私の看病してくれるのは嬉しいし、寂しくないから幸せだけど。」
 「大丈夫だ。夜に済ませてるよ。」
 「……………椋さんは、警察の仕事が好きなんだよね?戻らないの?」


 椋は、遥斗と一緒に警察を目指したはずだ。
 カッコいいヒーローのような警察を。
 それなのに、遥斗が死んでしまったことで、椋は警察を辞めてしまったのだ。
 辛い思い出が多い仕事かもしれない。

 けれど、椋の夢はきっと警察になる事だったはずだと花霞はずっと考えていた。


 「………確かに俺の夢は警察だし、遥斗も同じだった。けど、やはり危険が伴う仕事だ。君を残して死ねないって思う。花霞ちゃんを守りたいんだ。」
 「…………椋さん。」
 「それに、今の方が稼ぎもいいんだ。花霞ちゃんをもっと幸せに出来るはずだよ。」


 冗談を交えながらそういう椋の少しの変化に気づかないほど、花霞は鈍感ではなかった。
 花霞は怒った顔をして、椋に言葉を投げ掛けた。


 「私は椋さんがしたい仕事をして欲しい。それに、警察官をしている椋さん、かっこいいだろうなーって思ってるんだよ。だって、写真の制服姿の椋さん、とっても素敵だった。」
 「………花霞ちゃん。でも………。」
 「椋さんは警察官になったら、私を守れないの?」
 「…………花霞ちゃんはズルいな。」
 「ふふふ。」


 花霞の言葉に少し驚きながらも、椋は少し困った顔を浮かべ微笑んだ。

 
 「わかったよ。………前向きに考えておく。」
 「よかった!!あ、それにね、目覚める前の夢でも、警察官になってって言ってたよ。」
 「え、誰が?」
 「んー………わからないんだけど。その夢も、今では曖昧で覚えてないんだ。けど、ここには来る場所じゃないよって言われた、かな。………優しい男の人の声だった。」
 「…………そうか。」


 椋は何かに気づいたのか、幸せそうに微笑むと、花霞の頭を撫でた。


 「…………幸せになろう、花霞ちゃん。」 
 「うん。もっともっと幸せに、ね。」
 「………ありがとう、愛してる。」



 ここは綺麗な夜景も見れない病室。そして、ドレスではなくピンク色の病衣だ。それに、綺麗に化粧もしていない。
 けれど、目の前には愛しい人が甘い言葉とキスをくれる。それだけで、何よりも幸せな瞬間になるのだ。


 「椋さん………好き………だよ。」


 キスの合間に、愛しい人に愛の言葉を伝える。その言葉を紡ぐだけでお互いが笑顔になれる。

 秘密もあり、少し危険な旦那様。
 だけど、花霞にとって最高の愛しい旦那様だ。



 花霞はまた、キスをせがむように、瞳を閉じて彼の唇の感触を待ちわびた。





 



 
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