上 下
4 / 34

3話「宝石の瞳」

しおりを挟む




   3話「宝石の瞳」




 「そういえば、あの人の名前も知らない………。私、何やってるんだろう」


 花は、名前も知らない男の家の湯舟につかりながら、一人呟く。
 お風呂場独特の声の響きはどこの家も同じなんだな、と当たり前な事を考えながら体を温める。自分で思っていた以上に体は冷え切っていたようで、しばらくの間首まで湯舟につかってもなかな体がカタカタと震えていた。肌が痺れる感覚さえある。あの男が外で待っていると思うと申し訳ないとは思いつつも、体がお湯を求めており、なかなか湯船から出れない。
 少し遅くなってしまう事は諦めて、花はふーっと大きく息を吐いた。あの人が突然川にテディベアを落とさなければ、こんな事にはならなかったのだ。少し外で待ってもらっていいか、と思うようにして、しばらく名前も知らない男の家のお風呂時間を堪能するのとにしたのだった。



 「お、お待たせしました」
 「あ、おかえりー。体あったまったかな?」
 「おかげさまで」
 「洋服はやっぱり大きかったよね。君の洋服乾かさないとね」


 外で待たされていた事を全く気にした様子も見せずに、花が玄関から顔を出すと微笑みながら立ち上がった。
 男は玄関に、テディベアを抱きしめながらボーっと座っていたようだ。成人男性がぬいぐるみを抱いて玄関に座り込んでいるなど通りがかった人は驚いただろうな、と花は思った。いや、もしかしたら近所では彼は有名なのではないか。橋の上からくまのぬいぐるみを落とすぐらいなのだから。そこまで自分勝手に考えながらも妙に納得してしまう。

 店内に入った男はどこからハンガーを持ってきてくれ、窓際に洋服をかけてくれる。けれど、そこからぽたぽたと水が落ちていく。これでは乾くまでに何時間かかるのだろうか。花は、心配になりつつもそれを考えないようにした。
 男が貸してくれたのは、ロング丈の黒のTシャツに、ダボッとしたジャージ素材のズボンだった。男も細見と言えど、花には彼の洋服は大きかった。首元も大きくあいているせいで、肩から洋服が落ちそうになる。そのたびに、服を元に位置に戻し、またずるずると落ちる、の繰り返しだった。


 「はい、どうぞ。お風呂上がりだから、アイスティーにしてみたんだけど、大丈夫かな?」
 「……ありがとう、ございます」


 花はそれを断らずに貰い、口に入れる。すると、アッサムティーの香りが鼻奥まで届き、口の中には甘味を感じる。ほんのりとした甘さがある。きっと砂糖が入っているのだろうが、甘すぎず紅茶の味を邪魔しない分量であり、とてもおいしかった。喉が渇いていたこともあるが、あまりのおいしさに花はゴクゴクとあっという間に飲み干してしまった。その様子を見て、男は「お口にあったみたいでよかった」と、花のコップにまたおかわりを注いでくれた。

 「今日は本当にありがとう。君みたいな大切なものだったから本当に助かったよ。本当にお礼をさせてほしい」
 「それは、大丈夫です」
 「じゃあ、俺が勝手に作ろうかな」
 「………」
 「でも、その前に君の話を聞かせて欲しい。君は、この『花浜匙』に用事があった。そうだよね?用件を聞かせてくれないかな、お客様。いや、恩人様」

 
 白いシャツに細身のズボンというラフな格好の男は、花の正面のソファに座っている。足の上に手を組んで微笑む。きっと、これが接客スタイルなのだろうな、と思いながらもその話の流れに花は感謝した。
 そう、花はこの店に用事があった。
 もちろん、テディベアの製作をお願いしたかったわけではない。きっとオーダーメイドで作り上げるテディベアなのだ。高価に違いない。そんな可愛くて綺麗なものなど欲しいと思えない。

 花は、丁度テーブルの上に置いてあった自分の紙袋を自分の膝の上に乗せてる。
 そして、背筋を伸ばして、顎を少しだけ引き、視線をまっすぐ男の瞳に向ける。そして、男に見せたこともない笑顔で微笑みかける。


 「私は乙瀬花と申します。そのテディベアを落としてしまったのはあなたのせいとはいえ、お風呂まで貸していただきまして、ありがとうございます。感謝しております」
 「………棘があるなー。でも、まぁ、本当の事だからね。こちらこそ、テディベアを助けてくれてありがとうございます」
 「あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
 「あぁ………そうだったね。………俺は、神谷凛かみやりんだよ」
 「私がこのお店に用事があるのでは、というのは正解です。実は、神谷さんにお聞きしたい事があるのです」


 そう言って、花は紙袋からあるものを取り出した。そして、それを凛に見えるように正面を向けておいた。
 花が取り出したものは、焦げ茶色のテディベアだった。手には花浜匙のテディベアの証である、クマとスプーンと花のマークが刺繍されていた。店先に飾られているテディベアと顔や形はそっくりだった。が、1か所だけで違うところがあった。


 「これは、すごいね……」


 そのテディベアの瞳は、キラキラと眩しいほどに輝いていたのだ。
 右目は赤色、左目は緑色。他のテディベアとはそれは全く違うものだった。それを見て、凛は感嘆の呟きをもらした。見たこともない綺麗なものが目の前に表れると声も出なくなるらしい。


 「赤い瞳はガーネット、緑色はエメラルドだそうです」
 「……宝石の瞳」

 凛はそのテディベアをとても珍しそうにまじまじと見ている。やはり、宝石の瞳のぬいぐるみなどなかなかないのだろう。テディベアの顔を近づけて見入っている凛に花は言葉を続ける。


 「このテディベアには四十九日の奇の魂が入っています」
 「え……」
 「神谷さん、このテディベアは何のために作られたのか、調べていただけないでしょうか?」


 驚いた様子で、花と宝石の瞳をもつテディベアを交互に見ている凛に、真剣な表情で見据える。
 

 「お代はこの瞳の宝石でもかまいません。よろしくお願い致します」


 花は深々と頭を下げたため、目の前の彼がどんな表情をしていたのかわかるはずもなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...