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葵羽ルート 14話「エリック」
しおりを挟む葵羽ルート 14話「エリック」
約2時間半のコンサートは、彩華にとってあっという間だった。
序盤はドビュッシー曲のコンサートだろうか?というぐらいに、ドビュッシーの曲が続いた。それは、彩華の部屋で弾いてくれた曲ばなりで、順番もまるで同じだった。
それが、彼からのメッセージのようで、思わず微笑んでしまう。大丈夫、葵羽さんだとわかっているよ、と伝えたくなる。
その後も、繊細で豪華、綺麗で豪快な演奏が続いていき、会場内は葵羽の演奏に引き込まれていった。もちろん、彩華も同じだ。彼の手の動き、ピアノのハンマーと弦から響く音が、体の巡っていくように感じられた。
葵羽はこんなにも素晴らしい演奏家だったのだと知り、自分の部屋の古びた電子ピアノで弾いて貰った事が、とても贅沢だった事に気づいた。
そして、彼が沢山の人の心をキラキラとさせ、感動させてくれるすごい人だったのだと思うと、少し寂しさを感じたりもしてしまう。
彼との距離がまた更に遠くなってしまった。
彩華はそんな風に感じてしまったのだった。
「エリック」として立っている葵羽は、すべての曲を演奏し終わると、割れんばかりの拍手、スタンディングオベーションで彼の演奏を賛辞されていた。
もちろん、彩華も同じように手を叩き立ち上がっていたけれど、その音や景色は今、自分はそこに立っていない。遠い景色のように感じられたのだった。
会場を出ると、彼のCD販売もされており、覗いて見ると数種類のCDが並んでいた。どれも、彼の顔などは写っておらず、真っ黒な紙に白い文字でタイトルと「エリック」の名前が印刷されているだけだった。その中に「ドビュッシー」と書いてあるものを見つけ、彩華は思わず手に取ってしまう。
「今日はドビュッシーの曲が多かったですよね」
「え、あ……そうですね」
「エリックさん、突然演奏する曲を変えたそうですよね。ドビュッシーお好きなんですかね。こちらのCDもとても素敵ですよ」
CDを売っていたスタッフがそんな話しをしてくれた。その話しが彩華にとってはとても嬉しいもので、気づくとそのCDを購入してしまっていた。
会場から出た後に、葵羽にチケットのお礼のメッセージを送ろうとして、スマホの電源を入れるけれど、彼に何と伝えればいいのか、どんな言葉をかければいいのかわからなかった。
しばらく、メッセージ画面とにらめっこをした後、彩華はハーッとため息をついて画面を閉じて、スマホをバックの中に閉まった。
夜になると一気に寒さが増す冬の日。
彩華は身を縮ませながら駅まで歩いた。葵羽へのメッセージの事で頭がいっぱいになっており、気づくと電車のホームに立っており、丁度来た電車へと乗り込んだのだった。
葵羽へのメッセージを打ち込んでは消して、また打っての繰り返しでなかなか良い言葉が浮かんで来なかった。
そんな事をしているうちに、ブブッと持っていたスマホが震えた。葵羽の方からメッセージが届いたのだ。
『今、どちらに居ますか?』
急いでいるのだろうか?
彼には珍しく用件だけメッセージだった。彩華はすぐに「今日はお招きありがとうございました。とても素敵なコンサートでした。今は電車に乗っています」と返事をすると、すぐに既読になった。返事もすぐに来る。
『もう少し時間がかかってしまいますが、今夜お時間くれませんか?最寄りの駅でも、自宅でも向かいに行きます。』
そんなメッセージが届いた。
彩華は少し悩んだ後に、彼に返事をする。
「疲れているのに、ありがとうございます。駅近くのお店で待っています」
と返事をした。すると、『ありがとうございます。待っていて下さい』と彼から返事が来たので、彩華はスマホを閉じてバックに入れた。
そして、コンサートの余韻に浸る。
彼の生のピアノの迫力はとても素晴らしく、1回聞いてしまうと、また聞きたいと思ってしまう。
そんな素敵な仕事なのに何故、秘密にしていたのだろうか。それが彩華にはわからなかった。けれど、これから彼は教えてくれるつもりなのだろう。
彼が秘密にしていたことを知れる。
それは嬉しいことだけれど、やはり緊張してしまう。彩華の体が強張ってくるのがわかった。体に力が入ったからだろうか。その瞬間、彩華のお腹が「ぐぅー」と小さく鳴った。電車の音で周りには聞こえていないだろうが、コンサートの時に鳴らなくてよかったと彩華は顔を赤くした。
仕事が終わってからも食事をせずに会場まで来てしまっていた。彩華は葵羽を待っている間、カフェで軽食をとりながら過ごすことに決めたのだった。
待っている時間は、そわそわしてしまい、スマホが何かを通知する度に、ドキッとしてしまった。
そんな中、彼から連絡が来たのは、彩華がカフェに着いてから約1時間後だった。彩華の自宅の最寄り周辺に到着したとメッセージが届いたのだ。カフェの場所を伝えると、葵羽は近くまで迎えに来てくれた。
「お待たせしてしまい、すみませんでした」
「いえ。ありがとうございます」
助手席に座り、葵羽と2人きりになる。
考えてみれば、葵羽に本音を伝え、逃げてしまってから、彼とは1度も会っていなかった。
ケンカのようになってしまっていたのを、彩華はすっかり忘れてしまっており、2人になってから気まずい雰囲気になってしまった。
彩華がどうしていいのかわからずに、もぞもぞとしていると、葵羽の方から話しを切り出してくれた。
「今日は来てくださり、ありがとうございました。ステージからあなたを見つけた瞬間、とても安心出来ました。………そして、黙っていて、すみませんでした」
「とっても素晴らしいコンサートでした。お客さんもすごく幸せそうに笑顔になっていたし、葵羽さんも楽しそうに弾いていて。あ、もちろんピアノの演奏も素敵でした。うっとりしてしまうぐらいに」
「………ありがとうございます」
彩華は話しているうちに、コンサートの興奮が甦ってきてしまい、熱く語り始めると、葵羽は「ありがとうございます」と苦笑しながら言った。
「本当にすごかったんですよ?……感動してCDを買っちゃうぐらいに!」
「CDは私からプレゼントしますよ?」
「いいんです。初めての記念です」
「…………別の仕事の事を話せずにいて、すみませんでした。その事で彩華さんを悩ませて、泣かせて、あんな事まで言わせてしまった。そして、それに気づかず自分の感情ばかりを優先していました」
赤信号になり、車を停止させた葵羽は彩華を向いて、そう言った。申し訳なさそうに眉を下げ、そして真剣な眼差しで謝罪をする葵羽を見て、彩華は優しく微笑んだ。
「私も葵羽さんにしっかりお話出来なかったのも悪いと思っています。葵羽さんが言われて嬉しくない事を聞いて嫌われるのが怖かったのかもしれません。………でも、それは違いますよね。お互いに話さないとわからない事だってありますよね……」
「えぇ、その通りだと思います」
葵羽は苦笑を浮かべながらそう言い、続けて言葉を発した。
「彩華さん。…………今から、私の部屋に来ていただけますか?」
こうなることは、少し予感していた。
彼が自分の事を話してくれると言った時から、きっと葵羽は家に呼んでくれるだろうと。
けれど、いざ本当に葵羽の家に誘われるとなると、緊張してしまうものだった。
だが、これは自分が望んだ事なのだ。
彩華が彼を知りたくて、もっと深い所で繋がっていたくて、そう願った。
彼の問いかけに、迷うことなどなかった。
彩華は「はい」と、了承の返事を返すと、葵羽はホッとしたように微笑んだのだった。
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