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7話「鴉の瞳」
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目の前で使われた言葉。
呪文と言った方がいいのかもしれない。それは不思議と怖いとは思わず、心地よいと感じられた。今までは直接見たこともなく、ただただ噂だけを聞いて怖いと感じられた。けれど、彼の言葉は怖いものではなかった。知らない国の言葉を知るようで、ワクワクとした気持ちになった。
けれど、それを自分でもその呪文をつかったのだと思うと不思議だった。
「体、震えてる………風呂入ってきた方がいいんじゃないか?」
「………ねぇ、あなたは誰?あなた、どうして助けてくれたの?」
心配してくれて言葉には返事をせずに、空澄は彼に問いただした。
何故、自分の事を知っているのか?名前も、そして家まで知っていて、今はお風呂場まで行って操作までしていた。
彼は自分の事を知っているのに、自分は知らないのだ。それについては知っておかなければ、お風呂に入る事も彼を家に入れたままにしておく事も出来ない。
「黒鍵希海(くろかぎきうな)」
「え……」
「だから、俺の名前。それに、俺は魔王だ」
「………魔王……」
「知ってるだろ?それぐらいは」
魔女と魔王。
もちろん、空澄も知っていた。けれど、こうやって面と向かって会ったことも話したこともない。それぐらい珍しい存在だった。
この世界には、不思議な力を持った人がいる。空を飛んだり、何もないところから水や火などを出したり。そして、現代の科学などでも解明出来ない上質な薬を作ったりも出来る。そんな物語のような魔法使いの存在。そんな人が稀にいる。
その人たちの事を女性は「魔女」、男性は「魔王」と呼ばれた。その魔女達はひっそりと暮らし、森の中や街中の袋小路、路地裏などに店を持ち、薬などを売って生活をしていた。魔女の力を頼りにしている人も多いが、あまり近寄ろうとはしないのが現実だった。
特殊で不思議な力を持つものは疎まれ、孤独になる。そう言われていた。
そのため、空澄も魔女や魔王とは会った事はなかったし、力を見た事も薬を飲んだ事もなかった。だからこそ、都市伝説のように本当に実在するのかと疑っていたぐらいだった。
けれど、泥水で溺れそうになっていた空澄を助けた魔法や高速移動の魔法を体験してしまうと、それは疑いもないモノになってしまった。
「本当にいるのね………」
「そんなに珍しいものじゃないだろ。特に、空澄は」
「………何で私を知っているの?」
「まだわからないのか?んー、それはそれで悲しいな」
「私たち会った事あるの?」
「そりゃ、もちろん。空澄が生まれたときから、今までずっと知ってる」
クイズを出しているかのように空澄の質問に答えるけれど、正解は教えてくれない。目の前の彼は、空澄自ら気づいて欲しいように感じられた。
それにしても、彼は自分が生まれる前から知っているのというのに驚いた。ならば、彼の事を知っているはずだが、空澄には名前の聞き覚えも、顔の見覚えも全くなかった。けど、この妙に安心する雰囲気を感じる理由がわかったような気がした。
どんなに記憶を思い返しても目の前の彼の事を思い出すことは出来なかった。そのため、まじまじと彼の顔を見つめた。希海はそれをまたニコニコと見つめている。それが少し恥ずかしくなりながらも、ジーっと彼の顔を見つめ続けた。けれど、こんなにも容姿の整った顔を1度見て忘れる事などあるだろうかと、疑問にも思った。
「…………わ、わからないです」
「まぁ、そうだよな。じゃあ、この瞳を見てもわからないか?」
そう言って、希海はグイッと更に空澄に顔を近づけた。彼の鼻と自分の鼻とか触れそうになり、思わず体がビクッと反応してしまう。けれど、冷静な彼を見ていると、こちらがドキドキしているのが恥ずかしいため何とか平然を装おって彼の顔を見返した。
すると、彼の瞳が目に入る。真っ黒でだけどどこか青い深海に似た濃紺と漆黒のグラデーションがとても美しかった。そして、その瞳に見覚えがある事に気づいた。それは確かに毎日会っていた。いつも綺麗だなと見つめていた小さな小さな瞳。
「…………あなたの瞳、海に似ている」
「…………」
「そう、この黒くて深い紺色は鴉の海に似てるの!………って、鴉だから違う………」
「そうだよ」
「え?」
「俺は、空澄がいつもチーズをあげていた海だ」
そう言い、希海は得意気に笑ったのだった。
「………鴉だったって………嘘でしょ?」
空澄は独りそう呟いていた。
その後、くしゃみを連発してしまった空澄は希海が「話は後にして、風呂が先だな」と、強く入浴を勧めたためにお風呂に入る事にした。湯船に浸かりながら、先ほどの希海の言葉を思い出し考えていた。
溺れていたところを助けてくれたのが、あの鴉の海だというのだ。そんな事は信じられない。
鴉が人間になるなんて、ありえない。
そんな「普通ならばありえない事」が、魔女や魔王には出来るのだろう。そう考えると、鴉の海が希海だというのも、本当の事なのかもしれない。
空澄の事をよく知っており、この家も知っているようだった。それに、空澄自身が彼に不思議な親近感を持っていた事が、彼の言葉を信じる一番要因になっていた。
けれど、希海が何故鴉になって空澄の周囲にいたのかは謎のままだった。
そして、空澄が魔力を使ったというのはどういう事なのか。
そんな事を悶々も考えているうちに、空澄は大きくため息をついた。
昨日からいろんな事がありすぎた。
璃真から告白をされ、次の日は彼は亡くなり、その遺体は白骨の状態で見つかった。そして、璃真のスマホを探しに沼に行くとそこで溺れてしまった所を知らない男に助けられた。そして、その男は魔力を使う魔王だった。
ここまで今までの穏やかな暮らしが一変する出来事が一気に起こるなんて、信じられなかった。
空澄は何度か大きく呼吸をした後に「………とりあえず、職場に電話してしばらく休む事を伝えないと」と、普段の事を思い出して冷静になろうとした。
「あ、やっと上がったか。温まったか?空澄」
「……………」
けれど、お風呂から上がるとやはり現実ではないような事が目の前に起こっている。鴉が人間になった。そんな男が目の前にいるのだ。
だけれど、たった半日誰もいない家で過ごした寂しさを思うと、温かい言葉と誰かがいる雰囲気が妙に心地よくそして懐かし思い、空澄は目にうっすらと涙が溜まっていくのがわかった。
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