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四章「わたしの神様」
二十四、
しおりを挟む二十四、
左京に助けられた紅月は、その後、彼を抱きしめたまま気を失っていた。
その後、紅月は何日も寝込んでいたようだ。
起きた瞬間、両親は苦い顔をして「無事でよかった」と言ってくれたが、優月は素直に喜べるはずがなかった。村のために命を捨てろと言ったくせに、何を言っているんだろうか。そんな言葉、信じられるはずがなかった。
優月はすぐに「左京様は!?」と問いかけたが、「亡くなったよ」と、辛い現実を突きつけられた。自分が倒れる前に起こった出来事。それは夢ではない紛れもない現実だったのだ。
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これが、左京なのだ。やっと名前を知れた。自分の愛しいと思える人が、こんなにも小さな姿になってしまった。動きもしない。名前も呼んでもらっていない。また、触れて欲しい。手を繋いで笑い合いたかった。
「左京様。私の名前、聞こえましたか?左京様、私……………、寂しいです」
腕の中にすっぽりと入る骨壺を抱きしめる。そこにはもうぬくもりも感じられない。
ただただ冷たい感触。これが、死ぬという事なのだな、と夕月は感じながら、彼との別れをなかなか受け入れられずに、ただただ涙を流すだけだった。
その後、優月はすぐに山の方へと向かった。村を歩くと、皆に「よかったよかった」「蛇神様は神様じゃなかったんでしょ?こわいわね」と声を掛けられた。皆、信じていた神様が本当は化け物であった。それが信じられないのと、退治された事で安堵し、晴天を喜んでいるようだった。そんな話をすぐに切り上げて、優月は山中へと向かった。
もちろん、向かう先はただ一つ。
左京の家だ。
彼が仕掛けた罠を踏んでしまわないよう、ゆっくりとすすむ。けれど、ここの罠にかかれば「またか」と、苦笑いを浮かべながら左京は出て来てくれるのではないか。そんな風に思ったけれど、彼は助けに来てくれない。この世界にはもういないのだから。そう思うと、また瞳の奥が熱くなってくる。
それを必死に堪えながら、なんとか罠に足を取られることなく家まで到着する事が出来た。優月は、ゆっくりと左京の部屋を見渡す。その瞬間に、左京の香りが全身を包む。
彼が寝ていただろう布団は、敷かれたまま放置されていた。飛び起きたのだろうか、掛布が乱雑に置かれていた。それ以外はほとんど物がない部屋だった。囲炉裏に水桶、野菜や米、焼いてある魚が置いてあるだけだった。彼の着物も数着だけ部屋の籠の中に置いてあるだけで、彼が質素な生活を送っていたのがわかった。
布団の脇には、矢のために使うのであろう細い木や石が置いてあった。狩りをして肉を売っていたのだろう。けれど、それにしてもかなりの数だった。何故こんなにも必要なのか。
「もしかして、私を助けるため?」
都合がいい考えかもしれない。
けれど、優月が生贄にされることは彼もわかっていた。それはおかしいと思ってくれていた。そして、本当に助けに来てくれたのだ。そう考えれば、左京は蛇神から優月を守るために、弓矢を準備してくれていた。そう考えるのが自然であった。
優月は震える手で、作りかけの矢の先端につける石を見つめた。鋭くするために削っているのだろう。石のはずだが、つるりとしてとても綺麗だった。彼が自分のために作ってくれたもの。
「ありがとう、ございます」
優月はそれを両手に包み。目を瞑って、祈るようにそう言葉を紡いだ。
それが彼に届くように。
それから、彼の匂いが残る部屋で、優月はしばらくの間、泣きながら過ごした。
きっとあれは夢で、扉が開いて「なんだ、来ていたのか」と笑って優月の元へ帰ってきてくれるのではないか。
綺麗だ、と言った花無垢姿になれば迎えに来てくれるのだろうか。
そんな事を考えながらその日は夕暮れまでこの家に居たが、左京が帰ってくることはなかった。
それからというものの、優月は家族の反対を押しきり、左京が暮らした山の家で一人暮らすようになった。誰とも会わずに、ただただ左京との短くも楽しかった思い出に浸り、そして寂しさと悔しさを感じながら日々を過ごした。
結婚をすることもなく、年齢だけを重ねた。この時代の女など結婚し子ども産む事だけが生きる役割のようなものだ。そのため、優月は変わり者とされ、村の人たちからも次第に避けられるようになった。けれど、それでよかった。誰とも関わって暮らすつもりなどなかったのだから。
家族も見て見ぬふりをしていたけれど、さすがに哀れに思ったのか、月に数回、食材と少しの銭をこっそり山の家の玄関に置いてくれていた。自給自足で暮らしたことがなかった優月は、両親に甘えるのは嫌だったけれど、暮らしていくためにはそれを受けとるしかなかった。左京が守ってくれた命を易々と終わらせるのは申し訳ないと思えていたので、両親のその行いには感謝をしていた。
そして、そんな暮らしの中でも、優月にはやることがあった。
矢鏡神社のお参りと清掃だった。左京が蛇の化け物を倒すとその後は安定した天気が戻ってきた。そのため、左京は神のように慕われるようになった。そして、村の人々は左京への感謝と労りの気持ちを表すために、彼を神様として崇め、神社を作ったのだ。そう、あの山の中の、優月を助けた崖付近に。崖のすぐ傍では危険があるとして、近くに神社を建てた。そのため、優月が暮らす左京の家からは目と鼻の先にあるのだ。
神社へ赴き、風を感じながら、物言わぬ神となった左京の傍で静かに過ごすのが何よりも楽しみであった。
歳をとり、死ぬまで神社と共に過ごしていきたい。それが、ささやかな願いであった。
けれど、その願いも叶わなかった。
また優月が年老いてきた頃に、また村の悪天候が続いた。今となれば、悪天候が続いてしまうことも長い年月の中ではあるものだとわかるが、その頃は全て何かの祟りや神様が怒っていると考えられていた。そのため、今回も何かよくない事があるのだと考えてしまった。そして、その矛先はなんと矢鏡神社であった。
最近山に蛇が頻繁に出るようになった事もあり、「やはりこの村の神様は蛇だったのだ」「蛇神様を殺した祟りが、今になって溢れてきたのだ」「矢鏡神社を壊せば天気も良くなるはずだ」そう言って、矢鏡神社の取り壊しが決まったのだ。
村にはほとんど下りない生活をしていた優月にとって、神社の取り壊しの決定を知ったのは、着工の日であった。
「何をしにきたのですか?」
いつものように、朝のお参りをしている時に村の男たちが、怖い顔をして矢鏡神社に現れたので。その様子にただ事ではないことを察知して、優月は強い口調で問いただした。
「矢鏡神社は壊す事になった」
「こんな祟り神はいなくていいのだ」
「た、祟り神!?矢鏡様が、何故?壊すなんて、とんでもない!!」
「これは村の決定事項だ。あんたは村人ではないんだ。関係ないだろう?」
「関係ありますとも!私は左京様、矢鏡様に助けられたのですから」
彼らの行く手を阻むように、小さく欲しくなった体で両手を広げて、仁王立ちをして男たちを睨みつける。
けれど、若い男相手に老いた優月が叶うはずもない。体を押されただけで、そのまま倒れてしまった。
そのまま、刀や石斧で矢鏡神社を壊しに近づく男たち。
優月はそれに黙って従うつもりはなかった。
自分や村の人達を守ってくれた左京。それを神として祀ったのは村の人間だ。
それなのに、今度は悪天候が続くのは矢鏡神社のせいだと濡れ衣を聞かせて悪者扱いをし始めるなんて、勝手すぎる話だ。
矢鏡神社がなくなってしまえば、神になった左京の魂はどうなるのだろうか。消滅してしまうのではないか。
それが恐ろしくてしかたがなかった。
左京様がいなくなるのを、また見ているだけなのか。
今度こそ、私が。
今度は、私が守るのだ。
「お前たち、ここから去るんだ!!」
「な………何を言って、おい!何をしているッ!」
「矢鏡様を傷つける者は、許しはしないっ!!」
優月の方を振り返った男たちは、等しく動揺し始める。
それもそのはずだ、優月が弓を構え矢先を向けているからだ。
「こんなばあさんが弓矢なんか使えるはずないだろう」
「そうだ、放っておけばいいさっっ!!」
一人の男の言葉が終わる前に、鋭い風の音が辺りに響き、ドスッという重い音が矢鏡神社の柱に刺さった。最後の言葉を放った男の顔すれすれを素早い矢が走り抜けたのだ。
洗練された弓の扱いに、男たちは言葉を失い、ある者は刺さった矢を。ある者は、次の矢を彼らに向け睨みつける優月を見ていた。
「立ち去れ。矢鏡神社を傷つける物には容赦はしない!」
そう言って、何本かの矢を彼らに向かって射る。
もちろん当てるつもりはさらさらない。威嚇だ。それでも、男たちにとっては充分だったのだろう。
「こ、壊さなくても、この神社を参拝しなければいいんだ」
「そうだな。廃神社にしてやる!」
「祟り神を守るなんて、なんて罰当たりな女だ。蛇神様に呪われてしまえばいい」
男たちは悪態をつきながら、優月から逃げるように山を下って行った。優月が彼らの足音や気配が完全に感じられなくなってから、矢を構えていた腕を下ろした。そして、早足で神社の境内へと向かった。
「……左京様。あぁ、こんなに傷が。ここは柱が折れてしまってる……」
村人たちに押され倒れた隙に、男たちはすでに神社に手を出してしまっていた。そこまでの被害ではないが、壁には刃物で切られた痕が、柱には斧で殴られ折られてしまい、痛々しい姿になってしまっていた。優月はいらわるようにその傷にそっと手を当てた。大切にしてきた神社。彼の新しい家となる場所が傷つけられた事が、悲しくて仕方がなかった。
けれども、それと同時に問題も新たに発生してしまった。
村人たちはここを参拝することを止めて、新たにまた蛇神を祀ると言っていたのだ。
「私が死んだ後は誰がここを守るのだろうか。どうしましょう……」
自分が死んだ後に、この神社が取り壊されるんじゃないか。
その日から、優月にはそんな不安が付きまとうようになっていったのだった。
それから、蛇神神社が完成するまでにそう時間はかからなかった。それに比例するかのように、矢鏡神社はどんどん廃れていった。矢鏡神社の管理は、優月だけが行っていたわけではない。神主も不在になり、神社の境内はずっと同じまま、何か壊れたとしても男手はないため、優月が必死に直そうとするが、それも上手くは出来ずにいた。
それに矢鏡神社は優月の留守を狙って、破壊行為をする人もいた。そのため、日に日に荒れ果てたのだ。
神社と同じように、優月の体にも異変が現れ始めた。心労がつもり積もったのだろうか。倒れてしまったのだ。
自分は生かされ過ぎているほど生かされた。だから、そろそろ死んでもいいのではないか。この時代の平均寿命より遥かに長い年数を生きているのは、やはり左京か守ってくれていたからだろうと優月は思っていた。それには感謝しているけれど、死んでから左京に会えるのならば、死ぬのも怖くはないな。そんな風にいつも考えていた。
体が軋み、目眩がして、高熱も出ていた優月は、数日うなされ続けた。一人で暮らすというのは自由であるがこういう時に寂しくなるものだ。食事もとれず、薬も飲めずに悪化していくばかり。
あぁ、本当に死ぬのだなと熱に浮かされながらに、そう悟っていた。
そんな時だった。
何もなかった夢に突如として、白い靄があらわれた。それは次々と細くなりウネウネと動いている。蛆虫のように見えて、優月は悲鳴をあげそうになったが、それが次々に集まり、気づくと巨大な白蛇に変わっていたのだ。
巨大な躰は雪のように真っ白な鱗がキラキラと光っている。その中に、日の丸のように目立つ真っ赤な瞳があった。そして、優月はすぐに理解した。
これが、優月の妹を喰らい、左京を痛めつけ、殺してしまった巨大な蛇だ、と。
「おまえが、妹や左京様を殺した張本人。そんな蛇な私の夢に何用だ……」
威嚇するように低い声を出して優月は蛇に話しかける。
出会った事もないのに、この化け物は会話が出来るとその時何故かわかっていた。
『ワタシニ食ベラレルハズダッタ、弱キムスメ。独リデ死ンデイク哀レナ人間ニ私ガ慰メヲクレテヤロウ』
巨大な化け物の蛇は、そう言って優月に提案を持ち掛けた。
殺してしまいたいほど憎い相手の話を耳に入れたくもなかった。
だが、それは優月にとって口から手が出るほど欲しいものであったのだ。
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