18 / 30
三章「新たな香りと終わりの予感」
十八、
しおりを挟む十八、
「矢鏡様!戻ったのですね」
肇との会話が一方的に終わってしまった後、矢鏡は無心のままで紅月が待つ部屋へと戻って来た。
あの男が話した事を精査する必要があったが、頭が混乱してしまっているため1度冷静になろうと思った。それよりも何よりも、紅月の顔が見たかった。笑顔で「おかえりなさい」と言って欲しかった。
だが、矢鏡を迎えた彼女の顔は真っ青で、笑顔とは言えないほど不安と苦しみが混ざった痛々しいものだった。
「紅月。顔色が悪い。寝ていてよかったのだぞ」
「矢鏡様が帰ってくるのが遅い気がして、心配になってしまって」
「悪かった。俺は大丈夫だから、心配するな」
「………」
矢鏡は抵抗する気力もない紅月を抱き上げて、ベットに寝かせる。彼女は申し訳なさそうにしながらも、体を横にした。瞼もゆっくりと閉じていく。そのまま寝るのかと思ったが、彼女はゆっくりと片手を伸ばし。そして、そっと矢鏡の頬に手のひらを当てた。大切なものを包むように、ふんわりと温かい手が添えられる。
「紅月?」
「矢鏡様、何かありましたか?肇くんと喧嘩しましたか?」
「そんな事はない。……駅まで送って来ただけのことだろ」
「参拝者が増えのをあんなに喜んでくれたのに、帰ってきてからは元気ないように見えて」
「おまえの元気がないからだ。だから、早く寝ろ」
「ごめんなさい」
心配された事を「ありがとう」ではなく「ごめんなさい」という。いや、彼女の謝罪の言葉は何を意味しているのだろうか。紅月に問いかける前に、紅月の差し出した手はゆっくりとベットに落ち、そのまま寝入ってしまった。
矢鏡は彼女を起こさないように、ゆっくりと布団を体にかけた後にベットの横に座り寝顔を見つめる。
紅月を助けたい理由。
それはもちろん、自分の存在を保つため。
けれど気が遠くなるほど長い時間、神として過ごしてきた。消滅する事など怖いとも思わないぐらいに。もしろ、矢鏡という存在を終わりにしたいと思った事もあった。
どうやって生きてきた?
そんな疑問から記憶を掘り起こそうとすると、また不思議な感覚に襲われる。
脳内の記憶の映像に靄がかかり、一番初めの人間の頃の記憶まで戻されてしまうのだ。
その理由については全くわからない。
けれど、それでもわかる。どうして、紅月を助けようと思うのか。
それは惹かれているものがあるからだろう。幼い頃から一人で神社がある山に登り、一人で本を読んだり狛犬を拭いたりしてくれていた。矢鏡神社が遊び場だったのだろう。そんな頃から矢鏡は勝手に紅月を見てきたのだ。
彼女の矢鏡神社を大切にしてくれる所も、日々を賢明に生きている所を見てきた。そんな彼女の生活の一部に矢鏡神社があるのが嬉しかったのだ。そして、気づけば彼女と同じ人間になれればよかったのに、と思うようになっていたのだ。そう、矢鏡は紅月に少しずつ惹かれ始めていた。
そんな時に、紅月の体に呪いついているのに気づいたのだ。それは少しずつ大きくなっている。それが大きくなるにつれて紅月に死の気が大きくなっていく。
紅月が矢鏡を見えるようになっているのは、紅月の死期が近づいている証拠。死者と同じ立場になりつつあるから見えるようになる。そういう事だ。
昔から死んだ者などは見えるような体質だっただろうが、それがより鮮明になっているはずだ。紅月はそれに気づいていないだろう。肇からは全く死の気配は感じられない。あの男は死んだ者を見る才能が産まれながらになる体質のようだ。紅月と肇の力は違う。
惹かれている女性を助けたい。傍にいたい。
そう思えるのは神という存在になっても同じだ。
それに矢鏡は、神になってもただ死なないだけで、何ら人間と変わりはないように思っている。人への愛しさも孤独も不安も、そして人間との関わりの楽しさも感じられるのだから。
「早く助けてやるからな」
俺の手は氷のように冷たい。
それを彼女は「気持ちいいです」と喜んでくれているが、今は紅月に触れてしまうと起こしてしまうかもしれない。これが人間ならば、ぬくもりを感じさせることが出来ると言うのに。何度そんな事を思った事か。そんな事を考えても無意味だというのに。
言葉にも力がある。言霊という言葉もあるほどだ。
誓いと癒しを彼女に向けて伝えた後、矢鏡はしばらくの間、紅月が少しでも楽になるように、呪いを抑えるために小声でお経を唱え、寝ずに彼女の看病をする事にしたのだった。
「…………矢鏡様、これは」
「卵焼きだ」
「こちらはおかゆ?」
「………それぐらいは出来た」
「こっちはサラダですね」
「野菜を切っただけだがな」
目の前には黒と茶色が目立つ卵だったものと、だまになっているおかゆ、レタスと分厚いきゅうり、不揃いのトマトのサラダ。それらが紅月の前に置かれていた。
まだ疲れた顔をしている紅月だったが、並べられた朝食らしきものを驚きながら見つめている。正直にも美味しそうには見えないはずだが、紅月の瞳はキラキラしている。
「すまない。作れると思ったんだが、この時代の道具には慣れてなくてな。紅月に見よう見まねでやってみたんだが、上手くいかなかった」
「そんな事ないです。すごく、すごく嬉しいです」
「………そうか?」
「はい。いただきます、矢鏡様」
紅月は嬉しそうに箸を持って口に卵焼きらしきもの取り、口に運ぶ。焦げた味しかしないはずだが「おいしいです」と次々に食べていく。美味しいと言われると、嬉しいものなのだ、とこの時に初めて知った。もっと、紅月にも伝えればよかった、と今更ながら思っている。
「卵焼きの甘いのは何を入れればいい?」
「えっと、砂糖を入れればいいんですが。矢鏡様は甘い卵焼きがお好きでしたか?」
「おまえのつくる卵焼きはうまいからな」
「あ、ありがとうございます」
頬を赤く染めて、喜ぶ紅月を見ると、こちらも笑みがこぼれてしまう。
こんなにも幸せそうに笑ってくれるならば、沢山褒めて行こう。そう矢鏡は決めたのだった。
こんな穏やかな日々が続くように、と。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ギリシャ神話における略奪婚のその後。
真守 輪
キャラ文芸
親子ほども歳の離れた夫との退屈な結婚生活の中で、久しぶりに出逢った幼馴染の少年は、昔とはまるで違っていた。野生的な美貌。これ見よがしにはだけたシャツの胸元もあたしには、いやらしく見えて不安になる。
親しげに話しかけてくる彼のペースにあたしは、巻き込まれていく。
便利屋ブルーヘブン、営業中。
卯崎瑛珠
キャラ文芸
とあるノスタルジックなアーケード商店街にある、小さな便利屋『ブルーヘブン』。
店主の天さんは、実は天狗だ。
もちろん人間のふりをして生きているが、なぜか問題を抱えた人々が、吸い寄せられるようにやってくる。
「どんな依頼も、断らないのがモットーだからな」と言いつつ、今日も誰かを救うのだ。
神通力に、羽団扇。高下駄に……時々伸びる鼻。
仲間にも、実は大妖怪がいたりして。
コワモテ大天狗、妖怪チート!?で、世直しにいざ参らん!
(あ、いえ、ただの便利屋です。)
-----------------------------
ほっこり・じんわり大賞奨励賞作品です。
カクヨムとノベプラにも掲載しています。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
龍神様の婚約者、幽世のデパ地下で洋菓子店はじめました
卯月みか
キャラ文芸
両親を交通事故で亡くした月ヶ瀬美桜は、叔父と叔母に引き取られ、召使いのようにこき使われていた。ある日、お金を盗んだという濡れ衣を着せられ、従姉妹と言い争いになり、家を飛び出してしまう。
そんな美桜を救ったのは、幽世からやって来た龍神の翡翠だった。異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだという翡翠に、美桜はついて行く決心をする。
お菓子作りの腕を見込まれた美桜は、翡翠の元で生活をする代わりに、翡翠が営む万屋で、洋菓子店を開くことになるのだが……。
恋してVtuver 〜バーチャルに恋して〜
ウシップ
キャラ文芸
埼玉県坂戸市を舞台に、坂戸市ご当地V tuverとそのマネージャーの成長物語
妻に不倫され、さらに無職になり絶望の淵に立たされた男が1人の女性に助けられた。
その女性は坂戸市のご当地vtuverとして活動している。
男は馴染みのマスターから、雇うかわりにある条件を出される‥
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
フリーの祓い屋ですが、誠に不本意ながら極道の跡取りを弟子に取ることになりました
あーもんど
キャラ文芸
腕はいいが、万年金欠の祓い屋────小鳥遊 壱成。
明るくていいやつだが、時折極道の片鱗を見せる若頭────氷室 悟史。
明らかにミスマッチな二人が、ひょんなことから師弟関係に発展!?
悪霊、神様、妖など様々な者達が織り成す怪奇現象を見事解決していく!
*ゆるゆる設定です。温かい目で見守っていただけると、助かります*
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる