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二章「雨の日の記憶」

十二、

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   十二、





 不思議な女だと思った。
 罠にひっかかるような森もしらない身分の高い、ただ守られるだけの女。見た目では誰もがそう思うぐらい可愛げのある容姿と服装なのに、口を開けば年上の男にも負けないぐらいの威圧的な部分がある。一言で言えは強い。
 そして、自分が「死ぬ」とまで伝えてきた。それなのに、怯えもせずに、まっすぐに矢鏡の目を見つめている。
 化け物だと言われ蔑まれた矢鏡の事を。

 矢鏡は自然と頭巾に手を伸ばしていた。
 頭巾が落ちてしまわないように、ギュッと頭を手で押し付ける。



 「死ぬって。どうして」
 「私も話すから、あなたが知っている事教えて。それが条件」


 目の前の女は、矢鏡が白無垢の女を知っていると確信しているのだろう。
 崖から飛び降りた少女の事を気になっていたのは確かであるし、この女が話している事も気になる。
 話すしかない。
 そう決めた矢鏡は重い口を開けた。


 「何を話されても後悔しないな」
 「しないわ。たぶん、大体は察してる事だから」
 「なんだ、それ……」
 「いいから、教えてっ!」


 矢鏡が話さない限り教えるつもりはないらしい。
 仕方がないので、少し前に目撃したあまり思い出したくないあの白無垢の少女の話をする事にした。ゆっくりと歩き、女の隣りに腰を掛ける。もちろん、すぐ傍に座れるほど女に慣れてはいないので、人一人分ぐらいの間は空けれしまう。


 「もう半月ぐらい前だが、朝早く、山に鈴の音が響いて目を覚ましたんだ。不思議に思ってその後を追っていくと、狐の嫁入りのように真っ白な着物に、白無垢の女が行列をなしていて、そのまま山奥へと向かっていたんだ。そして」
 「その後はどこへ向かったんですか?」
 「山奥の崖だ。そこまで行くと、男がお経のようなものを読み始めて終わった後に、白無垢の少女が崖から飛び降りたんだ」


 白無垢の少女が最後に何を言ったのか。それをこの女に伝えるか迷ったが、矢鏡は止めた。
 言葉を聞いたわけでもないし、口の動きだけで判断したので正確ではないと思ったのだ。それに、人を呪うような言葉を伝えるのも気が引けた。知り合いならなおの事だ。


 「そう、ですか」
 「知り合いか?」
 「私の実の妹です」
 「え……」


 彼女の黒々とした目は揺らいでいた。ここで初めて彼女は動揺した。
 それは当たり前の事だろう。家族が死んだのだから。けれど、彼女は予測はしていたのだろう。取り乱す事なく、納得した様子で頷いただけだった。けれど、瞳は先程よりも潤いを増しているのは気のせいではないはずだ。


 「私は村にある寺の娘なの。今回、あまりにも天候不順が続き、作物は育たず、病気持ちの人達は病状が悪化したりと、人々の暮らしに影響が出始めているの。もちろん周りの村もそうなのですが、私たちの村では土砂崩れや洪水などもあり、被害は甚大なんだ」
 「あ、あぁ。確かに、ここ数年は雨の日ばかりで森の様子も変わったな。水を吸いすぎて、病気になる木も多かった。カビも発生しやすかったし、あまり体にはよくないだろうな。俺が肉を売ると高値で売れたのも、食べ物がないからだろうな」
 「けれど、最近は晴れの日が多いと思わない?」
 「あぁ。やっと太陽が見れて安心するな。村にも活気が戻って来たじゃないか」
 

 縁側に座りながら、木々の間から見える太陽を見上げる。
 零れ日の光がさらに木々の隙間から落ちてくる。それは優しい光となり、地面や矢鏡たちを照らす。穏やかな風に吹かれると、晴れの日は落ち着くなと改めて感じさせられる。そして、自然の笑みも零れてくる。
 だが、視線を戻すと女の表情に笑みはない。あんなに綺麗だと思っていた瞳も今は闇が下りていた。


 「それは妹のおかげなの」
 「それは、あの崖から飛び降りた……?」
 「そう。あれは死と引き換えに晴天を貰うための儀式。人身御供」
 「なッ」


 噂では聞いたことがある言葉だ。
 神へ人間を生け贄として捧げることだ。その理由は様々だが、この村のように天災が続いた時に、村が全滅する前に数人を犠牲にして命を捧げる。それと引き換えに平和な日々を神から貰う。嘘だと思っていた。そんな事ありえるはずがない、と。
 けれど、実際は矢鏡が見たように少女が命を捨てたのだ。よくよく思い出してみれば、あの白無垢の少女が崖から飛び降りた日から晴れの日が続いているのだ。
 それは人身御供としてあの少女が命を犠牲にしたからなのか。
 そんな話、信じられない。そう思いつつも、目の前の真剣な表情の女を見てしまうと信じざるおえない。


 「神様って何なんだ?」
 「え、信じてくれるの?」
 

 矢鏡がすんなりと女の話を信じたからだろうか。
 女はぽかんとした表情で、矢鏡を見ていた。そして、「馬鹿にされるかと思ったわ」と、ほっとした表情を見せる。きっと、この話をするのにも勇気がいったのだろう。「妹が人身御供で死んだ」など、信じられるはずもないだろう。
 けれど、それを理解して、一人の少女の死なせて安寧の日々を得ようとした者がいるのだ。
 もちろん、この女とその妹の両親もその一部だろう。

 「実際に崖に飛び込んでる現場を見てるからな。信じるしかない」
 「うん。妹の命のおかげでこうやってお天道様に会えてる。神様にすがるしかないのだから」
 「その神様ってやらが、この山にいるのか」
 「さっき話してた。蛇神様。お父様がそう話しているのを聞いたわ」
 「蛇神?聞いたことがないわ」
 「この山に川があるでしょ?そこの奥底に隠れた洞窟があるらしくて、そこにいらっしゃるらしいわ」
 「神様が?この世で生きているのか?」
 「蛇神様っていうぐらいだから、蛇なんじゃない?」 


 そんなバカな。神様がこの世で生活している?そして、人間を贄としている?
 そこまでは信じられない話だ。
 けれど、そこまで思ってあの日の光景を思い出す。
 そういえば、あの日川へ向かった時、白無垢の少女の遺体だけがなくなっていた。蛇神が連れて行ったのだろうか。いや、死体だ。もしかして。


 「だから、私もその場所に行って本当に蛇神様がいるのか確かめたいの」
 「行ってどうする。本当に蛇神がいたとしたら、どうなるかわからないんだぞ」
 「どうせ、死ぬんだから。確認ぐらいしたいの」
 「さっきからそんな話をしてるが。どういう事だ?病気なのか?」
 「ううん。そうじゃない。元気だけど」


 俯いたその女は太ももの上に置いていた手をギュッと握りしめる。着物の綺麗な花が歪む。ぐしゃりと踏まれた花のようだ。


 「次の人身御供は私なの」
 「次って。また、やるつもりなのか?!あんな事を……」
 「うん」
 「天候だって安定してる。やる意味なんかないだろ?」
 「近々、また雨に変わるらしいの。私のおばあ様がそう告げている。おばあさまは、気候の変動を察知することが出来るんだけど。また雨の日がしばらく続くらしいわ」
 「まさか、家系にそんな力があるから選ばれたってことか?」
 「それはあるかもしれない。そういう摩訶不思議な力をもっている人間は神に近いとされているので」


 先程から今までの生活からかけ離れた話をされている。本当に現実に行われている事なのか?そう疑問におもってしまうが、眼の前の少女の表情は、至って真剣である。それに、妹の死に動揺しながらも、ある程度の予想を持っていたのも嘘ではない証拠だった。
 初めて会った自分に何故こんな話を打ち明けるのか。それはわからないが、村から離れた場所に住む見ず知らずの相手だからこそ話せる。そういう事もあるのだろう。


 「おまえはどうしたいんだ?」
 「え?」
 「妹と同じように、村のために自らを犠牲にするのか?」
 「それは、決められたことだから。村がないと私も生きていけない。この役目を断れば、私の代わりに誰かが死ぬことになる。人身御供以外の方法なんて、もうないんだから」
 「………」


 自分より年下だろう女が自分の命が終わるのを諦めている。いや、自分一人の命で村の全員が助かるのならば。そう思っているのだろう。
 だが、この女の妹が死んで、晴れた時間はどれぐらいだった?あと少しで雨が降り出すのならば、人一人死んだ代償としては短すぎるのではないか。いや、誰かが死ぬことで安寧を得られることは果たして良いことなのか?

 彼女が死を受け入れようとしているのに、そんな事を言えるはずもなく、矢鏡は言葉に詰まってしまう。
 こういう時、人との関わりがなかった事が悔やまれる。すると、女の方が口を開いた。先ほどの話とは違った、穏やかな口調だ。


 「ここは、沈丁花の香りが薫る、良い場所ね」
 「あ、あぁ。近くに咲いているんだ。春がまじかに迫っているんだな」
 「今度川に行きたいの。案内してくれる?」
 「蛇神がいるかもしれないんだろ?そんなところへ行ってどうする?」
 「妹の弔い。村では妹は崖から転落して死んだって事になっているけど、お墓には何も入っていないの、私は知ってるから。せめて死んだ所でお祈りしたいから」
 「わかった。次は罠にかかるなよ」
 「えー、罠なんてやめればいいのに」


 ふんわりと笑った彼女は死ぬとは思えないほどに明るく微笑む。その度に簪についたゆらゆらとした金色の玉がゆれている。月が笑っているみたいだな、と矢鏡は思った。


 名前も知らない女と約束を交わし、女は村へと帰っていった。
 その空にどんよりとした雲が現れ始めたのに、2人は気づきはしなかった。





  
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