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具材がゴロゴロと入ったハヤシライスは絶品で、お上品なサイズでは到底足りないと思ってしまうほどペロリと食べてしまった。蛍と同じ速さで食べ終わった透碧は「論文を書いたり本読んだりする時間が少しでも欲しくて、早食いになっちゃったのです。恥ずかしいです」と笑いながらスプーンを置いた。その考えは蛍も同じだったので「俺も仕事を少しでも早く終わらせたいタイプだから、食事の時間も時短にこだわってたよ」と共感の言葉を伝えると、透碧はニコリと笑って「同じな人がいてよかったです」と嬉しそうにしていた。
食事が終わり一息ついた頃に紅茶が運ばれてきた。
シルバー色のポットと白いティーカップには鳥の絵が描かれており、とても上品だった。スタッフから「あと数分置いてからお召し上がりいただくと美味しくいただけますよ」とアドバイスを貰ったので、茶葉踊り終わるのを待って美味しくなる時間を話をして過ごした。
その間も透碧は「次はどんな話にしますか?古事記の神様の話も神秘的で面白いですよ」と言ってくる。確かにまた彼女の表情を見ながら知らない世界の話を聞く時間も魅力的だ。だが、それでは今日彼女と会った目的を果たせない。そろそろ本題を聞かないと思い、ずっと聞き役だった蛍の方から話を切り出した。
「華嶽さん。そろそろ俺に頼みごとについて話してくれませんか?妖怪の話は面白いんですが、ずっと気になっていたので……」
「そうでした。私もとっても楽しかったのですっかり失念してしまっていました」
そう言うと、テーブルの上に置いてある妖怪の本を畳み、端に寄せ置き、香り高い紅茶を一口飲んだあとに彼女のはとんでもない願いを口にした。
「ほたるさん、私と婚約してくださいませんか?」
「……こ、婚約っ??」
「はい。婚約者になっていただけませんか?」
「婚約って結婚を前提に付き合うって事だぞ、何か言葉間違ってないか?」
あまりに突拍子もない言葉に蛍は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになってしまった。が、何とか堪えてて急いでカップをテーブルへと置いた。
「恋人になるほど一緒の時間も過ごしてもいないし、お互いの事を知りもしないじゃないか。何を考えているんだ、お嬢様は……」
「御曹司とお嬢様の結婚をなど、そんな薄い関係で進むものではありませんか?」
透碧の言う通りだ。
自分の家柄と同等かそれ以上の地位の人を結婚をすることを求められていることが多いのが、蛍と透碧の血族である。だが、蛍は家族と絶縁している。もう誰と結婚をしろなど言われないだろう。いや、むしろ結婚など出来るはずがないと考えていた。
だって、自分はそんな資格などありはずがないのだから。
「それはそうだが、どうして俺なんかが華嶽家のお嬢様と婚約という話になるんだ。全く釣り合わないだろう」
「そんな事はありませんよ。華嶽の会社の取引先としてはかなりの大手。いつもお世話になっておりますし、家族もそれを知れば安心すると思うんです」
「家族のために婚約相手を決めるのか?」
「違います。決められたのを断る口実を探していたんです」
そこまで話を聞いてやっと意味がわかった。
「今の婚約相手が気に入らないから婚約破棄させるために、偽の婚約者を探していて、俺に白羽の矢が立ったわけだ」
「家柄だけではないのですよ。とても優しい方だとわかりました。普通なら気味が悪いと言われるような話をしても最後まで聞いてくれますし、何より初めてお会いした時も声を掛けて助けてくれようとしました。普通はそんな事はなかなか出来ないと思うのです」
「これでも俺は警察官だからな」
「それもまた素晴らしい職業じゃないですか」
「偽の婚約相手というのにはな」
何か困っている事があるのかと思えば、まさか偽の婚約者になってほしいという、予想すら出来ない展開であった。蛍は小さくため息をついて正直に断ることを決めた。
こんな自分が華嶽のお嬢様の相手が務まるはずがないのだ。むしろ、ますます関係が悪くなるだけだ。
「残念だが、今回は役には立てない。逆におまえを困らせることになるだけだ。諦めて結婚するか、他の相手を探してくれ。おまえなら、簡単に見つかると思うけどな」
「ど、どうしてですか?私では婚約者として相応しくないってことでしょうか?」
「そうじゃない。その逆だ。俺が相応しくないんだ」
飲みやすい温度まで下がった紅茶を一気に飲み干す。
そして、ティーカップをトレーに置くと、透碧は慌てて蛍を引き止めようとした。
「もう少しお話を聞いてくれませんか?それい蛍さんのお話も聞かせてほしいのです」
「何度話しても無駄だと思うぞ」
「どうして……」
いつかは話さないといけない事だった。
今まで自分の周りにいた人たちは過去の蛍を知っていても、今の蛍を見てくれる人たちばかりだった。だから居心地が良くて、自分は恵まれていると思えた。
けれど、社会に出れば今までなかった、新しい出会いが訪れるのだ。どんなに避けていても、人との関わりは生まれてしまう。そう、目の前の透碧のように。
こんなに早くに話さなければいけないとは思っていなかった。
いや、仲を深める前でよかったのかもしれない。時間をおけばおくほどに、伝えにくくなりお互いに傷を負うだけなのだから。
「俺はもう河崎家とは絶縁してるんだ」
「それは、どうして」
「俺が犯罪者だからだよ。俺は、人を殺してるんだ」
「え…」
無邪気に笑っていたはずの彼女の表情が凍りついた。まるで氷の中に閉じ込められた花のようだ。
悲しげに眉を下げ、口はキュッと閉じている。何か言いたそうに口を開くが、突然の事で言葉が紡げないのだろう。困った顔のまま蛍を見つめていた。
「そんな奴はお嬢様じゃなくて、どんな人間にも相応しくないんだ。怖いだろ?だから、もう俺には関わらない方がいい」
そう言うと、蛍は持ち物と伝票を持って立ち上がり足早に店から出て家への道を急いだ。
当然、彼女が追いかけてくる事もない。
変わり者で面白い奴だったが、これでもう関わりを持つ事はないだろう。
家に着き、洗面所で手を洗いながら鏡を見る。この数時間で随分疲れた顔に変わっていた。
鏡にうつる自分を見て、蛍はやっと気づいた。光る魚の餌を彼女に返すのを忘れてしまったのだ。
だが、もう透碧自身も要らないと言っていたものだ。処分してしまってもいいだろう。そう思いながら、耳から外して手のひらで数分転がした後、蛍ははリビングにある棚に閉まった。
このダイヤのピアスの事は後に考えよう。
今は、変わり者のお嬢様を忘れる事が先だ。
これからもこういう別れが繰り返されるはずだ。胸が苦しくなるのにもなれるしかない。
今は寝てしまおう。
蛍はベットに横になり、布団をかぶり強く瞼を閉じた。
夢の中に旅立てたのは、それから数時間後だった。
起きてからは、また普段の生活が始まる。
ただそれだけの事だ。
それなのに、ぽっかりと穴が空いたような気持ちになる事に気づかずにはいられなかった。
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