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第三章 十三湊 その二
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永禄四年は、浪岡北畠氏の家史が残れば、家運隆盛の一年とされた筈である。
軍事的成功があった。北浜を確保したのに続いて、秋はじめには半島の西側に兵を進め、自領馬郡から下って南の江流末郡にまで攻め入ったのである。これは大浦氏が実効支配しているとも言える土地だったが、海沿いの舘を攻めた。後詰に大浦氏は軍を出してきたが、包囲側の浪岡軍は一気にこれを退けた。痛撃を受けたのに怯んだ加勢が引き揚げてしまえば、敵の舘はあきらめて門を開くよりほかない。かつての十三湊にも近い江流末郡の海岸沿いが、浪岡北畠氏の手に落ちる形になった。
このときの大浦軍の動きは当主の発病のためにいかにも不活発であり、戦意に欠けるところがあったが、浪岡が大浦の軍を打ち破ったのが肝心であった。敵の正規軍を引きずり出してこれを叩く、という左衛門尉の宿願が果たされた格好である。
新三郎にとっても、本格的な正規軍同士の合戦はこれが初めてであり、津軽の中のこととはいえ「遠征」での勝利は忘れがたい経験となった。
(西舘さまのご指揮の見事さ。)
左衛門尉は、しばしばみずから馬頭を前線にたてる。その目の届く所にいるとき、さほどの強兵とも言われてこなかった浪岡の兵たちが、ひとがわりしたようになる。かれの直接配下にある部隊などは、物に憑かれたかのような勇猛さを発揮した。命すら恐れぬさまでどこか嬉々として奮戦し、流血の犠牲を払いながらも誰もが前進をやめない。 それに全軍が引っ張られる形で、ついに敵軍の潰走をもたらした。
蠣崎新三郎慶広は、このとき生まれて初めて敵をこの手で殺している。西舘さまの命で、近習たちも追い打ちに出たのである。逃げずに立ち向かってきた相手が斬りかかってくると、
(おれはひどく落ち着いている。)
自分でも訝しがりながら正確に甲冑の隙間を馬上から槍で突いた。脇腹から血を噴いた相手が仰向けに棒のように倒れたところを、瀬太郎たちに首をとらせた。
さほど名のある武士でもないし、掃討戦での手柄でしかなかったが、討ち取りはわかりやすい勲功であった。津軽蠣崎家の「客将」としては面目を施したと言えよう。人を殺したのはさほどうれしくはなかったが、腰痛でこのたびの「遠征」には出て来られなかったじいじどのがまた喜んでくれるだろうし、元服前の千尋丸にも自慢できる。だが、
(姫さまには……お尋ねがあるまでは言わないでおこう。)
と、勝鬨に加わりながら、何故か思った。
新三郎の合戦はそれで済んだが、浪岡北畠氏の軍議は実はこのあとやや揉めた。
「このまま進む。」
追い打ちして南下を続け、半島の海岸線を全て抑えてしまう勢いを見せる。いや、いっそ抑えてしまえばいい。機を逃すべきではない。そのうちに大浦軍は、全力をあげて江流末郡の奪回にかかるだろう。そこで浪岡から直接派遣される別働隊とはかって、北上してきた敵を挟み撃ちにする―という絵図を、左衛門尉は描いている。
城は手薄にもなるが、大光寺南部が中立を保つという約定は既にとっている。それどころか、今後の戦の成り行きによっては大浦という共通の脅威を討つべく、慌てて兵を出してくれるかもしれない。勝算が高まるであろう。
「大きな戦になるが、これに勝てば、江流末のすべての湊から大浦を追いだせる。大浦も容易には癒しがたい傷を負う。」
(なるほど、さすれば津軽一統の固い布石となるな。)
軍議に加わるはずもないが、帷幕の裏で控えている近習たちの一人としてその声を聞いた新三郎は、仲間とともに手を打つ思いだった。
「左衛門尉、それはならぬな。」
(御所さまのお声か?)
大勝の後、浪岡城から御所さまが新戦場に出馬している。左衛門尉以下の将兵を褒めてやるためでもあり、舘を開いた敵将を御前に引き出して後始末をつけるためでもあったが、この場の総大将の左衛門尉がそれを頼んだわけではない、というのが本当のところらしい。
「舘の攻防の結果次第。」
あとで御所さまの近習を勤める者に聞いたが、最初から言われていたらしい。
「負ければ救いの援兵を出してやらねばならぬが、そのときは儂が出ぬほうがよかろう。そもそも儂が出なければならぬ下手な戦を、弟は決してせぬ。じゃが、首尾よく勝てば、これは儂が行ってやらねばならぬ。」
御所さまは、勝ちに逸って浪岡軍が進みすぎてしまうのを最も恐れている。このまま敵地に深く浸透すれば、たちまち兵糧の心配がある。長い戦になれば、兵も疲れるだろう。そして、左衛門尉が求めてやまない主力同士の決戦には、確たる勝算が立つわけでもない筈である。もしも敗れれば、一転して散々なことになる。
そして、大浦と浪岡の戦を、南部氏はどの程度まで容認してくれるのか。そもそも南部氏は広大すぎる自領を持て余したために、それぞれの家に津軽の管理を任せたつもりでいる。両家はあてがわれた土地に深く根を張って久しいが、南部の態度を読み間違えるわけにはいかないのだ。
(左衛門尉、若いのによくやった。)
御所さまは弟を褒めてやりたい。この戦勝もそうだが、そもそも浪岡北畠氏の一族をまとめて一軍をなし、ここまで引っ張ってきただけでも大変なことだった。浪岡北畠宗家は、一門に対して本来そこまでの支配力を持たない。始祖顕家公以来、一個の北畠軍をまともに編成し、機能させた将が何人出たか。中興の祖ともいうべき先々代ですら、そんな真似はしようともしなかったし、できなかったであろう。
(儂もとうていできぬ。)
だが、と次男の左衛門尉と八つも齢の離れたこの長兄は言いたい。
(浪岡の御所の仕事というのは、ここからなのじゃ。それはお前にはわからぬ。)
要は、政治の理は戦の理をすっぽりと覆うべきものなのだ。ここから進んで領土の切り取りと主力決戦に走ろうとする左衛門尉は、戦理にしか通じていないのだと御所さまは思った。
(せめて、ここは儂に従え。さもなければこやつは、やはり救い難いうつけ者で終わる。)
御所さまからは説明の一言もないが、代わって、御所さまについてきた一族の老臣たちが、慎重論を語りだした。この勝利を成果として大事に抱え、得るべきものを得て凱旋すべきだというのである。あとは大浦、それに南部との交渉次第であろう。そういえば、雪もそう遠くない。戦が長引いてしまえば、どうなる。
左衛門尉もまた、黙り込んだ。それを見て、戦勝の昂奮から醒めたばかりの諸将も、戦は手仕舞いにすべきだという意見に和する者が出てきた。
左衛門尉はさすがに全て呑み込めている。そのうえで、言いたいのだ。おのれらは、その小賢さを恥と思え、と。一戦に全てを賭けるのを怖がって狭い領地に自足しているうちに、奥州に並ぶ者とてないこの名族が、よくて南部の支流でしかなかった大浦などにいつのまにか押されていたのではないか。このままでは、衰退から敗滅への一途をたどるだけだ。
(ようやく、ここまで押し戻した。この戦機を逃せば、また同じことの繰り返しじゃ。)
(やがて、津軽に居場所を失うことになる。)
(それでもいいのか、こやつらは?)
賢しらぶってうるさい者どもの向こうに、穏やかな表情で黙っている御所さまについ目が行った。御所さまもこちらを見た。
(わかっておる、お前の無念はもっとも。だが、我らはここまでで、まずはよい。それがわからぬうちは、儂に任せよ。)
御所さまのものわかりよく自分を宥める声が聞こえるようで、左衛門尉は唇を噛んだ。
(そう。あなたがたは、それでいいのだろう。だが、おれは……。)
「戦機逃すべからず。」
大声を出す者が出たので、視線を落としていた左衛門尉も驚いて、自分よりすぐ上座を見た。
「叔父上、皆の思案は出尽くしたようでござりますが。」
御所さまもこれには困った顔になる。叔父にあたる、川原御所さまである。
「拙者の思案は出しておりませぬ。そして川原北畠の存念をこそ、聞いて貰いたい。」
川原御所は北畠氏の名流で、かつての十三湊にも近い江流末郡にも力を持っていた。その後没落していたが、先々代の庶子、すなわち当代の叔父にあたる浪岡具信が後を継ぎ、往時の威勢を取り戻すべく努めている。
「この江流末の地には、北畠の浪岡入城以来、我らの手がそもそもは及んでいた。他ならぬ、この川原が浪岡入城以来、お任せいただいていた。いまや再び兵を入れられたのじゃから、奪回を断念はしかねる。」
(愚にもつかぬ。所領を取り戻したい欲だけだ。)
左衛門尉は肚の中で嘲笑した。
(何のためにおれがここまで戦ったと思っている? 新規の領地は一族や家臣の誰彼に分け与えてやったりはせぬ。浪岡北畠宗家が直轄しなければならぬ。)
その考えは、鷹揚に構えて叔父に喋らせたいだけ喋らせている、御所さまも当然、ひそかにだが共有しているはずだ。
浪岡北畠氏の支配構造はいかにも古い……というのは、浪岡宗家の若い世代には自明であった。一族や有力家臣である土豪たちの力を削ぎ、宗家に力を集中しなければ、戦国大名として生き残っていけないのが、わかる者にはわかる。
(不憫だが、川原御所などは真先に潰してしまわねばならぬ。)
それにしても、叔父にあたる北畠具信の積年の不遇感と自負とに、左衛門尉はあらためて感じ入った。
「小次郎、いや、左衛門尉どのこそは如何に思案されるのだ?」
お前も庶子ゆえに宗家の相続から遠ざけられ、有り難く思えとばかりに分家を与えられ、身を粉にして働かされておるのだろう?……という共感のこもった目で、叔父が自分を見ているのは知っていた。
(それが許せぬ。川原御所さまなどとおれとは違う。)
「……御所さまのご処断の通りにて。」
恭しく低頭すると、座のあちらこちらにほっとした空気が流れるのがわかった。
その後、南部氏の仲介で江流末郡のほぼ南半分が浪岡の治めるべきところとされた。
(戦わずして、より多くを手に入れた―とでも?)
左衛門尉は、外交交渉を終えて一息ついたかに見える、御所さまに尋ねてやりたい気がした。
これで大浦攻めの機会が遠くに去った。また、津軽の主権は不在の南部氏の手に依然としてあるのだと、あらためて形にして認めてやったも同然である。多くの血を流して、みすみす何歩も後退したのではないか。
(……と、思うておるのだろうな、小次郎?)
御所さまは、左衛門尉を内心では元服以来の通称で呼ぶ。いつまでたっても、この偉丈夫は少年でしかない気がしているからだ。この弟の心中は手に取るようにわかると感じていた。だが、ここでかれの性急な見解に同調するわけにはいかなかった。
志を果たすのならば、遠回りにも耐えねばならない。碁石は一つずつ置かねばならず、そしていかなる一石と言えど無駄ではない。家督を継ぐべき運命に生まれ落ちた浪岡具運は、早くからそれを学んでいた。
(小次郎は聡いはずだが、思いの凝り(思い込み)のひどく勝る男。そうした性こそが、やつの力を生むのだろうが、……)
左衛門尉の危うさを、御所さまは知り抜いている。このたびのことなどは、また兄弟二人だけで話し、納得させておかねばならない。
もっとも、それ自体がさほど難しいとも、御所さまは思っていなかった。
軍を引く途次で、ほぼ廃墟と化した十三湊を新三郎は目にしている。
「御所さまにお伴できました。」
(そうか。やはり、この子を慈しんでくださっている。)
さ栄は御所さまの厚情を感じて、またうれしくなった。松前蠣崎家がいずれ役に立つだろうという思惑だけではなく、猶子である新三郎に何か教えを施してやろうという気をお持ちだとわかる。
それにしても、十三湊とは。
「ずいぶん前に津波やらで滅んだきりと聞くが……?」
「はい、ただただ寂しいところでございました。」
「されど、内海の景色にはあわれがあったろう。……お歌はできましたか。」
新三郎はぺこりと頭を下げた。日頃教えられているとおりの、調べの定式に沿った整った歌が、どうしてもできなかった。
短い秋の日に照らされた十三湊の跡には、人影もまばらに凄愴の気が満ちて、姫さまから教わった―後世の目から見ればやや窮屈な―定型的な詩歌の作法にじぶんの内にこみあげる感情を押しこめるのは、どうもうまくいかなかった。それに、
「御所さまのお言葉に耳傾けてしまい、……。」
「ほう、それはさ栄も聞きたい。」
軍事的成功があった。北浜を確保したのに続いて、秋はじめには半島の西側に兵を進め、自領馬郡から下って南の江流末郡にまで攻め入ったのである。これは大浦氏が実効支配しているとも言える土地だったが、海沿いの舘を攻めた。後詰に大浦氏は軍を出してきたが、包囲側の浪岡軍は一気にこれを退けた。痛撃を受けたのに怯んだ加勢が引き揚げてしまえば、敵の舘はあきらめて門を開くよりほかない。かつての十三湊にも近い江流末郡の海岸沿いが、浪岡北畠氏の手に落ちる形になった。
このときの大浦軍の動きは当主の発病のためにいかにも不活発であり、戦意に欠けるところがあったが、浪岡が大浦の軍を打ち破ったのが肝心であった。敵の正規軍を引きずり出してこれを叩く、という左衛門尉の宿願が果たされた格好である。
新三郎にとっても、本格的な正規軍同士の合戦はこれが初めてであり、津軽の中のこととはいえ「遠征」での勝利は忘れがたい経験となった。
(西舘さまのご指揮の見事さ。)
左衛門尉は、しばしばみずから馬頭を前線にたてる。その目の届く所にいるとき、さほどの強兵とも言われてこなかった浪岡の兵たちが、ひとがわりしたようになる。かれの直接配下にある部隊などは、物に憑かれたかのような勇猛さを発揮した。命すら恐れぬさまでどこか嬉々として奮戦し、流血の犠牲を払いながらも誰もが前進をやめない。 それに全軍が引っ張られる形で、ついに敵軍の潰走をもたらした。
蠣崎新三郎慶広は、このとき生まれて初めて敵をこの手で殺している。西舘さまの命で、近習たちも追い打ちに出たのである。逃げずに立ち向かってきた相手が斬りかかってくると、
(おれはひどく落ち着いている。)
自分でも訝しがりながら正確に甲冑の隙間を馬上から槍で突いた。脇腹から血を噴いた相手が仰向けに棒のように倒れたところを、瀬太郎たちに首をとらせた。
さほど名のある武士でもないし、掃討戦での手柄でしかなかったが、討ち取りはわかりやすい勲功であった。津軽蠣崎家の「客将」としては面目を施したと言えよう。人を殺したのはさほどうれしくはなかったが、腰痛でこのたびの「遠征」には出て来られなかったじいじどのがまた喜んでくれるだろうし、元服前の千尋丸にも自慢できる。だが、
(姫さまには……お尋ねがあるまでは言わないでおこう。)
と、勝鬨に加わりながら、何故か思った。
新三郎の合戦はそれで済んだが、浪岡北畠氏の軍議は実はこのあとやや揉めた。
「このまま進む。」
追い打ちして南下を続け、半島の海岸線を全て抑えてしまう勢いを見せる。いや、いっそ抑えてしまえばいい。機を逃すべきではない。そのうちに大浦軍は、全力をあげて江流末郡の奪回にかかるだろう。そこで浪岡から直接派遣される別働隊とはかって、北上してきた敵を挟み撃ちにする―という絵図を、左衛門尉は描いている。
城は手薄にもなるが、大光寺南部が中立を保つという約定は既にとっている。それどころか、今後の戦の成り行きによっては大浦という共通の脅威を討つべく、慌てて兵を出してくれるかもしれない。勝算が高まるであろう。
「大きな戦になるが、これに勝てば、江流末のすべての湊から大浦を追いだせる。大浦も容易には癒しがたい傷を負う。」
(なるほど、さすれば津軽一統の固い布石となるな。)
軍議に加わるはずもないが、帷幕の裏で控えている近習たちの一人としてその声を聞いた新三郎は、仲間とともに手を打つ思いだった。
「左衛門尉、それはならぬな。」
(御所さまのお声か?)
大勝の後、浪岡城から御所さまが新戦場に出馬している。左衛門尉以下の将兵を褒めてやるためでもあり、舘を開いた敵将を御前に引き出して後始末をつけるためでもあったが、この場の総大将の左衛門尉がそれを頼んだわけではない、というのが本当のところらしい。
「舘の攻防の結果次第。」
あとで御所さまの近習を勤める者に聞いたが、最初から言われていたらしい。
「負ければ救いの援兵を出してやらねばならぬが、そのときは儂が出ぬほうがよかろう。そもそも儂が出なければならぬ下手な戦を、弟は決してせぬ。じゃが、首尾よく勝てば、これは儂が行ってやらねばならぬ。」
御所さまは、勝ちに逸って浪岡軍が進みすぎてしまうのを最も恐れている。このまま敵地に深く浸透すれば、たちまち兵糧の心配がある。長い戦になれば、兵も疲れるだろう。そして、左衛門尉が求めてやまない主力同士の決戦には、確たる勝算が立つわけでもない筈である。もしも敗れれば、一転して散々なことになる。
そして、大浦と浪岡の戦を、南部氏はどの程度まで容認してくれるのか。そもそも南部氏は広大すぎる自領を持て余したために、それぞれの家に津軽の管理を任せたつもりでいる。両家はあてがわれた土地に深く根を張って久しいが、南部の態度を読み間違えるわけにはいかないのだ。
(左衛門尉、若いのによくやった。)
御所さまは弟を褒めてやりたい。この戦勝もそうだが、そもそも浪岡北畠氏の一族をまとめて一軍をなし、ここまで引っ張ってきただけでも大変なことだった。浪岡北畠宗家は、一門に対して本来そこまでの支配力を持たない。始祖顕家公以来、一個の北畠軍をまともに編成し、機能させた将が何人出たか。中興の祖ともいうべき先々代ですら、そんな真似はしようともしなかったし、できなかったであろう。
(儂もとうていできぬ。)
だが、と次男の左衛門尉と八つも齢の離れたこの長兄は言いたい。
(浪岡の御所の仕事というのは、ここからなのじゃ。それはお前にはわからぬ。)
要は、政治の理は戦の理をすっぽりと覆うべきものなのだ。ここから進んで領土の切り取りと主力決戦に走ろうとする左衛門尉は、戦理にしか通じていないのだと御所さまは思った。
(せめて、ここは儂に従え。さもなければこやつは、やはり救い難いうつけ者で終わる。)
御所さまからは説明の一言もないが、代わって、御所さまについてきた一族の老臣たちが、慎重論を語りだした。この勝利を成果として大事に抱え、得るべきものを得て凱旋すべきだというのである。あとは大浦、それに南部との交渉次第であろう。そういえば、雪もそう遠くない。戦が長引いてしまえば、どうなる。
左衛門尉もまた、黙り込んだ。それを見て、戦勝の昂奮から醒めたばかりの諸将も、戦は手仕舞いにすべきだという意見に和する者が出てきた。
左衛門尉はさすがに全て呑み込めている。そのうえで、言いたいのだ。おのれらは、その小賢さを恥と思え、と。一戦に全てを賭けるのを怖がって狭い領地に自足しているうちに、奥州に並ぶ者とてないこの名族が、よくて南部の支流でしかなかった大浦などにいつのまにか押されていたのではないか。このままでは、衰退から敗滅への一途をたどるだけだ。
(ようやく、ここまで押し戻した。この戦機を逃せば、また同じことの繰り返しじゃ。)
(やがて、津軽に居場所を失うことになる。)
(それでもいいのか、こやつらは?)
賢しらぶってうるさい者どもの向こうに、穏やかな表情で黙っている御所さまについ目が行った。御所さまもこちらを見た。
(わかっておる、お前の無念はもっとも。だが、我らはここまでで、まずはよい。それがわからぬうちは、儂に任せよ。)
御所さまのものわかりよく自分を宥める声が聞こえるようで、左衛門尉は唇を噛んだ。
(そう。あなたがたは、それでいいのだろう。だが、おれは……。)
「戦機逃すべからず。」
大声を出す者が出たので、視線を落としていた左衛門尉も驚いて、自分よりすぐ上座を見た。
「叔父上、皆の思案は出尽くしたようでござりますが。」
御所さまもこれには困った顔になる。叔父にあたる、川原御所さまである。
「拙者の思案は出しておりませぬ。そして川原北畠の存念をこそ、聞いて貰いたい。」
川原御所は北畠氏の名流で、かつての十三湊にも近い江流末郡にも力を持っていた。その後没落していたが、先々代の庶子、すなわち当代の叔父にあたる浪岡具信が後を継ぎ、往時の威勢を取り戻すべく努めている。
「この江流末の地には、北畠の浪岡入城以来、我らの手がそもそもは及んでいた。他ならぬ、この川原が浪岡入城以来、お任せいただいていた。いまや再び兵を入れられたのじゃから、奪回を断念はしかねる。」
(愚にもつかぬ。所領を取り戻したい欲だけだ。)
左衛門尉は肚の中で嘲笑した。
(何のためにおれがここまで戦ったと思っている? 新規の領地は一族や家臣の誰彼に分け与えてやったりはせぬ。浪岡北畠宗家が直轄しなければならぬ。)
その考えは、鷹揚に構えて叔父に喋らせたいだけ喋らせている、御所さまも当然、ひそかにだが共有しているはずだ。
浪岡北畠氏の支配構造はいかにも古い……というのは、浪岡宗家の若い世代には自明であった。一族や有力家臣である土豪たちの力を削ぎ、宗家に力を集中しなければ、戦国大名として生き残っていけないのが、わかる者にはわかる。
(不憫だが、川原御所などは真先に潰してしまわねばならぬ。)
それにしても、叔父にあたる北畠具信の積年の不遇感と自負とに、左衛門尉はあらためて感じ入った。
「小次郎、いや、左衛門尉どのこそは如何に思案されるのだ?」
お前も庶子ゆえに宗家の相続から遠ざけられ、有り難く思えとばかりに分家を与えられ、身を粉にして働かされておるのだろう?……という共感のこもった目で、叔父が自分を見ているのは知っていた。
(それが許せぬ。川原御所さまなどとおれとは違う。)
「……御所さまのご処断の通りにて。」
恭しく低頭すると、座のあちらこちらにほっとした空気が流れるのがわかった。
その後、南部氏の仲介で江流末郡のほぼ南半分が浪岡の治めるべきところとされた。
(戦わずして、より多くを手に入れた―とでも?)
左衛門尉は、外交交渉を終えて一息ついたかに見える、御所さまに尋ねてやりたい気がした。
これで大浦攻めの機会が遠くに去った。また、津軽の主権は不在の南部氏の手に依然としてあるのだと、あらためて形にして認めてやったも同然である。多くの血を流して、みすみす何歩も後退したのではないか。
(……と、思うておるのだろうな、小次郎?)
御所さまは、左衛門尉を内心では元服以来の通称で呼ぶ。いつまでたっても、この偉丈夫は少年でしかない気がしているからだ。この弟の心中は手に取るようにわかると感じていた。だが、ここでかれの性急な見解に同調するわけにはいかなかった。
志を果たすのならば、遠回りにも耐えねばならない。碁石は一つずつ置かねばならず、そしていかなる一石と言えど無駄ではない。家督を継ぐべき運命に生まれ落ちた浪岡具運は、早くからそれを学んでいた。
(小次郎は聡いはずだが、思いの凝り(思い込み)のひどく勝る男。そうした性こそが、やつの力を生むのだろうが、……)
左衛門尉の危うさを、御所さまは知り抜いている。このたびのことなどは、また兄弟二人だけで話し、納得させておかねばならない。
もっとも、それ自体がさほど難しいとも、御所さまは思っていなかった。
軍を引く途次で、ほぼ廃墟と化した十三湊を新三郎は目にしている。
「御所さまにお伴できました。」
(そうか。やはり、この子を慈しんでくださっている。)
さ栄は御所さまの厚情を感じて、またうれしくなった。松前蠣崎家がいずれ役に立つだろうという思惑だけではなく、猶子である新三郎に何か教えを施してやろうという気をお持ちだとわかる。
それにしても、十三湊とは。
「ずいぶん前に津波やらで滅んだきりと聞くが……?」
「はい、ただただ寂しいところでございました。」
「されど、内海の景色にはあわれがあったろう。……お歌はできましたか。」
新三郎はぺこりと頭を下げた。日頃教えられているとおりの、調べの定式に沿った整った歌が、どうしてもできなかった。
短い秋の日に照らされた十三湊の跡には、人影もまばらに凄愴の気が満ちて、姫さまから教わった―後世の目から見ればやや窮屈な―定型的な詩歌の作法にじぶんの内にこみあげる感情を押しこめるのは、どうもうまくいかなかった。それに、
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