えぞのあやめ

とりみ ししょう

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終の段   すずめ(八)

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「罰当たりとまでいうか。」
「……ご無礼申し上げました、が」
「厭がってはおらぬ。」
「お断りもなりませぬな、旦那様に召されれば? さらにいえば、このわたくしが一方ならぬお世話を受けております兄上にござります。……兄上、四年も前になりましょうか、あやめが乱心いたしておりました際には、まことにお世話になり、御礼申し上げます。わたくし自身は、お恥ずかしながら、なにも覚えておりませぬ。いまでも、なにも治ってはおりませぬが、兄上のお蔭で、生まれ故郷の堺でぬくぬくと暮らせております。……あれは、左様なことをこの主人よりもよく知っておりますので、御恩義に報いようとしてくれるのでございます。それを思うと、わたくしはつらい。しかし、兄上にはご無礼ながら、あれもつらいでございましょう。女の気持ちを、汲んでやってくださいませぬか?」
「無理強いしておるというのか。」
「左様に存じます。」
「しかしな、あやめ。男女というのは、……いや、それは」宗薫は我ながら、言い負かされそうになった意趣返しにしてもむごいと思いながら、「堺の方などというのを勤め上げた、お前のほうがよくわかりそうなものじゃ。」
 あやめは下を向いてしまい、凍りついたように動かない。一言も発しないが、相手に話させもしない。宗薫にとっては、長すぎる時間がたった。
「蠣崎若州だか志州だかを誑かしたと、悪い噂は聞く。その割に、帰って来た時のお前は、……」自己嫌悪を感じながらも、宗薫は続けてしまう。「……ひどい有様じゃった。心が割れておった。誑かした相手を思って、ああなるものか。……つまり、男女の仲とは、さほどに難しいものではないか。」
 あやめは顔を伏せたままだ。
「あやめ? すまぬ。言葉が過ぎた。そも、わしは悪い噂を信じては」
「……いえ、まことのことでございますから。」
 ようやく、絞り出すような声を出しながら、顔をあげた。あやめの目はすこし赤くなっているが、しかし、凄い笑みを浮かべた。
「小春ほどではございませぬが、堺の方という女も、戦など起こし、主人を滅ぼし、なかなかのものだったとは存じます。ただ、足りぬところがございまして。」
 宗薫はすこし安堵して、
「……とは、なんじゃ?」
「はい。わたくしは松前で三人の男に抱かれまして、無理強いの手籠めがなかったといえるのは、ひとりしかいませぬようです。そのひとこそを、じつはよく思い出せませぬが。」
「……?」
「ただ、わたくしを手籠めにした男たちも、戦場で襲うのなどとは違い、わたくしに惚れてはくれていたようです。好きではいてくれた。わたくしは、自分を好いてくれる男以外には、抱かれていないらしい。……わたくしの方でございますか? 三人とも好きだったかといえば、一度だけだったおひとりには、……まことに申し訳ない。手籠めにされつつ、口吸いの舌を噛み切ってやりました。」
「お、お前?」
「そういう真似は、いうまでもなく、小春も大の得意なのでございますよ、兄上。ご用心あれ。いや、もう用心されなくてよい。それに及ばぬ。……話を戻しますと、ある方を、そのご狼藉を決して許しはできないが、私もお慕いするようになった。つまり、結句は惚れ合った相手とのみ、寝たわけでございます。このあたり、堺の方とやらの、小春に及ばぬ、甘いところでございましょう。」
「……あやめ、お前、蝦夷島の頃を、思い出せているのだな?」
「……はい。厭なことばかりを。……いや、今申した通り、幸せもありましたな。地獄と裏表ではございましたが。ところが小春は、わたくしに仕えるまで、地獄ばかり見てきた。そうした女に、兄上の家の者ならばこそ、お心遣いあればうれしく存じまする。」
 あやめは深々と頭を下げると茶室を辞そうとしたが、宗薫は低い出口からにじり出るその背中に声をかけた。
「あやめ、思い出せぬひと、というたな? それが、……」
 あやめは、なにも答えないで、また躰を低くして、出ていった。

 五月末、前田・上杉に信州勢などを合わせた三万五千の北方軍は、北関東をほぼ平定し、秀吉本軍の小田原城包囲に加わった。ちなみにこの五月、豊臣秀吉は母大政所にあてて、小田原のあとはみならず東国はおろか「日の本」までも平定すると誇っている。秀吉がいう「日の本」とは、津軽外浜から対岸の蝦夷島の東岸にかけての一帯に、蝦夷島西岸部の唐子も含めた、きわめて広大な地域を指すであろう。
 御寮人さまとすずは、京に上る今井船に乗っている。用件は二つ。京の今井屋敷で病臥されている大旦那様(宗久)を見舞うことと、もうひとつは、ご養家へのご挨拶であるという。
(まさか、旦那様が堺をお追い出しになるのか、なにか、お喧嘩があったらしいが……)
小春は、案じるでない、といってくれた。すずはなにもいっていないのに察したらしく、
「旦那様は、そんなお方ではない。むしろ、おめでたいお話しじゃ。」
 お公家のご養女に形だけ入られるという。お暮しは、まったくお変わりではない。
「嫁入り道具代わりじゃ。半家(堂上公家では比較的下級の家柄)の御家の養女なら、どのあたりにも不足はなかろう。」 
 宗久はこのあたり、遠慮がない。困っている公家の家に財政支援する代わりに、半家の家柄と名前を貸せといったのだろう。御寮人さま(あやめ)は姉たちにもそうした例があるのは覚えていた。
「あやめなどには、勿体ない。姪たちにまわしてやりとうございます。」
「お前にやったのだ。形見分けと思え。」
「なにをおっしゃいますやら。……いよいよ、有無をいわさずお嫁に出されるのでございますか? こんな大年増で父上の御企みのお役にたちましょうか?」
 冗談であやめはいってみるが、病臥の夜具から半身おこした宗久は、しみじみと娘の顔をみて、
「……少し、元気になったの。蝦夷島に行く前の、あやめじゃな。」
 あやめは涙が出そうになったが、
「……まあ、京におうちができれば、ようございます。ご養父ご養母さまへの御挨拶に上京すれば、こうして大旦那様のお見舞いもできまする。……そうだ、わたくしが、ご本復まで御看病をいたしましょう?」
お前は病みあがりではないか、と宗久はぷいと向き、庭を眺めるふりをする。

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