えぞのあやめ

とりみ ししょう

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終の段  すずめ(七)

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「小春にこのたびお任せの仕事について、済んだことは仕方ありませぬが、もうお役目から外してくださいませぬでしょうか。これはあやめの馴染の家の者へのご配慮というよりも、納屋今井の今後のお商いのありかたを愚考いたしまして、申し上げるのでございます。」
「納屋今井の今後、だと。」
 あやめは、いきなり宗薫のかんに触ることをいう。あやめのいいたいことは、わかる。わかるだけに、腹立たしい。要は、小春たちのような、乱波だのといわれる異能の者たちを操り、表向きの正々堂々たる商いの裏面に蠢動させて、政商としての今井の仕事を有利に動かす……そうしたやり方は、もう仕舞にすべきだ、というのである。
すでに豊臣(羽柴)秀吉が関白として、事実上の天下政権を樹立している。乱世は終わるであろう。今井宗久が織田信長といわば組んで、急激にのし上がった時代と同じやり口では、行きづまりがあるだろうというのである。
(それはそうに違いない。わしも、前からそれは思っている。)
(爺様や親父殿の商売のやり方は、おかしかったのだ。もう長続きせぬ。)
(だが、あやめ、お前がそれをいうのか?)

 このあやめが蝦夷島で何をやったのかは、父と自分が一番よく知っているといえるだろう。それは、宗久ですらついにやったことのない、戦争そのものをつくるという商いではなかったか。
(おとなしく昆布や干し鮭を運ぶだけでは済まなかったのが、お前ではなかったか?)
(蝦夷島の長たる蠣崎家に、わが身を餌に深く食い入り、山ほどの武器弾薬を売りつけた。一方では、隠居を誑かしてお家騒動を起こさせ、さらにそれに蝦夷の一揆を被せて、大変な戦にしおった。一揆の長もまた、おのれの色で篭絡した男という。あろうことか、その蝦夷男を蠣崎家の主にし、自分はそれを意のままに操らんとしたという。)
(と、いうのだが……?)
 目の前にいる細い躰の、顔色の悪い妹の姿を見ていると、とても信じられない気がする。
だが、秋田の安東侍従家の蝦夷代官だった蠣崎若狭守(若州)慶広という武家に囲われて、「堺の方」などと呼ばれた愛妾だったのも、その蠣崎若州という男を裏切って滅ぼしたのも、どうやら疑いのないことなのである。
(さすがに良心に耐えかねたのか。蝦夷島より戻ったとき、あの有様だったのは?)
 このあたりのことは本人以外知り得ないのだが、妹が蝦夷島から連れてきた(逆かもしれない。妹を蝦夷島から連れ帰したというべきか)小春という女も、詳しくは頑として喋らない。宗久は自分よりも詳しく聞かされているのだろうが、あやめについては、この父もあまり教えてくれないのである。
 ただ、現に「箱舘御移城」などというものが起こり、蝦夷島貿易の中心地になった箱舘に、半独立的な納屋の出店が、莫大な稼ぎを得ている。そして、カド(ニシン)から肥料をつくって売るという、これからの綿作流行を睨んだ大きな商売を始めた。その女主人は堺で病人そのものの、閉じこもった暮らしだったが……。
(ようやく平かになって(回復して)きたらしいが、そうなると、またこうか。うるさい。)
 宗薫はいまいましいが、その心の中に、一片の妬心が混じっているのは、自分でもわかっている。

(こやつは、父上を超えた。)
(女の身を張った、というが、命懸けのことだ、責めるにあたらぬ。今井宗久が尾張から来た出来星大名に賭けたのと同じだ。)
(わしも、父上のようにやりたかった。だが、それはもう手垢のついた、しかもいずれ滅びる商いじゃ。わしにも、それはわかる。)
(あやめ、お前だけが、蝦夷島なんぞというところで、それをやりおおせた。)
(そして、もうやめろ、古いという。)
 ずるいぞ、というのが宗薫のいいたいことだったかもしれない。

「……兄上、お聞きいただけませぬか。」
「聞いておる。思案させよ。」
「有り難きお言葉にて。……ああした者たちも、いまの世に生きていけるようにしてやりませぬと。」
「情け深いことだ。お前は、前のコハルともとりわけ親しかったからな。」
 あやめは黙りこんだ。目に見えて顔が青くなり、脂汗が出始める。
 宗薫は慌てた。また、こちらに帰ってきたときの、有体にいって頭のおかしい状態に戻られてはかなわない。あの頃は、暴れこそせぬが、まったく口すらきけなかった。かと思うと、ほんの時折だが、意味もなく部屋の中を歩き回っては、ぶつぶつと怪しい呟きを漏らしていた。なにかが憑りついたのではありますまいか、ご自分ではないお方になられて、ご自分に話しかけておられます、とこっそりと覗いた者がいった。
(わしら今井だから、土牢のかわりに、離れをやれたようなものだ。)
 あやめはしばらく手を固く握ってうつむき、呼吸を整えていたが、ようやく落ち着いたのか、
「……失礼いたしました。」
「いや、……つらいことは、思い出さぬでよい。」
 あやめはその言葉を受け流し、で、でございますが、と話を継ごうとする。
「疲れたのではないか? 無理はせんでよい。」
「せっかく、お時間をいただけましたので。いえこれは、是非今日お願いいたさないと。」
 宗薫はすこし構えた。あれか、と思う。その通り、あやめは単刀直入に尋ねる。
「兄上、小春をお床に召されましたか?」
「小春とは、お前の世話をしているほうの」宗薫もこの話題になると、兄らしくない意地悪にならざるを得ない。「いまの小春であるか? 知らぬよ。」
「あれは、ご存じの通り、その道にかけては異能。前のコハルが、故松永弾正のところで子どものころに技を仕込ませたとかいう……。お床の中のことは存じませんが、女の目からみても、大変な色香でございますな。日ごろ抑えさせるのに、苦労しておりまする。」
「知らぬて。」
「しかし、今井の家のお仕事というには、兄上のお相手は、いささか無理がございませぬか?」
「くどい。床に召してなどおらぬ。」
「兄上。忠言申し上げます。なんというても、小春はまともな女にはござりませぬ。」
(だが、そこもよいのだ。)
「そこもよい、とお思いかもしれませぬが、あれは化生でございまして、ああいうものと交わるは、口に出すのもおそろしい人外の仕業と同等。姦した男の背に、女にしか見えぬ、燐光が浮かぶのでございます。」
(まさか。)
 宗薫の表情が変わったのをあやめは見逃さないし、当の宗薫もしまった、と気づかざるを得ない。開き直るしかない。
「家の者であれば、主人が慰みに召すこともある。」
「左様、我が母にも父上のお手付きがあったおかげで、あやめは生まれましてございます。」
「……お前、何をそんなに怒っているのか。あれは、元々そういう女ではないか。」
 あやめは、よくぞぬかした、といわんばかりに胸を反らした。
「兄上は、小春と二世を誓われていますか。」
「……左様な間柄ではないな。」
 何をいいやがる、と思った。そんなはずがあろうか。
(へんなことをいって、奥にでも伝わると困る。子を産ませようとも思わぬし。)
「なるほど。では、小春は、兄上をお慕い申し上げていると?」
「いわれたことはない。命じれば、来よるだけじゃ。さばけたものよ。」
「ではやはり、あやめは怒りとうございますよ。もう、二度とお召しにならぬよう。」
「なぜじゃ。」
「女を、その意に反し、力をもって召されるのは、罰当たりな所業なれば。」
 あやめは、自分の吐く言葉の苦さに耐えるような表情になる。
(ああ、一生、忘れられないのか、あれは……。)
(相手が、おやかたさまであったとて、あれは、……思い出すだに、痛いほどにつらい!)

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