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七の段 死闘 惨劇のあとを(一)
しおりを挟む一方、松前ではあやめの地獄めぐりがはじまっていた。
「この程度で済んでなによりでござった。」
上陸したご坊の第一声に、あやめは問い返した。
「これが……? この程度、と?」
ご坊の言葉は正しいのであろう。町は焼けず、戦闘は午前中の短時間で終わっている。大舘攻防戦の死者も、早期の開城によって抑えられたといえよう。蝦夷島らしく、巨大な地理的規模をもつ戦争の一決戦地ではあったが、ここでの彼我の損害は、想定の最小限で済んだとせねばならぬらしい。
だが、洋上や湊ではほとんどわからなかった市街戦の凄惨は、大舘にむかってあやめたちの一行が進んでいくにつれて、明白である。
ご坊とともに、何人かの和人とアイノが入り混じった兵たちが、あやめを護衛してくれる。
それは必要であった。勝者である箱舘の兵たちの狼藉は、抑えきれていない。
和人たち―蠣崎侍はさすがに自分たちの土地で略奪者になろうとはしないが、アイノの一部にその理屈や感情を共有させるのは難しい。軍紀の縛りを縫って、生死を賭けた戦いからの解放感とともに近年の鬱憤晴らしの意味もある、暴行略奪がここかしこで起きている。
現に、空き家にしていた松前納屋の店屋敷が、酒に酔った兵たちに占拠されていた。ここに残していた物などなにほどでもないが、自分の家にあがりこまれて調度などが壊される音が響いているのは、
「よい気分ではないの。」
「追い払いますか。」
「いや、栓無い。とられて困るほどの物もない。……女は襲われておらんな?」
その途端に、女の高い声が奥から響いた。
「あれを、助けてやれぬか?」
ご坊は困った顔になったが、
「御寮人さま、蝦夷女の兵でしょうな。どうも、仲間同士でふざけておるようです。」
軍に加わっている女が、仲間の兵と戯れている声らしい。あやめは苦笑いした。
「……楽しくやっておるのなら、邪魔はせぬ。」
このあたりは、まだよかった。
死骸の片付けが始まっており、硝煙の匂いと血の匂い、かすかな屍臭が入り混じって、空気が濁って重い。
ご坊は、あやめに話しかけてくれる。
「御寮人さま、堺ではご覧になったことのない景色にございましょうか。」
「……岸和田合戦のときは、もう敦賀におった。故右大臣(信長)様の堺攻めの折りは、子どもでよく覚えていない。」
いずれも、堺の市街が戦場そのものになったわけではない。
宣教師が書き残した通りに敵対する者同士が市中では親しく付き合えるほど、堺の町が常に戦国の世に隔絶して平和であったわけではなかった。だが、戦火の犠牲となるのを回避してきたのはたしかであった。
あやめが物心ついて以来、戦争の悲惨は常に濠の外にあった。上方は京の町も含めて合戦が頻発する地域だったから、あやめも戦さはむろん身近にあるつもりだったが、こうして新戦場の匂いの中を歩くのは初めてだった。しかも、
(これが、わたくしがやらせた合戦の果てか!)
という思いに、今さらながらに苛まれはじめている。
あやめの横を、兵の姿の少女や少年の遺骸が運ばれていく。
(まさか、すずめはおるまい。)
あの物静かな少女が、アイノの少年兵の仲間入りをしているとは、よもや思えぬ。ただ、いま無残な姿になっているのは、多くがそれくらいの子どもたちであった。
「ご坊は、お経をあげられますか?」
「真似ごとではござるが。」
「御頼み申す。あれらの成仏を祈ってやってくだされ。」
あやめたちは立ち止まって、ご坊の短く唱える声に耳を傾け、合掌した。
「急ぎましょう。」
(わたくしを、許してくれ……)
「急ぎまする。」
ご坊は、あえて急かした。
「御寮人さま。合戦とはこのようなものでござる。いちいちにお心を痛められては、日が暮れるまでに大舘に辿りつかぬ。暗くなれば、我らとて用心が要りまする。味方に襲われますぞ。」
「承知した。」
急ぎ、大舘までの緩い坂を上る。大舘の前門に近づくと、戦闘の痕はよりすさまじいが、あやめは躰が冷たくなるのを感じながら、必死に耐えた。
(強くならねば……)
(亡くなった者は申し訳もない。その死を、蝦夷島の大義のために生かすには……)
(十四郎さまをお助けして、わたくしが強くあらねばならない。)
(許せ、許してくれ、……)
「御寮人さま。この戦は、起きねばならぬものでござった。」
「……。」
「おためごかしではない。両雄は並び立たぬ。それが、この程度で済んだのは、あなた様のお考えに沿って戦が起きたお蔭ですぞ。」
ご坊は御寮人の心の内をよく知るわけではないから、とりようによってはあやめには残酷なことをいった。
(十四郎さまとおやかたさまは、やはり並び立たぬのか?)
ご坊までが息を呑んだのは、完全に崩れた大舘の正門が目に入ったからだろう。大砲の威力の凄まじさである。
「国崩しとはよくぞいった。おそらく、そう呼ばれるものより強力な大筒でござったか。」
「南蛮より運ばれてきて、納屋がお売りしたのが、一門。天下人の御蔵に入るべきを、横取りした。」
「ほう。」
ご坊は秀吉に対してどのような思いをもつ者か、それは痛快、という表情になった。
「もう一門は、ご宰領さまが山丹を通じて手に入れられた。」
「そのような道筋が……。」
蝦夷島を舞台とする交易の広がりと深さに、商人とは程遠い身のご坊も感嘆の思いをもったが、多弁になりかけたあやめが、口をつぐんだ。
あやめは、兵たちの集まっている、もとは小舘の一角に目を奪われている。
(首……っ?)
(あれは、女か?)
大舘はさすがに兵たちの乱暴狼藉の現場ではないが、激しい衝突の跡は明らかであった。ここでこそ、最も多数の戦死者が出た。
だが、兵だけでなく、避難の民までが群がっているのは、誰かの首が木の枝に吊るされ、晒されているのであった。その中に、知った顔がある。両岸商人の多賀屋ではないか。
「これは、納屋の御寮人さま。ご無事にお戻りでしたか。」
互いに戦火を生き延びた者だと感じるのであろう、さして親しくもない新参者だった多賀屋は、涙を流さんばかりに喜んで、太った体躯を転ばすように駆け寄ってくる。
「あれは、誰です?」
制札のようなものが、吊るされた首の下にあるのだろうが、人込みを遠くからうかがっていると、みえない。
首もまた、生前の顔立ちを喪っているようであった。ただ、髪が長い。
(あれは……?)
「堺の方の首ですわ。」
商人の言葉に、ご坊が、低く唸った。
目をやると、あやめは呆けたような表情になっている。
(これは、まずいな。)
しかし、あやめはすぐに落ち着いた風で、あれがあの堺の方様でございますか、などといっている。
「このたびの戦も、もとはといえば、お代官様をたぶらかし、蝦夷どもをいじめたあの女のせい。それに箱舘の志州さまがお怒りになったがゆえのお戦。あやつの欲深が根元でございましょう。わしもあやうく死にかけた。松前が蝦夷どもにこう押し入られた以上、身代もだいぶ失ったであろう。あやつのせいです。まったく、あの死にざま、良い気味でございますわ。」
多賀屋は、怒りが抑えられないらしく、まくしたてる。
「ほう。……しかし、あれがその堺の方さまとよくわかりましたな? 御本人が名乗られたので?」
「それは知りませんが、大舘で討たれたそうでございますよ。何やら、帯などをもって逃げるところを、蝦夷にばっさりと……」
あやめは硬直した。風が吹いて、顔がこちらの正面を向いた。
「……案外に、お人違いかもしれませぬな。」
「左様でしょうか。しかし、……御寮人さまは、堺の方をご存じで?」
「割合、よく存じておりました。が、やはり、あの方でしょうかね。」
「間違いはございますまい。悪女の末路は、かくのごとしでございますわ。」
では、とあやめは身を翻した。
(あれは、於うらではないか……)
(殺されるほどのことは、なにもしておるまいに。)
(まさか、十四郎さまが、わたくしの身代わりに……?)
(やめてくだされっ。ご勘弁くだされっ。)
「わたくしは、大舘様にご挨拶に参りますよって。」
「さすがは、納屋さまにございますな。箱舘に御移りも、戦勝のお祝いも、一番乗りでございましょうか。」
身代の大きさも権力への近さも納屋と比べるべくもない、両岸商人なりの皮肉を交えたらしいが、あやめは笑って聞き流す。
「……次は、箱舘にてお目にかかりましょう。」
ひとりで歩を進めると、ご坊が追いついてきて、いった。
「御寮人さま、ご心中お察しいたしますが、……」
「やむをえない。合戦とはこのようなもの。左様であろう?」
「……」
「考えようじゃ。ようやく、これでわたくしも『堺の方』から縁が切れた。それでよい。」
「そうお考え下さいませ。」
あやめが薄い笑みすら浮かべているのに、ご坊は安堵した。まだあやめに直接仕えて日の浅いこの男は、あやめが笑顔をみせているときこそが、もっとも暗い思いを秘めているのを知らない。
(すまぬ、すまぬぞ、於うら……。)
(なまじわたくしの侍女などやらされたせいで、勘違いされたのであろうか?)
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