えぞのあやめ

とりみ ししょう

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六の段 わかれ  名を……(二)

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 おセンのなかで、新三郎への憐れみに近い感情が溢れている。なにか、してやりたい。
「なんだ。お前たちのような者なら、夜道が怖いとはいうまい?」
「……もう一度くらいなら、お願いできまする……。」
 あやめの声であった。恥いるような、はにかむような色をちゃんと混ぜている。新三郎が絶句しているのがわかる。
 激怒するか、とおセンはさすがに一瞬怯えたが、男からは笑い声が漏れる。
「こやつ。それは、お前の主人に対して、無礼ではないのか。」
「無礼でございましょう。きっと、知られたら、たいそうお怒りになると存じます。」
「そうだろうな。」
 あやめはきっと左様だ、と新三郎はそのさまを想像して、笑みを抑えきれない。
(顔を真っ赤にしよる。きれいなあの声が、低くなって、なにやらくどくどいいよる。)
「おやかたさま……」
「また、その声か。」
「お慕いいたしております、おやかたさま。あやめと想って、この女を抱いて下さいませ。」
 新三郎は声をたてて笑った。
「笑ってしまっては、もう無理よ。」
「左様でございますか。残念にございます。」
 おセンは本気でしおたれた。その首が白く、長いのが見えた。
「命拾いの礼をしてくれるつもりだったのか。」
「いいえ、そうではございませぬ。おやかたさまにお喜びいただきたかった。はじめて本気でそう思いました。」
「それで、あやめの真似か。埒もないことを考えおって。……どこまで真似ができるつもりだった。あっ、お前は、閨でのあやめも知っているのだな。悪い奴らだ。」
「まことにおそれいりまする。おやかたさまのご様子も、お情け頂戴する随分前から、そこそこは存じておりました。」
「ふん。」
 新三郎は、こうした稼業の連中はやはり得体がしれぬ、と気味の悪い思いはしたが、自分にくっついて離れないおセンの肉体も意識しはじめた。
「おセン。気が変わった。」
「やはり、お咎めになられますか?」
「違う。そちらには、二言はない。」女の躰を強く抱きしめた。肌を撫でた。「ただ、まだ行くな。あやめではなく、おセンとして抱いてやるわ。」
「あ、うれしうございます。」
 おセンはたしかに喜びをおぼえていた。強い欲情もなにか、なまの形であるのに、戸惑っている。
(一瞬、死を覚悟したからだな。死にかけると、あとで男が無性に欲しくなるのさ。)

「おセン……ではないのであろう? 名はいえぬか。」
「いまはおセンでございます。」
「ちがう。お前の本当の名だ。その名を呼ばせよ。」
「ございませぬ。」
「あるわ。親の呼んだ名前があろう。」
 新三郎は、おセンのすべすべした下腹に唇をあてた。
「親はいませぬ。名はございませぬ。」
「それらしい呼び名くらいあろう。」
 ない。おセンは首を無言で振った。そうしたものは、何者かに成りきる女には邪魔だ、と少女の時に言われていた。
「ないのか?……不便であろう。」
「存外にそうでもございませぬよ。」
 おセンはあっ、と呻いて、きつく目を閉じた。不意を突かれた。
「自分で、今は誰だと思っているのだ?」
「その……その時どきの役が、あたしの名じゃ。」
「たいした能役者よ。」
「そうじゃ、あたいは役者。……誰にでもなる。誰でもあらへん。……この上方言葉とて、あとから身に着けましてございますよ。」
「いまは、おセンの躰か、これは。」
 新三郎は、足を持ち上げさせ、あらわにした女の固く尖った部分に指をあてた。
「……この前に、公家の誰それ様に抱かれましたときの癖でございましょう。」
 おセンは顔が火照るのを感じながら、何気もなさそうにいった。
「乳が立っておる。これは、お前の躰が自然にそうなるのであろう?」
 新三郎は唇をその箇所にあて、胸を揉みあげながら、吸った。
「……なにやらいう大きな寺の法主様が、お好きでございましたね、わたくしの乳は。だから、そうしているので、ございますよ。」
 あちこちに男の唇があたり、息が上がりつつある。
「嘘を申せ。」
 新三郎は、女の躰を裏返した。
「あ、なになさる?」
 おセンは、甘えた声を出した。なにをするのかはわかっているから、演技が入っているが、これは普通の女でも閨では、ままするものだろう。
(だんだん、お面が剥がされていく。)
「こう?でございますか。」
 尻を高くあげた。新三郎がそれを掴み、のしかかってくる。おセンは思わず頭を振った。
「この格好は、……楽でございましたよ。」
「そうとも見えぬぞ。」
「いま、わたくしの顔が見えますまい? 舌を出して嗤ってやっていた男も、多い。」
「芸としては未熟じゃな。なぜ、見えぬところでも、うれしくてたまらんという顔をしなかった? 泣く面をつければ、面の下でも泣くもの。」
「は、は、さすが、お嗜みがある。」新三郎は武家の儀礼にかかわるたいていの芸事の作法は心得ていた。能狂言とて、知らぬでもない。「昔は、そうでございました。いまは……」
「なるほど、上達しおったな。まるで、快うてならんようじゃ。」
 新三郎は、汗ばんだ女の尻に鳥肌がたつのを掌で確かめながら、腰を捻った。
「……!」
 おセンはがくがくと体を震えさせた。
「……多聞山の、殿さまが……」
「たもんやま?」
「お教えくださった。いろいろと……」
「こうした真似をか。」
「おかしらが、あたしに術を仕込むときに、頼んでくれた。……三日三晩、抱かれた。そこで女にされた。」
 新三郎は、座り直してそのまま女を自分の上に置き、後ろから抱きしめた。胸を強く揉みながら、女の顔を曲げ、顔をみてやる。
「みないで、……くださいませ。恥ずかしい。」
 思わず口を吸った。女の舌が入ってくる。あやめが不埒な手代相手にやったことをつい思い出し、一瞬の躊躇はあったが、自分も舌をからめる。女が切なげに呻いた。
「おやかたさまはお上手。」
「……なるほど、いまは儂が術にかかったな。危ないところであった。」
「舌を噛んだりは、いたしませぬよ。……今日はそんなことはしない。」
「今日は、か。」
「おやかたさまには、しない。」
「……大和の多聞山城か。ならば?」
「……そうでございます。松永弾正久秀さま。」
 新三郎は興が湧く。なんのつもりでこの、おそらくは乱波であるらしい間者の女が愚図愚図と居座っているのかも、自分のことを喋り出したのかもわからないし、まさかのときの警戒は解かない。だが、自分の腕の中で熱くなっている女が、七、八年前に信長に背いて死んだ一代の梟雄に抱かれたと聞くと、
「……あっ、あっ、あっ……いま、一段また、男らしくなられました。多聞山の殿のお名前で。……ほほ、面白い。」
「その話をせよ。」
「弾正様にお妬きとは、……」からかおうとした女は、不意の衝撃に躰を後ろに伸ばす。ひとしきり躰をくねらせ、ようやく息をつきながら、「……そうしながら、そこはおやめください。お話しできぬ。」
「せよ。できるであろう。弾正に教わったであろう、こういう遊びも。」
「わたくしは、まだほんの子どもでございましたから、こんな……ここまで、きついことはっ」
「子どもを演じておったのか?」
「は、わたくしをいくつだとお思いか。なりは、まことに子どもでございましたよ。」
「子どもは子どもなりに、もう面は着けていたのであろうな。」
(あっ。)
「……左様でございましたね。もう、あの頃には……」
「何と名乗っていた?」
「さあ、お蝶か、おみきか、……忘れた。」
「お蝶と呼んでやろうか。」
「あっ、厭、それは。」
 おセンは思わず反射的に拒否した。
 新三郎は女の躰をまた返した。足を大きく開かせ、その中で動く。女が密着を求めてしきりに下から手を差し伸べるが、無視した。
「……弾正様は、ちょうど今のように、浅く、浅くばかり、されていました。そうでないと、男の躰に悪い、と……。で、でもっ」
「それも悪くはないのであろう?」
「いい……もどかしいのも、よい。……」
「そうしてやる。」
「厭っ。もっと来て。来てよ。あんたを感じたい。」
 新三郎に、閨でそんな物言いをした女はいなかったであろう。
「……いかなる相手だったのだ、いまのは? 同輩か。」
「そんな相手なんかいないよ。本当のまぶなんか、持ったこともない。仲間なんかに抱かれたりしないんだ。仲間にだって、こんな口の利き方できない。初めてなの。でも、こうしたいの。」
 女は、内容に似合わず、ひどく幼い子のような喋り口調になっている。
「なんのつもりだ。」
「ご無礼申し訳ございません。……こんな風に、ああ、こんな風にさせて。こんな風に、喋らせて、お願い。あとで無礼討ちでもいい。構わない。……来て、来てえ。上に乗って。強く抱いて。もっと奥まで!」
 新三郎はそうしてやる。女が求めるままに胸を胸で押しつぶして、ぴたりと肌を吸い付け、深く沈めながら動かした。
「ああ、おやかたさま。……新三郎さま。よいよ、よい。じきに、わたし……。」
 あっ、と低く叫ぶと、女が激しく緊張し、見開いた目を泳がせた。大きな震えが来た。そのあと、細かく震え続ける。抑えつけている新三郎は、歯を噛んで、同調せぬように耐える。
 女のなかの波がおさまったとみると、また動き出した。揺らされながら、女がまた呻く。かすれた声で、
「いま、よくなりました。……」
「そうか。」
「そのとき、思い出せた。思い出せた……」
「なにを?」
「親に呼ばれていた名前。」
「教えよ。」
 女は新三郎の耳元で、それを囁いた。
「いい名だ。思い出せたのなら、よかったな。」
「おやかたさま。」
「新三郎と呼びおったな。それで、よいぞ。」
「新三郎さま、……また、……お願い。出すとき、名を……呼んでね。……それで、あたしのお面を全部振り落として!」
 新三郎は一気にいきり立った。女が悲鳴を漏らす。手足が新三郎の肉体に、蛇のように絡みつき、力を込めて巻いた。
「ああ、いま、また大きくなった。出るんだ。出るの? あっ、来て、来て、来て。また、沢山頂戴。」
「……!」
 新三郎は女の名を呼んでやった。女がうれし気に、答えるように頷く。激しく噴出した。女は目を閉じてそれを受けながら、さらに固く、絡みついていく。
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