えぞのあやめ

とりみ ししょう

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三の段 なやみ  手紙(三)

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 そしてその想像は、さほど外れてもいない。以下のごとくである。

「ジューシロウ、おまえはなにものだ? 和人か? ちがうだろう?」
 相変わらずアイノの戦士の姿に、和人の刀を腰にたばさんだソヒィアは、村の南蛮寺の中でいった。
 ポモールの奉じる切支丹の寺堂の装飾は、その美麗さで十四郎の胸を打った。だが、母の幼い頃の信仰だったという感傷以外に、十四郎の心に何かが起きたわけではない。
 ソヒィアは、それが気に入らないらしい。
 先ほどまで熱心に―本当に熱にうなされたように赤く上気した頬で―アイノの言葉で伝えられる限りに説いていた。南蛮人(ぽるとがる人やいすぱにあ人)の持ってくるものではなく自分たちの切支丹信仰こそが本物であり、それがいかにありがたく素晴らしいものであるか、ポモールの血がある以上はそれに戻るべきであるのか、をである。
 だが、自分が刀と逆側の腰にぶち込んだ短筒にばかり目をやる十四郎に、あきれ果てたように問いかけてみせたのだ。
「おまえは生まれて二十年たっても、和人にはなれなかったのだ。」
「……」
 “惣大将”との話が物別れに終わった直後である。十四郎は硬い表情になる。
「おまえがどんなに自分は和人だと叫ぼうと、和人の娘を好きになろうと、おまえはポモールなのだよ。」
 十四郎は無言で立ち上がった。ソヒィアが追って来る。
「ソヒィア、我らには時間がない。宗門の話をしている暇がない。」
「……ならば、歩きながら話す。聞け、ジューシロウ。」
「……」
 勝手にせよ、と十四郎は自分のあてがわれた空き家に向かう。そこで、村の家並みの絵図を描きたい。どう焼けば、どう敵を防げるかのあたりはつけたので、それを確かめたい。
(亻羊退(贋の退却)で、引き込んで時間稼ぎをする。最後は火だ。)
 石を組んだ家が見えてきた。ソヒィアは、お前の一族の家だったのだ、といったが、嘘だろうと十四郎は思っている。
(この変わった建物も、いったんは焼いてしまうしかない。)
「ジューシロウが生きられるのは、この村だけなのだ。」
(なにをいうか。おれはおそらくここで、死ぬのだ。)
 十四郎は、かれらしくもない、皮肉な笑みが浮かんでくるのを抑えられない。
(村も滅びる。いったんは、な。お前たちが生き残って、次につながる命と結構なご信心を残すがいい。おれはそのために死んでやる。)
「正しい信心に戻らぬか、ジューシロウ。」
「御曹司、また、くどかれていらっしゃるのか?」
 通りすがりの森川と阿部がからかう。かれらは柴の束を抱えていて、これは火を放つ用意だ。
「おうよ。やかましうてならぬわ。」
 十四郎は笑って返す。
「いま、なんといったか。」
「ああ、お前から鉄砲をみせてもらうとな。」
 十四郎はまたこの信心深い同族の女を怒らせるのも面倒なので、自分の希望をいってみた。
「嘘だろう。」
「嘘ではない。」
「……」
 ソヒィアは明るい色の瞳を回して考えていたが、歩を返した。
「見せてやろう。来い。」
 十四郎はその容易ならぬ様子について行ってしまう。崩れかかった空き家である。
「先に入れ。誰もおらぬ。」
「暗い。灯りがないと何もみえない。」
 ソヒィアが腰の刀と鉄砲を土間に落とした。うしろから十四郎に抱きつく。
「やめよ。何をする。」
 振り向いた十四郎の唇に、ソヒィアは唇を重ねようとする。狙いは外れて、十四郎の顎に当たった。
「わたしと、しなさい。ジューシロウ。」
「なにをだ。」
「おまえは、ポモールだ。ポモールの女を好きになれ。」
「断る。お前には、好きなポモール男はいないのか? おれは」
「和人の女は、おまえの相手ではない。わたしを抱け。ポモールのおまえが抱くべき躰は、これだ。」
「お前らの教えでは、こういうことはいいのか。」
「構わない。」
 ソヒィアの透き通るように真っ白な頬も紅潮しているらしい。尊くてならぬ言葉を、ひどく訛った原語のまま呟いた。
「聖なる句にこうある。わかっただろう?」
「ソヒィア、ソヒィアよ。」
 力の強い大柄な女とはいえ、十四郎が振りほどくのは簡単であった。
「いまの聖なる句は、おれにはまったくわからなかった。つまり、おれにはお前たちのお教えが、自然には腑に落ちん。わからぬ。血が、教えをわからせてくれるものではないようだ。切支丹にはなれぬ。たとえお前が俺に抱かれてくれようと、無駄なのだ。」
「それでもよい。」
「ばかっ。」
 十四郎が出て行こうとするのを、ソヒィアはまた抱きついて遮った。
「おい。」
「……ジューシロウ。お前は、同族が抱きたくはないのか? お前の母親と私は、同じポモールの女だ。その躰を、知りたくはないのか。」
「厭わしい。……つまらぬことをいうな、ソヒィア。……おぬしは、立派な戦士なのだろう? おれはそう思っていたがな。」
「厭なのか?」
「ああ。こんな村のあり様で、お前が心弱っているのに、つけこむようで厭だな。」
「それは心配するな。お前も心が弱っている。だから、抱かせてやる。」
十四郎は笑い出した。
「わかった、わかった。この戦が終わって、我ら落ち着いたら、抱かせて貰おう。それまでは待て。戦士らしく、普段のソヒィアらしくしておけ。」
「駄目だ。お前はいま、わたしと寝るのだ。」
「ソヒィア、おれのことを気にいってくれたようで、ありがとう。戦が済んだら、ポモールの女の躰をみせて貰うよ、きっと。」
「それは駄目だ。お前はすぐに死んでしまうじゃないか。」
「……」
「お前はきっと死ぬ。そして、天に」天国に、といったのであろう。「行けぬ身のままだ。お前がかわいそうだ。」
「憐れんでくれなくていい。……おれは、簡単に死にはしない。」
「カキザキは蝦夷の和人の頭領で蝦夷島の主を勝手に称しているというのに、我々を助けてくれなかった。お前の家だというのに、お前に三人しか与えてくれなかった。これではあいつらに敵わぬ。ところが、お前らは逃げぬ。愚かな。お前は死ぬ。」
「ソヒィア、すまぬな。蠣崎代官家の者として、詫びる。だが、もしも、おれが死ぬことで、……」
「我らも死ぬだろう。」
こ の言葉を聞いて驚いた十四郎を、ソヒィアは押し倒すように、ポモール式の固い寝台に座らせ、寝かせて上に乗った。十四郎は瞬時茫然として、なすがままにされた。ソヒィアの躰は重いな、と思った。いや、こんなものを着込んでいるわりに、見た目より随分軽いというべきか。
「お前たちが死なないように、おれは考えた。もうそれは伝えたな?」
 自分のものに似た体臭が、ひどく懐かしく嗅げる。慌てながら、そんなことをふと思う。ひどく温かいな、とも思った。
(こやつ、熱でもあるのではないか。)
「我らは死んでも、信心があるために、必ず天に行ける。だが、お前だけは、和人でもポモールでもアイノでもないから、死んでも、どこにも行けぬ。かわいそうだ。」
 ソヒィアは昂奮して一気にしゃべると息が苦しくなったのか、ひとつ大きく喘いだ。
「……」
「死んでしまうのだ。お前の魂はどうなるのだ? 消えてしまうのかもしれぬ。可哀想な、ジューシロウ!」
「……!」
 武士としての教育で、小さいころから慣れ親しんでいた筈の「死」が、得体の知れない他者、理解不能の巨大な存在として身近に迫っていることにあらためて気づかされた。生まれてはじめて、虚無への恐怖が十四郎を襲った。
そのことで逆に、十四郎の若い肉体に生命が横溢した。十四郎は正体のつかぬ昂奮に震えた。
ソフィアは上衣をむしるようにとり、胸をはだけた。そしてまた、のしかかるように十四郎に抱きつく。裸の体温と、白い産毛に光る肌の匂いが、十四郎を包んだ。
「お前は死んでしまう。……助けに来てくれたのに、ようやく故郷に戻れたのに、お前は同族の女も知らずに死んでしまうのか。お前の同族の躰は、これだ。和人とは違うはずだぞ。知っておけ。」
ソヒィアの唇が十四郎の唇に激しくぶつかった。
「私たちは、こうやってはじめる。」
「……和人だって。」
「怖くないよ、天にいける。」ソヒィアは初めて、やさしい目になる。「死ぬのは怖くない。私と一緒なら、死んでも永遠の命がある。怖がらなくていい。」
 ソヒィアの手が伸び、まさぐった。
十四郎は身体に力を入れて、女にされるがままにはなるまいとする。躰を入れ替えた。ソヒィアの柔らかい大きな胸が、十四郎の体重につぶれた。ソヒィアは何かいって、呻いた。さらに密着しようとする。十四郎の口が、ソヒィアの金色に光る、白い首筋を這った。
……
(ばかだな、なぜ気づかなかった。おれは、死んだら死んだで、あやめのところに行けるではないか。)
 終わったあと、十四郎はソヒィアが身づくろいするのを眺めながら、ことが果てたあとに男が考える風に、自然に考えた。
(この女も、おれと同じだ。怖かったのだ。生き残れる算段など、不確かなものだ。死ぬのが怖くないわけがない。それを忘れたかったのだろう。)
「ジューシロウ、どう思った?」
ソヒィアが変な声で聞いてくる。
「いいにくい。」
「快かっただろう?」
「……お前は、少し痛かったのだろう?」
ソヒィアはけらけらと笑った。この女があかるく笑う声は、はじめて聞いた。
「わたしはお前と結婚する。ご坊様に、お式をあげていただく。だからお前はポモールらしい信心にもどらなければならない。そうすれば、死んでも一緒だ。」
「やはり、それだったのか?」
 ソヒィアはまた笑った。
「戦が終わった後のことを考えるのは、よいことだ。生き残るのだ、ソヒィア。小さな者たちと一緒に、生き残れ。おれが生き残らせてやろう。」
「わたしはすぐに死ぬよ。」ソヒィアは胸に手を置いた。「もう、ここが痛い。苦しい。つらくて、眠れない。汗をかく。」
「お前は、まさか、病気か?」
 豊満だった名残があるくせに、ひどく肉の落ちたソヒィアの躰や、熱っぽい肌、潤んだ瞳には、その病気が多い松前出身の十四郎はすぐに思い当たるものがあった。
(労咳か?)
「お前、咳をしていたか?」
「天命だ。その前に、お前と結婚しようと決めた。マツマエで決めた。」
 そのとき、血痰でも吐いたのだろうか。
「お前は咽喉から……」と聞こうというのを、思い返した。「いや、病気だからといって、死ぬと決まったわけではない。おれのほうが先に死ぬのは間違いがない。」
「わたしは死ぬよ。ひょっとすると、わたしのほうが先に死ぬだろう。」
「いや、おれだ。」
「わたしだ。」
「おれ……馬鹿な言い争いだな。」
 ふたりで笑った。
「ジューシロウ。戦がはじまる前に、信仰にもどらないのか? でないとわたしと結婚できないぞ、お前は。」
ソヒィアはまた、思いつめたような仏頂面でいった、
「ああ。」
「残念だ。」
「……ソヒィア。お前の笑顔はいいぞ。おれが死ぬ前に、またどこかで笑うのを見せてくれ。」
「……ばか、ジューシロウ。」
 ソヒィアはそれに加えて何かいうと、はじめて恥ずかしそうに、慌てたように家を出て行った。

(まあ、躰だけの浮気なら許してあげる、といったこともあるが、あれは言葉の綾みたいなもので……)
 あやめは想像してひとり腹をたてていたが、ソヒィアは他ならぬ十四郎が斬ったのだということを思い出して、身が冷たくなる。
(ひとは、ひとを好きだ、というだけではいられないのだろうか?)
(恋は鳥でもするというのに、ひとは、なんという因果な生き物なのだろう。)
(わたくしにしたところで、十四郎さまを阿修羅の道に引きずり込んだも同然ではないか?)
 良い手紙を、なにか、たのしいお手紙を……と、せっかく店に戻れてひとりくつろいでいるというのに、躰も心も冷えてしまったあやめは、すがる気持ちで手紙の束をさぐる。
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