えぞのあやめ

とりみ ししょう

文字の大きさ
上 下
95 / 210

三の段 なやみ   北の方さま(二)

しおりを挟む
「納屋の御寮人。随分久しぶりのようじゃ。」
「半年も、ご無沙汰をいたしておりました。」
「いや、もっとではないかな。堺には会うていたが、納屋の御寮人としゃべるのは何年振りか。」
「恐れ入り奉りまする。ご無沙汰をいたしておりました。」
 はて、何のつもりやら、わざわざ人払いして皮肉でもなさそうだが、とあやめは訝しい。
「兵衛門が世話になったようじゃな。……そちと敦賀まで同行した、村上よ。」
「こちらこそ、おおきにお世話になりましてござりまする。」
「あれは、いとこよ。納屋の御寮人には助けられたといっておった。」
 自分の失敗を他人に喋らずにはいられない男がいる。とすると、蝦夷島に一度戻ったことは知られたか。あやめは緊張した。
「安堵せよ。おやかたさまにはいわぬ。兵衛門にも釘をさしておいた。あれは、いえばわかるひとじゃ。」
「手前の落ち度でもございますれば、……有り難く存じ上げます。」
いわないでくれるのか、助かる、と思った。だが、何故だ。
「十四郎殿を探したのじゃな。大館の目があるから、そうは蝦夷地にも下れぬからな。」
「……」
「帰ってきたということは、むなしかったか。」
 お方さまは気の毒げだ。あやめは黙って低頭した。嘘をいう気にもならなかった。
「御寮人。そちは堺に戻ればどうか。」
「と、申されますと……?」
「十四郎殿を待っても、詮無い。あと三年では、戻れぬ。いつまでもご赦免はないぞ。なにより、あのひとが生きているやらどうやも、わからぬ。おそらくは……すまぬ。いまのは忘れよ。だが、そちもこれ以上、松前にいることもあるまい。店はたれか今井の別の者に任せて、上方に戻られい。」
「お方さま、」あやめは相手の真意がよめない。「この堺のお仕えが足りませんでしたでしょうか。」
「……逆じゃよ。」
「逆?」
「そちはなぜか、おやかたさまを狂わせる。このままでは、そちは殺されはせぬまでも、死んでしまうぞ。」
「……」
「現に、縊り殺されかけたのではないか。」
お方さまの顔は青ざめている。それを知ったときにうけた衝撃を思い出したのであろう。
「……あの折は、喉を隠すお布を頂戴し、有り難く存じます。」
「礼はすでに受けた。」
「いえ、堺ではなく、納屋からもあらためて御礼を申し上げまする。まことに、お情けがありがたく、痛み入りましてござります。」
「そういうことか。……帰らぬのか。」
「恐れ入り奉ります。お心づかい、感謝のことばもござりませぬが……」
「店や商いが心配か。わらわが、おやかたさまをなんとかお止めする……というても、あてにはできぬわな。」
「左様にはござりませぬ、が、手前はやはり、この松前に十四郎さまをお迎えいたしとう存じます。」
あやめは、本当のことをいった。この相手に、嘘をつくのはしのびない気がしたからである。
「……ならば、堺よ。」
「はい。」
「そちの勤めは、いや増すぞ。わらわは、みごもっておる。」
「おお、それは……まことにおめでとうござりまする。」
「うむ。おやかたさまのお相手はできなくなる。そちには信じられぬかもしれぬが、おやかたさまは、……まあ、腹の大きくなった女は遠慮される。」
 さすがにそこまでの変態とは思っていないので、あやめは何ともいいようがない。
「子を孕み、産むは大業。命にもかかわる。」
「まことに。お大事になさってくださいませ。」
「ほんらいならば、そちらの仕事でもあるのだぞ。」
 正室村上氏がもしも産後の肥立ちでも悪く産褥で死んでしまえば、蠣崎家と村上家との縁が切れてしまいかねない。幸い正室はすでに嫡子を産んでいるから、この場合、そこまでの心配はないが、側妾こそが子をたくさん産む役のはずでもあった。
「まことに恐懼ばかりにござりまする。」
「耐えられるのか。そちは、十四郎殿を待つといった。そのそちが、想い人の仇とも思うであろうおやかたさまのお情けを受け続け、もしやすると、お子を頂戴するかもしれぬ。……わらわがもしもそちなら、怖うて、つらうて、耐えられぬ。そうではないのか。」
「お方さま、わたくしは……」
「さもなくとて、躰が壊れるまで、むごい目に遭いつづけはせぬか。あんな、薬など飲まされおって……。」
「……。」
「考え直せ。ある日、ふといなくなってしまっても構わぬ。この場からでも、いいのだ。それくらいは、なんとか後始末をしてやる。今井の船でなくても、陸奥あたりには渡れよう。十四郎どのを待ちたいと申すならば、故郷の堺の町で待て。」
「……」
「おやかたさまのご寵愛を笠に着て不遜の振る舞いがあったといって、わらわが追い出してやってもいいのだ。恥をかくのはおぬしではない。わらわであろう。夫の心を奪われた妬心ゆえと、嗤う者があればいい。そのようなもの、何も気にならぬ。」
 お方さまは胸を張った。子をなした主婦の、揺るぎのない自信が溢れるようだ。その姿が、あやめの目にはひどくまぶしく感じられた。
「有り難きお言葉。心より感謝いたすしかございませぬ。お方さまにそこまでのお心遣いをいただき、堺はそれだけで、お勤めを続けられましょう。」
「……聞かぬ女ご。」お方さまは溜息をつく様子であった。「意地があるのか。」
「はい、蠣崎のお家のため、十四郎さまのために、今しばらく意地を張りまする。」
 
 正室村上氏は、微笑を浮かべたあやめの蒼白い顔をみて、胸の中に憐みばかりが湧くのを感じた。
(蠣崎のお家にご官位をやれば、ものみなうまくいくと思っているのか、この娘は。)
(さようなことがあろうか?)
(ご褒美とばかりに、お屋形が謀反人を許し、その者に自分の側室を下げ渡してくれる、とでも?)
(そうはいかぬ。そもそもそちは、おやかたさまというお人を知らぬわ。)
(おやかたさまは、決してそちをお放しにならぬ。さようなことのできる方ではない。)
(それがわからぬままに、むなしい望みを持ち続けていれば、何が起こるかわからぬのだぞ。)
(そんなこともわからぬか? このかしこい娘が?)
(……夢じゃな。儚い夢にすがって、男の帰りを待っておるのじゃ。)
(十四郎は蝦夷地で行き倒れたのであろうに……。生きておれば、おやかたさまのお耳には必ず入っていた。もう、この世にはおるまい。)
(万が一、万万が一生き延びていても、もう松前の地を踏む気もないのであろう。それがわからぬのか。)
(富も才もあれど、恋の道を踏み迷うてしまえば、女ごはこのようになるのか。)
(なんと哀れな……)

「今日は喋りすぎた。あらぬこともいうてしまうた。忘れてくりょう。」
「はい。忘れますが、……まことに、ありがたき幸せに存じました。」
「……堺。もしまた首に痣を作ったりすれば、おやかたさまを惑わす不埒ものとて、即刻大舘から叩きだす。よいな。」
「はい、心得ておりまする。」
 あやめはまた、深々と低頭した。
(お方さま、あなた様こそ、幼きお子達をつれて、この大舘からお離れくださいませぬか。わたくしからの、口には未だ出せぬ、お願いだ。)
 肚の中では、必死の面持ちで叫んでいる。あやめは、松前大舘を血の海にするつもりなのだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

悪戯な運命の女神は、無慈悲な【運命の糸】を紡ぐ

ブラックベリィ
BL
高校一年生の神楽聖樹〔かぐら せいじゅ〕は、好みによっては、美形といわれるような容姿を持つ少年。 幼馴染みは、美少女というのが特徴。 本人の悩みは、異世界のかなりハードな夢を見ることと母親のこと‥‥‥‥。 嫉妬によって、ある男に聖樹は売られます。 その結果、現代と異世界を行ったり来たりします。 ※BL表現多し、苦手な方はその部分を飛ばしてお読み下さい。 作品中に、性的奴隷とか強姦とかかなりハードな部分もあります。 その時は、R18の印をつけます。 一応、じれじれのらぶあまも入る予定。 ジャンルに迷い、一応同性同士の行為や恋愛が入るので、BLにしてみました。

孤独な姫君に溺れるほどの愛を

ゆーかり
恋愛
叔母からの虐待により心身に傷を負った公爵令嬢のリラ。そんな彼女は祖父である国王の元保護され、優しい人々に見守れながら成長し、いつしか自身に向けられた溺れるような愛に気付かされる──

田舎者とバカにされたけど、都会に染まった婚約者様は破滅しました

さこの
恋愛
田舎の子爵家の令嬢セイラと男爵家のレオは幼馴染。両家とも仲が良く、領地が隣り合わせで小さい頃から結婚の約束をしていた。 時が経ちセイラより一つ上のレオが王立学園に入学することになった。 手紙のやり取りが少なくなってきて不安になるセイラ。 ようやく学園に入学することになるのだが、そこには変わり果てたレオの姿が…… 「田舎の色気のない女より、都会の洗練された女はいい」と友人に吹聴していた ホットランキング入りありがとうございます 2021/06/17

婚約破棄追追放 神与スキルが謎のブリーダーだったので、王女から婚約破棄され公爵家から追放されました

克全
ファンタジー
小国の公爵家長男で王女の婿になるはずだったが……

ちびっ子ボディのチート令嬢は辺境で幸せを掴む

紫楼
ファンタジー
 酔っ払って寝て起きたらなんか手が小さい。びっくりしてベットから落ちて今の自分の情報と前の自分の記憶が一気に脳内を巡ってそのまま気絶した。  私は放置された16歳の少女リーシャに転生?してた。自分の状況を理解してすぐになぜか王様の命令で辺境にお嫁に行くことになったよ!    辺境はイケメンマッチョパラダイス!!だったので天国でした!  食べ物が美味しくない国だったので好き放題食べたい物作らせて貰える環境を与えられて幸せです。  もふもふ?に出会ったけどなんか違う!?  もふじゃない爺と契約!?とかなんだかなーな仲間もできるよ。  両親のこととかリーシャの真実が明るみに出たり、思わぬ方向に物事が進んだり?    いつかは立派な辺境伯夫人になりたいリーシャの日常のお話。    主人公が結婚するんでR指定は保険です。外見とかストーリー的に身長とか容姿について表現があるので不快になりそうでしたらそっと閉じてください。完全な性表現は書くの苦手なのでほぼ無いとは思いますが。  倫理観論理感の強い人には向かないと思われますので、そっ閉じしてください。    小さい見た目のお転婆さんとか書きたかっただけのお話。ふんわり設定なので軽ーく受け流してください。  描写とか適当シーンも多いので軽く読み流す物としてお楽しみください。  タイトルのついた分は少し台詞回しいじったり誤字脱字の訂正が済みました。  多少表現が変わった程度でストーリーに触る改稿はしてません。  カクヨム様にも載せてます。

ヒーローは洗脳されました

桜羽根ねね
BL
悪の組織ブレイウォーシュと戦う、ヒーロー戦隊インクリネイト。 殺生を好まないヒーローは、これまで数々のヴィランを撃退してきた。だが、とある戦いの中でヒーロー全員が連れ去られてしまう。果たして彼等の行く末は──。 洗脳という名前を借りた、らぶざまエロコメです♡悲壮感ゼロ、モブレゼロなハッピーストーリー。 何でも美味しく食べる方向けです!

今日で都合の良い嫁は辞めます!後は家族で仲良くしてください!

ユウ
恋愛
三年前、夫の願いにより義両親との同居を求められた私はは悩みながらも同意した。 苦労すると周りから止められながらも受け入れたけれど、待っていたのは我慢を強いられる日々だった。 それでもなんとななれ始めたのだが、 目下の悩みは子供がなかなか授からない事だった。 そんなある日、義姉が里帰りをするようになり、生活は一変した。 義姉は子供を私に預け、育児を丸投げをするようになった。 仕事と家事と育児すべてをこなすのが困難になった夫に助けを求めるも。 「子供一人ぐらい楽勝だろ」 夫はリサに残酷な事を言葉を投げ。 「家族なんだから助けてあげないと」 「家族なんだから助けあうべきだ」 夫のみならず、義両親までもリサの味方をすることなく行動はエスカレートする。 「仕事を少し休んでくれる?娘が旅行にいきたいそうだから」 「あの子は大変なんだ」 「母親ならできて当然よ」 シンパシー家は私が黙っていることをいいことに育児をすべて丸投げさせ、義姉を大事にするあまり家族の団欒から外され、我慢できなくなり夫と口論となる。 その末に。 「母性がなさすぎるよ!家族なんだから協力すべきだろ」 この言葉でもう無理だと思った私は決断をした。

処理中です...