えぞのあやめ

とりみ ししょう

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二の段 蠣崎家のほうへ  誓い(四)

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 沈黙が長い。
 あやめはふと気づいて顔をあげた。
 十四郎が頭を落とし、床に額をすりつけているのをみた。肩が震えている。
「すまぬ。」
 振り絞るような声が出た。
「すべて、おれのせいだ。」
「十四郎さま……おやめくださいませ。」
「許してくれともいえぬ。最初から、おれの得手勝手のせいで……」
「なにをおっしゃいますか。ちがいまする。」
「ちがわぬ!」
 十四郎は叫んだ。声が哭いている。
「あやめ、なんという目にあったのだ。なんという、むごい目に、あっているのだっ。それも、すべておれの自儘のためではないか。」
「……」
 あやめは泣きながら首を振るが、
「あ、あやめが苦しんでいるあいだ、おれはどこで何をし散らしていたか。ポモールだのと夢のようなものを追いかけて、得手勝手ばかりではないか。おれのせいだ。」
「十四郎さま、そのようなことはございませぬっ。」
 あやめは十四郎の肩に両手を置いて、揺さぶった。すまなくて、頭を上げて貰いたいという思いがあり、また、気づいてほしい、悪いのは新三郎ではないか、という思いも強い。
「……あやめ。どうすればよい? 取り返しがつかぬかもしれぬ。だが、今からできることがあるだろうか? そなたのために、おれは何ができる?」
 十四郎は紅潮した顔をあげた。
「十四郎さま。そのお言葉だけで、わたくしは……」
「おれの言葉など。」
「十四郎さま。」
 あやめは微笑んだ。
「今宵はあなた様の地のお言葉が、不思議によくわかりまする。」
「……?」
「ここまで参った甲斐がござりました。あなた様のお心に直に触れる思いでございまする。……あなた様は、そんな風にお喋りになられたのね。」
「あやめ、……もっと、泣いてくれ。」
「泣いておりませぬ。」
「思い出したよ。そなたはいわれたな。おれの前でだけ泣ける、と。ならば、泣いてくれ。泣けるだけ、泣きたいだけ、せめて……。」
「……」
「どんなにか、つらかったであろう。苦しかったであろう。いまも、厭だったろう。苦しいだろう。……すまぬ。すまぬ。すまぬ。……せめて、おれと二人のときだけは、堪えないで、泣いていいのだ。そうしてくれ。」
「あ……」
 あやめの躰がふらふらと揺れて、十四郎の胸に落ちるようにすがった。
 あやめは火が付いたような歔欷の声をあげて、すでに流れ続けていた涙を抑えようとする努力を忘れて、泣いた。 童子のように、泣いて訴えるような言葉が次々とまろび出る。
「つらい。つらいのでござります……もう、……厭じゃ、厭、もう厭。……苦しい、苦しいの。……穢された、穢されてしまいました。」
「なにをいわれるか。そなたは清い。汚されていない。たれも汚せない。」
「いつも、おそろしい……恥ずかしい……にくい、……あ、浅ましいことばかりを……怖い、こわいのでございます。厭、厭、厭、もう……つらいっ。つらいっ。」
 あやめの頭を撫でるようにしながら、十四郎は頷きながら聴く。
「そうであろう……つらい。つらいの。すまない……。」

 あやめの嗚咽はなかなかやまないが、のぼせ上がったようになって泣き続けているうちに、あやめの頭の中に、冷えた部分ができてきた。
(十四郎さま、おやさしい。ありがたい。うれしい。好きだ。大好きだ。でも……)
(わたくしの望みは、どう考えておられるのだろう? わたくしは、蠣崎新三郎めを許せないのだ。そして、蝦夷島のために、あなた様が立つ「図」を描いたのだ。それは、どうなるのだ?)
(十四郎さまはおやさしすぎるのか。おのが想い女を盗み、踏みにじっている者にお怒りはないのか? それとも、惣領の兄とは、厄介者の部屋住みにとって、嵐や大水のようなもので、是非を問うても仕方のない、最初から歯向かえないものなのだろうか?)
(ああ、大好き、大好き、大嫌い……)

 十四郎があやめの肩を抱く力が強くなった。いつの間にか、あやめの胸も歔欷とは違う衝動に高鳴り、上下しはじめる。
「あやめ……」
 十四郎が、頭の上で呼びかけた。あやめは男の胸にぴったりとつけていた頬をはずして、そちらに顔をむける。すでに唇を待っている。
 十四郎の口吸いは、懐かしい甘さだ。
(今は、もう、なにもかも、どうでもいい……)
 あやめは酔おうと決めた。
「……よろしいので、ございますか?」
「なにが?」
「わたくしは、もう……」
あやめはさすがに言葉が継げない。新三郎にさんざ凌辱された女を抱けるのか、とはきけない。もう「堺の方」などと呼ばれて側妾にされ、何度も何度も犯されてしまっているのだが、そんな躰でいいのか、ともいえない。
「おれは、そなたにこうしたい。それこそ、よいのか?」
「……」
あやめは何度も頷いた。口を開いて礼をいおうとすると、
「なにもいうな、いわないでくれ、あやめ。」
また十四郎の口吸いが、あやめの声を塞ぐ。

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