78 / 210
二の段 蠣崎家のほうへ 誓い(四)
しおりを挟む
沈黙が長い。
あやめはふと気づいて顔をあげた。
十四郎が頭を落とし、床に額をすりつけているのをみた。肩が震えている。
「すまぬ。」
振り絞るような声が出た。
「すべて、おれのせいだ。」
「十四郎さま……おやめくださいませ。」
「許してくれともいえぬ。最初から、おれの得手勝手のせいで……」
「なにをおっしゃいますか。ちがいまする。」
「ちがわぬ!」
十四郎は叫んだ。声が哭いている。
「あやめ、なんという目にあったのだ。なんという、むごい目に、あっているのだっ。それも、すべておれの自儘のためではないか。」
「……」
あやめは泣きながら首を振るが、
「あ、あやめが苦しんでいるあいだ、おれはどこで何をし散らしていたか。ポモールだのと夢のようなものを追いかけて、得手勝手ばかりではないか。おれのせいだ。」
「十四郎さま、そのようなことはございませぬっ。」
あやめは十四郎の肩に両手を置いて、揺さぶった。すまなくて、頭を上げて貰いたいという思いがあり、また、気づいてほしい、悪いのは新三郎ではないか、という思いも強い。
「……あやめ。どうすればよい? 取り返しがつかぬかもしれぬ。だが、今からできることがあるだろうか? そなたのために、おれは何ができる?」
十四郎は紅潮した顔をあげた。
「十四郎さま。そのお言葉だけで、わたくしは……」
「おれの言葉など。」
「十四郎さま。」
あやめは微笑んだ。
「今宵はあなた様の地のお言葉が、不思議によくわかりまする。」
「……?」
「ここまで参った甲斐がござりました。あなた様のお心に直に触れる思いでございまする。……あなた様は、そんな風にお喋りになられたのね。」
「あやめ、……もっと、泣いてくれ。」
「泣いておりませぬ。」
「思い出したよ。そなたはいわれたな。おれの前でだけ泣ける、と。ならば、泣いてくれ。泣けるだけ、泣きたいだけ、せめて……。」
「……」
「どんなにか、つらかったであろう。苦しかったであろう。いまも、厭だったろう。苦しいだろう。……すまぬ。すまぬ。すまぬ。……せめて、おれと二人のときだけは、堪えないで、泣いていいのだ。そうしてくれ。」
「あ……」
あやめの躰がふらふらと揺れて、十四郎の胸に落ちるようにすがった。
あやめは火が付いたような歔欷の声をあげて、すでに流れ続けていた涙を抑えようとする努力を忘れて、泣いた。 童子のように、泣いて訴えるような言葉が次々とまろび出る。
「つらい。つらいのでござります……もう、……厭じゃ、厭、もう厭。……苦しい、苦しいの。……穢された、穢されてしまいました。」
「なにをいわれるか。そなたは清い。汚されていない。たれも汚せない。」
「いつも、おそろしい……恥ずかしい……にくい、……あ、浅ましいことばかりを……怖い、こわいのでございます。厭、厭、厭、もう……つらいっ。つらいっ。」
あやめの頭を撫でるようにしながら、十四郎は頷きながら聴く。
「そうであろう……つらい。つらいの。すまない……。」
あやめの嗚咽はなかなかやまないが、のぼせ上がったようになって泣き続けているうちに、あやめの頭の中に、冷えた部分ができてきた。
(十四郎さま、おやさしい。ありがたい。うれしい。好きだ。大好きだ。でも……)
(わたくしの望みは、どう考えておられるのだろう? わたくしは、蠣崎新三郎めを許せないのだ。そして、蝦夷島のために、あなた様が立つ「図」を描いたのだ。それは、どうなるのだ?)
(十四郎さまはおやさしすぎるのか。おのが想い女を盗み、踏みにじっている者にお怒りはないのか? それとも、惣領の兄とは、厄介者の部屋住みにとって、嵐や大水のようなもので、是非を問うても仕方のない、最初から歯向かえないものなのだろうか?)
(ああ、大好き、大好き、大嫌い……)
十四郎があやめの肩を抱く力が強くなった。いつの間にか、あやめの胸も歔欷とは違う衝動に高鳴り、上下しはじめる。
「あやめ……」
十四郎が、頭の上で呼びかけた。あやめは男の胸にぴったりとつけていた頬をはずして、そちらに顔をむける。すでに唇を待っている。
十四郎の口吸いは、懐かしい甘さだ。
(今は、もう、なにもかも、どうでもいい……)
あやめは酔おうと決めた。
「……よろしいので、ございますか?」
「なにが?」
「わたくしは、もう……」
あやめはさすがに言葉が継げない。新三郎にさんざ凌辱された女を抱けるのか、とはきけない。もう「堺の方」などと呼ばれて側妾にされ、何度も何度も犯されてしまっているのだが、そんな躰でいいのか、ともいえない。
「おれは、そなたにこうしたい。それこそ、よいのか?」
「……」
あやめは何度も頷いた。口を開いて礼をいおうとすると、
「なにもいうな、いわないでくれ、あやめ。」
また十四郎の口吸いが、あやめの声を塞ぐ。
あやめはふと気づいて顔をあげた。
十四郎が頭を落とし、床に額をすりつけているのをみた。肩が震えている。
「すまぬ。」
振り絞るような声が出た。
「すべて、おれのせいだ。」
「十四郎さま……おやめくださいませ。」
「許してくれともいえぬ。最初から、おれの得手勝手のせいで……」
「なにをおっしゃいますか。ちがいまする。」
「ちがわぬ!」
十四郎は叫んだ。声が哭いている。
「あやめ、なんという目にあったのだ。なんという、むごい目に、あっているのだっ。それも、すべておれの自儘のためではないか。」
「……」
あやめは泣きながら首を振るが、
「あ、あやめが苦しんでいるあいだ、おれはどこで何をし散らしていたか。ポモールだのと夢のようなものを追いかけて、得手勝手ばかりではないか。おれのせいだ。」
「十四郎さま、そのようなことはございませぬっ。」
あやめは十四郎の肩に両手を置いて、揺さぶった。すまなくて、頭を上げて貰いたいという思いがあり、また、気づいてほしい、悪いのは新三郎ではないか、という思いも強い。
「……あやめ。どうすればよい? 取り返しがつかぬかもしれぬ。だが、今からできることがあるだろうか? そなたのために、おれは何ができる?」
十四郎は紅潮した顔をあげた。
「十四郎さま。そのお言葉だけで、わたくしは……」
「おれの言葉など。」
「十四郎さま。」
あやめは微笑んだ。
「今宵はあなた様の地のお言葉が、不思議によくわかりまする。」
「……?」
「ここまで参った甲斐がござりました。あなた様のお心に直に触れる思いでございまする。……あなた様は、そんな風にお喋りになられたのね。」
「あやめ、……もっと、泣いてくれ。」
「泣いておりませぬ。」
「思い出したよ。そなたはいわれたな。おれの前でだけ泣ける、と。ならば、泣いてくれ。泣けるだけ、泣きたいだけ、せめて……。」
「……」
「どんなにか、つらかったであろう。苦しかったであろう。いまも、厭だったろう。苦しいだろう。……すまぬ。すまぬ。すまぬ。……せめて、おれと二人のときだけは、堪えないで、泣いていいのだ。そうしてくれ。」
「あ……」
あやめの躰がふらふらと揺れて、十四郎の胸に落ちるようにすがった。
あやめは火が付いたような歔欷の声をあげて、すでに流れ続けていた涙を抑えようとする努力を忘れて、泣いた。 童子のように、泣いて訴えるような言葉が次々とまろび出る。
「つらい。つらいのでござります……もう、……厭じゃ、厭、もう厭。……苦しい、苦しいの。……穢された、穢されてしまいました。」
「なにをいわれるか。そなたは清い。汚されていない。たれも汚せない。」
「いつも、おそろしい……恥ずかしい……にくい、……あ、浅ましいことばかりを……怖い、こわいのでございます。厭、厭、厭、もう……つらいっ。つらいっ。」
あやめの頭を撫でるようにしながら、十四郎は頷きながら聴く。
「そうであろう……つらい。つらいの。すまない……。」
あやめの嗚咽はなかなかやまないが、のぼせ上がったようになって泣き続けているうちに、あやめの頭の中に、冷えた部分ができてきた。
(十四郎さま、おやさしい。ありがたい。うれしい。好きだ。大好きだ。でも……)
(わたくしの望みは、どう考えておられるのだろう? わたくしは、蠣崎新三郎めを許せないのだ。そして、蝦夷島のために、あなた様が立つ「図」を描いたのだ。それは、どうなるのだ?)
(十四郎さまはおやさしすぎるのか。おのが想い女を盗み、踏みにじっている者にお怒りはないのか? それとも、惣領の兄とは、厄介者の部屋住みにとって、嵐や大水のようなもので、是非を問うても仕方のない、最初から歯向かえないものなのだろうか?)
(ああ、大好き、大好き、大嫌い……)
十四郎があやめの肩を抱く力が強くなった。いつの間にか、あやめの胸も歔欷とは違う衝動に高鳴り、上下しはじめる。
「あやめ……」
十四郎が、頭の上で呼びかけた。あやめは男の胸にぴったりとつけていた頬をはずして、そちらに顔をむける。すでに唇を待っている。
十四郎の口吸いは、懐かしい甘さだ。
(今は、もう、なにもかも、どうでもいい……)
あやめは酔おうと決めた。
「……よろしいので、ございますか?」
「なにが?」
「わたくしは、もう……」
あやめはさすがに言葉が継げない。新三郎にさんざ凌辱された女を抱けるのか、とはきけない。もう「堺の方」などと呼ばれて側妾にされ、何度も何度も犯されてしまっているのだが、そんな躰でいいのか、ともいえない。
「おれは、そなたにこうしたい。それこそ、よいのか?」
「……」
あやめは何度も頷いた。口を開いて礼をいおうとすると、
「なにもいうな、いわないでくれ、あやめ。」
また十四郎の口吸いが、あやめの声を塞ぐ。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる