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二の段 蠣崎家のほうへ 「堺の方」(二)
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この日の夕は、あやめは大舘から店屋敷に帰して貰えなかった。
新三郎は直接あやめに意を告げることはない。家督相続の内輪の祝いの酒宴に顔を出した後、早々にあやめは寝衣に着替えさせられ、待たされた。
(コハルは来ぬか。)
いや、詮無いことだ、と首を振ったが、心のどこかでこの大舘から逃げだせぬかという期待がある。逃げ出したところで、それはそれで、どうともならぬ。この地の権力者の意に背いたことによって、全てをいずれ喪うことになる。いまはしかし、心のどこかで、あのコハルが潜入してくれはしないか、無理矢理に自分を連れ出してくれたらどうであろうか、自分はそれに従ってしまうのではないか、それでもいい、それがいいのではないか……、というぐるぐるとまわる思いは捨てきれない。
「御寮人さま。」
と、低い女の声がした。あやめははっとした。コハルはおそらく、大舘にも自分の仕事の部下をすでに潜らせている。その一人ではないか。
(ならば?)
「おいたわしく存ずる。」
あやめは唇を噛んだ。
女は何処に潜んでいるのだろう。ただ、声だけがした。
「それはよい。用があろう。」
「ならば、お伝え申し上げる。蠣崎ご家中の者が、すでにお店を囲んでおります。松明で赤々とお店を照らし、お屋敷に出入りを差し止める気配。」
(そうきたか。)
「倉や店には手をつけぬか。」
「番頭殿などがお体を張って、倉を開けるのは押しとどめなされた。蝦夷侍もお役目だけのことなれば、隙間から覗かせろといい、ただそればかりで済んだようでございます。」
「それはでかした。」
いつになれば褒めてやれるものか、明日か、明後日か。見当がつかないのがあやめは悔しい。
「おかしらは、御寮人さまの御下知を待つのみとのことでございます。」
コハルのことであろう。
「……おぬしのおかしらに伝えなさい。先刻承知の通りである。つまり、……つまり、なにごともない。大儀であった。」
あやめにも感じられていた、女の気配は消えた。何者なのか、いかなる形でこの大舘に入りこませているのかは、コハルに尋ねたこともない。
あやめは再び、ひとりだ。遠くから聞こえてくる宴の騒ぐ声が、また聞こえてきた。
あてがわれた広くもない部屋には、板の間に薄い寝具が敷いてある。燭台のとぼしい光のなかで、あやめは死んだように無感動でいた。
自分の描いた「図」がこれで、その分だけ確かなものになるとは、黄色い闇のなかのあやめは思えない。
いまはどうにもならぬと未練の糸を切った先刻から、己というものがついに死んでしまったかのように感じられ、 なにも思えないのである。
足音と、酒の匂いが近づいた。自然に身が固くなる。
新三郎がどこか上機嫌の様子であらわれた。
「納屋の御寮人。……いや、あやめ。仔細は聞き及んだか。」
「仔細、というほどには……」
あやめは気を取り直したわけではないが、無感動のままで答えた。
酔いのある新三郎は、鼻で笑った。こういうところが、この女はたまらない、とでも思ったのだろう。
「よかろう、仔細はこれからじゃ。」
「……。」
あやめは黙ったままである。何か口上でもいわされるかと思ったが、新三郎はそうした決まりきった儀式に身を置くつもりはないようだった。自分の思うままにいくと決めているようだ。
まず、あやめは立たされた。寝衣を解くようにいわれる。
「北国の流儀じゃ。存じておろう?」
(この男は! あてつけのつもりか。)
あやめは無言で寝衣をすべて落として、いわれるままに燭台の横に立った。
(すべて脱いでしまっても、少しも恥ずかしくはない。このような畜生の前では、何も思うことはない。)
新三郎は、茶道具でもみるような眼を、黄色い光のなかに浮かび上がった裸体にむけた。柔らかみを帯びながらもほっそりと伸びた肢体が、手で前だけは隠そうとして縮こまっている。
「あやめ、そなたは美しいと思う。」
「……」
「来い。」
寝衣の前をはだけて羽織った新三郎は、促す素振りを見せた。しばらく待つ。
あやめはすくんでしまったように動けない。自分から、憎い相手の胸にしなだれかかるなど、どうしてもできない。
「来ぬか。来られぬ、左様か。ならば、こうする。」
新三郎は立ち上がって近づくと、あやめの躰を横抱きにした。敷かれた寝具の上に落した。裸の尻が跳ね上がる。
新三郎は直接あやめに意を告げることはない。家督相続の内輪の祝いの酒宴に顔を出した後、早々にあやめは寝衣に着替えさせられ、待たされた。
(コハルは来ぬか。)
いや、詮無いことだ、と首を振ったが、心のどこかでこの大舘から逃げだせぬかという期待がある。逃げ出したところで、それはそれで、どうともならぬ。この地の権力者の意に背いたことによって、全てをいずれ喪うことになる。いまはしかし、心のどこかで、あのコハルが潜入してくれはしないか、無理矢理に自分を連れ出してくれたらどうであろうか、自分はそれに従ってしまうのではないか、それでもいい、それがいいのではないか……、というぐるぐるとまわる思いは捨てきれない。
「御寮人さま。」
と、低い女の声がした。あやめははっとした。コハルはおそらく、大舘にも自分の仕事の部下をすでに潜らせている。その一人ではないか。
(ならば?)
「おいたわしく存ずる。」
あやめは唇を噛んだ。
女は何処に潜んでいるのだろう。ただ、声だけがした。
「それはよい。用があろう。」
「ならば、お伝え申し上げる。蠣崎ご家中の者が、すでにお店を囲んでおります。松明で赤々とお店を照らし、お屋敷に出入りを差し止める気配。」
(そうきたか。)
「倉や店には手をつけぬか。」
「番頭殿などがお体を張って、倉を開けるのは押しとどめなされた。蝦夷侍もお役目だけのことなれば、隙間から覗かせろといい、ただそればかりで済んだようでございます。」
「それはでかした。」
いつになれば褒めてやれるものか、明日か、明後日か。見当がつかないのがあやめは悔しい。
「おかしらは、御寮人さまの御下知を待つのみとのことでございます。」
コハルのことであろう。
「……おぬしのおかしらに伝えなさい。先刻承知の通りである。つまり、……つまり、なにごともない。大儀であった。」
あやめにも感じられていた、女の気配は消えた。何者なのか、いかなる形でこの大舘に入りこませているのかは、コハルに尋ねたこともない。
あやめは再び、ひとりだ。遠くから聞こえてくる宴の騒ぐ声が、また聞こえてきた。
あてがわれた広くもない部屋には、板の間に薄い寝具が敷いてある。燭台のとぼしい光のなかで、あやめは死んだように無感動でいた。
自分の描いた「図」がこれで、その分だけ確かなものになるとは、黄色い闇のなかのあやめは思えない。
いまはどうにもならぬと未練の糸を切った先刻から、己というものがついに死んでしまったかのように感じられ、 なにも思えないのである。
足音と、酒の匂いが近づいた。自然に身が固くなる。
新三郎がどこか上機嫌の様子であらわれた。
「納屋の御寮人。……いや、あやめ。仔細は聞き及んだか。」
「仔細、というほどには……」
あやめは気を取り直したわけではないが、無感動のままで答えた。
酔いのある新三郎は、鼻で笑った。こういうところが、この女はたまらない、とでも思ったのだろう。
「よかろう、仔細はこれからじゃ。」
「……。」
あやめは黙ったままである。何か口上でもいわされるかと思ったが、新三郎はそうした決まりきった儀式に身を置くつもりはないようだった。自分の思うままにいくと決めているようだ。
まず、あやめは立たされた。寝衣を解くようにいわれる。
「北国の流儀じゃ。存じておろう?」
(この男は! あてつけのつもりか。)
あやめは無言で寝衣をすべて落として、いわれるままに燭台の横に立った。
(すべて脱いでしまっても、少しも恥ずかしくはない。このような畜生の前では、何も思うことはない。)
新三郎は、茶道具でもみるような眼を、黄色い光のなかに浮かび上がった裸体にむけた。柔らかみを帯びながらもほっそりと伸びた肢体が、手で前だけは隠そうとして縮こまっている。
「あやめ、そなたは美しいと思う。」
「……」
「来い。」
寝衣の前をはだけて羽織った新三郎は、促す素振りを見せた。しばらく待つ。
あやめはすくんでしまったように動けない。自分から、憎い相手の胸にしなだれかかるなど、どうしてもできない。
「来ぬか。来られぬ、左様か。ならば、こうする。」
新三郎は立ち上がって近づくと、あやめの躰を横抱きにした。敷かれた寝具の上に落した。裸の尻が跳ね上がる。
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