えぞのあやめ

とりみ ししょう

文字の大きさ
上 下
24 / 210

一の段 あやめも知らぬ 決心(二)

しおりを挟む
 一と月後、唐子への五年の巡察行が十四郎に命じられた。事実上、流人の境涯といっていい。
「御曹司さまは、遠くに行かれるでしょう。」
「……今でも、よく遠くに行かれています。」
「御寮人さま。」しっかりなさい、といわんばかりにコハルは念を押した。「ご命じになられましたのは、御曹司さまのお命のお助けでございました。遠流で済めば、まだよろしかろう。」
「そうだったな。コハル、これはおぬしには叱られるであろうが、……まことにありがたい、礼をいいまする。」
「大儀であった、といってくださいますほうが、コハルのような仕事の者には嬉しうございます。ただ、コハルも身の程を忘れますが、……申し訳ございませぬ。とても、ここまでしか、できませんでした。お詫びを申し上げます。よくやった、とはたしかにお言葉をいただけますまい。」
「そうではない。ほんとうにうれしいのじゃ。十四郎さまはこれで、しばらくのお命は助かった。」
「しばらく、ではございますが。」
「闇討ちまであったそうな。」
 
 あった。
 十四郎が蟄居から表面上は解かれてすぐのことである。
 許可されて、死んだ与三郎の屋敷に悔やみをいいに訪れようとするところに、どこからともなく矢が飛んだ。十四郎に同行した大舘の監視役の役人も含め、道行く者皆が大騒ぎのなかであったのに、射手はさして繁華でもない武家町を逃げおおせた。
 逃げ出したのは和人の風体で、矢は和弓のそれであったが、鏃には毒が塗られていた。
 十四郎は肩衣を射抜かれた。それだけで済んだものの、知らせを聞いたお屋形―蠣崎若狭守季広老人は絶句したらしい。
 ただちに十四郎を、法源寺に送った。四男の蠣崎随良が住持を勤める寺である。この蝦夷島の古刹に逃げこませれば、おいそれと襲撃のできるものではない。たとえ蠣崎家の者であったとしても……。
 だが、この襲撃はコハルの仕組んだことである。あやめもそれは知っていた。
 新三郎こそは釈然としなかったであろう。代官名代には、闇討ちなどの必要は本来ない。殺したければ再び罪に問うて、堂々と刑殺すればいいだけの話であった。
 老代官にはそれがわからないのか、あるいは名代の意図を汲んで勝手に動く勢力が家中にあるとみたか。おそらく後者の見立ては事実としては間違っていなさそうだが、十四郎を松前に置いておかせては、いずれ危ないと思ったのだろう。
 松前で宙ぶらりんの状態から、十四郎は左遷というより遠流に近い扱いで落ち着いた。新旧の権力者であるお屋形とご名代の親子にどのようなやりとりがあったのかは、さすがのコハルもつかめない。

「お立ちになる春まで、油断はならぬ。」
 出立は来春と、なぜか決められていた。雪の心配がある季節でもなんでもないのに、どういうわけでそんなに間が空くのかはわからない。
 逆にいえば、それまでの長い時間、十四郎は寺に禁固されたも同然である。そこにあやめは、大舘すなわちご名代の残酷さを感じてならない。
(十四郎さまなら、蝦夷地でも生きていかれよう。それを、そう割り切って前にも進めさせず、長々と恥やご不便を忍ばせるおつもりか?)
(それとも、手元に置いて、いずれは、やはり殺してしまおうというのか?)
「それはコハルにお任せくださいませ。」
「大儀。」
「よいのでございますか?」
「……」
「春までご無事にすごされたとしても、御曹司さまは、うんと遠くに行ってしまわれます。」
「……よくはない。」
 コハルにも、おぼろげな考えはあるのだが、それを口に出すのははばかられた。
 あやめは、不意に目を閉じた。
「唐子の奥と、堺とではどちらが遠いかのう?」
「おお。」
「コハル。わたくしは決めました。もとはといえば、わたくしが無用に愚図愚図とためらっていたのが悪い。」
「ご無理のないことでございました。このような仕儀になろうとは、コハルのせいにもございます。」
「それはもう、よい。わたくしとて、何度、去年の秋や冬を省みて、悔いたことかわからぬ。」
「悔いられなくてもようございます、御寮人さまは。」
「楽しすぎて、……壊れ物と同じじゃな。よきものに下手に触ってはならぬと思えた。なにかを壊したくなかったのかもしれぬ。しかし、……」
 あやめは回想と感慨に囚われて、言葉を喪ったようだ。
「面白うございましたなあ。コハルの一生で、一番楽しい冬だったかもしれませぬ。」
「左様にいうな。終わったことは誰にも取り戻せぬ。だが、……」明日のことならばこの手で、といわんばかりに、 あやめは目を見開き、無意識に手をみつめる。
「合戦に出られるお覚悟でございますね。」
「おうよ。わたくしには、大旦那様を通じて、お武家の血も流れているらしいからな。」
「お躰をお張りなさいませ。お躰を。」
 あやめの顔が心なしか上気したのを、コハルは見た。
「……いかなる意味かは詮索しませぬ。が、左様いたそう。」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

仇討浪人と座頭梅一

克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

処理中です...