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一の段 あやめも知らぬ 決心(二)
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一と月後、唐子への五年の巡察行が十四郎に命じられた。事実上、流人の境涯といっていい。
「御曹司さまは、遠くに行かれるでしょう。」
「……今でも、よく遠くに行かれています。」
「御寮人さま。」しっかりなさい、といわんばかりにコハルは念を押した。「ご命じになられましたのは、御曹司さまのお命のお助けでございました。遠流で済めば、まだよろしかろう。」
「そうだったな。コハル、これはおぬしには叱られるであろうが、……まことにありがたい、礼をいいまする。」
「大儀であった、といってくださいますほうが、コハルのような仕事の者には嬉しうございます。ただ、コハルも身の程を忘れますが、……申し訳ございませぬ。とても、ここまでしか、できませんでした。お詫びを申し上げます。よくやった、とはたしかにお言葉をいただけますまい。」
「そうではない。ほんとうにうれしいのじゃ。十四郎さまはこれで、しばらくのお命は助かった。」
「しばらく、ではございますが。」
「闇討ちまであったそうな。」
あった。
十四郎が蟄居から表面上は解かれてすぐのことである。
許可されて、死んだ与三郎の屋敷に悔やみをいいに訪れようとするところに、どこからともなく矢が飛んだ。十四郎に同行した大舘の監視役の役人も含め、道行く者皆が大騒ぎのなかであったのに、射手はさして繁華でもない武家町を逃げおおせた。
逃げ出したのは和人の風体で、矢は和弓のそれであったが、鏃には毒が塗られていた。
十四郎は肩衣を射抜かれた。それだけで済んだものの、知らせを聞いたお屋形―蠣崎若狭守季広老人は絶句したらしい。
ただちに十四郎を、法源寺に送った。四男の蠣崎随良が住持を勤める寺である。この蝦夷島の古刹に逃げこませれば、おいそれと襲撃のできるものではない。たとえ蠣崎家の者であったとしても……。
だが、この襲撃はコハルの仕組んだことである。あやめもそれは知っていた。
新三郎こそは釈然としなかったであろう。代官名代には、闇討ちなどの必要は本来ない。殺したければ再び罪に問うて、堂々と刑殺すればいいだけの話であった。
老代官にはそれがわからないのか、あるいは名代の意図を汲んで勝手に動く勢力が家中にあるとみたか。おそらく後者の見立ては事実としては間違っていなさそうだが、十四郎を松前に置いておかせては、いずれ危ないと思ったのだろう。
松前で宙ぶらりんの状態から、十四郎は左遷というより遠流に近い扱いで落ち着いた。新旧の権力者であるお屋形とご名代の親子にどのようなやりとりがあったのかは、さすがのコハルもつかめない。
「お立ちになる春まで、油断はならぬ。」
出立は来春と、なぜか決められていた。雪の心配がある季節でもなんでもないのに、どういうわけでそんなに間が空くのかはわからない。
逆にいえば、それまでの長い時間、十四郎は寺に禁固されたも同然である。そこにあやめは、大舘すなわちご名代の残酷さを感じてならない。
(十四郎さまなら、蝦夷地でも生きていかれよう。それを、そう割り切って前にも進めさせず、長々と恥やご不便を忍ばせるおつもりか?)
(それとも、手元に置いて、いずれは、やはり殺してしまおうというのか?)
「それはコハルにお任せくださいませ。」
「大儀。」
「よいのでございますか?」
「……」
「春までご無事にすごされたとしても、御曹司さまは、うんと遠くに行ってしまわれます。」
「……よくはない。」
コハルにも、おぼろげな考えはあるのだが、それを口に出すのははばかられた。
あやめは、不意に目を閉じた。
「唐子の奥と、堺とではどちらが遠いかのう?」
「おお。」
「コハル。わたくしは決めました。もとはといえば、わたくしが無用に愚図愚図とためらっていたのが悪い。」
「ご無理のないことでございました。このような仕儀になろうとは、コハルのせいにもございます。」
「それはもう、よい。わたくしとて、何度、去年の秋や冬を省みて、悔いたことかわからぬ。」
「悔いられなくてもようございます、御寮人さまは。」
「楽しすぎて、……壊れ物と同じじゃな。よきものに下手に触ってはならぬと思えた。なにかを壊したくなかったのかもしれぬ。しかし、……」
あやめは回想と感慨に囚われて、言葉を喪ったようだ。
「面白うございましたなあ。コハルの一生で、一番楽しい冬だったかもしれませぬ。」
「左様にいうな。終わったことは誰にも取り戻せぬ。だが、……」明日のことならばこの手で、といわんばかりに、 あやめは目を見開き、無意識に手をみつめる。
「合戦に出られるお覚悟でございますね。」
「おうよ。わたくしには、大旦那様を通じて、お武家の血も流れているらしいからな。」
「お躰をお張りなさいませ。お躰を。」
あやめの顔が心なしか上気したのを、コハルは見た。
「……いかなる意味かは詮索しませぬ。が、左様いたそう。」
「御曹司さまは、遠くに行かれるでしょう。」
「……今でも、よく遠くに行かれています。」
「御寮人さま。」しっかりなさい、といわんばかりにコハルは念を押した。「ご命じになられましたのは、御曹司さまのお命のお助けでございました。遠流で済めば、まだよろしかろう。」
「そうだったな。コハル、これはおぬしには叱られるであろうが、……まことにありがたい、礼をいいまする。」
「大儀であった、といってくださいますほうが、コハルのような仕事の者には嬉しうございます。ただ、コハルも身の程を忘れますが、……申し訳ございませぬ。とても、ここまでしか、できませんでした。お詫びを申し上げます。よくやった、とはたしかにお言葉をいただけますまい。」
「そうではない。ほんとうにうれしいのじゃ。十四郎さまはこれで、しばらくのお命は助かった。」
「しばらく、ではございますが。」
「闇討ちまであったそうな。」
あった。
十四郎が蟄居から表面上は解かれてすぐのことである。
許可されて、死んだ与三郎の屋敷に悔やみをいいに訪れようとするところに、どこからともなく矢が飛んだ。十四郎に同行した大舘の監視役の役人も含め、道行く者皆が大騒ぎのなかであったのに、射手はさして繁華でもない武家町を逃げおおせた。
逃げ出したのは和人の風体で、矢は和弓のそれであったが、鏃には毒が塗られていた。
十四郎は肩衣を射抜かれた。それだけで済んだものの、知らせを聞いたお屋形―蠣崎若狭守季広老人は絶句したらしい。
ただちに十四郎を、法源寺に送った。四男の蠣崎随良が住持を勤める寺である。この蝦夷島の古刹に逃げこませれば、おいそれと襲撃のできるものではない。たとえ蠣崎家の者であったとしても……。
だが、この襲撃はコハルの仕組んだことである。あやめもそれは知っていた。
新三郎こそは釈然としなかったであろう。代官名代には、闇討ちなどの必要は本来ない。殺したければ再び罪に問うて、堂々と刑殺すればいいだけの話であった。
老代官にはそれがわからないのか、あるいは名代の意図を汲んで勝手に動く勢力が家中にあるとみたか。おそらく後者の見立ては事実としては間違っていなさそうだが、十四郎を松前に置いておかせては、いずれ危ないと思ったのだろう。
松前で宙ぶらりんの状態から、十四郎は左遷というより遠流に近い扱いで落ち着いた。新旧の権力者であるお屋形とご名代の親子にどのようなやりとりがあったのかは、さすがのコハルもつかめない。
「お立ちになる春まで、油断はならぬ。」
出立は来春と、なぜか決められていた。雪の心配がある季節でもなんでもないのに、どういうわけでそんなに間が空くのかはわからない。
逆にいえば、それまでの長い時間、十四郎は寺に禁固されたも同然である。そこにあやめは、大舘すなわちご名代の残酷さを感じてならない。
(十四郎さまなら、蝦夷地でも生きていかれよう。それを、そう割り切って前にも進めさせず、長々と恥やご不便を忍ばせるおつもりか?)
(それとも、手元に置いて、いずれは、やはり殺してしまおうというのか?)
「それはコハルにお任せくださいませ。」
「大儀。」
「よいのでございますか?」
「……」
「春までご無事にすごされたとしても、御曹司さまは、うんと遠くに行ってしまわれます。」
「……よくはない。」
コハルにも、おぼろげな考えはあるのだが、それを口に出すのははばかられた。
あやめは、不意に目を閉じた。
「唐子の奥と、堺とではどちらが遠いかのう?」
「おお。」
「コハル。わたくしは決めました。もとはといえば、わたくしが無用に愚図愚図とためらっていたのが悪い。」
「ご無理のないことでございました。このような仕儀になろうとは、コハルのせいにもございます。」
「それはもう、よい。わたくしとて、何度、去年の秋や冬を省みて、悔いたことかわからぬ。」
「悔いられなくてもようございます、御寮人さまは。」
「楽しすぎて、……壊れ物と同じじゃな。よきものに下手に触ってはならぬと思えた。なにかを壊したくなかったのかもしれぬ。しかし、……」
あやめは回想と感慨に囚われて、言葉を喪ったようだ。
「面白うございましたなあ。コハルの一生で、一番楽しい冬だったかもしれませぬ。」
「左様にいうな。終わったことは誰にも取り戻せぬ。だが、……」明日のことならばこの手で、といわんばかりに、 あやめは目を見開き、無意識に手をみつめる。
「合戦に出られるお覚悟でございますね。」
「おうよ。わたくしには、大旦那様を通じて、お武家の血も流れているらしいからな。」
「お躰をお張りなさいませ。お躰を。」
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