えぞのあやめ

とりみ ししょう

文字の大きさ
上 下
42 / 210

一の段 あやめも知らぬ 破約(五)

しおりを挟む
「大舘のご判断は正しい。ポモールの村を襲っているテシオとやらの“惣大将”は、必ずかの村を陥し、今度は根こそぎ潰してしまいましょう。加勢はほぼ無意味。ポモールの村人は少なく、長年の周辺のアイノの圧迫に衰微する一方。十四郎さまの母君も、村がかつて戦いに敗れた結果、奴婢として売られた末に、蠣崎の領地に流れ着いたのでございましょう。」
 乱世では普通のことであったから、奴婢や奴隷ということばにはあやめも反応しない。ただ、蝦夷島に至った北国の異人の共同体が滅びつつあることを改めて知らされ、青ざめる。
(そんな場所に、あのお方は行こうとしている!)
「アイノ相手だ。鉄砲や馬ではなんとかならんのか。」
「お店も、蝦夷地に鉄砲は少しずつ、こっそり流しておりますな。目先のきく連中は、和人から鉄砲は手に入れておりましょうし。」
 なんのことはない、松前納屋も近隣の海岸沿いに拠点をもつアイノに、鉄砲の数丁は知らぬふりで流している。
「相手も、まんざら丸腰ではないか。」
「ポモールとかいう異人は、まさに鉄砲の類いを蝦夷島に北国から持ち込んで、アイノを征服し、おのれらの邪教を奉じる村を築いたので。北国には、なにやら優れた鉄砲や大筒があったらしい。一時期は家の数も増え、栄えたようでござるな。しかし、抑え込んだはずのアイノに逆襲され、頼みの綱の交易も蝦夷商人に遮断されれば、じわじわと弾丸も火薬も足りなくなる。それは松前などに頼ろうにも、ご当代のお代官さま以来の棲み分けができてしまえば、そもそも唐子にはさほどの松前商人が来なくなった。多かった家も減り、今はただ十数軒ほどが残るばかり。そこをなにやらいう“惣大将”に目をつけられた。テシオ勢が襲いかかっても、周囲のアイノの村は見て見ぬふりらしい。終わりでございますな。」
「その『終わり』に、あのおひとは突っ込んでいくのか!」
「……左様で。」
 あやめは蒼白になって、まなじりが割けるほどに目を見開く。
「これまではアイノの習慣に従い、お詫びの品という形で敗けを切り抜けてきたが、もう渡すものとてありはしないようだ。命を差し出すか、村中で奴婢になるしかありますまい。」
「そんなところに十四郎さまがいけば……」
「お討ち死もあろうかと。」
「十四郎さまは御存じなのかっ? ソヒィアさまは本当のことばかりはいうまい。」
「ほぼ、この程度は御存じの上かと。」
「……」
「あのお方とて、同族だからといって女のいうことをすべて信じるわけではない。いろいろ調べてはおいでのようだ。ソヒィアの従者などもアイノの言葉で手なずけたし、手なずけたといえば、見張り役の侍から大舘の話もかなり聞いている。あのお方は、ああいう、よいおひとではございますが、けして暢気ではあられませぬよ。」
「ならば……」あやめは脱力してしまったかのようだ。絞りだすような声でいう。「なおのこと、ご翻意は、させられない。」
「御寮人さま?」
「いまのこと、お伝えはする。が、ご存じなのであろう? そして、それでも、行かれるのだ。……堺ではなく、蝦夷地へ。」
「コハルの手の者にご加勢を……?」
「やめよ。焼け石に水、というものなのであろう? いや、たしかに、いざとなれば、十四郎さまのお命をお救いできる者は欲しいが……。」
「それはお任せくださいませ。なんとかいたします。しかし、どうしてもご翻意はございませぬか。」
「……ないなあ。その後も何度もお会いして、何度もわたくしは泣いたが、あのお方は、涙を流されないのだ。もう泣くだけはひとりで一度泣いてしまった、涙は枯れた、などといわれるのでなあ。そして、もう村に行くことしか、お考えではないのだなあ。」
 あやめは困ったように、それこそへんに暢気な声を出す。
「御寮人さま……。」
「ようやく、お文をいただいた。わたくしのことがまことにお好きだというのがわかって、それはうれしかった。あやめを心から大切に思われるのだと、そればかりはよくわかったのでな。……だが、堺に来ては下さらないのじゃ。」
「御曹司さまは、たしかに、御寮人さまを二なきお方と、まことにいとおしくお思いです。おふたりの恋には、嘘はございません。」
「だが、お約束は守られなかった。」
「……。」
「だんだん腹に据えかねてきた。……女泣かせ、とはあのお方だったのか。ふん、あのように不実な男は、ほんとうに討ち死にしてしまえばよいのにな。」
 あやめは、声をたてて笑ってみせた。
「御寮人さま。おいたわしい。」
コハルはついに涙を流した。
「えっ、コハル? 泣くな、泣かないでおくれ、コハル。」
 長い付き合いで、コハルが泣くのをあやめは初めて見た。
「すまぬ、わたくしなどのせいで、すまぬ。」
 あやめは急いで、コハルに近づき、大きな頬に滂沱とする涙を拭いてやる。
「おやさしいことだ。」
「コハルまで泣かせてしまった。すまぬ。」
「こちらこそ、申し訳ござりませぬ。……コハルは大人になってから、嘘涙しか流したことはなかったのでございますが。」
「今のも?」
「さて。」
 主従ふたり、泣き面で微笑んだ。
「……おかげで、わかりました。目の前でひとに泣かれると、まことに慌てるし、胸が詰まる。十四郎さまを困らせていた。」
「御寮人さま。いっそコハルにお命じ下さってもいいのです。いうことをきかぬ十四郎さまを斬れ、と。そして、返す刀で大舘の連中をできるかぎり殺してやりましょう。順序はどうでもよい。ご主人様にこんな思いをさせるなど、儂の一代の恥。恥をかかせた蠣崎家の者どもを、まとめて地獄に叩きこんでやりましょう。」
「コハル……」ふふ、とあやめは笑った。「いずれ、頼むやもしれぬ。」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

悪戯な運命の女神は、無慈悲な【運命の糸】を紡ぐ

ブラックベリィ
BL
高校一年生の神楽聖樹〔かぐら せいじゅ〕は、好みによっては、美形といわれるような容姿を持つ少年。 幼馴染みは、美少女というのが特徴。 本人の悩みは、異世界のかなりハードな夢を見ることと母親のこと‥‥‥‥。 嫉妬によって、ある男に聖樹は売られます。 その結果、現代と異世界を行ったり来たりします。 ※BL表現多し、苦手な方はその部分を飛ばしてお読み下さい。 作品中に、性的奴隷とか強姦とかかなりハードな部分もあります。 その時は、R18の印をつけます。 一応、じれじれのらぶあまも入る予定。 ジャンルに迷い、一応同性同士の行為や恋愛が入るので、BLにしてみました。

孤独な姫君に溺れるほどの愛を

ゆーかり
恋愛
叔母からの虐待により心身に傷を負った公爵令嬢のリラ。そんな彼女は祖父である国王の元保護され、優しい人々に見守れながら成長し、いつしか自身に向けられた溺れるような愛に気付かされる──

田舎者とバカにされたけど、都会に染まった婚約者様は破滅しました

さこの
恋愛
田舎の子爵家の令嬢セイラと男爵家のレオは幼馴染。両家とも仲が良く、領地が隣り合わせで小さい頃から結婚の約束をしていた。 時が経ちセイラより一つ上のレオが王立学園に入学することになった。 手紙のやり取りが少なくなってきて不安になるセイラ。 ようやく学園に入学することになるのだが、そこには変わり果てたレオの姿が…… 「田舎の色気のない女より、都会の洗練された女はいい」と友人に吹聴していた ホットランキング入りありがとうございます 2021/06/17

婚約破棄追追放 神与スキルが謎のブリーダーだったので、王女から婚約破棄され公爵家から追放されました

克全
ファンタジー
小国の公爵家長男で王女の婿になるはずだったが……

ちびっ子ボディのチート令嬢は辺境で幸せを掴む

紫楼
ファンタジー
 酔っ払って寝て起きたらなんか手が小さい。びっくりしてベットから落ちて今の自分の情報と前の自分の記憶が一気に脳内を巡ってそのまま気絶した。  私は放置された16歳の少女リーシャに転生?してた。自分の状況を理解してすぐになぜか王様の命令で辺境にお嫁に行くことになったよ!    辺境はイケメンマッチョパラダイス!!だったので天国でした!  食べ物が美味しくない国だったので好き放題食べたい物作らせて貰える環境を与えられて幸せです。  もふもふ?に出会ったけどなんか違う!?  もふじゃない爺と契約!?とかなんだかなーな仲間もできるよ。  両親のこととかリーシャの真実が明るみに出たり、思わぬ方向に物事が進んだり?    いつかは立派な辺境伯夫人になりたいリーシャの日常のお話。    主人公が結婚するんでR指定は保険です。外見とかストーリー的に身長とか容姿について表現があるので不快になりそうでしたらそっと閉じてください。完全な性表現は書くの苦手なのでほぼ無いとは思いますが。  倫理観論理感の強い人には向かないと思われますので、そっ閉じしてください。    小さい見た目のお転婆さんとか書きたかっただけのお話。ふんわり設定なので軽ーく受け流してください。  描写とか適当シーンも多いので軽く読み流す物としてお楽しみください。  タイトルのついた分は少し台詞回しいじったり誤字脱字の訂正が済みました。  多少表現が変わった程度でストーリーに触る改稿はしてません。  カクヨム様にも載せてます。

ヒーローは洗脳されました

桜羽根ねね
BL
悪の組織ブレイウォーシュと戦う、ヒーロー戦隊インクリネイト。 殺生を好まないヒーローは、これまで数々のヴィランを撃退してきた。だが、とある戦いの中でヒーロー全員が連れ去られてしまう。果たして彼等の行く末は──。 洗脳という名前を借りた、らぶざまエロコメです♡悲壮感ゼロ、モブレゼロなハッピーストーリー。 何でも美味しく食べる方向けです!

今日で都合の良い嫁は辞めます!後は家族で仲良くしてください!

ユウ
恋愛
三年前、夫の願いにより義両親との同居を求められた私はは悩みながらも同意した。 苦労すると周りから止められながらも受け入れたけれど、待っていたのは我慢を強いられる日々だった。 それでもなんとななれ始めたのだが、 目下の悩みは子供がなかなか授からない事だった。 そんなある日、義姉が里帰りをするようになり、生活は一変した。 義姉は子供を私に預け、育児を丸投げをするようになった。 仕事と家事と育児すべてをこなすのが困難になった夫に助けを求めるも。 「子供一人ぐらい楽勝だろ」 夫はリサに残酷な事を言葉を投げ。 「家族なんだから助けてあげないと」 「家族なんだから助けあうべきだ」 夫のみならず、義両親までもリサの味方をすることなく行動はエスカレートする。 「仕事を少し休んでくれる?娘が旅行にいきたいそうだから」 「あの子は大変なんだ」 「母親ならできて当然よ」 シンパシー家は私が黙っていることをいいことに育児をすべて丸投げさせ、義姉を大事にするあまり家族の団欒から外され、我慢できなくなり夫と口論となる。 その末に。 「母性がなさすぎるよ!家族なんだから協力すべきだろ」 この言葉でもう無理だと思った私は決断をした。

処理中です...