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一の段 あやめも知らぬ 破約(五)
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「大舘のご判断は正しい。ポモールの村を襲っているテシオとやらの“惣大将”は、必ずかの村を陥し、今度は根こそぎ潰してしまいましょう。加勢はほぼ無意味。ポモールの村人は少なく、長年の周辺のアイノの圧迫に衰微する一方。十四郎さまの母君も、村がかつて戦いに敗れた結果、奴婢として売られた末に、蠣崎の領地に流れ着いたのでございましょう。」
乱世では普通のことであったから、奴婢や奴隷ということばにはあやめも反応しない。ただ、蝦夷島に至った北国の異人の共同体が滅びつつあることを改めて知らされ、青ざめる。
(そんな場所に、あのお方は行こうとしている!)
「アイノ相手だ。鉄砲や馬ではなんとかならんのか。」
「お店も、蝦夷地に鉄砲は少しずつ、こっそり流しておりますな。目先のきく連中は、和人から鉄砲は手に入れておりましょうし。」
なんのことはない、松前納屋も近隣の海岸沿いに拠点をもつアイノに、鉄砲の数丁は知らぬふりで流している。
「相手も、まんざら丸腰ではないか。」
「ポモールとかいう異人は、まさに鉄砲の類いを蝦夷島に北国から持ち込んで、アイノを征服し、おのれらの邪教を奉じる村を築いたので。北国には、なにやら優れた鉄砲や大筒があったらしい。一時期は家の数も増え、栄えたようでござるな。しかし、抑え込んだはずのアイノに逆襲され、頼みの綱の交易も蝦夷商人に遮断されれば、じわじわと弾丸も火薬も足りなくなる。それは松前などに頼ろうにも、ご当代のお代官さま以来の棲み分けができてしまえば、そもそも唐子にはさほどの松前商人が来なくなった。多かった家も減り、今はただ十数軒ほどが残るばかり。そこをなにやらいう“惣大将”に目をつけられた。テシオ勢が襲いかかっても、周囲のアイノの村は見て見ぬふりらしい。終わりでございますな。」
「その『終わり』に、あのおひとは突っ込んでいくのか!」
「……左様で。」
あやめは蒼白になって、まなじりが割けるほどに目を見開く。
「これまではアイノの習慣に従い、お詫びの品という形で敗けを切り抜けてきたが、もう渡すものとてありはしないようだ。命を差し出すか、村中で奴婢になるしかありますまい。」
「そんなところに十四郎さまがいけば……」
「お討ち死もあろうかと。」
「十四郎さまは御存じなのかっ? ソヒィアさまは本当のことばかりはいうまい。」
「ほぼ、この程度は御存じの上かと。」
「……」
「あのお方とて、同族だからといって女のいうことをすべて信じるわけではない。いろいろ調べてはおいでのようだ。ソヒィアの従者などもアイノの言葉で手なずけたし、手なずけたといえば、見張り役の侍から大舘の話もかなり聞いている。あのお方は、ああいう、よいおひとではございますが、けして暢気ではあられませぬよ。」
「ならば……」あやめは脱力してしまったかのようだ。絞りだすような声でいう。「なおのこと、ご翻意は、させられない。」
「御寮人さま?」
「いまのこと、お伝えはする。が、ご存じなのであろう? そして、それでも、行かれるのだ。……堺ではなく、蝦夷地へ。」
「コハルの手の者にご加勢を……?」
「やめよ。焼け石に水、というものなのであろう? いや、たしかに、いざとなれば、十四郎さまのお命をお救いできる者は欲しいが……。」
「それはお任せくださいませ。なんとかいたします。しかし、どうしてもご翻意はございませぬか。」
「……ないなあ。その後も何度もお会いして、何度もわたくしは泣いたが、あのお方は、涙を流されないのだ。もう泣くだけはひとりで一度泣いてしまった、涙は枯れた、などといわれるのでなあ。そして、もう村に行くことしか、お考えではないのだなあ。」
あやめは困ったように、それこそへんに暢気な声を出す。
「御寮人さま……。」
「ようやく、お文をいただいた。わたくしのことがまことにお好きだというのがわかって、それはうれしかった。あやめを心から大切に思われるのだと、そればかりはよくわかったのでな。……だが、堺に来ては下さらないのじゃ。」
「御曹司さまは、たしかに、御寮人さまを二なきお方と、まことにいとおしくお思いです。おふたりの恋には、嘘はございません。」
「だが、お約束は守られなかった。」
「……。」
「だんだん腹に据えかねてきた。……女泣かせ、とはあのお方だったのか。ふん、あのように不実な男は、ほんとうに討ち死にしてしまえばよいのにな。」
あやめは、声をたてて笑ってみせた。
「御寮人さま。おいたわしい。」
コハルはついに涙を流した。
「えっ、コハル? 泣くな、泣かないでおくれ、コハル。」
長い付き合いで、コハルが泣くのをあやめは初めて見た。
「すまぬ、わたくしなどのせいで、すまぬ。」
あやめは急いで、コハルに近づき、大きな頬に滂沱とする涙を拭いてやる。
「おやさしいことだ。」
「コハルまで泣かせてしまった。すまぬ。」
「こちらこそ、申し訳ござりませぬ。……コハルは大人になってから、嘘涙しか流したことはなかったのでございますが。」
「今のも?」
「さて。」
主従ふたり、泣き面で微笑んだ。
「……おかげで、わかりました。目の前でひとに泣かれると、まことに慌てるし、胸が詰まる。十四郎さまを困らせていた。」
「御寮人さま。いっそコハルにお命じ下さってもいいのです。いうことをきかぬ十四郎さまを斬れ、と。そして、返す刀で大舘の連中をできるかぎり殺してやりましょう。順序はどうでもよい。ご主人様にこんな思いをさせるなど、儂の一代の恥。恥をかかせた蠣崎家の者どもを、まとめて地獄に叩きこんでやりましょう。」
「コハル……」ふふ、とあやめは笑った。「いずれ、頼むやもしれぬ。」
乱世では普通のことであったから、奴婢や奴隷ということばにはあやめも反応しない。ただ、蝦夷島に至った北国の異人の共同体が滅びつつあることを改めて知らされ、青ざめる。
(そんな場所に、あのお方は行こうとしている!)
「アイノ相手だ。鉄砲や馬ではなんとかならんのか。」
「お店も、蝦夷地に鉄砲は少しずつ、こっそり流しておりますな。目先のきく連中は、和人から鉄砲は手に入れておりましょうし。」
なんのことはない、松前納屋も近隣の海岸沿いに拠点をもつアイノに、鉄砲の数丁は知らぬふりで流している。
「相手も、まんざら丸腰ではないか。」
「ポモールとかいう異人は、まさに鉄砲の類いを蝦夷島に北国から持ち込んで、アイノを征服し、おのれらの邪教を奉じる村を築いたので。北国には、なにやら優れた鉄砲や大筒があったらしい。一時期は家の数も増え、栄えたようでござるな。しかし、抑え込んだはずのアイノに逆襲され、頼みの綱の交易も蝦夷商人に遮断されれば、じわじわと弾丸も火薬も足りなくなる。それは松前などに頼ろうにも、ご当代のお代官さま以来の棲み分けができてしまえば、そもそも唐子にはさほどの松前商人が来なくなった。多かった家も減り、今はただ十数軒ほどが残るばかり。そこをなにやらいう“惣大将”に目をつけられた。テシオ勢が襲いかかっても、周囲のアイノの村は見て見ぬふりらしい。終わりでございますな。」
「その『終わり』に、あのおひとは突っ込んでいくのか!」
「……左様で。」
あやめは蒼白になって、まなじりが割けるほどに目を見開く。
「これまではアイノの習慣に従い、お詫びの品という形で敗けを切り抜けてきたが、もう渡すものとてありはしないようだ。命を差し出すか、村中で奴婢になるしかありますまい。」
「そんなところに十四郎さまがいけば……」
「お討ち死もあろうかと。」
「十四郎さまは御存じなのかっ? ソヒィアさまは本当のことばかりはいうまい。」
「ほぼ、この程度は御存じの上かと。」
「……」
「あのお方とて、同族だからといって女のいうことをすべて信じるわけではない。いろいろ調べてはおいでのようだ。ソヒィアの従者などもアイノの言葉で手なずけたし、手なずけたといえば、見張り役の侍から大舘の話もかなり聞いている。あのお方は、ああいう、よいおひとではございますが、けして暢気ではあられませぬよ。」
「ならば……」あやめは脱力してしまったかのようだ。絞りだすような声でいう。「なおのこと、ご翻意は、させられない。」
「御寮人さま?」
「いまのこと、お伝えはする。が、ご存じなのであろう? そして、それでも、行かれるのだ。……堺ではなく、蝦夷地へ。」
「コハルの手の者にご加勢を……?」
「やめよ。焼け石に水、というものなのであろう? いや、たしかに、いざとなれば、十四郎さまのお命をお救いできる者は欲しいが……。」
「それはお任せくださいませ。なんとかいたします。しかし、どうしてもご翻意はございませぬか。」
「……ないなあ。その後も何度もお会いして、何度もわたくしは泣いたが、あのお方は、涙を流されないのだ。もう泣くだけはひとりで一度泣いてしまった、涙は枯れた、などといわれるのでなあ。そして、もう村に行くことしか、お考えではないのだなあ。」
あやめは困ったように、それこそへんに暢気な声を出す。
「御寮人さま……。」
「ようやく、お文をいただいた。わたくしのことがまことにお好きだというのがわかって、それはうれしかった。あやめを心から大切に思われるのだと、そればかりはよくわかったのでな。……だが、堺に来ては下さらないのじゃ。」
「御曹司さまは、たしかに、御寮人さまを二なきお方と、まことにいとおしくお思いです。おふたりの恋には、嘘はございません。」
「だが、お約束は守られなかった。」
「……。」
「だんだん腹に据えかねてきた。……女泣かせ、とはあのお方だったのか。ふん、あのように不実な男は、ほんとうに討ち死にしてしまえばよいのにな。」
あやめは、声をたてて笑ってみせた。
「御寮人さま。おいたわしい。」
コハルはついに涙を流した。
「えっ、コハル? 泣くな、泣かないでおくれ、コハル。」
長い付き合いで、コハルが泣くのをあやめは初めて見た。
「すまぬ、わたくしなどのせいで、すまぬ。」
あやめは急いで、コハルに近づき、大きな頬に滂沱とする涙を拭いてやる。
「おやさしいことだ。」
「コハルまで泣かせてしまった。すまぬ。」
「こちらこそ、申し訳ござりませぬ。……コハルは大人になってから、嘘涙しか流したことはなかったのでございますが。」
「今のも?」
「さて。」
主従ふたり、泣き面で微笑んだ。
「……おかげで、わかりました。目の前でひとに泣かれると、まことに慌てるし、胸が詰まる。十四郎さまを困らせていた。」
「御寮人さま。いっそコハルにお命じ下さってもいいのです。いうことをきかぬ十四郎さまを斬れ、と。そして、返す刀で大舘の連中をできるかぎり殺してやりましょう。順序はどうでもよい。ご主人様にこんな思いをさせるなど、儂の一代の恥。恥をかかせた蠣崎家の者どもを、まとめて地獄に叩きこんでやりましょう。」
「コハル……」ふふ、とあやめは笑った。「いずれ、頼むやもしれぬ。」
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